夢幻想



 ゴミ拾いは圭麻の日課だ。
 中学三年になってもそれは変わらず、日毎帰る道を変えてはゴミを拾っていく。時には遠回りをする事もあるし、そうでない時もある。
 その日は遠回りをしながら帰っていた。
 仲間たちは圭麻のその日課を呆れつつも仕方が無いと思っているようで、気が向いた時には手伝ってくれたりもする。大抵の場合手伝ってくれる時は何か悩みがあってそれとなく圭麻に相談をしたりしてくるのだが。
 何故か自分はそういう役割になってしまうらしい、と思っても迷惑でも無いし、人の悩みを聞くのはそれはそれで興味深いことも多い。しかし、こと恋愛に関しては、相談されたところで自分は人よりも経験が少ないと思うのだけれど。
 道端に落ちている空き缶を拾いながら、そんな事を考えていると、不意に頭上から声がした。
「きゃあああああっ」
 声というより悲鳴だ。
 顔を上げた瞬間に衝撃が来てそのまま倒れこむ。体の上に何かが落ちてきたのは解かったけれど、冷静に状況判断が出来るような状態ではなく、そのまま落ちてきたものと一緒に道端に倒れこむのが精一杯だった。
 衝撃が何とか過ぎ去り、ようやく落ち着いて見れば、どうやら自分の上に落ちてきたのは女の子らしい。制服を見るところ、うちの学校の生徒だ。落ちてきた方を見れば階段で、どうやら足を滑らせたところに圭麻が居たらしい。自分の方も怪我は無いし、少女も圭麻がクッション代わりになったおかげで大したことは無さそうで、まあ、結果がよければ良いだろう。
「ご、ごめんなさいっ、あ、あの、怪我はありませんかっ!?」
 しかし、少女の方はそう思えないようで、慌てて圭麻の上から退いた後、俯いたまま必死に謝ってくる。
「大丈夫ですよ、怪我もありませんから」
「すみません…あたし、ドジで、トロいからいっつも人に迷惑かけちゃって…」
「迷惑なんて思っていませんから、気にしないで下さい。あなたの方こそ怪我はありませんか?」
「あ、は、はい…」
 そう言って問いかけると、ようやく少女は顔を上げて頷いた。しかし、
「ぇ…」
 彼女の顔を見た瞬間に、今度は圭麻の思考が停止した。
 一度に色んな感情が溢れ出して制御できなくなる。嬉しさと、懐かしさと、哀しみ、それ以外にもいろいろな物が突然溢れ返って、混乱状態に陥り、結局は少女を見つめたまま呆然としているしかなかった。
「あ、あの…やっぱり何処か怪我されたんですか?」
 声を掛けられてはっとする。何か答えなくては。
「いえ、本当に怪我はありませんよ」
「じゃあ……どうして、泣いてるんですか?」
 少女の純粋な疑問に、圭麻は初めて自分が泣いていることに気づいた。自分の頬に手をやり、涙を拭う、しかし、どうやら止める事は出来ないらしく、次から次へと溢れてきて、制御できない事に戸惑う。
「すみません、何でもないんです」
「で、でもあの……あ、これ、使ってくださいっ」
 そう言ってハンカチを取り出して、圭麻の涙を拭ってくる少女と、視線が合う。その途端、彼女の顔が真っ赤に染まった。
「え、えと、ご、ごめんなさい、ええええと…」
 完全に彼女の方も混乱してしまったらしく、逆に少し冷静になれた。彼女の手からハンカチを受け取り、礼を言う。
「有難う御座います」
「いえ、こっちこそ、ごめんなさい。あの、やっぱり何処か怪我されたんじゃ…」
「いいえ、これは違うんですよ」
「でも…」
 尚心配そうにする少女の笑いかけて見せる。涙はまだ止まらないけど。まるで自分の理性とは離れたところで涙が溢れ出しているようだった。
「すみません、あなたがオレの知っている人によく似ていたので」
「知ってる人…でも、どうしてそれで…。その人…?」
「亡くなったんです。随分前に…」
「あ、す、すみません…あの…」
 表情がもう、まずいことを聞いてしまった、と焦りが見えて、思わず笑ってしまう。素直に表情が出る子だ。
「ああ、気にしないで下さい。本当に。それより、ハンカチ、有難う御座います。洗って返しますね。クラスと名前を教えていただけませんか?」
「あ、一年三組の天野砂雪です」
「天野さんですね。ハンカチは必ず返しますから」
「いえ、そんな、気にしないで下さいっ」
 慌てる少女を見ていると何だか微笑ましい。圭麻は立ち上がると、少女に手を差し出す。
「え…?」
「ずっとこんな所で座っているのもなんですから。どうぞ、お手を」
「は、い、いえ、一人で立てますっ」
「そんなこと言わずに」
 そう言って彼女の手を掴み立ち上がらせる。彼女は吃驚したような顔をして、顔を真っ赤に染める。初心な反応が微笑ましい。
「ああ、そうそう。一つだけお願い出来ますか?」
「はい?」
「オレが泣いたってことは、此処だけの秘密にしておいてください」
「あ、はいっ」
「有難う御座います。じゃあ、今度は落ちないように、気をつけてくださいね」
「はい、こちらこそ、有難う御座います」
 ぺこりと頭を下げる少女に手を振って分かれる。借りたハンカチを大事に仕舞いながら、少女の事を思い出す。
 一目見た瞬間に、それが誰だか気づいた。
(…天野、砂雪……砂雪…)
 高天原の自分が愛し、亡くした人と、中つ国でこんな風に会う事になるとは思わなかった。しかも、こんな近くで。
 泰造のように探し回っていた訳でもないのに。
 しかし、会ったところでどうしようも無い事だ。彼女は高天原のことなんて知らないし、高天原で砂雪を愛した自分は自分であって自分ではない。同じ記憶と魂を共有していようと、別個の人間に違いは無い。
 ただ、それでも。
 彼女が幸せかどうか、見守るぐらいは、許されるだろうか。
 どうにも少し、自分を卑下する様子が見えるのが気に掛かった。
「まあ、口実はありますしね」
 ハンカチの事を思い出し、笑みを浮かべる。とりあえず、それで少し近づいてみるのも、良いかも知れない。



 教室で、砂雪はぼーっとした表情で黒板を見つめていた。
 休み時間の今は授業の痕跡も全て消されており、何も書かれていないのだが。
 一昨日から砂雪はずっとこんな調子だ。あの人に会ってから。
 そういえば、結局自分のクラスと名前は教えたけど、あの人のは知らない。格好良い人だったから、探したら見つかるかも知れないけど、転校してきたばかりの砂雪はまだこの学校に馴染みきれていなくて、一人で校内を歩き回ったりするのは何だか怖い。
 結局、あの人が返しに来ると言っていたのを待っているしか出来ないのだけど、そもそも何故あの人がこんなにも気になるのか解からない。
 でも、不思議と懐かしい気がした。懐かしくて、胸が締め付けられるような、そんな感じがずっと砂雪から消えてくれなくて、それがあの人が気になる原因なのは間違いないけれど。
 それにあんな風に泣く人を、砂雪は初めて見た。
「砂雪ー?ちょっとー、どうしたの?」
「へ?」
「もう、さっきからぼーっとしちゃって、昨日…ううん、一昨日の夜から変よ?」
「そ、そう?」
「そうよ。まったく、何があったの?ひょっとして誰かに苛められたとか!?」
「そんなことないよ」
 笑顔で誤魔化すが、不審そうな表情は消えない。
 双子の妹の和砂は、砂雪と同じ顔をしているのに性格は全然違う。活発で、はきはき物を言って、社交的で、人見知りで内気な砂雪とは正反対だ。転校してきたばかりなのは同じなのに、和砂はもうすっかりこのクラスにも馴染んでしまっている。
 砂雪は未だにこのクラスに馴染みきれていなくて、和砂が一緒で無いとろくに話しかけることも出来ないのに。
「砂雪は嘘が下手なんだから、そんなこと言ったって騙されないわよ」
「ほんとに、何でもないよ」
 問い詰められたところで、何と言っていいか解からないし、何でもないと言えば実際に何でもないことなのだから。
「おーい、天野!」
「何?」
「そっちじゃねー、砂雪の方」
「勝手に呼び捨てにしてんじゃないわよ」
「両方天野なんだから名前で呼んだ方が早いだろ。それともお前、和砂ちゃん、とか呼んで欲しいのか?」
「やめてよ、気持ち悪い!」
「ちょっと、和砂…。それで、若狭くん、何か用?」
 そのまま言い合いを続けそうな二人を止めて、砂雪が問いかけると、その少年ははっとしたような顔をした。若狭光介くんは、このクラスではリーダーみたいな人で、いつも明るくて元気だけど、砂雪には少し怖い。
「ああ、そうだった。呼び出しだぜ、入り口んとこで待ってるんだけど・・・お前、何であの人と知り合いな訳?」
「あの人って…?」
「相模圭麻さん。オレの姉貴の友達なんだけど…うちの学校じゃすげー有名人なんだぜ、あの人たち」
「何で複数形なの」
「オレの姉貴含めたグループ全員が有名人なんだよ。あらゆる意味で。お前ら転校してきたばっかで知らないだろうけどさ。しかもすっげーモテんだぜ、みんな」
「その有名人が砂雪に何の用なのよ」
 訝しげな顔で問い詰める和砂に、光介が首を振る。
「知らねーよ、そんなの。直接聞けよ」
「で、でも、あの…その先輩って、怖い人…?」
「え?圭麻さん?怖くは無いけど…底知れない人ではあるなあ…ちょっと変わってるし」
「え…?」
 何となく光介が遠い目をしたのが気になるのだけど、でも呼び出されたのだから行かなければいけない。ずっと待たせたら申し訳ないし。
 そう思って砂雪が立ち上がろうとしたところで、和砂が言った。
「あたしが行くわ」
「え?」
「だって、そんな変な人と砂雪を会わせらんないわ。だったらあたしが砂雪のふりして会って来る」
「で、でも…」
「良いから、ちょっと砂雪は隠れてて、良いわね」
 そう言って和砂は砂雪の返事を聞く前に行ってしまう。仕方なく言われたとおり入り口から見えないところに隠れて様子を見る。確かに、和砂は砂雪のふりをするのが上手くて、両親でさえ時々間違うほどだから、大丈夫だとは思うけれど、何だか申し訳ない。
「ほんと、和砂って過保護だよなあ…」
「うん、何かすごく心配性なの…」
 光介の言葉に砂雪は頷く。本当は自分の方がお姉さんだから、もっとしっかりしたいのだけど。
 様子が気になって、隠れながらも入り口の方へと近づく。
 すると、和砂の声が聞こえてきた。
「あ、あの…何ですか?」
 完全に砂雪になりきっている和砂の、少しおどおどした様子の声が聞こえる。そして次に聞こえたのは相手の人の声だ。
「えーっと…」
 その声を聞いた瞬間に、どきっと心臓が跳ね上がる。
 一言だけでも、あの人だ、と思った。きっと、言ったとおりにハンカチを返しに来てくれたのだろう。でも、今更出て行くなんて出来ない。
「あの…?」
「いや、オレが呼んだのは天野砂雪さんなんですけど…」
「だから、あたし…」
「違うでしょう」
 きっぱりと言い切る様子に、和砂が呆然と相手を見つめる。砂雪も、驚いて小さく声を漏らした。
「え…?」
「オレが会ったのはあなたじゃありませんから」
 そう言って、その人は教室の中を覗き込んできた。慌てて隠れようとしたけど、逆に思い切りこけて尻餅をついてしまった。その拍子に机が動いてガタン、と大きな音がした。
「失礼します」
 そう言って教室の中に入り、真っ先に砂雪に向かってきた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい…」
「どうぞ」
 手を差し出されて、困惑しながらも素直に握る。ゆっくりと立ち上がらされて、ハンカチを差し出された。
「これ、有難う御座います。約束どおり、お返ししに来ました」
「い、いえ、こっちこそ、あの時はごめんなさい。…でも、何であたしじゃないって解かったんですか?」
 両親でさえ間違うほど、和砂は砂雪の真似をするのが上手いのに、会ったばかりのこの人がどうして解かるのだろう。
「何でと言われましても…勘、ですかね」
「勘で解かるもんじゃないでしょー!?」
 行き成り和砂が割って入ってくる。あっさりと見破られたのが、相当ショックだったらしい。
「砂雪が双子だってこと、知ってたの?」
「いえ…それは」
「だったら何で違うって思うのよ!ひょっとして、実は砂雪のストーカーなんじゃないの?」
「ちょ、ちょっと、和砂っ」
「いや、圭麻さんに限ってそれは無いって」
 あまりの言い様に砂雪は慌てて止めに入り、光介も圭麻を弁護する。
「何で無いって言えるのよ」
「だって圭麻さんって、女の子よりゴミの方が好きだもんなー」
「光介くん、それはフォローになってませんから」
「だって事実だろ」
 そう言いつつも、光介の表情には圭麻に対する信頼と尊敬が見える。
「そんなことありませんよ。ただあまり恋愛ごとには興味が無いだけです」
「どうでも良いわよ、それは!それより何で解かったかってことで・・・」
 光介と圭麻の会話に焦れた和砂が再度文句を言うと、圭麻は苦笑いを浮かべる。
「だって、どんなに似ていたって違う人間でしょう。だったら解かりますよ」
「そんなこと…」
「いや、圭麻さんの場合マジだぜ。オレにも双子の弟居るけど、圭麻さんは簡単に二人とも見分けられるもんな」
「……」
 光介の言葉に、流石に和砂が黙り込む。その様子を優しげな目で見つめて、圭麻は謝罪する。
「すみません」
「何で謝るのよ」
「砂雪さんにハンカチをお借りした時に、オレがちゃんと名前を言わなかったから、警戒させてしまったんでしょう。だから、すみません」
「……別に」
「こっちこそ、すみません、相模先輩。和砂が色々言っちゃって…」
「気にしてませんから、大丈夫ですよ」
 にっこり笑って言う様子は穏やかで、本当に優しい人なんだな、と思う。それに、砂雪と和砂は性格が大分違うから、印象も変わって見分けられる人は多いけど、砂雪の真似をした和砂をそうだと解かる人は殆ど居ないから、本当に凄い人だと思う。
「じゃあ、オレはハンカチを返しに来ただけなので。すみません、一年の教室に勝手に入って」
「い、いえ」
 確かに、圭麻が教室に入ってきてから凄く注目を浴びているけど、それはきっと、上級生とかではなくて、やっぱりこの人が有名人だからなのだろう。
「では、失礼します」
 そう言って教室から出て行ったのを見送って暫くすると、急にクラスの女子たちが一斉に話しかけてきた。
「天野さん!相模先輩と知り合いなの!?」
「相模先輩って、全然女の子に興味ないのにねー」
「告白されても全部即効で断られるんだよ!」
「どうやって、仲良くなったの?」
「え、えっと…あの…」
 行き成りのことにどうして良いか解からずに居ると、和砂が庇って前に出てくれる。
「ちょっと、そんなに急に話しかけても答えられないでしょ!?」
「だって、ねえ?」
「相模先輩って、あのグループの人たち以外にはあんまり興味ないみたいなのに」
「べ、別にあたしも仲が良いわけじゃないよ。ただ、貸したハンカチを返しに来てくれただけで…」
 本当に、それだけだ。
 名前が解かっても、そんなに有名で人気のある人と、これ以上近づける訳も無い。
 砂雪のその言葉に、クラスメイトの興味は失せたのか、すぐに離れていってしまう。それにほっとして息を吐くと、今度は和砂の目が砂雪をじっとりと睨みつけてくる。
「…ところで砂雪」
「な、なに?」
「ハンカチ貸したって、いつのこと?」
「お、一昨日…」
「やっぱり何かあったんじゃない。砂雪の嘘つきーーーっ!!」
 そう言って抱きついてくる和砂に苦笑いを浮かべる。でも、本当に何かあったというほどの事ではないのだ。それに、圭麻が泣いた事は秘密にすると約束したし、それ以外に言えることなんて殆ど、何も無い。
 ハンカチも返してもらったし、きっともう、あの人との接点はなくなるんだろうな、と砂雪はそう思っていた。



 神代中学にはいくつか花壇があって、その殆どを園芸部が手入れしている。けれど、園芸部自体に余り人数が居ない所為か、手入れがされていないものもある。
 砂雪は、先生に頼んで手入れされていない花壇の世話をするようになった。普段はびくびくと怯えている姿が目立つのに、その時は生き生きとしていて、まるで別人を見ているような気分になる。けれど、砂雪が花壇の世話をしていることを知っている人間は、余り居ない。
 光介はたまたま、砂雪が花壇の世話をしたいと先生に頼んでいるのを見かけたから知っているだけだ。先生は園芸部に入るように進めたが、家の事情で早く帰らなければいけない日もあって、部活は入れないのだと言う。
 それで最終的に花壇の一つを砂雪が面倒をみることになった。
 それを知って以来、光介は度々花壇の世話をする砂雪の姿を見に行っていた。不思議と砂雪が世話をすると、花壇の花たちがやたらと生き生きしているように見える。それが気になった所為もあるかもしれない。
 だけど、光介はそれを見ても砂雪に声をかけたりはしない。どうしてか砂雪は自分と話すと怯えてしまうことが多いようで、折角楽しげに世話をしているのを邪魔するのも気が引けたから。
 だから、それを見かけたのも偶然と言えば偶然、必然と言えば必然だっただろう。
「花壇の世話ですか?」
「は、へっ…相模先輩!」
 突然話しかけられ、砂雪は大げさに驚いて体を跳ねさせ、圭麻はそれを見て苦笑いを浮かべた。
「すみません、驚かせてしまいましたか」
「あ、いいえ、そんなことありません」
 砂雪は首と手を振って見せるが、驚いていたのは明らかで、その様子に笑みを浮かべ、そして花壇に視線を向けた。
「…この花壇、君が世話をしてるんですか?」
「は、はい。先生に頼んで、お世話させて貰ってるんです」
「花が好きなんですね」
「はい、花だけじゃなくて、植物ならみんな好きです。一生懸命育てたら、その分答えてくれるから」
 圭麻の問いに、砂雪は生き生きと笑って答える。砂雪が、和砂以外と話していてあんなに楽しそうにしているのは初めて見た。そして、圭麻もその様子を優しげに見つめる。
「じゃあ、この花壇の花たちがこんなに生き生きとしているのは、君がそれだけ頑張って世話をしているからなんですね」
「…そうでしょうか。だったら、嬉しいですけど」
「きっとそうですよ」
 圭麻が砂雪ににっこりと笑いかけたところで、突然大きな声が割って入った。
「ちょっとーーーっ!!」
 和砂が勢いよく砂雪に駆け寄り、ぎゅっと抱き付いて圭麻から引き離す。
「あたしの砂雪に何やってんの!?ナンパはお断りだからね!」
「別にそんなつもりはないんですが…」
「そんなの解からないわ!だって、砂雪はこーーーーんなに、可愛いんだもん!」
 同じ顔をしている自分が言う台詞では無いと思うが。抱き付かれている砂雪の方は、和砂の勢いに押されて苦笑いを浮かべるばかりだ。
 それからはもう、和砂が一方的に圭麻にいちゃもんをつけ、圭麻は笑ってそれを受け流し、砂雪は和砂を諌めたりしながらわいわいと賑やかに話している。
 そしてそんな風景が、それからも何度となく繰り替えされた。
 時には和砂が圭麻にちょっかいを掛けに行き、時には圭麻が砂雪に話しかけ、砂雪から何かする事は無かったが、それでもそうしているのが楽しそうではあった。
 そうして三人が一緒に居るのを見るのは、当然光介だけの筈もなく。
 ある日、国語辞典を忘れたのを思い出し結姫に借りようと三年の教室に行けば、丁度圭麻のその話題になっていた。
「圭麻に彼女!?」
 その大きな声に、光介は一瞬で反応してしまう。どう考えたって圭麻が最近一緒に居るのは、砂雪と和砂の二人だ。
 その声を出したのは、結姫や圭麻の仲間の一人である泰造だった。泰造と話していたのはこれまた仲間の一人である颯太で、声の煩さに耳を塞いで答える。
「彼女かどうかは知らないけど、最近圭麻が仲良くしている一年の女の子が居るって…」
「あ、オレも見たことあるぜ、それ。オレたち以外と圭麻が仲良くしてるなんて珍しいなあ、って気になったからな」
 話題に加わったのは那智だ。金色の髪に派手な容姿をしているから結構目立つ。
「その話題の当人たち、外に居るぜ」
「え、マジ!?」
 窓の外を見ていた、結姫の彼氏の隆臣がそう声をかけると、みんな揃って窓際に近づく。光介に辞書を貸した結姫は呆れた様子でそれを見ている。
「もう、圭麻が誰と仲良くしたって別にいいじゃない」
「何言ってんだよ、そういう結姫だって気になるだろ?圭麻が好きになる女ってどんなのか」
「気にはなるけど…って、別に付き合ってるって決まった訳じゃないんでしょ?」
 隆臣がにやにや笑いながら言うと、結姫も気になるのを条件反射で認めていた。実際、告白してくる女の子を片っ端から振っていた圭麻が親しくしているというだけでも、気になるのは当然だろう。
「あの子たち、一年だよな。双子を二股か〜、やるな、圭麻のやつ」
「ちょっと!圭麻を隆臣と一緒にしないでよ」
「結姫…お前オレのことなんだと思ってんだ…?」
「んなことはどうでも良いけど、一年なら光介が知ってんじゃねーの?」
 隆臣の不満をさくっと無視して、泰造が光介に話題を振る。
「二人とも、オレと同じクラスだけど…」
「へえ、何て名前?」
「天野砂雪と、和砂…」
 それはもう興味津々というような表情でみんなに見つめられて、たじたじとしながらも答える。
「砂雪?」
「…ん?」
「なんか、どっかで聞いた名前のような…」
 不意に全員が妙な顔をして考え込む。砂雪という名前に何かあるんだろうか。
 すると、急にぱっと思いついた顔をして結姫が声を出した。
「あ!そうだ、あの…っ」
「ああ〜っ!思い出した!!」
「そうだ、たかまぐぁ…むぐ…」
 結姫に続いて、那智と泰造も何か思い出したようだが、泰造は何故か言いかけた途中で颯太に口を塞がれた。
「バカ!場所を考えろ!」
「う…悪かったって。でもそうか…成る程な〜」
「だったら、あの圭麻があれだけ気にしてるのも解かるよね…」
「付き合って無くても、付き合うのも時間の問題かな」
 それぞれ好き勝手言っているが、光介にはさっぱり結姫たちの言っていることが解からない。一体なんだというのだろう。しかし、以前から彼らにはそういうところがあって、その話題にはどうにも光介は入っていけない。しかもみんなすっかり圭麻と砂雪は付き合うというような前提になっていることからして訳が解からない。
 そこに不意に隆臣が呟いた。
「…どうだろうな。あいつ、考えすぎるとドツボに嵌るタイプかも知れないぜ?」
「? どういうことだよ」
「さあな」
 颯太が疑問を返すが、それ以上は答えない。
 そういえば、隆臣も謎だ。小五の頃まではおっとりとした性格だったのに、中学になって転校先から戻ってきたら随分性格が変わっていた。最初の頃は大分驚いたが、結姫たちはそれに対しては余り疑問を持っていないようだったのも不思議だ。
 結局、光介はそれ以上解からず、辞書を持って自分の教室に戻ったのだが。



 認めない、認めない、絶対に認めない!
 和砂はそう何度も心の中で繰り返していた。
 急に現れて、さらっと砂雪に近づいて、和砂と砂雪の違いをあっさり見分けるなんて、そんなこと絶対認めない。今まで誰だって、そんな事が出来た人なんていないのに。
 しかも砂雪は砂雪で、今まで男の子が苦手なところがあったのに、圭麻にだけは自然と打ち解けているようで、それが尚更許せなかった。
 それから何度も砂雪の振りをして圭麻に近づいたけれど、いつもあっさり見破られる。一度でも間違ったら、もう二度と砂雪に近づかせたりしないのに。
「和砂、もうやめなよ…」
「嫌よ、やめないわ!」
「相模先輩、良い人だよ?」
「そういう問題じゃないのっ!!」
 そう、もう良い人とかそうじゃないとかいう問題じゃない。これは完全に意地だった。だから今回もまた、圭麻の所に行くのだ。
 休み時間は校内のあちこちに移動しているので、見つけるのは大変だけれど、見つけたら深呼吸。自分は砂雪なんだと言い聞かせて近づく。
「あの、相模先輩…」
 少し控えめで、おどおどした感じ。家族以外に自分から話しかける時の砂雪は、いつもこんな感じだ。そうして砂雪の振りをした和砂のかけた声に、圭麻が振り返る。
「え?ああ…またですか、和砂さん?」
「…名前呼んだだけで何で解かるのよーーーーっ!!!」
「何でと言われましても」
 苦笑いを浮かべながら、圭麻は怒鳴る和砂を優しく見つめる。その目も苦手だ。何でも見透かしているような感じがして、体がむずむずしてくる。
「ご、ごめんなさい、相模先輩。ほら、和砂・・・ねえもう止めようよ」
 そっと後ろから砂雪が出てきて、圭麻に突っ掛かる和砂を止める。いつもこんな調子だ。圭麻は全く気にしていない…というよりはそれを楽しんでいるようではあるが。
「オレは別に構いませんよ。二人と話しているのは楽しいですしね」
「…そんなことよりっ、休み時間にいっつもあっちこっち歩いて、何してんのよ!」
「何って…簡単に言えばゴミ拾いですが」
「え…まさか、自主的に校内清掃とかしている訳…?」
「いえ、気に入った物があれば家に持って帰るんですが」
「…ゴミを?」
「はい」
 悪びれた様子もなく頷く圭麻に呆れる。ゴミを家に持って帰る?何でまたそんなことをするのか理解出来ない。
「そういえば、若狭くんが相模先輩はゴミが好きだとかって…」
「あはは、好きと言うか…まあ、そうですね。だって、捨てるの勿体無いじゃないですか、まだ使えるものだって沢山あるのに」
「使えるもの?」
「そうですよ。例えば、ほら、これなんか……」
 そう言ってズボンのポケットから出したのは、小さな綺麗な石が沢山入った小瓶だった。
「綺麗…」
「…何これ?」
「手芸用のものですよ。ほら、小さな穴が空いているでしょう。これを繋ぎ合わせて色々なものを作るんです」
「これも捨てられてたの?」
「ええ。本来は一つの色ごとに纏めて瓶に入れられているものですから、数が半端になってもう使わなくなったので捨ててしまったんでしょうね」
 そう言って圭麻がその小瓶を光にかざす。キラキラと光って綺麗だった。
「そんな、こんなに綺麗なのに…」
「勿体無いでしょう?だからオレはこういうものを持って帰って何かに使えたらな、と思うんですがね、どうにも最近物が増えすぎて親にも叱られてます」
 いつもは大人っぽい雰囲気なのに、イタズラっぽく笑う姿は年相応に見える。
「でも、本当にこれを捨てるなんて、勿体無いですね・・・こんなに綺麗なのに」
「…やっぱり、女の子は綺麗なものが好きですね。これは砂雪さんにあげますよ」
「良いんですか?」
「はい。オレが持っているよりも大切にしてくれそうですから」
「有難う御座います」
 砂雪はお礼を言って瓶を受け取り、嬉しそうに笑う。圭麻もそれを優しく見つめているのが解かって、それが何だかムカムカするけど、こんなに砂雪が嬉しそうなのに口出しする事も出来ない。
「ああ、それから、和砂さんにはこれなんかどうですか?」
「え?」
 そう言って圭麻が取り出したのは、小さなコンパクトだった。
「これは以前拾ったものなんですが、鏡の部分が割れていたんです。持って帰って綺麗なもので嵌めなおしたんですが、こういうのはオレが持っていても仕方ありませんしね」
「いいの?」
「気に入ったのであればどうぞ」
「…有難う」
 受け取るとコンパクトを開けてみる。壊れていたなんて嘘みたいだ。コンパクト自体もピンク色に可愛い花柄がついていて、女心をくすぐるには充分すぎるほどだ。
「気に入っていただけたのなら良かったです」
「で、でも、物で釣ろうとしたってダメだからね!」
「…はい、解かってます」
 くすり、と笑みを浮かべるその様子に、思わず頬が熱くなる。
 この人は、何でも見透かしてしまうみたいで近くは居心地が悪い。でも、この人のくれたコンパクトは本当に可愛くて、こんな風に捨てられてしまったものをまた使えるように出来るのは凄いと、本当にそう思う。
 でも、矢張り和砂には意地があって、そう簡単に認める事も出来ないのだ。
 だからと言って、いつまでも意地を張っているのも格好悪い。
 そうして昼休みが終わった次の休み時間、物思いに耽っていると、砂雪が声をかけてきた。
「ねえ、和砂、もう良いでしょ?やめようよ、相模先輩に突っ掛かるの」
 砂雪は優しい。誰と誰が争うのも嫌がるから、和砂が圭麻に対して突っ掛かっていくのが心配でならないのは当然だ。和砂だって、いつまでも圭麻とあんな風に突っ掛かるような会話ばかりしたい訳じゃない。
「…解かった」
「え?」
「じゃあ、あと一回だけね。それで相模先輩があたしと砂雪を間違えなかったらもう突っ掛かったりしないって約束する」
「ホントに!?」
「うん。ただし、今度声をかけるのは砂雪だからね?」
「え…?」
 和砂の言葉に、砂雪が疑問符を浮かべる。またいつものように和砂が圭麻に砂雪の振りをして話しかけると思ったのだろう。しかし、それをいくら繰り返しても無駄だという事も和砂だって解かっている。だから今回は砂雪に行ってもらうのだ。
「大体、よくよく考えてみれば砂雪から相模先輩に声をかけたことなんてないじゃない。だったら話しかける方イコールあたしって思っててもおかしくないわ。だから今度は砂雪が声をかけて、それであたしと間違えなかったら、もう突っ掛かったりしない」
「……で、でも」
 砂雪は戸惑ったような様子を見せる。自分から話しかけるというのが戸惑われるのだろう。そもそも人と話すのが不得手な子だから仕方ないとは思うけれど、和砂だって器用な訳じゃない。何の切欠もなく圭麻と仲良くするなんて事、出来る筈も無いのだ。
「本当にこれっきりだから。お願い!」
「………うん、やってみる」
 砂雪が頷いたのを見て、これで本当に圭麻が和砂と砂雪を間違えたらどうしよう、と少し考える。本当は、和砂だって見分けて欲しいのだ。だから、何度も何度も確かめたい。
 でも、ああして突っ掛かっていても仕方無いのも事実だから。
 そして、その日の放課後、和砂と砂雪は圭麻を探し、校庭の隅で見つけてから顔を見合わせる。相変わらずゴミ拾いをしているようだった。
「じゃ、行ってくるね…」
「うん」
 緊張に顔を真っ赤にしながら心を決めたような表情を浮かべる砂雪に、申し訳ないなと思いながらも和砂は少し離れたところで様子を見る。ただ、声が聞こえなくては意味が無いから、出来るだけ近くに。
「あ、あ、あの、相模先輩…」
「はい?」
 圭麻が砂雪の方を見る。それからにっこりと、優しげに微笑んだ。明らかに和砂に向けるのとは違う微笑みで。
「どうしたんですか?砂雪さんが声をかけてくるなんて珍しいですね」
「え、えーと、あのっ」
「なんですか?」
 声をかけたものの何を話したら良いのか解からず、砂雪は口篭ってしまう。和砂はすかさず出て行って砂雪に抱きついた。
「相模先輩があたしと砂雪を間違えないか確かめてのよ」
「…またですか?」
「これで最後よ。砂雪が話しかけてもあたしと間違えなかったらもう言いがかりつけたりしないって、砂雪とも約束したし」
「では、オレは合格ということでしょうか」
「…そうね」
「それは良かった」
 優しく笑う圭麻に和砂も珍しく口篭る。本当に、変な人だ。どんなに妙な言いがかりをつけても絶対に怒らないで笑っているなんて。
 怒ったって、おかしくないことも言っているのに。
「そ、そんなに良いことなの、それ」
「和砂さんにずっと警戒されたままというのも、何だか嫌ですしね」
「その、『和砂さん』って止めてよ…何か気持ち悪い。呼び捨てで良いわよ。ね、砂雪?」
「あ、はい。でも和砂、気持悪いって言うのは、失礼じゃ…」
 戸惑う砂雪を見ながらも、和砂はずっと思っていた。『和砂さん』なんて呼ばれる度に違和感を感じて仕方なかったのだ。
「だから、これからは呼び捨てにしてよね!」
「そう、ですね…」
 しかし、大したことの無いはずだろうその言葉に、圭麻は珍しく戸惑った表情を浮かべる。
「何?何か変なこと言った?あたし」
「いえ、そんなことはありませんよ」
 笑みを浮かべるものの、それも何処か引き攣って見える。
「じゃあ呼んでよ」
「和砂…ですね」
「そうよ。砂雪の事もね!」
 口に出してみれば、大したことが無さそうで、先ほどの戸惑った様子は何だったのかと思うほどだ。…けれど。
 砂雪の名前を呼ぶ段になって、圭麻の表情がまた変化した。
「………砂雪」
「……は、はい」
 囁くように呼ぶその名前に、その表情に思わずどきりとする。それは砂雪も同じようで返事をしながらも、頬を染め、圭麻を見つめる。圭麻本人が意識していたのかは解からない、それでも何とも言えず複雑で、胸が締め付けられるような、そんな表情だった。
 …どうして、そんな顔をするのか、訳が解からない。
 それでも、その後またいつもの調子に戻ったから、問い詰める事も出来ない。
 本当に圭麻は、よく解からない人だ。



 結局のところ、圭麻たちがどうなっているのかよく解からない。
 離れて見ている結姫たちには、むしろ双子のどっちがどっちかよく解からないし、いつも二人と一緒に居るから、付き合っているのかさえ解からない。
 それどころか、最近の圭麻はあまり元気が無いようで、教室では溜息を吐いている姿を時折見かけるようになった。
「光介、何か知ってる?」
「何でオレに聞くんだよ…」
「だってあの子たちと同じクラスなんでしょ?」
 また辞書を借りに来た光介に聞くと、顔を顰められた。
「オレだってよく解かんねーよ。ていうか、そもそも圭麻さん自体よく解かんない人だしなー」
「良い雰囲気だったりしないのか!?」
「いやそもそも、彼女たちの方は圭麻のことどう思ってるかが問題だろ?」
 那智や泰造が興味津々という風に話に割り込んでくる。光介は若干呆れたような顔で、
「那智も泰造も彼女が居ないからって、人の恋愛沙汰に首を突っ込むのもどうかと思うけど」
「うっせー、オレは女に興味なんかないんだよ!」
「オレだって心に決めた人が…っ!」
「どうでも良いよ、別に、それ」
 那智と泰造に対する光介の冷たい態度に、結姫が苦笑いを浮かべていると、不意に颯太が声をかけてきた。
「光介くん、また来てたんだ」
「あ、颯太。なあ、今度理科の宿題教えてくれよ。結姫じゃ話になんねーの」
「ちょっと、何よそれ!?教わっといてそれはないでしょ?」
「だって、結姫理科は全然ダメダメじゃんか」
「う…っ」
「ていうか、もっと自分で努力するべきだと思うぜ、オレは。勿論結姫にも言えるけどな」
 ニヤニヤ笑いながら隆臣まで話に参加してくる。最初は二人で話していたのに、結局こうなるのだから、みんな相変わらずと言えば相変わらずだ。
「隆臣は頭いーから良いよな・・・勉強なんて全然して無い癖に。まあ、それは圭麻さんもだけど…」
「つーか、オレはそんなことより前から気になってたことがある。光介!」
 光介が不満げにぶつぶつ呟くのに対して、隆臣が威勢良く光介の名前を呼び、指を差す。
「何だよ」
「…何でお前オレたちの名前呼び捨てにしてるクセに、圭麻だけは『さん』付けなんだよ!扱いが違いすぎるだろーが!」
 問いかけられた光介はといえば、至極簡潔な答えが返って来た。
「だって、圭麻さんて何かただ者じゃないって感じがするじゃん」
「…ただ者じゃないって……」
「まあ、確かにそりゃそうだけどなー」
 確かにただ者じゃないだろうけど、とみんなある意味で納得せざるを得ない。しかし、それを言うのならここに居る全員、ある意味でただ者じゃないのだけれど。
「何つーか、絶対敵に回したくないなって思うんだよなー…怒らせたら怖そうっていうか」
「…まあ、圭麻が怒ったところなんて、あんまり見たこと無いけどな」
「あー、普段大人しいヤツが怒ると怖いって言うよな…」
「その点で言えば圭麻は当たってるかもな」
 結局みんな口々に勝手なことを言う。これじゃあ最初何を話していたのかも解からなくなりそうだったから、結姫は話の軌道を戻すことにした。
「それで、結局、圭麻とあの子達ってどうなってんの?」
「んー、よく解かんねー」
「結局お前もそうなのかよ…」
「最初からそう言ってるだろ」
 那智と泰造の明らかに残念そうな顔に、光介がむすっと反論する。
「那智たちだって圭麻さんと同じクラスなのにわかってねえじゃんか。大体オレがよく解かんないのは圭麻さんの方だよ」
「…どういうこと?」
「オレが見てる限り、砂雪も和砂も圭麻さんのこと好きなんだと思うけど、むしろ距離を置いてるのは圭麻さんの方に見えるんだよな」
 光介の言葉に、全員疑問を浮かべる。
「だって、圭麻の方から近づいたんだろ?」
「それで距離置いてるってのは変じゃねーか」
「んなこと言ったってオレが知るかよ。そんな感じがするってだけだよ!」
 光介はそう言うだけ言って、これ以上問い詰められるのは敵わないとばかりに教室から出て行った。みんなは顔を見合わせて首を傾げる。
「結局、よく解からないってことか」
「…どーなってんだろうなあ、あれ…」
「……でも、圭麻があれい以上近づきかねるのも無理ないかも知れないな」
 不意に颯太が呟く。
 全員の視線が颯太に集中し、那智が代表して尋ねる。
「どういう意味だよ」
「そもそも、圭麻が彼女に近づいたのは高天原の事があるからだろ?でも彼女はそれを知らない訳だし、話してそう簡単に信じてもらえるような事でも無い。そもそも、高天原の彼女が殺されてる、なんて事、気軽に言えることじゃないだろうし。そんな状況じゃ彼女の方が好意を示したとしても、どう接して良いか解からないんじゃないか?」
 颯太の言葉に、みんな思わず考え込んだ様子を見せる。実際、颯太の言っていることは尤もだった。高天原の事は結姫たちは記憶がある当事者だから知っているけれど、大部分の人はそんな事は全く知らないのだ。そんな話を急にしたところで信じてもらえる訳もないし、別の世界に居るもう一人の自分が誰とも知らない相手に殺されたなんて事は、尚更言える筈が無い。
 大切に思えば思うほど言えないのは当然で、だけど隠し事をしていることで逆に必要以上に近づけなくなっていたとしても無理は無いのかも知れない。
 確かに圭麻は行動の読めないところがあるけれど、結局は凄く優しい人だという事はみんな知っているのだから。
「…確かに、そうだよな」
「圭麻に近づけば結局オレたちとも縁が出来る訳だし、それで高天原のこと知っちまう可能性もあるもんな」
「そうだね…」
 何となく、みんな落ち込んでしまう。
 自分たちは、彼女の事は全く知らない。高天原の圭麻が話して聞かせてくれた事しか解からないけれど、それでも、出来ればこっちの世界の二人には幸せになって欲しいと思うのに、その高天原の記憶が二人の邪魔をしているのかも知れないと思うと、何だか気が重くなる。
 しかし、そうして結姫たちが見ているしかない状況でも、自体は勝手に進む。
 圭麻と砂雪たちの落ち着かない関係に、結局口出し出来ないで、みんな様子を見ているだけだ。というか、どうしているのかと常に気にしているのが日常となりつつあって、三人の様子を見かければついつい聞き耳を立ててしまうという、人としてはどうなのかという状況が出来上がってしまっていた。
 その時も、昼休みに裏庭に居る二人を偶然見かけたのが切欠だった。
「だーかーらーっ、砂雪のことどう思ってるのかって聞いてんの!」
「どう、と言われましても…」
 圭麻に掴みかかるようにして言っているのは、恐らく双子の妹の和砂の方だろうと思われた。光介の話だと、砂雪は大人しくて、圭麻にあんな強い口調で怒鳴りつけるような事が出来る性格では無いらしいから。
「何とも思ってないって言うのはなしだからね!じゃなきゃ、ただハンカチ貸してくれただけの砂雪に近づくなんて変じゃないっ」
「……では、何と答えれば良いんです?」
「何って…あたしが言っている意味解かるでしょ!?馬鹿じゃないんだから!!」
 何故そういう状況になったのかはよく解からないけれど、兎も角も、和砂が圭麻の気持ちを確かめようとしているのだけは理解できた。
「砂雪が好きなら好きって、ちゃんと言ってあげてよ!でなきゃ、あたし…っ」
「…和砂……」
「あたしだって諦められないじゃないっ」
「………」
 目に涙をいっぱい浮かべていう和砂に、圭麻は悲しげな眼差しを向ける。けれど、圭麻の口からははっきりとした答えは出ない。
「…和砂?どうしたの!?」
「砂雪…」
 其処にやってきたのは砂雪だった。恐らくは結姫と同じように偶然通りかかったのだろうが、何故か光介も一緒だった。
 砂雪は泣いている和砂に声を掛け、どういう状況なのかと圭麻と和砂の顔を見比べる。
「一体どうしたの?和砂…」
「砂雪は、相模先輩の事好き?」
「え…?」
「あたしは好きよ、好きになっちゃったの。砂雪はどうなの?ちゃんと言わなきゃ、あたしがとっちゃうんだから!」
「か、和砂…?」
 突然の和砂の言葉に、砂雪は状況がつかめず混乱している。光介は離れた場所で成り行きを見守っているようだ。光介も結姫も、結局見ていることしか出来ないのかな、と思うとなんだか情けない。
「好きなら、好きって、ちゃんと言いなさいよっ、バカ…」
「和砂……ごめんね」
「…なんで謝るの」
「あたし、いっつも情けなくて、お姉ちゃんなのに和砂に頼ってばっかりで、勇気がなくて、今だって気をつかわせてて……ごめんね」
「謝らなくていいよ、そんなの」
「…うん」
 和砂の気持ちが、何か砂雪に伝わったのか、決意した顔で圭麻を見つめる。その視線に、圭麻は僅かに怯んだようだった。こういう圭麻は珍しい、というよりも見た事が無い。
「相模先輩、あたし…」
「……」
「相模先輩が好きです」
 先ほどまでおどおどしていた様子が嘘のように、真っ直ぐに圭麻を見据えて言う砂雪に、むしろ圭麻の方が戸惑っているようだった。否、戸惑っているというよりは、困っている、という感じだろうか。どう答えて良いのか悩んでいるように見えた。
 泣いている和砂と、真っ直ぐ圭麻を見つめる砂雪と、その視線から逃れるように目を伏せる圭麻は、まるでいつもの三人と違って見えた。
 その時間がどれぐらい続いたのか……多分五分ぐらいだったのだろうけど、いやに長く感じた、そんな沈黙の後、ようやく圭麻が口を開いた。
「……すみません」
 顔を俯けて、表情はよく解からない。それでも口を開いて出たのは謝罪の言葉だ。その言葉に、じっと答えを待っていた砂雪の目にじわりと涙が浮かぶ。慌ててそれを拭いながら、気丈にも笑顔を浮かべてぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい、こんなこと言って。…失礼しますっ」
「砂雪!」
 そう言って走り去っていく砂雪を、和砂が慌てて追いかける。圭麻は追いかけずにそれをじっと見ていた。
 そして、二人の姿が見えなくなった頃に、ようやく光介が口を開いた。
「んで…っ」
「…え?」
「なんで…そんな風に言うぐらいなら、じゃあなんで砂雪に近づいたんだよ!!」
 圭麻に走りより、胸倉を掴む。流石にこれには結姫も慌てる。
「光介!」
「何で砂雪に近づいたんだよ!今まで女の子に全然見向きもしなかったのに砂雪にだけ特別優しかったのは何でなんだよ!!あんな風に傷つけるぐらいなら、何で…っ」
「…光介くん、もしかして……」
 圭麻の瞳が光介を映し、驚いたように見開かれる。もしかして、と続く先の言葉を、結姫も察する。もしかして光介は・・・。
「圭麻さんなら仕方無いかなって、思ったんだ。圭麻さんの前だったら凄く嬉しそうに笑うんだよ、オレの前じゃガチガチになってろくにしゃべんないのに、圭麻さんと居る時は本当に楽しそうだったんだ!なのに何で…・っ!!」
「…っ、…………すみません」
「謝って欲しいわけじゃねーよ!!」
「すみません…」
 圭麻が口にするのは謝罪の言葉だけだった。光介から視線を逸らして、目を合わせようとしない、全然、いつもの圭麻らしくない。
「んで、目合わせないんだよ、何でちゃんとこっち見ないんだよ!今まで、いつだって圭麻さんちゃんとオレの方見て話してただろ!なのになんで今はオレの方ちゃんと見ないんだよ!!」
「……………」
 矢張り圭麻は沈黙で答えるだけだった。結姫にも、どうしてこれ程までに圭麻が頑なになるのか、理由が解からなかった。ああして好きだと言ってもらえるのなら、たとえ高天原の事があったとしても、その想いに答えることが出来たんじゃないだろうか。
 圭麻が言うのなら、隠し通すことだって結姫たちも協力ぐらいはしたのに。
「圭麻さんっ!!」
 答えない圭麻に光介は苛立ちを募らせる。結姫は止めるに止められず、光介も我慢の限界が来たのだろう。圭麻を殴ろうと腕を振り上げた。結姫は思わず目を閉じる。
「っ…」
 しかし、目を閉じた後も何の物音もしないのに恐る恐る目を閉じると、いつの間にか隆臣が光介が振り上げた腕を掴んでいた。いつの間に来たのだろうか。
「止めとけ」
「…離せよ、隆臣」
「圭麻殴ったって無駄だから、止めとけ」
 隆臣の言葉に納得がいかないのか、圭麻の胸倉を掴んだ手を光介は離そうとしない。隆臣は溜息を吐いて言葉を続けた。
「こいつは頑固だからな、いくら殴ろうが何を言おうが、黙ってるって決めた事は絶対言わねえよ。殴るだけお前の手が痛くなって損だ」
「だけど…っ」
「頑固だけど、こういう時は圭麻にだって理由があるんだから、放っとけ。お前がこれ以上口出すことじゃないだろ」
「……」
 そう言われて、ようやく光介の手が圭麻を開放する。
「すみません…」
「謝るなよっ!!」
 光介が悔しげに顔を歪める。圭麻は相変わらず視線をそらせたままだ。本当にらしくない。
「圭麻、お前も……考え込み過ぎんなよ。感情だけで動いてみた方が、案外はっきりするかも知れないぜ?」
「………そう…ですね」
 隆臣の言葉にも曖昧に頷くだけだ。その様子に隆臣は溜息を吐いて肩を竦めた。どうしようもない、と言わんばかりだ。
「ちょっと、隆臣…っ」
 結姫は隆臣を引っ張って自分の側に連れてくる。
「…何か知ってるの?」
「別に…ただ、何となく圭麻の考えそうな事を予想してるだけだよ」
「あたしはそれがさっぱり解からないんだけど…」
「言っただろ、あいつ、考えすぎるとドツボに嵌るタイプだぜ、やっぱり」
「…そういえば、そんなこと言ってたけど……一体何を考えすぎてるって言うの?」
「さあな……でも、あいつはバカじゃないから、同じ事を繰り返したりはしないだろ」
「…え?」
 一人解かっているような顔の隆臣に納得いかないけれど、これ以上聞き出すのは無理そうで不満が募る。一体、何がどうなっているんだろう。
「結局オレたちが口出しするような問題じゃねーってことだよ」
「そりゃ、そうだけど…」
 言う事は尤もなのだけれども、やっぱり心配だ。
 圭麻の方は心ここにあらずといわんばかりに立ちすくんだまま、動かない。
 結局、そのまま午後の授業開始のチャイムがなるまで、みんな其処から動けないで居た。
 そして放課後。
 明らかに落ち込んだ様子を見せる圭麻に、みんなどう対応して良いか解からずに授業を終え、声を掛けようか戸惑っているところに、物凄い勢いで和砂が教室に入って来た。
「相模先輩っ!!!」
「…は、はい」
 ぐっと胸倉をつかまれ、大きな声で名前を呼ばれ流石に圭麻も瞠目して返事を返す。
「どうしてくれんのよ、相模先輩の所為だからね!」
「…な、何があったんです?」
「砂雪が居ないのよ!どっか行っちゃって午後の授業にも出てこなかったし、今まで授業サボったことなんて無かったのに!これで砂雪に何かあったら…っ」
「っ!!」
 砂雪が居ないという言葉を聞いて、和砂の怒鳴る言葉を遮るように胸倉を掴んでいる腕を振り解き、教室から走って出て行った。その行動の早さに、みんな唖然と見送る事しか出来ない。
「はえー…」
「まあ、何と言うか…」
「あれだけ必死になる圭麻は滅多に見れないよなあ」
 取り残されて呟かれる言葉は妙に感心するようなものばかりだ。
「あんな必死になるぐらいなら、何で最初っから……もうっ…」
「考えるのやめて、感情だけで動いてんだろ、今…」
「そういえば、昼休みにもそんなこと言ってたよね?一体どういうことなの…?」
 妙に解かった風な隆臣に納得がいかなくて、そう訪ねると、隆臣は肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
「ようするにあいつは、自分の気持ちに自信が無かったんだろ」



 走りながら、自分は何処に向かっているんだろうと考える。心当たりなんて全く無い。何処に居るのかも全然解からないのに、走り回って、何をしているんだろう。
 学校を一通り見て回っても何処にも見当たらない、校外に出れば尚更、何処にいるかなんて見当もつかないのに、それでも自分は学校から出て探し回っている。
 何をこんなに焦っているんだろうと、自分でも解からないぐらいに。
 砂雪が居ない。
 その事にどうしようもない不安を感じているのは、高天原での事があるからだろうか。
 目を離したら、失ってしまいそうな不安。
 そればかりが自分の感情を支配して、どうにも止められなくなる。これは、自分自身の感情なのだろうか。
 こんなに汗だくになるまで走ったのは、一体どれくらいぶりだろう、記憶にもない。もしかしたら、初めてかも知れない。
 走って、走って、どれぐらい経っただろう。
 すっかり日も傾いて西日が辺りを真っ赤に染め上げていた。暗くなってきている東の空にはもう既にいくつか星が瞬いている。本当に一体何時間走り回ったんだろうと我ながら関心してしまう。
 そうして探し回って、ようやく座り込んでいる砂雪の姿を見つけた。
「砂雪!!」
 名前を呼べばびくりと肩を揺らし、そして逃げようとする、が、目の前は階段。慌てている所為でバランスを崩して足を踏み外す。
「あっ」
「砂雪っ!!」
 全速力で駆け寄り砂雪の腕を掴み、引き寄せ、そのまま反対側に倒れこむ。何とか無事に済んでほっとする。流石に階段の一番上から落ちて無事に済む筈がない。
「……全く、何してるんですか」
「…ごめんなさい」
 よく見れば此処は砂雪と圭麻が初めて会った場所だ。この、階段の下の道で。
 砂雪のしゅん、と項垂れた様子に、今度は圭麻の胸が痛む。勝手なのは自分の方だと、自覚がある。勝手に近づいて、勝手に距離を置いて、そして傷つけて、何をしているんだろう。
 知っているはずなのに。
 解かっているはずなのに。
 迷って、躊躇って、避けている間にも、物事は進み、距離を置いた分だけ何かあった時に後悔すると、嫌というほど解かっているのに。
 自信が無いからと言って、こんな風に傷つけて良いはずが無いのに。
「…兎に角、怪我が無くてよかった。すみません、オレのせいですよね」
「い、いえ…あたしの方こそ、勝手なこと言って、逃げ出して…助けてもらって……」
「違うんです。勝手なのは、オレの方なんです」
 倒れ込んだ体勢のまま、後ろから砂雪を抱き締める。
 本当に、どうかしている。隆臣の言うとおり、考え込み過ぎなのだろう、そうして大切なものを見逃している。
 こんなにも、失いたくないと思っているのに。
「あ、あの…相模…先輩?」
 抱き締めたまま何も言わない圭麻に、顔を真っ赤に染めた砂雪がおずおずと名前を呼ぶ。
「……話を、聞いてくれますか?凄く、勝手な話です。信じてもらえないかも知れないし、オレのことを嫌いになるかも知れない。それでも……」
「相模先輩……あ、あの、大丈夫です。先輩が真剣に言う事、疑ったりなんてしないし、嫌ったりなんて、絶対に出来ませんから」
「砂雪…」
 その言葉が、どれほど自分の心を救ってくれるか、砂雪は全く気づいていないだろう。
 それでも良い。兎に角、このままでは駄目なのだと思うから。そして、隠して距離を置いて尚更彼女を傷つけるぐらいなら、全て正直に話してしまった方がいい。
 それもまた、彼女を傷つけてしまうかも知れないけれど。
「じゃあ、聞いてください…」
 それから話し始めた圭麻の話は、それこそ突拍子も無いものに違いない。高天原というもう一つの世界のこと、其処に居るもう一人の圭麻、神々の黄昏という伝説と、結姫たちとの冒険。そして、その世界の圭麻が持っていた『砂雪』という少女の記憶。
 高天原の圭麻の許婚で、誰とも知らぬ男に殺されてしまった少女のことを。
 多分、圭麻が今の砂雪の立場だったなら、到底信じられないだろう。
 それでも、砂雪は茶化したりせず、最後まで聞いてくれた。もう一人の自分が殺されたなんて、聞きたくも無い事だろうに、それでも、圭麻の話を止めたりせずに。
「オレの、高天原の記憶は、本当に僅かな間共有したもにしか過ぎません。その時、実感を持って感じられた期間よりも、更に前の話、その『高天原のオレ』の記憶でしかない。だから、オレは自信が無いんです。何も知らずに君を好きになれたら良かったのかも知れない。もしくは、ずっと記憶を共有していたなら、それも自分のものだと思えたかも知れない。でも、そうはならなくて、オレの、君に対する好意が、本当にオレ自身のものなのか、高天原のオレに影響されているものなのか、自信が無くて、そんな中途半端な感情で、君の気持ちに答えるなんて出来ないと思ったんです」
 其処まで話してから、苦笑いを浮かべる。
「……信じられないような話でしょう?」
「でも…でも、相模先輩の言っている事は本当なんですよね?だったら、信じます。それに、何となく解かった気がします。相模先輩があたしに声をかけてくれていたのは、その事があったからなんですね。でなきゃ先輩があたしに声を掛けてくれる訳ないですから」
「…でも、良い気分になるような話じゃないでしょう?」
 そんな事は無い、と言葉にする事が出来ず、結局そう言う。向こうで幸せに暮らしているというのならともかく、殺されているという話なのだから。
 それでも、砂雪は真っ直ぐに圭麻を見つめた。
「確かに、少しショックです。あたしは高天原っていう、もう一つの世界の事は全然解からないし、そこのあたしが殺されてるなんて、尚更よく解からないから、実感が無い所為かな……あたしは、そこのあたしが死んでいることより、相模先輩がそんなに悲しそうな顔をしている方が、悲しいです」
 悲しそうな顔。
 確かに今、自分はそんな顔をしているのかも知れない。それは向こうの自分の記憶でしかないというのに、目の前にその記憶のままの少女が居るから尚更、実感を伴って。
「でも、きっと悲しいままじゃないです」
「…え?」
「その、高天原っていうのは、夢の世界のことなんですよね?」
「はい」
「あたしも、夢を見るんです。どんなのかはよく覚えてないけど、凄く、幸せな夢だったと思います。大好きな人が側に居てくれる、そんな夢だって。きっとそれは相模先輩だと思うんです。あたしは絶対、何処の世界に居ても相模先輩が好きだし、きっと死んでからも何かに生まれ変わって、相模先輩の側に居るんです」
 そう言って、圭麻を安心させるように笑って見せる砂雪に何と言って良いか解からない気分になる。こんなにも掻き乱されるのは、きっと彼女のことだからだ。
 そして、彼女が言うなら、きっとそうなのだろう。
 夢だって、不幸なままでは終わらない。たとえ、夢の中の彼女の側に居るのが自分でなくても、それでも幸せなら、それでいい。
 でも、どうせなら彼女の言葉を信じたい。向こうでも、彼女の側に居るのだと。
「本当に、敵いませんね」
「え…?」
「全部話したら、何だかどうでもよくなりました」
 苦笑いを浮かべてそう言うと、訳が解からないというような表情で砂雪が見つめてくる。
「……この気持ちが、高天原のオレの気持ちかどうかなんて、どうでもよくなったって事です。だって、今この気持ちを感じているのは、オレ自身に間違い無いんですから」
「…気持ちって?」
「オレは、砂雪が好きだってことです」
「へ?………ぇええええええっ!!!?」
 本気で驚いている砂雪に、何とも言えない気分になる。そんなに信じられないだろうか。
「嘘だと思うんですか?」
「い、いえ…っ、でも…」
「オレだって、この気持ちが本物かなんて解かりません。時間をかけなければ解からない事かも知れない。それでも、オレは今、君が好きだと思ってる。…だから、それでもよければ、オレと付き合ってくれませんか?」
 圭麻の言葉に、砂雪は顔を真っ赤に染めて、口をぱくぱくと開いている。
「え……?え……あ、あの………」
「はい」
「……………よろしくお願いします」
 そう言ってぺこりと頭を下げる砂雪が愛しくて、そっと抱き締める。
「さ、相模先輩!!?」
「…そんなに驚かなくても良いでしょう?これで晴れて恋人同士なんですから」
「こ、こい…っ!?」
 また顔を真っ赤にして口をぱくぱくと開いている砂雪の顔を見て、とうとう我慢が出来なくなって噴出す。
「ぷっ…あはははは…」
「ちょ、相模先輩、意地悪です!」
「…圭麻」
「え?」
「…圭麻です、オレの名前」
「? はい」
 解からない風にきょとんとしている砂雪に微笑みかける。
「呼んでください」
「え…えーと、つまり、名前で…」
「ええ。恋人同士なら別に良いでしょう?それぐらい。……だめですか?」
「い、いえ………う、あの……圭麻………先輩」
「先輩はいらないんですが」
「…駄目です、これ以上は無理です、心臓がもう、持たないですっ!!」
 本当に茹蛸みたいに顔を真っ赤にして言うのだから仕方ない。そんな砂雪が可愛いと思うのだし。
「じゃ、まあ、それはいつか、ということで」
「……が、頑張ります」
 そう言ってから、圭麻の表情を伺うように見つめてくる砂雪に微笑むと、嬉しげな表情が返って来る。それにまた、表情が勝手にゆるんだ。
 いつの間にか空はすっかり暗くなり、星が瞬いていた。
 その星空を二人見上げながら、後悔しないように生きていきたいと思う。高天原での、あんなことがもう二度とないように、決して、悔やむ事の無いように。
 どちらが夢で、どちらが現実でも構わない。そこにあった想いは確かだから。その想いを無にしないように生きて行こう。
 そう、瞬く星に、こっそりと誓った。




Fin




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