たったひとつの魂



 圭麻の家の朝は騒がしい。
 何しろ、二人の少女の訪問から始まるのだから。
「圭麻さん、おはようございます」
「おはようございます、起きてくださいね」
 にっこりと笑う少女達に起こされ、圭麻が身を起こす。
 一人は神王宮の巫女姫、何れ天照の後を継ぎ、この世の太陽ともなるべき存在である伽耶と、そして世界を救う旅の過程で圭麻が知り合った、錬金術師の孫娘である真苗だった。
 この二人に起こされるのが日常になりつつある圭麻は、文句を言う事もなく目を覚ました。
「おはようございます」
 にっこり、という擬音がつきそうな笑顔でそう挨拶すると、二人の少女は薄っすらと頬を赤く染めた。その少女達の様子を見て圭麻は目を細めるが、何も言わない。
 そしてそれぞれがまた、日課になっているように真苗は朝食の支度を始め、伽耶は部屋の掃除を始めた。
 どれも圭麻が頼んだことではなく、二人の少女が自主的に行うようになったものだ。
 普段から余り健康的とは言えない生活を送っている圭麻は、最初のうちこそ断っていたが最後には押し切られ、彼女たちの行動には何も言わなくなった。
 真苗は、錬金術師の家でも普段から家事をしていたのだろう、料理の腕前は確かなもので、毎日美味しいものを圭麻にせっせと作っていたし、伽耶は本来お姫様であり、人の世話などする身分ではない筈が、それでもあしげく通ううちに、この部屋の掃除をする事が常態となった。
 何しろ圭麻の部屋は放っておけば日毎にゴミが増えていく。それを圭麻は宝物と称するが、大多数の人間にとってはゴミでしかないのも事実であるし、物が増え続ける事に対して、減る事は稀であるために定期的に掃除をしなければ、最後にはその物たちに人間が押し出される破目になるだろう。
 そういう事実もあり、圭麻は何も言わない。
 しかし、そうして彼女達がこの家に通う中で、圭麻は絶対的な禁止事項を一つだけ伝えた。
 それは、圭麻の家の、とある棚には決して近づかない事だった。
 彼女達は当然の如く疑問に思ったが、圭麻がその理由を伝える事は無かった。
 伽耶にとっても真苗にとっても、圭麻に嫌われる事は本位ではなく、よって圭麻の言った禁止事項を破る事は無かった。掃除をしていても、その一角だけは注意深く、近づかないようにしていた。
 其処に何があるのかは、彼女達は当然気にしていたし、圭麻もそのことに気づいているようではあったが、何も言わない。
 彼女達が圭麻に近づこうとするのに反し、圭麻は決して彼女達をある一定の距離から側に近寄らせようとはしなかった。
 それが、彼らの日常の風景になっていた。


「贅沢だな」
 占い師として都に住まう、長い旅を共に行った仲間の言葉に、圭麻は苦笑を浮かべた。
「伽耶さんと言えば、高天原では知らない人間なんて居ないほどの有名人で、しかも美人だ。真苗さんは錬金術師の孫娘で、お前のしている事に理解もある。どっちも不満に思う要素なんて殆ど無いんだぞ。その二人がお前に好意を寄せているのは明らかなのに、逃げてばっかりの状態が贅沢以外の何なのか教えて欲しいな」
「それとこれとは別問題ですよ。例え彼女達に不満は無くても、その好意を受け入れられるか否かは関係の無い事です」
 気づいているのに何も行動しようとしないお前が悪いんだ、と颯太は呟いた。
「いつまでも彼女達に告白する機会さえ与えないで逃げ回るつもりか?」
「…そうですね、このままではいけないとは、思いますよ」
 どちらも、圭麻にとっては敬意を表すには全く問題のない少女達だ。
 伽耶などはそれこそ神王宮と天珠宮の間を繋ぎ、忙しく働いているし、真苗は錬金術師の死を切欠に上京してきて、今は学校に通っている。
 共に忙しい身の上なのにも関わらず、それでも毎朝圭麻の家に来る事は欠かさない。
 圭麻はそんな彼女達に好意を寄せられている事に気づかない程鈍くは無い。それでも二人の想いを圭麻ははぐらかし続けてきた。
「卑怯者」
 呟く颯太の言葉に、圭麻は否定もせずに笑った。
「二人とも、本当に素敵な女性だと思いますよ」
「だったら、さっさと答えを出してやれよ、期待させるのは酷だぞ」
「そうですねえ、何しろ都一番の踊り子を彼女に持つ颯太の言葉ですから、参考にさせていただきたいところです」
 半眼で睨む颯太の視線を軽くかわしながら、笑みを浮かべて颯太とその恋人の関係をからかえば、すぐに赤く顔が染まった。
 どうにも彼は、圭麻と違いこの手の話題を軽く流すと言う事が出来ない。
 それは彼の良いところだが、そのために毎回圭麻にからかわれているのも事実だった。
 颯太は照れ隠しのためか、一度こほん、と咳払いをして、真面目な表情を形作った。
「兎に角、早いうちにはっきりしろよ」
「そうですね」
 圭麻は笑顔を浮かべたまま、さらりと頷くが、本心が何処にあるかは少しも読めない。このような忠告など意味は無いのだと、颯太も解かってはいたのだが。



 とある休日。
 伽耶と真苗は、研究にばかり没頭する圭麻を市場に引っ張り出した。
 圭麻としては発明や研究をそれこそ四六時中にでも行っていたかったところだが、彼女達はいつの間にやら圭麻に関して何らかの協定を結んだらしく、協力するところは驚く程に息がぴったりと合い、その二人にかかっては、流石に圭麻も逆らうという事は出来なくなるのだった。
 そしてそんな二人に連れられ、市場で買い物をする事になった。
 丁度圭麻も何か良い物は無いかと探しに出ようと思っていたところではあったし、別に構わないかと溜息一つで可愛らしくはしゃぐ少女二人を見つめた。
 アクセサリの類を売っている店では、伽耶と真苗はそれぞれ相手に似合うものを選び楽しげに笑っている。こうして見れば仲の良い姉妹のように見えないこともない。
 圭麻は微笑ましげに二人を見つめたが、アクセサリを彼女達に買ってあげるようなことはしない。期待をさせるような事は極力しないと決めているようだった。
「圭麻さんは、何か買いたいものとか無いんですか?」
 伽耶の問い掛けに微笑を浮かべながら、首を振る。
「オレはその辺で廃品回収だけ出来れば良いですから」
「じゃあ、食べたいものとか。あたし頑張って作ります」
「何でも良いですよ。作っていただけるだけで嬉しいです」
 圭麻の言葉に、伽耶と真苗は不満げに頬を膨らませる。視線を合わせて、相変わらずの圭麻の様子に互いの不満を確認し合っていた。
 一定の距離を保ちながらも、それ以上は踏み込めない関係が、伽耶も真苗ももどかしくてならい。だから、何とかその壁の打破を試みるも、上手く行った試しは無いのだが。
 そんな時、市場の向こう側が騒がしくなった。それがどんどん自分達の方に近づいているのにも気づき、自然とそちらに視線を向けた。
 そして、その様子を視認した時には既に遅かった。
 大きな犬がこちらに突進して来ているのが目に入ったかと思えば圭麻に体当りし、その場に倒れ込んだ。
「っ!」
 何とか受け身は取ったものの、強かに体を打ちつけ、痛みに顔を顰める。しかも犬の方は圭麻の体に圧し掛かったまま動こうとしない。
「ったぁ…」
 その状態から何とか上半身だけ起こしてそう呟くと、大きな舌がぺろりと圭麻の顔を舐めた。そちらを見ると、その大きな犬の顔が目の前にある。思わずその犬と見詰め合った圭麻は、暫くその状態で固まってしまった。
 成り行きを見守っている伽耶も真苗も、そして市場に来ていた周囲の人々も、二人の様子を見ながらも何の言葉も掛けられないでいた。それだけ異様というか、声を掛けられる雰囲気では無かったのだった。
 その空気を破ったのは、息せき切って走ってきた一人の少女だった。
「…あ、あの…はあ……ご、ごめんなさい…その子、いきなり、走り出して…」
 ぜーはーと荒く息を吐きながら、少女が圭麻に向かって謝る。
 圭麻が少女の顔を認め、そして少女もまた、圭麻に視線を向ける。またしても二人の視線が絡み合い、そして一拍の間を取ったあと、互いに口を開いた。
「和砂?」
「圭麻!?」
 それが既知の人間であったことに互いに驚きながら、漸く圭麻は犬の下から抜け出し、立ち上がった。そうして見ると、尚更この犬の大きさが解かる。座った状態でも通常の人間の胸くらいまでの大きさがある。毛並みは白く、つやつやと輝き、つぶらな瞳は一心に圭麻を追っていた。
 どうやら相当に圭麻を気に入ったようだった。
「この犬は、和砂の?」
「うん、二年くらい前に森で怪我してるのを見つけて手当てしたら、すっかりうちに居座っちゃって。その頃はまだほんの子供だったのに、今じゃこんなに大きくなって」
「白陽犬(シルディラド)ですね。珍しいな、本来は森の奥深くにしか生息していないのに」
 その頭を圭麻が撫でると、嬉しそうに鳴く。
 そうして見ると可愛く思えるのか、伽耶と真苗も恐る恐ると近づいた。
「か、咬んだりとか、しませんか?」
「あ、ごめんね、驚かせちゃって。さっきは暴走しちゃったけど、普段は凄く大人しくて良い子だから、大丈夫よ」
 伽耶の問い掛けに、和砂が快活に笑って頷く。真苗は既にその艶やかな毛並みを撫でていた。
「ふわふわ、可愛い…」
 真苗に撫でられても、大人しく座っている様子に、それまで成り行きを見守っていた市場の人々は安心したのか、それぞれまたいつもの活気溢れる様子に戻っていく。
 市場に突如現れた巨大な犬が、危険なものかそうでないものか、判断に困っていたのだが、この様子なら大丈夫だと思えたのだろう。
「名前は何ていうんですか?」
「ラシャっていうの。最初は名前つけないで森に帰そうかって思ってたんだけどね、この子の方が居座っちゃって」
「ラシャ…良い名前ですね」
 その名前を聞いて、圭麻の瞳が優しく細められる。愛しげにその頭を撫でながら、ラシャ、と小さく呟いていた。
 ラシャとは「雪」という言葉を指す単語で、一部の地方ではよく使われている言葉だった。圭麻と和砂はその名前に何がしかの共感を表し、視線を合わせた。
 其処で面白く無いのは伽耶と真苗である。
 互いに圭麻に想いを寄せる身としては、急に現れた圭麻と親しげな少女に対し、警戒心を露にするのもおかしな事では無いだろう。
「あの、和砂さん、ですか?圭麻さんとは、どういう?」
「あ、御免なさい。突然現れて自己紹介もなしで。あたしは和砂、圭麻の幼馴染です」
 にっこりと笑って挨拶し、ぺこりと頭を下げる姿は素直に好感が持てる姿であり、伽耶と真苗も互いに頭を下げ、自己紹介をした。
 伽耶が神王宮の姫君であると知った和砂は、圭麻が彼女と知り合いであると言う事に驚きを示したが、それも少しの間のことで、元が気さくな性格の所為か、すぐに打ち解けた。
 ただし、彼女達三人の間でも、瞬時に何事かの盟約が交わされたのだったが。
 圭麻はその事に気づいているのか居ないのか、懐くラシャと戯れていた。その様子は三人の少女達の心をまた惹き付けるものであり、思わずという風にうっとりとした溜息が漏れた。
 三人の少女達が黙り込んだのを察した圭麻は、和砂と視線を合わせた。
「ところで和砂、どうしてリューシャーまで?」
「…そういうこと言う?圭麻に会いに来たに決まってるでしょー!?一回太陽がなくなっちゃって心配したのに、その後一年何の音沙汰も無いんだからっ!代表してあたしが圭麻の様子を見に来たの。圭麻の両親だって心配してたんだからね!!」
「ああ、すみません。でも大丈夫ですよ、この通り、元気ですから」
「見れば解かるわ」
 悪びれた様子もなく笑ってみせる圭麻に、和砂はがっくりと肩を落とした。
「リューシャーにはいつまで?」
「うーん、一週間くらい。お母さんたちにどうせならお土産も買って来いって言われてるし」
「相変わらずみたいですね」
「うん、暫くは結構落ち込んでたんだけどね、ラシャが来てからは元気になったよ」
 和砂は少し寂しげな笑みを浮かべて言った。その様子を見て、圭麻は口を開いた。
「その間は、いつでもうちに遊びに来てください。歓迎しますよ」
「もちろん、そのつもりよ」
 先程まで見せていた寂しげな様子を払拭させ、快活に笑う和砂に、圭麻も笑みを見せる。
「じゃ、そろそろ宿を探さないといけないから、もう行くね」
「はい」
「行こう、ラシャ」
 そう言って和砂が声をかけるが、ラシャが動く気配は無い。ただその場に座り、只管に圭麻を見つめている。
「ちょっと、ラシャ?行くよ!」
 大きな声を出して促しても、引っ張ってみても、ラシャは其処から動く様子は見せない。まるで圭麻から離れたくは無いと言わんばかりの様子に、和砂は最後には溜息を吐いた。
「全く、よっぽど圭麻が気に入ったみたいね」
「だったら、この子はうちで預かりましょうか?別に構いませんよ」
「そうしてくれる?この様子じゃ動きそうも無いから」
 圭麻の提案に、和砂は苦笑いを浮かべて頷いた。
 その後、何だかんだとラシャのクセなどを圭麻に話して聞かせ、和砂は宿を探すために去って行った。その様子を見送り、圭麻と伽耶、真苗の三人はこれ以上買い物をする気分にもなれず、ラシャを連れて圭麻の家に戻ることとなったのだった。


「白陽犬は森の奥地に生息し、滅多に人前に姿を現さない。気性は基本的に穏やかで、寿命は約五十年。長ければ七十年生きたという例もあるらしいな」
「へえー、長生きなんだなあ」
「オレも本物は初めて見たけどな」
 ラシャを囲みながら、颯太と那智は話している。ラシャは本当は初めての人物には若干人見知りするらしく大人しい。むしろ圭麻の場合が特別だったようだ。
 今日は伽耶も真苗もおらず、共に旅をした仲間だけが集まっている。
 泰造は圭麻が淹れたお茶を飲みながらその様子を眺めていた。
「それにしてもお前、最近よくモテるよな。誰かさんを思い出すぜ」
「オレは彼みたいに誰彼となく口説いたりはしてませんよ」
 泰造の言葉に軽く返しながらも、視線はラシャを追っている。泰造の言う「誰かさん」が誰なのかも、此処に居る人間にとっては周知の事実であり、その事は微笑ましい思い出として語るにはもう少し時間が必要だと思われる程には、泰造の言葉に皆若干表情が固くなった。
 それを振り切るように那智が、思い切りラシャの頭を撫でながら口を開いた。
「それにしてもでっかいよなー。こいつオス?メス?」
「メスみたいだな。ていうかやめてやれよ、迷惑そうにしてるぞ」
 思い切り頭を撫でられたラシャは、那智の手から逃れるように圭麻の側に行く。その様子を見て笑みを浮かべながら、圭麻はちゃんと優しく撫でて、乱れた毛並みも直してやる。
 那智は颯太に止められて、詰まらなそうに唇を尖らせている。
「それにしても、よく圭麻には懐いてるな」
「ええ、初めて会った時から、殆どオレの側を離れようとしないんですよ」
 懐くラシャの頭を撫でながらそう言う圭麻に、みんな揃って溜息を吐いた。
「ホント、お前最近モテるよな。動物にまで」
 他の二人の言葉を代弁し、泰造がそう言うと、圭麻は苦笑を浮かべた。
 ラシャはそんな彼らの会話を理解しているのか、同意するように更に圭麻へと擦り寄った。そんなラシャに対して、圭麻は優しく笑みを浮かべてそれに答えてやる。
 その様子を見ながら、颯太は呟いた。
「お前はもっと人間にも優しくするべきだな」
 圭麻はその言葉を聞き取っても笑みを浮かべたまま嘯く。
「これでも充分に優しくしているつもりですよ」
 その発言を聞いた三人は、処置なし、とばかりに肩を竦めた。


 ラシャと圭麻の生活は、周囲が思っているよりもずっと互いに馴染んだものであったようで、圭麻は三日もした頃には既にラシャの居る生活が当たり前とでもいうように、その存在を受け入れていた。
 毎日圭麻のもとに通う伽耶と真苗はその様子に思わず若干の嫉妬を覚えてしまう程だし、ラシャが来てから毎日のように訪ねてくる和砂もそれは同じようであった。
「ほんとに、三日前に初めて会ったの?って感じね」
 呆れた様子で呟く和砂に、伽耶と真苗が頷く。
「良いじゃないですか、別に。ねえ?」
 同意を求めるようにラシャに話しかければ、それに同意するように一度吠える。
「ラシャ、向こうに置いてあるあれ、取って来てもらえますか?」
 研究の途中の圭麻には決して邪魔をしないという不文律は、彼女達の間では暗黙の了解であったし、時折真苗は手伝ったりもしたものだが、圭麻のその指示語だらけで的確な名詞の出てこない言葉を聞き取っても、それが何なのかは解からないだろう。
 しかし、ラシャはそれを聞いてすぐに圭麻の欲しいものが解かったのか、一声鳴いてすぐに取って来た。圭麻はそれを笑って受け取り、軽く頭を撫でてやる。
 正しく阿吽の呼吸のように息の合った様子は、本当にずっとこの一人と一匹は一緒に居たのではないかと思わせる程だった。
「ねー、圭麻ー」
 そんな彼らの様子を和砂は恨めしげに見ながら声を発した。
「研究やラシャの相手も良いけど、ちょっとはこっちも構ってよー」
 そんな和砂の言葉に圭麻はくすりと笑みを漏らし、仕方が無いと言わんばかりの様子で少女達のところへとやってくる。
「構うのは良いですが、何をしたいんです?」
「圭麻の淹れてくれるお茶が飲みたいなあ」
 にっこりと笑って甘えて見せる和砂に笑みを漏らして、圭麻は一つ頷き、お茶の用意を始める。伽耶と真苗はその様子を見ながら表情を険しくさせた。
「幼馴染とは聞いてましたけど…」
「ハンデが大きすぎますっ」
 付き合ってきた期間の長さでは圧倒的に負けている事を二人は自覚し、そう呟く。その二人の言葉に和砂は苦笑を浮かべ、顔の前で手を振った。
「駄目だよー、あたしなんて、妹扱いだから。既にラシャに負けてるし」
「うう、あたしはそれ以下です」
「わたしも…」
 がっくりと肩を落とす三人の様子に、お茶を淹れてきた圭麻が何があったのかと首を傾げる。
 その様子を見た和砂は、急にガタンッと椅子から立ち上がる。
「もーー、我慢できないっ!」
「は?」
「圭麻、あたし、圭麻の事好きだから!」
 それは告白というよりは、宣言に近い。更に言えば表情はむしろ怒っていて、これは本当に告白なのだろうかと思わされるものだった。
 そして、更にそれに続くように伽耶と真苗も立ち上がる。
「わたしもです。圭麻さんの事好きです」
「あたしも!」
 三人の勢いに、圭麻は一歩後退る。
 今までは何だかんだと伽耶と真苗の告白を、される前に避けてきた圭麻だったが、和砂の闖入は二人に妙な焦燥を与えてしまったらしい。なりふり構わないとはこのことだ。
 そんな三人の様子に、暫く驚いた表情をしていた圭麻だったが、表情を改めると口を開いた。
「俺は、」
「待って!」
「はい?」
 圭麻の言葉をすぐさま和砂が遮る。
「正直、今告白の返事聞いても、色好い答えが貰えるとは思えないから、兎に角、あたしが圭麻のこと好きだって事は覚えておいて。何もありませんでしたって風に振舞うのは嫌だからね!」
「そうです、あたしも正直圭麻さんに好かれている自信なんて全然ありませんけど、告白ぐらいは受け止めてください!」
「圭麻さんは凄く尊敬出来る発明家で、おじいちゃんを助けてくれた恩人で。ずっとあたし達のことはぐらかしてたのは知ってますけど、せめて気持ちだけは受け取ってください」
 三人が同じように真剣な面持ちでそう伝えると、圭麻は暫くして大きく息を吐いた。
「答えは要らないんですか?」
「まだ良いわ。そうね…あたしが帰る、四日後にして」
 和砂の言葉に、伽耶と真苗が隣で首を何度も上下に振る。
 たった四日の間に、どれ程答えが変わるものかは解からないが、彼女達にとってその四日というのは重要な時間のようだった。
「解かりました、では、四日後に」
 圭麻は散々今まではぐらかし続けていた割に、告白を聞くとすぐに態度を変えたようだった。答えを言うのはいつでも構わない、と思っているのかも知れない。その圭麻の表情が、既に答えを物語っているのかも知れないが。
「ところで、お茶は要らないんですか?」
「「「要ります!」」」
 圭麻の言葉に、三人は揃って答える。その様子に笑みを浮かべた後、ラシャへと視線を向けた。ラシャは大人しく座りながら圭麻をじっと見つめている。その様子に微笑み掛けた後、圭麻は三人の前にカップを並べた。
 その後、伽耶と真苗はそれぞれにするべき事があるためにそちらに行った。和砂も同様にその日は買い物をするから、と市場に出掛けていった。
 残された圭麻はそれを見送り、静かになった家で溜息を吐いた。
「オレは卑怯者ですね」
 呟いた圭麻の言葉を聞いたためか、ラシャはクゥン、と小さく鳴いて、手をぺろりと舐めた。励ますようなその様子に笑みを浮かべ、そっと頭を撫でる。
「今でも、オレは怖がってるんですよ。…情け無い」
 呟いた言葉を聞くのはラシャしかおらず、だからこそ漏らされた本音だとも言えるのだろう。
 それからまた、圭麻は研究に戻っていった。


 告白をした翌日も、三人の少女達は圭麻のもとを訪れた。
 圭麻は相変わらずの様子で彼女達を出迎え、ラシャは常に圭麻の隣に居た。そのラシャを三人は思わず羨ましそうに眺める。相手が犬でも側に居るだけで羨ましいらしい。
 しかし、羨ましいだけで済んだのはその時までだった。
 ふと圭麻の家の中を歩いていたラシャが、とある棚の前で立ち止まった。そしてある段を見つめたまま視線を逸らさない。其処は、圭麻が決して少女達に近づくなと念を押した場所でもあった。
 圭麻がその事に気づき笑みを浮かべる。
「良いですよ」
 そう声を掛けると、じっとラシャが圭麻に視線を向ける。言葉を発する事は出来なくても、ラシャの考えていることが圭麻には解かるようだった。
「持って来てください」
 最後のその言葉に、ラシャは頷くように首を回し、それから棚に足を掛けて見つめていた段に口を突っ込んだ。そして中にあったものを銜えて圭麻の元に歩み寄る。
 その様子を見ていた伽耶と真苗は息を呑んだ。何しろ、今まで圭麻はその棚に触れるどころか、近づく事すら許さなかったのだから。そして和砂は、ラシャがその口に銜えているものを見て目を見開いた。
「圭麻、それ!」
 ラシャが銜えていたのは白銀色に光る、十字架のペンダントだった。ラシャは用心深く銜えていたそれを、圭麻の手に渡した。
 それを受け取った圭麻は、そのペンダントをラシャの首に回してつけた。長めのペンダントはラシャの首のサイズには丁度良く、首輪のようだった。
「これはラシャにあげます」
「ちょ、ちょっと、圭麻!何考えてんの!?だって、それ、砂雪が…っ」
「そうです、圭麻さん、それずっと大事にしてたんじゃないんですか?」
「どうしてラシャに?」
 少女達の言い分は最もだが、圭麻は取り合わない。ただラシャに優しい笑顔を向けて言った。
「良いんですよ、ラシャになら。ね?」
 同意を求めるようにラシャに問いかければ、それに答えるように圭麻の顔に鼻先を近づけ、擦り寄った。その様子を愛しげに眺めてから、ラシャを抱き締める。
 そんなラシャと圭麻の様子を見ていた和砂はガタリと音を立てながら椅子から立ち上がる。
「ごめん、圭麻。あたし、今日は帰る」
「和砂さん!?」
「どうしたんですか!?」
 真苗と伽耶の言葉も聞かず、和砂は走り去っていく。少女二人は顔を見合わせ、和砂を追いかけたが、圭麻は何も言わずに彼女達の様子を見ていた。
 ただ、ラシャが心配そうにドアの向こうを見遣り、くぅん、と鼻を鳴らした。圭麻はそのラシャの頭を撫でて、それから自らの研究をするために部屋の奥へと行ってしまった。

 一方、圭麻の家から走り出た和砂は、兎に角全速力で街中を駆け抜けた。
 追いかける伽耶と真苗はその速さに息を切らしながらも、必死で追いすがる。ようやく和砂が立ち止まった頃には、真苗は兎も角伽耶の方は立っているのがやっとだった。日頃の運動量の差なのだろう。
「信じられない!何で、何であんな簡単にっ!!」
 憤りを隠しきれない和砂の様子に、伽耶も真苗も戸惑う。知り合ってから数日しか経っていないが、それでも同じ人を好きだということが解かっているだけに、放っておけないでいるのも事実だった。そして何よりも圭麻が関係する事なら知りたいと思うのも、少女達にとっては当然の心理だ。
「一体どうしたんですか?和砂さん」
「それに、さっき、砂雪って……一体だれの事ですか?」
 女性の名前ということが解かるだけに、少女達は気になったようだ。
「あたしの双子のお姉ちゃんよ。三年前に死んだの…」
 その言葉に、伽耶と真苗ははっと息を呑む。
「圭麻と、あたしと砂雪は幼馴染で、ずっと子供の頃から一緒だった。そして、圭麻と砂雪は、両親達が決めた、許婚だった」
「許婚…」
 予想外の言葉に、二人ともそれ以上の言葉が出ない。
「あれは、あのペンダントは、砂雪が死んだ日に、圭麻に贈った物なの。なのに、何であんな簡単にラシャに上げられるの!?」
 憤りのままに叫ぶ和砂の言葉に、二人は何も言わなかった。否、言えなかったのだろう。
 何故、と言葉にしても、自分達に答える言葉は無く、その答えを出せる唯一の人間のもとから、和砂は飛び出してきてしまったのだから。
 結局三人は暫く其処に一緒に居たが、何も言う事も無くそれぞれ時間が差し迫り、別れる事となった。


 それでも、その翌日も三人は圭麻の家へと集まった。
 圭麻は昨日の事を何も言わず、少女達も何も言わなかったが、それを気にするそぶりを見せない圭麻と違い、少女達は自然とラシャの首に掛かっているペンダントへと目が向かった。
 確かに、ラシャのその毛並みにそのペンダントは似合って居たが、だからと言ってそれが大切な少女の形見となるのならば、簡単に上げられる物では無い筈だ。
 だからこそ少女達は訝しむ。
 何より、圭麻がそんな冷たい人間では無いと言う事ぐらい、三人は知っている。だからこそ訝しみ、だからこそ悩んでいるのだ。
 圭麻が何を考えているのか解からないから。


 そんな状態のまま、和砂が帰る前日になった。
 圭麻はその日、ラシャを連れてリューシャーの近くの丘へと来ていた。そのすぐ裏には森が広がっていて、野生の動物が多く生息していた。
 都会の、特に空気の悪い地下層地区で暮らしている圭麻は自ら望んで其処に住んでいる訳だが、ラシャにとっては余り良い環境とは言えないだろう。だからこそ、圭麻は此処にラシャを連れてきたのだった。
 久々に広い場所に出て、綺麗な空気を吸ったラシャはのびのびとあちこち走り回る。
 その様子を微笑ましく眺めていると、泰造がやってきた。
「こんなトコに居たのか」
「何か御用ですか?」
 約束をしていた訳では無いし、何か用でもあるのかと問いかければ、泰造は首を振る。
「別に、用があるって訳じゃねえけどな」
 軽く肩を竦める泰造を見て、それから走り回るラシャを見る。視線が合うと、ラシャは圭麻に走り寄る。
「良いですよ、森の中の方が落ち着くでしょう」
 優しく頭を撫でてそう言うと、ラシャは嬉しげに一声吠えて、森の中へと入っていった。泰造はその様子を関心したように眺める。
「なんつーか、凄いな」
「何がです?」
「いや、言葉を交わさなくても、ちゃんと意思の疎通が出来てるんだな、と」
「出来るでしょう、それぐらいなら」
 軽く言う圭麻だが、泰造にはラシャが考えている事などはっきり解からない。飼い始めて何ヶ月も経ったペットなら兎も角、出逢って数日しかないラシャ相手に、あそこまで通じ合えるものなのかと思えば、普通に凄いと思う、と泰造は言った。
「そう、ですね。ラシャは特別ですから」
「…特別?」
 訝しげな顔をする泰造に微笑を浮かべ、圭麻は答えない。そういう圭麻には何を言っても無駄だと解かっている泰造は、それ以上問いかける事をしない。
 その後、二人は他愛の無い話をしながら時間を過ごした。
 そんな事をしているうちに、空模様は少しずつ悪化して来ていた。ゴロゴロと遠くの方で雷の鳴る音も聞こえる。
「そろそろ帰ったほうが良さそうですね」
「ああ」
 丘の上に座っていた圭麻が立ち上がり、森の方に向かってラシャを呼ぶ。しかし、答えは返って来ない。聞こえない程遠くへ行ったのかともう一度叫ぶが、矢張り答えは無い。
「…おかしいですね」
 野生動物が自然へ帰りたいと思うのは当然なのかも知れないが、圭麻に対する懐きようを考えればそうとは思えない。だからこそ圭麻は訝しむ。
「森に入って探すか?雨が降り出す前に見つけた方が良いだろ」
「ええ…」
 泰造の言葉に、圭麻が不安げな様子を浮かべる。少女達に何を言われようが平気な表情をしていたというのに、ラシャの行方が知れないだけで、圭麻は動揺していた。
「この森結構広いし、人手があった方が良いだろ。どっかで怪我して動けなくなってるのかも知れねえし、オレは人を呼んでくる」
「お願いします」
 泰造の言葉に頷き、圭麻はそのまま森へと踏み込んだ。
 ラシャの名前を呼びながら、森の中を歩く。この森には何度も入った事があり、慣れてはいるが、雨が降り出すと厄介だ。
 厚い雲に空が覆われ、辺りは薄暗くなっている。
 圭麻はもう一度名前を呼ぶ。すると、近くで微かな鳴き声が聞こえた。その声に反応して、圭麻は駆け足でそちらに向かう。森の中をそのまま突っ切りそうになって、しかし直前で足を止めた。其処には小さな崖があり、その下にラシャが居るのが見えた。
 その崖は、ほんの些細なもので、注意すれば下りられない事も登れない事もない。それはラシャも同じだろう。圭麻は崖から用心深く下り、ラシャのところへと行った。
「戻りましょう、ラシャ」
 そう声を掛けるが、いやだとでも言うように大きく首を振る。それが何故だか解からない圭麻はどうしたのかと問いかける。
「怪我でもしたんですか?」
 その問いに、またラシャは首を振る。
 では何なのか、と考えてふと何もついていないラシャの首に目が行った。
「ペンダント、落として、探してたんですか?」
 それに答えるように、一声鳴いてから、ラシャは圭麻に背を向け、鼻先で草を掻き分け始めた。ペンダントは圭麻にとって大事な物であるから、探す事に異存は無い。恐らくこの辺に落とした事は間違い無いのだろうし、二人で探したほうが早く見つかるに違いない。
 二人でそうして探しているうちに、とうとう雨が降り出した。

 泰造に呼ばれる形で、颯太と那智、そして伽耶と真苗が森の中で圭麻とラシャを探した。
 雨が降り出し、若干の焦りが見え始めた頃、五人は圭麻とラシャの姿を、小さな崖の下に見つけた。何かを探している様子を見て取り、何をしているのかと問いかけようと口を開いた時、ラシャが悲しげな鳴き声を発した。
 それを聞いた圭麻が、そちらに走り寄る。
 声を掛け損なった五人は、結局その場で成り行きを見守る羽目になった。其処に居た全員、すっかり雨に濡れてしまっていたが、それ以上に圭麻とラシャはずぶ濡れだった。
 ラシャのもとへと走り寄った圭麻がその場にかがみ込み、何かを拾い上げた。それは、圭麻がラシャに渡した十字架のペンダントだった。ただし、そのペンダントは真っ二つに割れてしまっている。元々硬度の低い鉱物で作られたそれは、落とした衝撃で割れてしまったのだろう。
 ラシャは割ってしまった事を申し訳ないとでも思っているのか、酷く落ち込んでいるように見えた。圭麻はその様子に笑みを浮かべ、そして抱き締める。
「良いんです。ずっと頑張って探してくれていたんでしょう?だったら良いんです」
 抱き締めながら、言葉を続ける。
「それに元々これは君がくれたもの。いいえ、君になる前の君がくれた物ですから。……やっぱり生まれ変わっても変わらない。優しくて、いつも一生懸命で、何よりオレの事を理解してくれる……砂雪」
 呟かれた言葉に、その場に居た全員が息を呑んだ。
 しかしそれは、確かに可能性として充分に有り得る事なのだ。この世の生き物の魂は、死ねばすぐに別のものに転生する。それが人になるのか、違う生き物になるのかは解からないが、それでもラシャが砂雪である可能性は無い訳では無く、圭麻がそう言う以上、それは事実なのだろう。
「砂雪の魂を持っているものなら、オレは一目で解かる。そして、例え何に生まれ変わったって、オレが好きなのは君だけだ…」
 ラシャに回した腕に力を込めながら、圭麻は囁く。
 それに答えるように、ラシャは圭麻の身体に擦り寄る。
「元々この十字架は、砂雪の代わり、砂雪の形見……ラシャが居るのなら、オレにはそっちの方が大切なんです……愛してるから、例え、何があっても、もう、絶対……離さないから…オレには、ラシャが居てくれれば、それでいい…」
 そう囁き、圭麻は暫くの間そうしてラシャを抱き締めていた。
 そんな圭麻とラシャの様子を見ていた五人は、思わずその場で涙ぐんでいた。そして、彼らの絆は何があっても切れないものなのだと、思い知らされたのだった。



 そして翌日。
 和砂が村へと帰る日。
「じゃ、お世話になりました。また会いに来るからね」
「はい」
 にっこりと笑う和砂に、圭麻も笑みを返す。
「あとね、告白の答えは要らないよ。というか、もう貰ったから」
「和砂…」
「ラシャが、砂雪の生まれ変わりって言うんじゃ、勝ち目ないよね。それに何となく解かった気がする。あたしも何だか、ラシャには凄く懐かしいもの感じてたし、それに、きっとラシャがあたし達のところに来てくれたのは、砂雪や圭麻が居なくなって悲しんでたのを元気付けるためだったんだね」
「・・・そうかも知れませんね」
 砂雪は、そういう子だから。
 圭麻が懐かしむように笑みを浮かべると、和砂も微笑む。
「ラシャは、此処に居た方が良いね。圭麻の側の方がきっと良い。本当はあたしが此処に来たのはね、圭麻が心配だったってのもあるけど、ラシャが凄く、こっちに来たそうにしてたからなんだ。きっと、圭麻に会いたかったんだね」
「……和砂」
「やっぱりね、振られるのは悲しいけど、砂雪なら、仕方ないやって思っちゃうんだよねー」
 少し照れたように笑いながら言った後、和砂は表情を改める。
「じゃあね、圭麻」
「はい。また今度、ラシャと一緒に村に帰ります」
「そうしてよ。みんな喜ぶよ」
 それだけ言って、和砂は村へと帰って行った。
 見送った圭麻は、すぐ後ろに立っていた伽耶と真苗に視線を移す。
 それから何も言わずに頭を下げた。
「良いです、もう」
「仕方ないなって、思いますから」
 どう考えたって、最初からあたし達に勝ち目なんて無かったんですね、と寂しげに笑う少女達に、圭麻は申し訳ないと思っても否定することはない。
 砂雪を失ってからの数年の間も、自分は決して彼女を忘れる事が出来なかったのだから。
 明日から彼女達が圭麻の家を訪れる事は無いだろう。
 それでも、其処にあった時間は、大切なものだった筈だ。


 そして更に数日後。
「本当に行くんですか?」
「ああ。オレも負けてらんねーからな」
 泰造は快活に笑った。
 ぽすっと、圭麻の胸に拳を当てて、片方の手で荷物を持ち直した。
「鳴女さんを探しに行く。もしかしたら、この世界のどっかで、生まれ変わってるかも知れねーからな。例え何に生まれ変わったって探し出してみせるさ」
「頑張ってくださいね」
 鳴女の死は、ただ殺された砂雪と違い、自らの生命エネルギーを犠牲にしたものだ。本当に何処かに生まれ変わっているか、それすらも定かでは無い。それでも、泰造は居る事に掛けて旅に出ることにしたのだ。
「じゃあ、途中までご一緒しましょうか」
「…は?」
 此処で別れるのかと思ったら、突然の圭麻の言葉に泰造がぽかんと口を開ける。圭麻はそんな泰造の様子など気にした様子もなく、自分の荷物を取り出した。
「オレもこれからラシャと一緒に出掛けるつもりだったんですよ」
「出掛けるって、何処に?」
「砂雪との約束を果たしに行くんです」
 何処にという問い掛けには答えていないが、そう言って笑った圭麻の顔は酷く幸せそうで、泰造は何も言う気にはなれないようだった。
 ラシャは行儀良く座りながら尻尾を振っている。
「お前らは一緒に居られればそれで良いんだな」
「勿論です」
 そう言い切った圭麻の表情は、いつもの大人びたそれではなく、何処か無邪気で、純粋に心から浮かべたものだと解かる笑顔だった。
 それを見た泰造は一つ溜息を吐いて言った。
「じゃあ、行くか」






 空から、雪のような白い砂が落ちてくる。
 圭麻とラシャは借りた宿の中でその様子をじっと眺めていた。
 砂雪と約束していたこと。
 いつか、二人で砂の雪を見に行こう、とそう砂雪と約束していた。けれど、その約束は果たせないまま、砂雪はいなくなってしまった。
 そして今、砂雪と同じ魂を持つ、ラシャが側に居る。
 これで約束が果たせたかと言えばはっきりしない。それでも、砂雪と同じ魂を持つこの子ならば、伝わるだろうと思ったのだ。
 空から降る砂を見ながら、圭麻は今の自分を幸せだと思った。
 そしてこの後、何度生まれ変わっても、何に生まれ変わっても、きっと自分はたった一つ、この魂を持つ相手を見つけ出し、そして必ず惹かれるのだろうと確信していた。
 相手が人間じゃないとか、そんな事は関係ない。それだけが全てではない。
 心が通じ合えることこそが重要で、今自分とラシャの心は通じ合っているという確信が、圭麻の心を満たしていた。

 あいしてる。

 言葉にしても、しなくても、それだけは間違えようのない事実。
 圭麻にとってそれだけは、何があっても揺らがない事実。
 だから今、圭麻はとても幸せだった。




Fin




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