砂の雪



 ゴーン、ゴーン…と授業の終わりを告げる鐘が鳴る。
 同級生達はざわめきながら、それぞれ席を立ち、教室を出て行く。けれど、そんな皆が帰ってしまう教室の中で一人取り残されて、溜息を吐いている少女が居た。
「砂雪、帰らないんですか?」
「け、圭麻っ」
 一人残っている少女の様子に気づいた少年が声を掛ける。咄嗟に机の上に広げてあるノートを隠そうとするが、遅かった。真っ白のノートを見た少年が苦笑いを浮かべる。
「課題、まだ終わってないんですね?」
「うん…これが終わらなきゃ、帰れないし…」
 そう言いながら、泣きたくなってくる。砂雪は本当に何も出来ない女の子だ。勉強も運動も、何もかも人並み以下で、だからこうしてみんなが帰った後も居残っている。先生に出された課題も満足に出来なくて、同級生達はどんくさいといつも砂雪のことを笑っていた。
「砂雪、圭麻!皆が外で遊ぼうって!!行かないの?」
 圭麻の後ろからひょいっと、女の子が顔を出す。砂雪と全く同じ顔立ちの少女。
「和砂。砂雪、まだ課題が終わってないんですよ」
「えーっ、そうなの?」
「うん。だから圭麻も和砂も、遊びに行ってていいよ」
 和砂は砂雪の双子の妹だ。顔立ちは全く同じなのに、砂雪よりもずっと優秀だった。勉強も運動も、それこそ男の子に負けないぐらいよく出来た。だから、いつも砂雪は和砂が羨ましい。
 圭麻の傍に居ても、何の見劣りもしない、自分と同じ姿の、自分と全く違う女の子だから。
「そう?じゃ、先に行こうよ、圭麻」
「うん。砂雪も、それが終わったらおいで」
「ありがと、頑張って終わらせるね」
 無理矢理笑顔を作って二人を見送ってから、砂雪は溜息を吐く。
 同級生達にはすっかり見捨てられている砂雪を、圭麻と和砂だけはいつも優しくしてくれた。和砂は妹だし、圭麻はずっと小さい頃から一緒の幼馴染だから。
 そして、親同士が決めた許婚でもあった。
 圭麻はそうやって勝手に決められた事があまり嬉しくないようだったけれど、砂雪はそんな事は構わなかった。ずっとずっと、物心ついた時から、圭麻の事が好きだったから。
「でも、やっぱりあたしなんかじゃ、圭麻には似合わないよね」
 勉強も運動も出来て、ちょっと変わったところはあるけど、いつだって優しい。許婚になったのだって、自分の方が姉だったから、それだけなのに。きっと、和砂の方がずっとずっと、圭麻には似合ってる。
 でも、そんな風に考えていても仕方ないから、少しでも圭麻に似合うようになりたくて、兎に角今目の前にある課題をやろうとノートと向き合う。
 何度も答えを書いては消して、繰り返して、ノートが真っ黒になるまで。
 日が傾いて、暮れかけて、疲れてきた砂雪はいつの間にかうとうとと、船を漕ぎ始めていた。


 そしてすっかり辺りが暗くなった頃。
「…ゆき。砂雪!」
「ふ、え?」
 名前を呼ばれて目を覚ますと、目の前に圭麻の顔。
「きゃあああっ!!」
 机に突っ伏して居た状態から一気に後ろに体重を移動するとそのまま椅子から落ちてしまう。
 ガタガタガタッ!と大きな音がして、砂雪はその場に尻餅をついた。
「だ、大丈夫?」
「う、うん。ごめんなさい、いつの間にか寝ちゃってて…」
「課題、終わってないんですね?」
「…うん」
 情けなくて、泣きたくなる。動かしてしまった机を直しながら、顔は見られたくなくて俯いてしまう。
 圭麻は落としてしまった真っ黒のノートを見て、それを机に置いた。
「砂雪、座って」
「え?」
「少しヒントをあげるから。先生には内緒ですよ?」
 にっこり笑って圭麻が言う。砂雪の大好きな優しくて、でも悪戯っ子みたいな笑顔。いつも砂雪が困っていると助けてくれる。
「う、うん」
「砂雪は先生の話をちゃんと聞いてるから、大丈夫」
 そう言って、砂雪がずっと解からなかった課題の解き方を少しだけ教えてくれる。そうすると、今まで全然解からなかったのが不思議なぐらい、課題がすらすらと解けていく。
 程なくして終わらなかった課題が全部出来てしまった。
「有難う圭麻。全然解からなかったのに、圭麻に教えてもらったらすぐに出来たよ。学校の先生とかむいてるんじゃない?」
「まさか。それにオレは他になりたいものありますから」
「発明家、だっけ」
「はい」
 にっこり笑って頷いた顔はどんな時よりも楽しそうで、きっとこの夢だけは変わらないんだろうな、と思う。それにきっと、圭麻なら自分の夢を叶えられるだろう。
「砂雪、終わったー?」
 和砂が教室の中に入ってくる。いつも和砂は砂雪が居残りの時は終わるまで待っていてくれる。
「うん、終わったよ」
「じゃあ、三人で帰ろ!」
「うん!」
 学校を出れば、辺りはすっかり暗くなっていた。でも、三人でなら暗い夜道も全然怖くはなかった。時々圭麻は怖い話をして二人を驚かせたりはするけれど、それもやっぱり楽しかった。
 狭い村の中だから、学校から家までもそう遠くない。
「それじゃ圭麻、また明日ね!」
「さようなら」
 家の前に着くと、和砂と砂雪は二人でそう言う。圭麻の家はすぐ向かい側で、親同士がとても仲が良く、小さい頃から行き来があった。そしてそれが元で圭麻と砂雪は許婚になったのだった。
「じゃ、また明日」
 砂雪と和砂が家の中に入っていくのを見送ってから、圭麻も家に帰る。
 それが三人の日常の風景だった。


 暑かった夏から、徐々に秋の気配が深まってきた頃、砂雪は学校の運動場の傍の木の根元に腰掛けて、皆が遊んでいるところを見ていた。元気に皆が駆け回っている姿を見ながら、最近クセよのうになってきている溜息を吐いた。
 その時、急にすぐ後ろからガサガサッと音がして、びくっと身を竦める。
 運動場のすぐ後ろは森になっていて、時々野生の動物が出てきたりする。慌てて振り返ると、出てきた方も驚いたように目を見開いた。
「あれ、砂雪。みんなと一緒に遊ばないんですか?」
「圭麻こそ。行き成りそんな所から出てきたからびっくりしたよ」
「ああ、宝物を集めてたんですよ」
「そっか。何か良い物あった?」
 圭麻のいう宝物とは、つまりはその辺に落ちているゴミの事だ。それを宝物と言ってしまうのだから、やっぱり圭麻は変わっているのだろう。圭麻の家はいつも何処かから拾ってきた物でいっぱいで、そのことについては、いつも圭麻の両親は頭を悩ませていた。
「うーん、最近は全然ゴミが落ちてなくて…拾い甲斐がありません」
「ゴミが落ちてないのは良い事だよ」
「それはそうですけどね」
 ただ、やっぱり宝物が拾えないというのは詰まらないらしい。此処は田舎だし、だからこそ、その辺にゴミを捨てるような人もそうそう居ない。まぁ、なかったらなかったで、ゴミを集めている広場を漁っていたりするのだから、あまり関係ない気もするけれど。
「でも、今日はこんなもの見つけましたよ」
 そう言って、圭麻がポケットから出したのは銀色の鉱石だった。
「うわぁ、綺麗…見たことない。何ていう石なの?」
「白銀石、プラチナストーンっていう石です。見た目は綺麗なんですが、硬度に欠けるのですぐに割れてしまったりして、あまり人気がないんです。これも誰かが捨ててしまったんでしょう」
「勿体無い、こんなに綺麗なのに…」
 拳大の銀色に光る石は日の光を反射してキラキラと光っている。
 その石に見蕩れている砂雪に、圭麻はくすりと笑みを漏らす。
「やっぱり女の子はこういうものが好きですね。これ、砂雪にあげますよ」
「いいの?」
「うん、砂雪なら大事にしてくれそうだから」
 そう言ってその銀色の石、白銀石を砂雪に手渡してくれる。持ってみてもそれ程重さはなくて、不思議と軽い。
 圭麻は人気者だけれど、ゴミを拾う趣味だけはいただけない、と皆言う。けれど、砂雪はその圭麻が拾ってくるゴミ達の中にも、本当に素敵なものが沢山あることを知っている。
 この白銀石のように。
「ところで砂雪は?こんなところで何していたんです?」
「あ、あたしは…皆と居ると邪魔になっちゃうから」
 鈍くてどんくさい砂雪が一緒に遊ぼうとすると、皆嫌そうな顔をする。和砂はそんなことないと否定してくれるし、仲間に入れてくれるけれど、それは和砂が砂雪と違って何でも出来る人気者だから。
「そんなことないでしょう」
「あるよ。あたし、和砂みたいに勉強も運動も全然出来ないし、どんくさくってみんなの邪魔になるもん。圭麻だってそう…」
「砂雪!」
 珍しく声を荒げる圭麻に、砂雪はびくっと肩を震わせる。
 圭麻はいつも笑っていてどんな時でも滅多に怒ったりしない。ずっと小さい頃から一緒だけれど、今まで圭麻が怒ったのを見たところは一度しかない。
 両親たちが、勝手に二人を許婚と決めた時、その一度だけ。
「どうしてそんな風に自分のことを悪く言うんです。砂雪にだって、良い所が沢山あるでしょう?」
「い、いいところって…?」
 自分にそんなところがあるなんて思えない。いつだって圭麻や和砂に迷惑ばかりかけているのに。
「いつも一生懸命な所。課題が解からなくても諦めたりせずに、ノートが真っ黒になるまで逃げたりしないで自分で考えようとする所」
「それは…」
 圭麻や和砂に嫌われたくないからだ。そんなことも出来ないのだと思われたくないからだ。
「それから、優しいところ。校舎裏の花壇、面倒見てるの砂雪でしょう?それに、森で怪我した動物たちをこっそり手当てしてるのも」
「な、なんで…知ってるの!?」
 和砂にも誰にも言っていないことを圭麻に言われて、砂雪は驚く。圭麻はその砂雪の様子を見て笑う。
「小さい頃からずっと一緒だったんだから、砂雪のことなら大体知ってます」
 何も居えずに真っ赤になっている砂雪に、圭麻は笑いかける。
「そういう風に、小さな生き物達に優しく出来るのは、砂雪のいいところだと思いますよ」
「あ、ありがとう…」
 他には何も出来ないから、少しでも何かの役に立ちたいと思う、自分に精一杯出来ること。一生懸命世話をしただけ花は綺麗に咲いてくれるし、怪我をした動物達も手当てをすれば心を許してくれる。それが嬉しくて、いつの間にか当たり前のようにしていたことだった。
 それでも、そんな風に褒めてもらえるのは嬉しかった。
「あまり自分を悪く思わないでください。勉強や運動が出来るのが全てじゃないんですから」
「うん。有難う、圭麻」
 圭麻は砂雪のことを優しいと言うけれど、砂雪は圭麻の方が優しいと思う。いつもちゃんと人を見て、暖かい言葉を掛けてくれる。
 砂雪のことなら知っていると圭麻は言ってくれたけれど、圭麻のことは砂雪が知っている。
 自分には出来ない広い視野で世界を見ていること。もっともっと広いところで、自然が汚れていくのを心配していること。それなのに小さなことしか出来ない自分に悲しんでいること。
 人には言わないけれど、そうして圭麻が悩んでいることを砂雪も知っていた。
 人が好きで、でも自然を傷つけてしまう人の行いが悲しくて、人に傷つけれられて喪ってしまった生き物の一部を少しずつ持ち帰って大切にしていること。
 だから、砂雪は思う。
「圭麻の方が、優しいと思うよ」
「え?」
 砂雪が知っていることを圭麻に伝えることは出来るけれど、きっと圭麻は知られたくないのだろう。
 だから…。
「だって、こうして一人で居るあたしにちゃんと声をかけてくれるもん」
「砂雪は大切な友達ですから」
 そう言って笑う圭麻の言葉に、それ以上の意味がない事が解かりすぎるぐらいに解かって、ズキリと胸が痛む。
 でも、それは砂雪の我侭な想いだから、気にしない振りをする。
「砂雪ー!圭麻ー!何してんの?二人ともこっちにおいでよ!!」
 運動場の方から、和砂が大声で手を振っている。それを見て圭麻は和砂に向かって声を張り上げて答えた。
「今行く!」
 そしてこちらを向いてから手を差し出してくる。
「ほら、行きましょう」
 ただ、笑顔でそう促してくる圭麻に、これ以上気にしているのも馬鹿みたいだ、という気分になってくる。差し出された手を握って立ち上がると、圭麻と一緒にみんなのところに走り出した。



 圭麻の両親と砂雪たちの両親は非常に仲がいい。
 だから、よく互いの家を行き来し、二家族揃っての夕食というのも、珍しいものではなかった。今日は圭麻の家に砂雪たちの家族が集まり一緒に食事をしていた。
 それぞれの家に相手の家族用の食器が用意してある有様だ。仲がいいにも限度があるよね、と時々和砂は言っていたりするし、圭麻もそれを否定しない。砂雪も、自分達が一緒に居るのが両親たちが仲良くすることのダシにされているような気がすることが結構ある。
 ようするに今も、子供達三人を無視して、勝手に四人で盛り上がっているのである。
「ほんっとーに、仲いいよね、あの人たち」
 和砂が呆れ気味に呟いた。
「まぁ、四人とも子供の頃からの付き合いらしいから」
「それにしたって異常でしょ、あれ…」
 砂雪がフォローを入れてみても、和砂が当事者達をさしてそう言えば苦笑いを浮かべるしかない。殆ど四人ぴったりくっついて、明らかに三人との間には入れない空気がある。これが親子の食事の光景だろうかと思わずにはいられない。
「まぁ、仲がいいのは悪いことじゃないし」
「それはそうなんだけどね。子供無視したあの仲の良さはどうなの」
「それを突っ込むだけ無意味ですよ」
 こそこそと三人で会話をしながら両親たちをながめやり、溜息を吐く。こうして一緒に食事をする時の恒例になりつつある光景だ。
「さやちゃんのお料理、いつ食べても美味しいわー」
「れいちゃんの作るお菓子だって、いつも舌がとろけちゃいそうなぐらい美味しいじゃない」
「二人とも本当に料理上手だよなー。二人の料理をこうしていつも食べれるんだから、オレたち幸せものだよな」
「そうだよな。これからもずっとこうして行こうな」
 と、こんな会話が毎回繰り返される訳である。
 きっとどんなに年を重ねてもこの四人は変わらないのだろうな、と子供達三人は最早諦めの境地に達していた。
「あれ、この野菜、ちゃんと切れてないぞ。繋がってる。さやちゃんが失敗なんて珍しいな」
「ああそれ。砂雪が切ったのよ」
「そうなの?いつになってもお料理慣れないわね、砂雪ちゃん」
「和砂ちゃんは煮物作るのも上手くなって、さやちゃんの味に似てきたのにねぇ」
 両親たちから耳に痛い言葉が聞こえてきて、砂雪は体を縮ませる。いつだってそうなのだ。料理は互いの家の母親がそれぞれ持ち寄るのだけれど、最近は砂雪や和砂も手伝うようになった。和砂はめきめき腕を上げているけれど、砂雪は全く上達しない。
 どうしようもなく不器用なのだった。
 そしてその結果、大人たちの品評会の格好の的にされてしまうのだった。
「全く、本人の居る前でそういう事言うなんて何考えてんのかしら、あの四人」
 和砂がむっと怒った声を出す。いつも砂雪の代わりに一番最初に怒るのは和砂だった。砂雪は怒るよりも前に、自分の情けなさに悲しくなるから。けれど、その次は和砂に同調したように、圭麻も両親に対しては辛辣になる。
「本当にそうですね。砂雪だって努力してるんですから、何もあんな風にわざわざ言わなくてもいいのに」
「だよね!ほんっとーに、あの四人は自分の子供は話題のネタとしか思ってないんだから」
「もう少し、子供に気を使ってもいいと思うんですけどね。オレたちが聞いてるの解かってて話してるんでしょうか、あの四人」
「もうあたし達のことなんて目に入ってないんじゃない?いっつもそうじゃない」
「か、和砂も圭麻も、もうやめなよ」
 段々と両親たちに対して辛辣さを増していく二人を宥めるのが、砂雪の役目だった。
「何言ってるんです。砂雪だって怒っていいんですよ」
「そうだよ。いつも勝手なことばっかり言うんだから」
「あたしはいいんだよ、本当に。いつも和砂や圭麻が代わりに怒ってくれるから。それだけで充分嬉しいよ、ね?」
 砂雪がそう言うと、二人は一気に怒りが削がれたような顔をしてこちらを見る。それから、二人で顔を見合わせてから軽く息を吐いた。
「砂雪…」
「あんたってば本当にいい子!」
 和砂がぎゅっと抱きついてくるのを、砂雪は苦笑いを浮かべながら受け止める。
「いい子って、あたしの方がお姉さんなんだけど、和砂・・・」
「でもいい子はいい子なの〜っ」
「あの人たちには是非砂雪の爪の垢を煎じて飲ませてあげたいですね」
「それ賛成〜っ」
「あははは…」
 いつも傍に居てくれる、いつも守っていてくれる、そんな二人が砂雪は大好きだった。
 そうして、食事を殆ど平らげると、大人たちはお酒を飲み始める。それもほぼ恒例となっている為、三人は呆れたようにそれを見つめ、食べ終わった食器を片付け始める。
「あたし、外で食器洗ってくるね」
「もう外は暗いですから、砂雪一人じゃ危ないですよ。オレも行きます」
「あーっ、ずるい、二人とも!この人たちどーすんのよ!!」
 和砂の叫び声を後ろに聞きながら、二人は苦笑いを浮かべて外に出る。
「圭麻、態とでしょ」
「うーん、どうでしょう」
「後で和砂に怒られるよ」
「それは覚悟しておきましょう」
 そう言ってくすくす笑いながら、二人で歩く。家の裏手の方に、井戸があって、其処から水を汲み上げている。
 重いから、と言って圭麻に水を運んでもらい、砂雪が食器を洗い始める。これぐらいなら、砂雪にだって出来るのだ。
「圭麻、洗ったの拭いてくれる?」
「はい。……砂雪、本当にあの四人の言うことは、気にしなくていいですからね」
 徐にそう言う圭麻の顔を思わず見てしまう。
「誰にだって出来ることと出来ないことがあるんですから」
「ふふ、ありがと。でも大丈夫だよ。本当に気にしてないから」
「本当に?」
「本当に。あ、でも圭麻の方が料理上手なのはちょっと悔しいかなあ」
「え…?」
 おどけて言って見せると、圭麻が少し驚いた顔をする。
「だって、ムッカの煮物作ったの、圭麻でしょ?」
「そうですけど。確か言ってないですよね?」
「うん。でも、うちで持って来たものじゃないし、おばさんが作るのと味が違うから、圭麻が作ったんだなってすぐに解かったけど」
 しかも、それが凄く美味しかったから、悔しいのだ。
「ずるいなぁ、圭麻は。何でも出来て」
「なんでもって事はないですけど…ただ、手先がちょっと人より器用なだけですよ」
「頭もいいし、運動神経もいいじゃない」
「そんなに褒められても、何も出ませんよ」
 流石に圭麻も照れてきたのか、茶化そうとする。少しだけ赤くなった頬が夜目にも解かって、可愛い、と心の中だけで思う。口に出すと拗ねてしまうから。
「そ、そうだ。砂の雪って知ってますか?」
「砂の雪?」
 話を逸らそうとしているのはすぐに解かったけれど、その話に興味をそそられて、砂雪は聞き返す。
「此処よりずっと南の地方の海に面した町の話らいしんですが、真冬の頃になると海から竜巻が発生して、砂浜の砂を巻き上げて、町に着くまでに消えてしまうんだそうです。その巻き上げられた砂が町に降って来て、それがまるで雪みたいに見えるんだそうです」
「へぇ…」
「砂の雪って、砂雪と同じ名前でしょう?だから印象に残って覚えてたんです」
 笑ってそういう圭麻に、何だか暖かい気分になる。砂の雪、どんなに綺麗だろう。
「見てみたいな、その砂の雪」
「いつか見に行きましょう、一緒に」
「…二人で?」
「うーん、和砂も連れて行かないと拗ねそうですね」
 苦笑いを浮かべる圭麻に、やっぱり三人でか、と思い少しだけ落ち込む。何をするにもいつも三人一緒だったから、当たり前のようなものだけれど。
「でも、たまには二人だけっていうのも面白いかも知れませんね」
「え?」
 圭麻の言葉にぱっと顔を上げると、いつもの少し悪戯っ子みたいな笑顔で。でもそれが、凄く嬉しくてたまらなかった。
「和砂には後で怒られることにして、二人で行きましょうか」
「本当に?二人で?」
「ええ。だから、和砂には内緒ですよ?」
「うんっ。約束だよ、圭麻」
 こんな些細なことで堪らなく嬉しくなるのだから、我ながら単純だなと思うけれど、それでも嬉しいものは嬉しい。圭麻と二人で、その砂の雪を見に行く。いつのことになるのかは解からない、きっと何年か後の事だろうけれど、圭麻は一度した約束は絶対に忘れないから。
「はい、約束です」
 そう言って笑う、圭麻と手を握り合って、約束を交わした。
 圭麻にとっては些細なことかも知れないけれど、砂雪にとっては、何よりも大切な約束になった。



 月の月がそろそろ終わりを迎える頃、圭麻の誕生日が近くなってきたな、とふと気づく。
 毎年のように和砂と二人で何をあげようか、と考えていたけれど、今回は自分で何か考えたい。いつもいつも、勇気と優しさを分けてくれる圭麻に、何かお返しがしたかった。
 必死に考えて、考えて目についたのは、以前圭麻に貰った白銀石だった。いつも大切に机の上に置いてあるそれを手にとって、彫刻刀を使って少し削ってみた。
 少し抵抗はあったけれど、あっさりと削れてしまったことに少し驚く。確かに圭麻は硬度が低いとは言っていたけれど、砂雪でもこんなに簡単に削れてしまうとは思わなかった。
 でも、これなら。
 圭麻がくれたこの石を使って、何か贈り物をすることが出来るかも知れない。それを見たら喜んでくれるだろうか。砂雪は不器用だけれど、それでも一生懸命、大好きな人のために何か作れたら。
 どんな形のものを作ろうか、と、砂雪は一生懸命考える。圭麻の好きな物、いつも見ているもの、そんなものを思い浮かべながら、砂雪は丁寧に丁寧に、石を削っていったのだった。



 学校の休憩時間、圭麻は和砂の席に行き話しかける。
「最近、砂雪の様子がおかしいみたいだけど、何かあったんですか?」
「…わかんない。あたしにも内緒らしくて。何かコソコソしてるけど…」
 そう言って砂雪の席を伺うと、机にうつ伏せになって眠ってしまっている。
「砂雪が授業中に眠ってしまうなんて、今までなかったのに…」
「それに、手の傷、毎日のように増えてくんだから。本当に一体何してるのか…」
 砂雪の手に貼ってある絆創膏に包帯、小さな手には少し痛々しいぐらいに見えるのに、それを気にも留めていないように、気持ち良さそうに眠っている。
 いつもは真面目に受けている授業も上の空、うとうとと眠ってしまう。
「砂雪に限って非行に走ったなんてことはないと思うけど…」
「流石にそれは有り得ませんよ。むしろ、そんなことをしている人を見たら泣き出すような子ですよ」
「そうなんだよねー…」
 それだけに、今現在の砂雪の状況は二人にとって謎以外の何ものでもない。
 必死に隠している砂雪に無理に問い詰めることも出来ず、とりあえず二人は見守ることしか出来ないのだった。





 薬の月の7。圭麻の誕生日当日。
 圭麻の家ではご馳走が並べられ、和砂もその料理を手伝っていた。砂雪は作ることは出来ないので、出来上がったものを並べたり、食器を用意したりと、せわしなく動いていた。
 こういう状況下で主賓たる圭麻は何もすることが出来ず、外に追い出されていた。
 勿論父親二人も役には立たないから、外に追い出されているが、そこはそれ、気にした風もなく二人でなにやら盛り上がっている。
 圭麻としては、その二人の父親には到底付き合い切れないから、兎に角その辺を歩こうと森に足を踏み入れる。ゴミが落ちていないかと探してみるが、この辺の物は自分が拾いつくしてしまったのか、どうにも見当たらない。
 いいことなのだけれど詰まらない。
 否、ゴミのことなどさして気には止めていなかった。気になるのは最近様子のおかしかった砂雪の事だ。今日はいつもと変わらない様子で、お祝いの準備をしているけれど、やけに機嫌がいいのが気に掛かった。一体何があったのだろう。
 最近はそれこそ、学校が終われば真っ先に家に帰り、和砂の話によれば夜遅くまで起きている様子だった。隠しごとの苦手な砂雪は、誰かに話せばバレてしまうと踏んで、それこそ圭麻や和砂とも殆ど口をきかなくなっていた。
 手の傷も、治る頃にはまた増えて、の繰り返しで、本当に見ていて痛々しい。
 一体何をしているのか、と気になっても話しかける暇さえなければ、どうしようもないのだ。
 ふと気づけば、最近砂雪の事ばかり考えている。
 和砂と砂雪、小さい頃からの幼馴染でずっと一緒だった。傍に居るのは当たり前。親たちから勝手に許婚と決められてからも、圭麻は別段、態度を変えたりはしなかった。両親には腹が立ったが、砂雪が悪い訳ではない。
 砂雪は引っ込み思案で、勉強も運動も、料理もどちらかと言えば苦手で、それをいつも気にしていた。逆に和砂は要領が良くて、すぐにコツを掴んで難なくこなしてしまう。それが余計に砂雪を後ろ向きにさせていることを、圭麻も和砂も気づいていた。
 それでも、砂雪はそこで諦めたりせずに努力をする。其処が砂雪のいいところだ、と思う。自分に出来ることを精一杯考えて、小さな生き物達に優しくする。
 綺麗な花の育て方や、傷ついた生き物の手当ての仕方、泣く子のあやし方なんかは、この村で砂雪に敵う者など居ないのではないかと思う。けれど、砂雪はそれがどんなに凄いことか解かっていない。
 ただ、当たり前のように生き物に優しくすることが、どれだけ難しいか解かっていない。
 砂雪の周りはいつも優しさに満ちていて、それが圭麻の心を癒してくれる。
 だからだろうか、最近砂雪と話していないことが、妙に寂しい。心にぽっかりと穴が空いたような、そんな感じだ。
 そんなことを考えながら歩いていると、ガサガサッと草を掻き分ける音がする。野生の動物でも居るのだろうかとそちらを見ると、砂雪がこちらに向かって走り寄ってきた。
「良かった、圭麻。見つけた!」
「砂雪。どうしたんです、そんなに息を切らして」
「だって、いくら探しても見つからないんだもん。もう用意出来たから呼びに来たの」
「ああ・・・もうそんな時間ですか?全然気づきませんでした」
「もう、またゴミでも探してたんでしょ。ゴミを拾う時はそれこそ時間も忘れて熱中しちゃうんだから」
 少し呆れた顔をしながらもそれでも笑う砂雪に、それは違う、と心の中で思う。確かに、いつもゴミを拾っているとそれにばかり熱中してしまうけれど、今日はそうしようと思っても、砂雪のことばかり頭から離れなかったのだから。
「圭麻?どうかしたの?」
「ううん。何でもない」
 久しぶりに砂雪と満足に話している。
 それだけのことだけれど、それが嬉しい。寂しいという感情がすっと融けて消えてしまったようだった。
 そしてふと思う。
 これが和砂でも、同じように思っただろうか。
「あ、そうだ。圭麻、誕生日のお祝い。丁度いいから今渡すね」
「お祝い?」
 家までの道を歩いている途中、砂雪がそう言って服のポケットから、小さな包みを取り出した。砂雪らしく、丁寧に包装されたものだった。
「はい、これ」
「有難う御座います。開けてみてもいいですか?」
「うん」
 砂雪が頷くのを確認してから、ゆっくりと包装を解く。
 そして中から出てきたのは、銀色に輝く十字架のペンダントだった。
「これ、ひょっとしてオレがあげた、白銀石?」
「うん。圭麻に何かプレゼント出来ないかなって思って…その石、あたしでも簡単に削れたから、これで、何か作れたら圭麻も喜ぶかなって」
「…凄いですよ。この石で、こんなに細かく細工するのは本当に難しいんです。ここ数日様子がおかしかったのはこれを作ってたからなんですね?」
「うん。やっぱり内緒にして驚かせたかったから」
 少し照れたように言う砂雪を、圭麻はいとおしい、と思った。そして、そう思った自分に驚いた。
 けれど、それは当然のことだったのかも知れない。
 いつも一生懸命な砂雪。本当は工作なんて得意じゃなくて、刃物を握るのさえ怖がる砂雪が、自分のために作ってくれたペンダント。圭麻たちの村では十字架の形は即ち命そのものを表している。それこそ、砂雪の魂そのものが篭ったペンダントだ。
 どんなに手に傷を作っても、寝不足になっても諦めない、そんな砂雪だからこそ作れたもの。
 自分のために其処までしてくれた。
 そんな砂雪を、いとおしいと思うのは、当然の成り行きだった。
「け、圭麻…あのね……」
 顔を真っ赤にして口篭る砂雪を見つめる。
 和砂と全く同じ顔立ちをしているのに、浮かべる表情は全然違う。これから何を言おうとしているのか、何となく予想が出来た。少し前の自分ならそれを遮って、誤魔化して有耶無耶にしていたに違いない。
 けれど今は聞きたかった。
 砂雪の口から、砂雪の想いを。
「圭麻は、お父さん達に勝手に許婚って決められて、嫌だったかも知れないけど……あたしは嬉しかったの…ずっと言えなかったけど、本当は嬉しかったの」
 顔を真っ赤にして、目には涙を溜めて、それでも砂雪は圭麻から視線を逸らさなかった。真っ直ぐ圭麻を見て言った。
「子供の頃から、ずっとずっと小さい頃から、あたしは圭麻のことが好きだった。だから…あたしはこれからもずっと、圭麻に許婚で居て欲しい」
「砂雪…」
 何を言えばいいだろうか。砂雪の気持ちが嬉しいと思う。けれど、砂雪が自分を想ってくれているだけ、自分は砂雪を想っているだろうか。
 少しだけ不安になる。砂雪の想いは大きい。
 両親の言葉にただ反発して、胸の内にある本当の想いに目隠しをしてきた自分に、砂雪の想いを受け止める事が出来るだろうか。
 けれど、たった一つ確かなことは。
 圭麻にとって、砂雪は何より大切で、愛しい女の子だということだった。
「砂雪、オレは…」
「圭麻、砂雪!何してんの!?みんな待ってるよー!!」
 言いかけたところで、突然和砂の声がして驚く。
 そういえば、砂雪はそのために自分を呼びに来たのだったと気づく。和砂を見て、それからもう一度砂雪に視線を移す。
 砂雪は少しだけ落ち込んだ顔をして、それでも笑顔を見せた。
「いいよ、先に行ってて。あたしは後からゆっくり行くから。主役が遅くなっちゃ駄目でしょ?」
「砂雪…」
「あたしはちょっと頭冷やしたいから。ね、和砂も呼んでるし」
 どれだけ勇気を振り絞って告白してくれたか、圭麻にもわかる。それだけ長い付き合いだ。このまま有耶無耶にしてしまう気は無かった。
「後で、ゆっくり話そう。ちゃんとオレの気持ちも言うから」
「圭麻…」
「じゃ、先に行くから」
 そう言って急かしてくる和砂の所に走っていく。
 怒る和砂に言い訳しながら、頭の中では砂雪にどう答えるか、そればかりを考えていた。


 一度、家に入ったはいいが、なかなか砂雪が戻ってこない。
 先に始めようと両親たちは言うけれど、そんな気にはなれない。遅れれば砂雪は気にするだろうけれど、圭麻は砂雪に一緒に居て欲しかった。
「本当にどうしたんだろ。こういうことに遅れてくるなんてなかったのに…」
「やっぱりオレ、探してきます」
 心配そうな和砂の声にも煽られて、圭麻は家を出た。
 頭を冷やしてくるとは言っていたけれど、それにしても少し遅い。やっぱり一緒に戻れば良かったと今更ながらに思う。
 先程まで砂雪と一緒に居たところに戻ってみるが、姿は見えない。
 何故か、嫌な予感がした。
 不意に、森の奥で何か物音がした気がした。圭麻は悪い予感に急かされて、そちらに走り出す。
 走っている途中、木の葉の上に赤い液体が落ちているのが見えた。
 血だ、と直感的に悟って、尚更焦る。
「砂雪っ!!」
 何処に居るのだろう。返事をして欲しい。
 兎に角血の跡を追って走る。そうして視界に映ったものを見て、圭麻は一瞬、足を止めた。
 一人の見知らぬ男が砂雪に剣の刃を向けていた。砂雪は此処まで逃げてきたのだろう、あちこち血を流している。
 怯えた様子の砂雪が圭麻に気づく。
 助けを求めるように、口を開いた瞬間に、男の刃は砂雪の体を貫いていた。
 男はすぐに刃を抜いてその瞬間に辺りに血が飛び散る。
「砂雪!!!」
 殆ど無意識に砂雪に駆け寄り、倒れ込んだ体を抱きとめた。
 溢れてくる血が砂雪の衣服に染み込んで行くのを呆然と見つめながら、今自分がどうしたらいいのか、と考える。何が起きているのか、理解出来なかった。
「ど…して…」
 声が掠れる。それが誰に向けたものなのか、自分でも解からなかったが、男は自分が尋ねられたのだと思ったのだろう、軽く笑い声を漏らしながら答えた。
「いい剣を手に入れたんでね。ただの試し切りさ。なかなかの獲物だったよ」
「な…っ!」
 あまりの傲慢な答えに、圭麻は瞬間、頭に血が上る。
 そのまま去っていこうとする男を追いかけようとするが、砂雪の手が、圭麻の腕を引いた。その手の力はとても弱い。けれど、圭麻を止めるには充分なものだった。
 すぐに砂雪に視線を戻す。兎に角、血を止めなければと気づいたが、どうすればいいかが解からない。完全に混乱している。手で傷口を塞ごうとするが、それが何の意味もないことも解かっていた。けれど、せずには居られなかった。
「も…いいよ、圭麻…」
「砂雪…っ」
 何故こうなったのか、何故彼女がこんな目に合わなければならなかったのか、解からない。少し、離れていた間に、何もかもが狂ってしまったとしか思えない。
「もう…駄目だって、自分でも…解かるから…」
「そんなことありません!今すぐ人を呼んで、医者に見せれば…っ!!」
 それでも間に合う筈はない、と理性では解かっていた。解かっていても、そう叫ばずには居られなかった。けれど、そんな圭麻に、砂雪は優しく微笑んだ。
 もうすぐ、自分が死ぬかも知れないという状況で、砂雪は落ち着いていた。苦しいだろうに、微笑んでいた。混乱する圭麻を余所に、砂雪は既に悟りきっていた。
「本当に…いいの……ごめんね、圭麻……」
「どうして、砂雪が謝るんですっ!!」
「だって、泣いてるから…」
 そう言って、砂雪が力ない腕で圭麻の頬に手を伸ばす。そうしてようやく、圭麻は自分が泣いていることに気づいた。気づいて余計に苦しくなった。
「ねぇ……最期に我侭、聞いて…くれる?」
「最期なんて…っ!」
「キス…して……最期に、一度だけ……」
 最期という言葉が、何より苦しい。悲しいより、苦しい。息が詰まる。けれど、砂雪の願いを跳ね除けることは出来なかった。
 そっと、触れるだけのキスをする。
 砂雪が願うのなら、何度であろうと、しても構わないのに。これが最期だと言うのだ。
「ありがとう………でも、やっぱり…くやしい…な…」
「…?」
「砂の…雪……見に行きた…かった……」
「見に、行きましょう…一緒にっ!そう約束したでしょう!!」
 その時の圭麻にとっては些細な、何でもない約束。けれど、砂雪には何より大切なものだったのだと思い知らされる。砂雪の声が段々掠れ、小さくなっていることに気づけば、本当にもう、その約束は叶えられないのだと気づかない訳にはいかなくて、それが、苦しい。
「ちゃ……んと、答えも……聞きた……かった………な…」
「砂雪、オレは…っ!!」
 答え、ようとした。
 でも、もう、伝えられないのだと、砂雪の顔を見た瞬間に悟った。
 もう、砂雪は、何も聞こえない。
 何も、見えない。
 何も、話せない。
 伝え、られない。
「さ…ゆき……」
 溢れてくる涙は止まらなくて、胸が押し潰されそうなほど苦しかった。
 そうしてようやく、思い知らされた。
 砂雪がどんなに、大切な存在だったか。どれ程、いとおしい人だったか。
 今、砂雪が戻ってきてくれるなら、他には何も要らない。それ以上に大切なものなど、何一つない。それ程に、愛していることに、こうなるまで気づかなかった、己の愚かさが憎かった。
 苦しくて、辛くて、ただ砂雪を抱き締めて。
 声を出すことも出来ずに泣き続けた。









 砂雪の葬儀が終わった後、圭麻は一人、砂雪が殺された場所にいた。
 何かを考えていた訳ではない。
 何も考えられなかった。
 あの時、和砂が探しに来て、その後両親たちが慌てたようにやって来て、茫然自失となっていた圭麻と、砂雪の亡骸を伴って村に帰ったのが、もう日も暮れかけた頃だった。
 圭麻自身はその時のことはよく覚えては居なかった。周りが騒がしかったことは記憶に残っているが、それ以上の喪失感に、他の事を考えることなど出来なかった。
 砂雪が死んで、数日経って、ようやく圭麻は少しだけ冷静になった。
 その数日間、圭麻は殆ど部屋からも出ず、口も利かず、食事も摂らなかった。
 和砂が何度か様子を見に来たようだけれど、それも殆ど記憶に残ってはいない。
 ただ、砂雪の葬儀が終わって、もう何処にも居ないのだと認識すると、此処に来た。もう、居ないのだということを、確かめに来た。
 心の空洞は埋まることはなくて、その日砂雪に貰ったペンダントはここ数日の間ずっとその手に握り締められていた。
 ただ、何もしない訳にはいかない。
 そういう気持ちだけに突き動かされて、此処まで歩いてきた。
 そして、握り締めたペンダントに気づく。
 十字架は、魂をあらわす形。
 砂雪の魂は、此処にある。
 それを理解した瞬間に、圭麻は決めた。
「圭麻!!」
 後ろから声がして、心配そうな顔をして走り寄ってきた和砂を見る。
 和砂だって辛くない筈がない。目は赤く腫れているし、それこそ何日も泣いていたのだろう。それでも圭麻の様子を見に来ていたのは、それ以上に自分の様子がおかしかったからなのだと理解する。
「大丈夫なの?圭麻…」
「和砂…」
 心配そうに問いかける声に、圭麻は先程決めた事を告げた。
「オレは、この村を出ます」
「村を…出るって…何処に?」
「…何処でもいいですけど…此処とは全然違うところがいい」
 これ以上、此処で暮らしていける勇気は、自分にはないから。砂雪との思い出が溢れるこの村に居れば、きっと自分は後ろばかり振り返ってしまうから。
「……どうしても?」
「はい」
 真っ直ぐ和砂を見つめてそう言うと、圭麻の想いを理解したのか、溜息を吐いて言った。
「砂雪も圭麻も、あたしを置いていっちゃうんだね…」
「和砂…」
「大丈夫だよ、あたしはあたしで、此処で頑張るから」
 そう言って笑って見せる和砂の笑顔が、砂雪の笑顔と重なる。
 何にも負けない強さ。それが、この二人の共通点なのかも知れない。
 だから、圭麻も負ける訳にはいかない。砂雪に恥じないよう、生きていくしかない。こうして今、自分は地に足をついて、息をして、生きている。
 だから、生きていくしかない。
 砂雪に負けない強さで、生きていくしかない。
 突き抜ける秋晴れの空を見上げて、目を瞑る。
 そうして、息を吸い込み、溢れ出しそうな涙を堪える。
 もう泣かない。
 そして決めた。
 リューシャーへ行こう。
 この世界の、一番の都へ。




Fin




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