Sweet & Bitter trap(双子×瀬那 adult edition)


砂沢皓様


 ……眠りの中、無意識の境界にどこまでも深く暗い闇が広がっていた。
 闇の名は「罪」と言う。そして闇は私をこちらへ来いと誘っていた。
 この闇に足を踏み入れたら、もう戻ることはできない。ずっと心の中で守ってきた大切なものを失ってしまう。あるいは自分自身さえも。
 逃げるべきだと理性は命じ、確かな意志を持って目覚めれば逃れられるとわかっているのに、なぜだか体がその場所から動くことを拒否している。
 それはきっと私自身が暗闇の果てにあるものを知っているからだろう。
 自分自身よりもなお愛しい、私の双子星が闇の果てから私を招いているのだと……。


 眠りを抜けて目を開けると、クリーム色の無骨な天井と青白く光る蛍光灯があった。
 体にはずっしりと重い疲労がまとわりついていて、掛けられたシーツと毛布の重ささえも不快に感じている。
 息を吐いて起きあがろうとすると、遠くからピピの羽音が聞こえてきて、光を遮って降りてきた昔なじみの友は、私の枕辺で朝の挨拶をした。
「あ、セナ起きた? おはよう」
 ピピが飛んできた同じ方向から椅子を動かす音と床を擦る軽快な足音が聞こえ、しばしの間を置いて翔の顔が私を覗き込んできた。
 翔の手が熱を測るように私の額に触れた。学生だった頃より大きくなった手には、以前あった武人としての無骨さよりも、おもちゃ会社の設計士兼エンジニアとしての繊細さを強く感じられるようになってきた気がする。
「翔……。櫂はどうしたんですか?」
「櫂? 櫂なら印刷所に打ち合わせで出かけてるよ。パッケージに変更出たから、早いうちに差し替えなきゃって。その後はデザイナーさんのトコ行くって言ってたから、多分帰りは夕方だと思うけど?」
 昨夜のことなど記憶にないとでも言うように、あまりに平然と答える翔を見てふと、悪い夢でも見ていたのだろうかと錯覚しそうになった。夢であってほしいと願う気持ちが、まだいくばくか残っていたのもあるのだろうが。
 持ち上げた腕の袖からのぞく部分に、青く濁った色の痣がある。そうして体中に残るだるさと、力を入れてようやく出るかすれた声が、私に昨夜のことを夢ではないのだと告げていた。
「体、大丈夫? 櫂と二人がかりでかなり無理させた自覚あるから、ひょっとしたら今日は起きられないんじゃないか……って心配してたんだけど。案外起きるの早いね。食べられるようなら何かメシ作るよ?」
 翔の言葉に私は思わず飛び起きるようにして身を起こした。問いかける声も、言葉の下にある心も優しく、いつもの変わらない翔らしさを感じさせるのに、言葉の中身には夢の続きのような深い闇がある。
 ……夢だと思いたかった。
 翔の優しい笑顔に相反するような果てしなく深い暗闇を感じながら、私は一昨日からのことをゆっくりと思い起こしていた。


 日本に戻ってきたのはパスポートの更新のためだった。
 翔と櫂に日本に戻って申請のために一週間ほど滞在すると伝えると、日本滞在の間は彼らの所に泊まってほしいと請われた。
 兄弟ではあるが恋人同士でもある二人の所に邪魔をするのも悪いと言うと、翔に
「何言ってんだよ。セナはオレたちの家族だろ? 水くさいこと言わないでよ」
 と電話で思い切り怒られてしまった。『家族』と言われたことが嬉しく……そして照れくさくて、彼らの申し出を承諾してしまったのが、そもそもの始まりだったように思う。
 遊星学園を卒業してから二人は私のことを「水落先生」ではなく、「セナ」と名前で呼ぶようになった。最初のうちはなんとなく気恥ずかしく感じたその呼び方にも慣れ、二人を見守る対象としてよりもさらに近く感じるようになっていた。今はもうすっかり離れて暮らす家族という感覚に近いかもしれない。
「お帰り! セナ」
 空港で出迎えた翔はゲートから出てきた私を見つけると、走り寄って首筋に飛びついてきた。いつもより積極的な出迎えは、つい先頃滞在していた国で大規模なテロがあり、心配させた後遺症だと思っていた。世界中を歩いているうちにハグ(抱きしめる行為)などに抵抗がなくなってしまったのも、もちろんあったのだろうが。
「翔、あんまり抱きついているとセナの迷惑になるよ」
 仔犬のように飛びついてくる翔を、私から引き剥がし、櫂は「しばらくぶりですね」とにっこり微笑んだ。相変わらず仲のよい二人のやりとりにほっとする。
 櫂の運転する車に乗り、二人の会社兼住居に向かう。私の隣で翔は離れていた間の日常や、会社のこと……開発中のおもちゃのことなどを絶え間なく語り、車の中は楽しい雰囲気に満たされていた。
 雑居ビルの小さな一部屋から始まった二人の会社は順調に業績を伸ばして、今は彼らが育った孤児院の近くにある街に、工房兼倉庫兼住居の一戸を構えるに至ったらしい。
 企画がメインの会社だからまだすべてを二人で切り回しているようだが、忙しくなってきたので近々誰かを雇う予定だというような事を翔は語った。
「セナが手伝ってくれたらきっと百人力だろうなあ」
 翔は私の腕に寄りかかり、そう言ってにっこり笑った。
「人より安く雇えそうだから?」
 と櫂がからかったのでその話は冗談で流されたが、いつもはよほどのことがない限り私の行動について望みを言わない翔の言葉は、なぜだか少し私の心にひっかかっていた。
 古い倉庫を大幅改築したのだという二人の会社は、地下が倉庫、一階が工房と事務所、二階が住居というつくりで、住居部分の半分はまだ作りかけの物置状態だった。
 夕食後、食事の後かたづけをしている翔を台所に残している状態で、櫂はふとこんな事を言ってきた。
「……旅で、あなたの欲しいものは見つかりましたか?」
「櫂……それは、どういう意味で……」
「恋人とか、一生をかける夢とか」
 櫂の言葉は穏やかではあったが、適当に答えてもそれを見抜かれそうな鋭さがある。そして私にはそれにはっきりと返せる答えを見いだせてはいなかった。
「……いえ。……ない、ですね」
 恥じるような心地で答えると櫂は、私のことを蔑むでもなく、叱るでもなく悲しそうな瞳でふっと微笑んだ。
「日本や、ウィンフィールドに戻ってくる意志は?」
「……きみたちの邪魔を、したくはありません」
 本音と言い訳と、どちらが強いのかわからなかったが、するりと出た言葉は私の心の真実そのものだった。私のことを『家族』だと翔は言ったが、真実『家族』である二人の間に挟まれると、私自身の心が自分を二人の間の異物だと感じてしまう。
 私の答えに「そう……ですか」とつぶやき、櫂は立ち上がった。怒らせたのかと尋ねると櫂は「翔を手伝いに行くだけです」と答え、私の額にキスをしてきた。
「櫂?」
「あなたが、泣きそうな顔をしているから。……おまじない」
 翔以外にしたのは、はじめてだけどと言って櫂は笑った。
 一人残された私の体には、昼間感じた翔の暖かさと、櫂のキスの感触が眠るまでずっと焼き付いたように残っていた。


 自分が、絆というものに焦がれる癖があることを私はよく知っている。
 運命の恋や、離れていても昨日の続きのように受け入れられる親友、クリストファー陛下とシオン補佐官のような主従関係、そういった絆に私はひどく憧れを持っている。
 ……それは、私がそういったものに縁遠い日々を送ってきたからに他ならないだろう。
 誰かに強く望まれて、拘束されるように絆に縛られたい。心のどこかではそう思いつつも、両親との「家族」の縁が早くになくなってしまったことや、ロベール殿下や真理さん達と暮らした「主従」としての日常が……相馬さんと暮らしていた頃の「契約」が崩されてしまったことのように、私が一つの絆の中で過ごそうとするとそれは必ず壊れてしまうのだという理由のない確信が同じ心の片隅に存在している。
 流れ暮らす旅がやめられないでいるのも、自分だけの絆を求めつつそれから逃げてしまいたいという矛盾した気持ちの表れであるのかもしれない。

 眠る前に、分かちがたい比翼の鳥のように過ごしている双子を見て、微かな疎外感を感じてしまったせいだろうか。帰国して最初の夜に見た夢は、内容はよく覚えていないのだが、ひどく淫らな夢だったような気がする。
 どろどろした気持ちがそのまま形を成したような、暑い空気の中で翔と櫂の体が絡み合う様を夢の中の私は見ていた。
 逃げ出したいような気持ちと、快楽が溶けた暑い空気に混じり合ってしまいたい気持ちとが相争っていて、思考も意志も何もかもが麻痺していくような夢だった。
 だから、目を覚ました時に起きたそれも夢の続きだと思っていた。
「セナー、起きないのー? 起きないとキスするよ〜」
 意識の遠くから、翔の声が聞こえていた。そうして夢の後遺症で返事ができないでいる私の顔の上に、暖かいものが触れてきた。
 顔を自分のものではない優しい呼吸が撫で、とまどっている私の唇に誰かの唇が重なる。少し荒れた指が頬から顎の線をたどり、ふわりと包んだ香りが、これは翔なのだろうかと私の記憶に問いかける。
 翔が私にキスすることなどありえない、とそう思っているうちに唇から舌が私の口腔内へと入り込んでくる。
 快感を奪うのではなく愛しいという気持ちを与えるような優しいキスに酔わされて、疼くような快感を覚え、ふいに意識が目覚めた。
 意識が目覚めた時感じたのは「なぜ」という疑問と、言葉にしがたい恐怖感だった。
 翔が私を櫂と間違えるはずもなく、生真面目で誠実な彼が櫂以外にこんなことをする理由を考えるのはなお難しいことだった。
「翔?」
「あ、起きた? セナ。今日は一日オレ達につきあってくれるんだろ? 時間がもったいないって櫂が機嫌悪くなってるよ」
 にっこりと笑って翔は私の枕元から立ち上がり、カーテンを開けた。明るい初夏の日差しは輝かしくもまぶしく、眠りの中で見た夢の暗さも、何もかもを清めてくれるように感じられた。
 そうして私は、知らぬ間に翔に先程の行為の意味を問う機会を失ってしまっていた。


 朝早くに書類を揃えてパスポートの更新申請を行い、それを待ちかねた翔と櫂に引きずられるように連れて行かれたのは、地元では有名な遊園地だった。二人の会社の商品を遊園地内のショップに卸している関係で、招待券をたくさん貰うのだとか。
「二人で行くとつい売れ行きとか販売状況のリサーチとかはじめちまうから、誰か一緒の方が普通に楽しめるんだ」
 と翔は言い、もうすっかり顔パスになっているらしいゲートで係員に私のことを「オレ達のお兄さんみたいな人」と紹介して、そうして私たちは三人で中に入った。
 お勧めだというアトラクションを、平日の強みで次々に回っていくと、四つ目のジェットコースターを降りたあたりで櫂がふいに「翔……いくらセナが一緒でテンション上がっているからって、今日はペース早すぎ……」とギブアップを訴えてきた。
 そろそろ昼が近い時間帯ということもあり、翔いわく「何にもないけど静かなことだけは保証付きの穴場」な公園エリアで休憩を取ることになった。
 日当たりのいいベンチに拠点を決め、具合の悪くなった櫂を翔にまかせようとしたら、「……罰当番」と地の底から響いてくるような声音で告げた櫂の指示により、翔は遠いエリア内にある売店へ昼食の買い出し係を命じられてしまった。
 困った顔をしつつ結局櫂の言うことに翔は逆らわないのだが、櫂の指示はあくまで妥協ギリギリの線での無茶なのだと(こっそり翔が教えてくれた)いう二人のやりとりは、お互いの手の中で甘えあっている普段の彼らを想像させてほほえましい。
「じゃ……セナ、迷惑かけて悪いけど、櫂のコトしばらく見ててやってね」
「はい。気を付けて行ってらっしゃい」
 翔の背中を見送り、ベンチで横になっている櫂の隣に座って彼の頭を膝に乗せると、てっきり逃げると思っていた櫂は素直に私の膝に体重を預けてきた。
「珍しいですね。きみはてっきり翔以外に、こんなことをさせないと思っていたのに」
「させませんよ。人前で余計な弱みを見せるつもりもありませんし」
「……私は、翔ではありませんが?」
「わかっています。それがどうかしましたか?」
 まだ気分が悪いのか、不機嫌そうに櫂は答えた。黙って目を閉じたまま、私の手が髪や額に触れるのを拒否もせずにいる様子は、なんだか猫に似ている。
 暖かい光の中で平和そうにくつろいでいる櫂に、今朝の翔のことを尋ねた方がいいのか逡巡していると、いつの間にか膝の上から櫂が私の顔を見上げていた。
「どうしました? セナ」
 じっと見つめる瞳の優しさに胸が痛くなった。翔の行為にどのような意図があったにせよ、必要ならば翔は自分で話すだろう。櫂にとっては決して愉快ではない行動を、翔以外の口から聞かせるべきではないような気がして……そう自分に言い訳して、私は言いかけた言葉を飲み込んだ。
 重い気持ちを抱えていた私の手に、ふと櫂の指が触れた。手のひらを指で探られて、思いもかけぬ刺激に背筋がぞくりとした。
「櫂……?」
 行動の意味を計りかねてとまどう私の襟に手をかけて櫂は身を起こし、気がついた時には櫂の唇が私の唇に重ねられていた。
 キスをされたのだとわかった時には、もう櫂の唇は私から離れていたが、たった一瞬で櫂は翔とひどく対照的なそれを仕掛けていて、私は翔にキスされた時以上のとまどいを感じていた。
「なぜ、こんなことを?」
 尋ねると櫂は「さあ……」と言って微笑みにも見える意味深な表情をした。
「翔に言いつけてみますか?」
「あまり人をからかうものじゃありません」
 たしなめた私の言葉に、櫂はくすりと笑った。
「……子どもじゃあるまいし。からかってなんかいませんよ」
「きみ達がお互い以外に心を移すことなど、あり得るはずがないでしょう」
 わけのわからない感触に心が苛立つ。
「あなたを旅立たせたくないのだと言ったら?」
「……私の答えは昨日伝えたはずです」
 連理の枝、比翼の鳥よりなお分かちがたい彼らの間に自分が入り込むことなど、考えたくもなかった。
「あなたは、もう少しその万事に後ろ向きな姿勢で物事を決めるのを、改めるべきだと思いますが……」
 続きを櫂は言わなかったが、なんとなく予想はついた。
 それ以上を話す前に木立の間の道から翔の戻ってくる姿が見え、話はそこでおしまいになった。
 翔の前での櫂はいつもとまったく同じ様子を見せていて、私の胸には双子のそれぞれから仕掛けられた秘密の苦さが、ずっと重くのしかかっていた。


 秘密にとまどう私を翻弄するかのように、私の目の前にある翔と櫂はどこまでも私の知る通りの二人だった。
 仲のよい兄弟で、仕事のパートナーで、そして……恋人という。
 時折私の存在など忘れているかのように通じ合っている彼らを見て、仲の良さをほほえましく思うのに、同時にそこに居場所がない自分自身を苦しいと思う。
 楽しげな二人を見守りながら、私は意識の奥に暗い闇を感じた。
 一口の水がより一層の乾きを呼び起こすように、ほんの少しだけ差し出された愛情が、今まで見ないようにしてきた飢えた気持ちを自覚させる。
 なんでもないことだと平静を装いながらも、心の中はじりじりと焼かれている気分だった。
 昨日と同じように三人での夕食を終え、台所で片づけをしている二人の背を見ながら、出されたハーブティを飲んでいると、丸一日引きずり回されたツケが出たのか、ふっと意識が遠くなった。
 どろどろした自分自身の気持ちに正対し続けるのが辛くて、訪れた眠りに身を任せ……ほんの少しうとうとしたくらいに感じていたのだが、次に目が覚めたのは空気で深夜とわかる頃合いだった。
「私の部屋では……ないようですね」
 背中に当たるベッドの堅さと部屋の広さと薄明かりに違和感を覚え、確認するためにずり落ちかけている眼鏡を直そうとした時、手首を何かで拘束されているのに気がついた。
 そうして手首をよく見ようと腕を上げたとたん、脇から伸びた手がその拘束ごと私の手を頭上の方へと引っ張り上げた。鎖と金属の触れる音がして、私の両手首はそこで固定される。
 拘束も、それを固定している鎖も多少ゆとりをもって為されているから、まったく自由にならないというわけではない。だが、動きを制限するには十分すぎる能力があった。
 手首の戒めを外そうとした時だった。
 暖かい指先がそっと私の手に触れてその行動を押しとどめた。
「……翔!」
 気配を感じて顔を上げると、なんだか今にも泣き出しそうな顔をして、翔が私を見下ろしていた。手首から降りてきた手が、私の頬を包むように触れた。
 ゆっくりと翔の顔が降りてきて、私の唇に口づけた。荒々しさのない優しいキスだったが、心の中に暗い気持ちがよどんでいなければ、何もかもを忘れて酔ってしまいそうな熱さがある。
「セナ、オレたちの恋人になって」
 泣き出しそうな顔のまま、翔は私にそう囁いてきた。
「きみ……『たち』?」
 ひっかかった言葉を尋ね返すと翔はうなずき、体の下の方で明らかに翔のものとは違う手が私の体をそっと撫でた。
「櫂!」
 不意打ちと意外さが私を困惑させ、系統だった思考を奪う。
「おとなしくしていてください。ひどいことはしたくないけど、あなたに本気で抵抗されると手加減できないかもしれませんから」
 ……抵抗など、この二人相手にできるはずがない。
 翔の手が私の手に重なった。緊張で敏感になっている指と腕を、暖かい指がいとおしむように撫でる。冷えた手を翔の手が包むことへの安心感が、心の内側からじわじわと快感をにじみ出させてくるようだった。
 足下の方でベッドのきしむ音がした。櫂が私の脚を押さえるようにして体重をかけ、私の顔を見上げている。膝のあたりから上がっていった櫂の手は、私のシャツのボタンを外すと手慣れた器用さで中に入り込む。翔とは対照的に少しひやりとした手が、体温の上がりかけた体に強い刺激を感じさせた。
「…………くっ……あ……」
 やめなさいと言うつもりだったのに、言葉が組み上がる前に快感にそれを散らされた。
 二人の手で感じてしまうことも、それを表してしまうこともできれば避けたかったのに、肌の上をくすぐる吐息やそれを追って体をなぞる二人の唇に、体は正直な反応を返してしまう。
 昼間二人からほんの少しずつ与えられた快感を記憶する体が、理性を裏切る。
「セナ、声抑えなくていいよ。セナの感じてる声、聞きたい」
 耳元で囁かれる翔の声に背徳感を呼び起こされて、背筋がぞくりとした。目を開けていれば自分を責めたてる二人の姿を見ることになり、目を閉じてそれから逃れようとすれば囁かれる声や、触れる肌の感触、二人の香りで否応なしに何が起きているかを想像させられてしまう。
 二人の行為が激しく私を踏みにじるようなものだったら、流されるにまかせて心を閉じ、耐えることができるだろう。だが二人の行為はひどく優しく、それが抵抗しようという意志を削いでしまう。私の感じるペースに合わせながら、胸に……背中に、首に、足にと羽根のようなキスを降らせ、体中に彼らの感触を刻むように優しく触れてくる。
 じわじわと絡め取り、追い上げていく行為に、気持ちさえも否応なく塗り替えられてしまうようだった。
 他者から与えられる快感を知っている体は、二人の行為のもどかしさに私の理性をさらに揺さぶる。優しく弱い行為だけではなく、もっと強く触って欲しい、感じる場所を激しく刺激して欲しいと望ませ、プライドもモラルも捨てて願わせそうになる。
 私を背中から抱くようにしていた翔の指が、きつく噛みしめていた唇をなぞり、中へと入り込んできた。そうして翔の指に口中を犯されるのとタイミングを合わせたように櫂が、ズボンをはぎ取った私の足の間に入り込み、すっかり勃ち上がってしまっていた私自身を口に含む。
 私の口から、声にならない言葉が漏れた。待ち望んでいた刺激に体が揺れ、拘束されていた手首で鎖の激しく揺れる音がする。
 私の体を支えていた翔のもう片方の手が胸を弄る。どうしようもなく感じてしまう場所を同時に責められて、頭の中が真っ白になってしまいそうだ。
 家族として、弟のように見守ってきた相手に、こんなにみっともないほど感じさせられてしまうことなど許したくないのに、この二人にされているからこそ、自分はこんなに乱れてしまっていることを気付かされる。
「大好きだよ、セナ。たくさん気持ちよくなって」
「ここをこんな風にされるのはどう? 感じますか?」
 囁く二人の声だけで、イかされてしまいそうになる。……私の弟達。私の双子。……私の心の輝ける星が、私を犯している。彼らが私の恥ずかしい部分に触れ、舐め、私を欲しがってくれている。それを認識するだけで、恥知らずにもひどく感じた。
 彼らを性的な対象になど見てはならないのに、と思っている心の片隅で、私のエゴが二人を私のものだと囁き、恥じてしかるべき行為への嫌悪感を、嬉しいという気持ちに塗り替えてしまう。
 舌に絡んでくる翔の指を、いつの間にか私の心は彼のペニスに置き換えて、舌を動かしていた。そして私のものを包む櫂から、より一層の快感を引き出そうとして、自然に腰が動いてしまっていた。
 頭の上で揺れて鈍い痛みを手首に与える鎖の音を、遠くに感じる。
 口の中から翔の指が抜かれ、寂しく思っていた所を、私の股間から顔を上げた櫂にキスされた。苦味のあるキスの味にその原因を思い出させられ、たまらない恥ずかしさを感じるが、快感に溶けてしまった理性はその恥ずかしささえも快感の要素にしてしまっている。
 濡れた指が私の後ろを探り、ゆるゆると入り込んで、指が中を擦ったとたん、止められない衝動で射精してしまい、それをきっかけにしたように声を抑える理性も焼き切れた。
 激しく突かれて体を揺さぶられ、獣じみた自分の声を意識の遠くに感じた。もう、どんな風に喘いでいたかなど思い出したくもないほど理性は飛び、押し広げるようにゆっくりと中に入ってきた翔の熱さにも、何の違和感も感じられなくなっていた。
 二対の手で体中をまさぐられて、二人の体温と汗の匂いに包まれて、腕を固定していた鎖がいつの間にか外されていたのにも気が付かなくなっていた。
 翔を受け入れながら櫂のものに舌を這わせる。翔の腕に抱きしめられて櫂に貫かれる。中に出されて混じり合う二人の熱を感じ、私自身も何度となく達せさせられる。
「どこにも行かないで。セナ……オレ達の側にいてよ」
 そんな切ない願いを、朦朧とする意識の狭間で聞いたような気がする。
 響きは耳に届いても意味が頭の中で形を結ばず、その時は何を言われているのかよくわからなかったのだが、それでも言葉は胸の奥に重く結晶を作り、じわじわと重い痛みを放ち続けていた。
 心の奥からにじみ出る苦しさと、それでも否応なしに与えられる快感とに囚われ、そうして意識がとぎれるまでずっと私は二人に抱かれ続けた。


 記憶を順に辿り、現在までたどり着いたところで私は再び翔の顔を見た。
 長い沈黙を不安がっているのか、いつの間にか彼の表情にはどこか悲しそうな色が揺らめいている。
「……怒ってる? セナ」
 問われて私は心の中の感情を探った。あるのは目の前で泣きそうな顔をしている翔を案じる気持ちだけで、不思議と怒りも憎しみもない。
「きみは、私が怒っていると思うのですか?」
 尋ね返すと翔は「わからない」と答えた。
「櫂の気持ちだって時々わからなくなるのに、セナの心境まで察するコトなんて、オレには無理だよ」
 わからないと答えたのに、翔は謝罪の言葉は口にしなかった。忘れているのではなく、謝るべきではないと決めているからだろうと、そう感じられた。
「……きみが、櫂の意志にひきずられることは、ないんですよ」
 悲しそうなのは後悔のせいだろうと思ってそう言うと、翔は「違うよ」と小さく首を横に振った。
「…………櫂じゃないよ」
「翔?」
「セナのコトを欲しいって思ったのは、オレの方だ」
 目を伏せて言った翔の言葉は、私をひどく驚かせる。だが、そうと考えると二人の行動に感じた雰囲気の差も、なぜか素直に気持ちの中に落ちた。
 翔は櫂の望みには逆らわない。だが、櫂もまた翔の願いには逆らえない。翔は己の意志で櫂に従っているが、櫂は翔の願いに己の気持ちを寄り添わせてしまう。
 翔が本気で櫂を止めようと願えば、櫂はおとなしく引き下がるだろう。そして、翔が本当に願ったことならば、櫂はそれが己の意志に相反することであったとしても、自らの望みのように受け入れてしまうのだ。
「翔、きみは、櫂のことを愛しているのでしょう?」
 私の問いに翔は素直にうなずいた。
「オレにとって、櫂以上の存在はいないよ。……でも」
「でも?」
「それは、櫂以外がどうでもいいってコトじゃない」
 翔はうつむいて小さくため息をついた。胸の内にある言葉を、どう説明したらよいのかととまどっているような感じだ。
「セナにはセナの意志があるってわかってる。だから、あれはオレと櫂のセナをオレ達の側に引き留めたいっていうワガママ。『家族』が願っても、きっとセナは旅に出ちゃうけど、『恋人』の願いだったら聞いてくれるのかな……って」
 謝罪の言葉を口にしかけて、翔はその言葉を引き戻した。
 沈黙している翔は、ひどく痛々しい表情をしていたが、翔の思いは私の胸に深く突き刺さっていて、軽々しい慰めの言葉をかけることすらためらわれた。
 重い沈黙を破ったのは翔を呼び出す一本の電話で、あわただしく出かける支度をはじめた翔は、私の膝に一つの鍵を置いた。
「……あと何時間かしたら櫂が帰ってくると思うけど、もしその前に出……かけるか、二階に戻るんだったら、オフィスに鍵かけといてくれるかな。それ、セナの分の合い鍵だから返すとかそういうの、気にしなくていいよ」
 間の抜けた話だがそこまで言われてようやく、私は自分の今いる場所が昨夜居た双子の部屋ではなく、一階にある双子のワークスペース……オフィスの隅に区切ってあるベッドの上であることに気がついた。
 確認すると翔は「櫂とケンカした時、こっちで寝てる」と笑い、「……あんなコトの後で一人で目覚めるのは寂しいんじゃないかと思って」と言って、返事もそこそこに出て行ってしまった。
 ピピが肩の上から膝上に移動し、「どうするのか」と言いたげに私を見ている。
「……心配しなくても、まだ出て行ったりはしませんよ」
 私の言葉にピピは小さくさえずり、遅い昼食をねだるように再び肩の上に乗って私の頬を小さくつついた。


「あなたの性格なら、もうとっくに出て行っているか、その準備でもしているかと思いました」
 夕方帰ってきた櫂は、オフィスで留守番をしている私の姿を見て、驚いたようにそう言った。
「ご期待に添えなくてすみません。きみにとっては、その方がよかったのかもしれませんが……」
 何とはなしに答えた私の言葉を聞いて、櫂はきついまなざしで私を睨み付けた。
「人の気持ちを勝手に決めつけないでください。僕の物言いが悪かったのは認めますが、あなたは少し悪い方向に先回りしすぎです」
 年甲斐もなく叱られてしまい、気持ちのくすぐったさになんだか妙に笑いがこぼれてしまう。
「……翔が、話したんですね」
「はい」
 私の一言から状況を察したのであろう櫂は、ふうっと大きく息を吐いた。
「僕たちの意志はもう示したはずです。それで……あなたはどうしたいと思っておいでなんですか?」
 尋ねられて、改めて私は櫂の表情を観察した。翔の気持ちのために櫂が彼自身を押し殺しているのなら、翔を説得した方が二人のためになるだろうと、そう思ったからだが、櫂の表情にはどこか翔に共通した不安げな色があるだけだった。
「私の意志を尊重してくれるつもりだったにしては、意思表示にずいぶんと乱暴な手段を執ったものですよね」
 櫂は私の言葉を聞いて再び私を睨み付けた。
「そんな手段を執らせたのは誰だと思っているんですか」
 非難したつもりが非難で返され、あまりの論理展開に一瞬頭がついていけなくなる。
「……きみは、私のせいだと言いたいんですか」
「他にどんな答えがあると?」
 冗談やからかいを言っているようには聞こえなかったが、櫂の言葉はあまりにも私にとって意外なものだった。
「まあ、そこに気付かないでいるからこそ、重傷なのかもしれませんが」
 櫂はため息をつくと椅子を引いて横向きに座り、少し離れた距離を保ったままネクタイを緩めた。
 そのまま二呼吸ほどの言葉を選ぶ沈黙があって後、櫂は私から顔をそらしたままぽつりとつぶやくようにこんなことを問いかけてきた。
「……セナ」
「はい」
「……僕たちがあなたのことを案じるのは、あなたにとって迷惑なことですか?」
 櫂の言葉を受けて、私の心には翔に投げかけられたのと同じ痛みが走る。……痛むのは、私が翔と櫂の行動の真の意図を心のどこかで察しているからだ。
「迷惑では……ないと……思います」
 発した言葉が、自分を追いつめていくのを感じた。
 嘘をついてしまえば、このどうしようもない苦しさから逃げることができるはずなのに、私の心はその安易さを私に選ばせないでいた。
「以前はそれほどでもなかったのに、だんだんあなたが行く場所は危険なところが多くなって……連絡も少なく、間遠になってきている。僕たちと少しずつ疎遠になって縁を切ろうとしているように見えますが、そうではない……ですよね」
「ええ。……ですが、一時期それを考えたことはありました」
 翔と櫂が二人で生きていくことを選び、困難ではあるが希望に満ちた道を歩みはじめるのを確認した時、私は自分の役目が終わったことを感じた。
 老兵は消え去るのみ、と己の居場所を遠い世界に求めようとしていたはずだったのに、気がついてみれば心のよりどころを日本に待つ彼らの元に求めていた。
 以前感じ……今は封じてしまった生き恥を晒している感覚が、再び胸の内によみがえってきているような気分だった。
 瀬那の様子を見て櫂は静かに息を吐いた。
「たとえ、あなた自身がそう思っていなくても、あなたは翔と僕にとっては家族です。そして翔は『家族』を自分の知らない場所で失うことを、何よりも恐れています。……なのにあなたは翔や僕を心配させて楽しんでいるように、ふらふらと……」
 こうして真っ正面から自分の行状をつきつけられると、きっぱりとそれを否定できないのが辛い。
 ことさらに危険の渦中に飛び込んで行っているつもりはないけれど、滞在先で何かがあるたびに、一生懸命に私を見つけ出しては安否を確認してくれる双子の行為を、嬉しいと思っていたのも事実なのだから。
 危なっかしい行動を続けて、安定するそぶりを見せない『家族』の存在に彼らが苛立つのは(私自身には今ひとつ実感がわかないが)無理もないことなのだろう。
 櫂の様子を見ているうちに、ふいに共鳴する音叉のイメージが頭の中に湧いて出た。
 二つの同じ音叉が並んでいる時、一本の音叉を響かせると、二本目の音叉はその響きを感じ触れてもいないのに自ら音を放つ。
 その二本目の音が一本目の音叉を揺らし、一本目の音が二本目を鳴らす。そうして二つの音叉はお互いの響きで音を強めてゆく。
 翔の心配を感じ取って櫂が心を痛め、櫂の不安を感じて翔もまた傷つく……。その二つの音叉の最初の一音を与えたのは、他ならぬ私の行動。
 安心で不安の音を弱めようとするたびに、私の行動がまた新たな不安を与えていたのであるのなら、櫂が言った「乱暴な手段を執らせたのはあなた」は間違っていない。
「僕はもう、翔があなたを案じて不安な顔をするのを見ているのも、僕自身があなたの心配で振り回されるのも嫌なんです」
「ですが、櫂」
「なんです?」
「私がもしきみ達の恋人になるのだとしても……きみが、自分以外の人間と恋人を分け合うことに耐えられるのですか?」
 私の問いに櫂はくすりと笑った。
「僕は……あなたと翔を分け合うのではなく、僕があなたと翔を自分のものにするんだとそう思っています。僕と翔が、お互いの他に大切な存在としてあなたを得るのだと」
 櫂の言葉に、意識のどこかで何かがくるりと回されたような気がした。
「縁起の悪い話ですみませんが、たとえば……僕が何かの事故とかでこの世からいなくなってしまうのだとしても、あなたがいれば翔は一人きりにならないし、翔がもしいなくなってしまうのだとしても、あなたとなら翔の思い出を分かち合うことができると思う。その安心に比べたら、僕の嫉妬なんて安いものです」
「それなら『家族』でも、よかったのではないですか?」
「……僕たちの前で、『家族』としてだけのあなたがいると、あなたは自分で勝手にあなた自身を爪弾きものにしてしまうから」

−『家族』が願っても、きっとセナは旅に出ちゃうけど、『恋人』の願いだったら聞いてくれるのかな……って−

 胸の内側で翔の言葉が蘇った。自分でもわからないでいた私自身の姿を、彼らの方がよほど正確に見ているようだ。
 櫂は立ち上がると、側にやってきて私の額に触れた。
「男でも女でもいい。あなたに本気の恋人が現れたり、どうしても進みたい道が見つかったのなら、いつだって秘密の欠片も残さずに見送ってあげます。僕たちは、あなたに僕たちが把握できる範囲内の近くに『あなた自身の意志で』いて欲しいだけですから」
 私を見下ろす櫂の寂しげな笑顔に、先程の翔の笑顔が重なって見える。切なくて悲しくて、底知れない深い闇を感じさせるのに、その誘いはあまりにも甘く優しい。
「決めてください。僕たちの側に恋人として残ってくれるか、一切を断ち切って別れてくれるかを。これ以上あなたのことで翔をわずらわせるのは許しません」
 櫂に突きつけられた最後通牒は、ひどく重い。二人が誘う罪の暗闇と、すべてを断ち切る孤独の光とどちらかを選べと言われ、倫理としてはどちらかを選ぶべきかは分かり切っているはずなのに、心は揺れ続けている。
「今ここで決めろとは言いませんが、ここにいる限り僕たちは昨夜と同じことをあなたに繰り返しますよ。それだけは覚えておいてください」
 額から降りた指は私の唇の上で止まった。
 唇をなぞる櫂の指の感触を、なぜか私は甘いと感じていた。


 櫂と二人の気まずい夕食を終えた頃、いつもの明るい笑顔と共に翔が帰ってきた。台所にやってきて、片づけをする櫂を手伝おうと腕まくりした翔は、私と櫂の間に流れる空気を見て「……なんか怖い」とつぶやいた。
「お帰り、翔。夕飯は?」
「先生んトコで食ってきた。急な助っ人の詫びだって、お土産まで貰っちまった」
 翔は手に持ったチョコレートの箱をひらひらと動かして机に置いた。
「あのおもちゃ病院がそんなに忙しくなるなんて、珍しいね」
「テレビで紹介されたんだってさ。おもしろいのが、いっぱい来てたぜ」
「メモとか写真は?」
「もちろん。後でプリントしとく」
 仕事の話で盛り上がるごとに、櫂の周囲の空気から冷ややかな硬さが取れてゆく。暖かな『家族』の空気は、まるで夜の中にきらめく星のようだった。
「セナ、何泣きそうな顔してんの?」
 気がつくと翔が私の目の前に来ていた。椅子に座ったままの私を見下ろし、優しいまなざしで私を包むように微笑んでいる。
 何と答えるべきかと戸惑っている私の口の中に、ふいに甘い味が広がった。翔が持ち帰ったチョコレートを一つ、私の口に押し込んだのだ。粘りつくような甘さの奥から、ナッツの柔らかい香気が広がった。
「それ何の味だった?」
「ナッツのようですけれど、詳しい種類までは……」
 答えたとたん翔の唇が唇に触れ、暖かい舌が合わせた唇から中に入り込んできた。口の中にあるチョコレートの味を確認するように翔のキスが私の口中を探る。
 私の頭を引き寄せた指の髪を撫でる感触が心地よかった。
 誰かに愛され、望まれているという実感がこんなにも人を幸せにするのだということも、愛情をもって触れられることが嬉しいのだということも……私は何も知らなかったのだと思い知らされるようなキスだった。
「……ピスタチオだったっけかな?」
 くすりと翔が笑い横にいた櫂に「どう思う?」と尋ねる。私の目の前で二人の唇が合わさり、櫂が「当たっているよ」と微笑む。
 櫂の指が小さな板状のチョコレートをつまみ上げ、包み紙を剥く。そんな動作さえも優雅な彼の指先を、キスの余韻でぼうっとした頭のまま見つめていると、「欲しいのなら自分で取ってみてください」と櫂は言い、普通のチョコレートよりも深い色のそれを唇にくわえて私の目の前に下ろした。
 さっきは天使のように厳しく決断を迫った瞳が、今は小悪魔のようにきらきらと輝いて私を誘っている。
 心の中で真理さんとロベール殿下の影が揺れる。
 夢で見た深い闇が二人の影を覆い隠してゆくごとに、引き裂かれるような痛みを心の中に打ち込む。
 ……それでも、その闇の中には私の天使たちがいる。私の手を取り共に生きようと願ってくれる存在がある。
 私は櫂に手を伸ばして唇からチョコレートを奪うと、そのまま目の前の唇に口づけた。翔のそれよりも苦いキスは、苦さを覆う甘さと共に闇そのもののような深い味がする。
 頬に流れていた涙を翔の指が拭う。暖かい指のもたらす優しさに心満たされながら、私は自分が深い闇の底に落ちてゆくのを感じた。
「覚悟は決まりましたか?」
「ええ。きみ達の側に居させてください」
 私の答えを聞いて、翔が私の首に抱きついてきた。
「翔……」
「セナの自由を奪うことになって、ゴメン。……でも、嬉しい。セナがオレ達のトコに帰ってきてくれて。これからはいつもセナに『おかえりなさい』って言えるんだね……」
 すがりついてくる腕の強さを感じてようやく、翔はずっと帰ってくる『家族』を抱きしめたかったのだということに気がついた。
 抱きしめ、抱きしめられて、私はやっと彼らの中に確固たる自分の居場所を見つけ出すことができた。
 櫂の視線を感じながら、翔の唇にキスを返す。そうして再び櫂にもキスをする。どちらも大切な私の『家族』で『恋人』なのだと告げるように。
「一つ思い切れば、切り替えが早い人ですね」
 あきれたように櫂が言う。しかし優しい笑顔には、言葉ほどの毒がない。
「私の本性はきっと君たちが想像するより黒いですよ。……それでも、本当にいいんですね?」
 私の言葉を聞いた翔と櫂は顔を見合わせ、くすくす笑った。
「何ですか?」
 問いには答えず、アイコンタクトで何かを語った二人は、まるで計ったようなタイミングで右と左からそれぞれに飛びつき、笑いながら私を床に押し倒した。私の内面の黒さなど気にしないという意思表示らしかった。
 食堂のひんやりした床を背中に感じ、まさかこのまま昨日のように抱かれるのかと思ったら、急に焦りがこみ上げた。
「翔、櫂!」
 強く呼ぶと私の首筋にキスをしていた翔が「なに?」と言って顔を上げた。嬉しそうなその顔を見ていると、嫌と言い切れないのが辛い。
「……その」
「嫌と言ってもやめませんよ」
 櫂の手がすうっと私の腹を撫でた。引っ掻くように指先を動かされて体が震える。
「……きみ達に抱かれるのはかまいませんが……ここでは……」
「リビングと寝室、どっちがいいですか?」
「せめてベッドの上で……」
 答えるだけでこんなに緊張させられると、まるで自分がとてつもない初心な人間になったような気がしてくる。
 心の底から想う相手の前では、駆け引きを楽しんだり手練手管を使う余裕さえもなくなってしまうのかもしれない。翔と櫂の反応が怖くて、胸がつぶれそうになる。
 私の反応をいちいちおもしろがる二人に連れられ、まるで花嫁にでもなった心境で寝室に案内される。
 昨夜は周囲を見る余裕もなかったが、改めて見る部屋は案外さっぱりとしたもので、二人がいつもここでどんな風に抱き合っているのだろうとか、自分が昨夜ここで二人に抱かれたことを思わなければ、淫靡さなどよりは健康的な安らぎを感じさせる部屋だった。
 側にいると約束したのが信じ切れないのか、捕まえておかなければ逃げてしまうと思っているかのように、二人は競い合うようにして私の服を脱がせ、ベッドに押し倒す。代わる代わるにキスをして、また競うように私の体中に触れてくる。昨日と違うのは、彼らの仕草や雰囲気に昨日ほどの切なさがないことぐらいだろうか。
「……っ!」
 手首にできている痣の上に、二人がそれぞれ舌を這わせた。唇で柔らかく触れて、櫂の唇は私の指へと移動し、翔の唇は腕を伝って胸へと降りてくる。
「昨日のこともあるから、あんまり激しくしない方がいいよね」
 翔は櫂にそう言ったが、二人がかりで責められるだけで十分激しいと思うのは、多分言わない方がいいだろう。
 指を櫂の口に含まれて舐められ、唇を出入りする指の動きからの連想で、別の場所が疼いた。
「感じた?」
 くすりと笑った櫂の笑顔にぞくりとして、勃ちあがりつつあるそこを、今度は翔の口に包み込まれた。翔は櫂ほど技巧を尽くさない代わりに、とても丁寧に私を愛撫する。もう限界だと思ったところからまたさらに先へと導かれ、自分の体が自分でも信じられないような反応を示す。
 櫂が私の指を放し、耳や頬に噛むようなキスをする。その合間に子どものように髪を撫でられて、安心感と快感で体が熱くなった。
「翔がこうされるの好きなんですけど、あなたも同じ場所がいいんですね」
 優しく微笑んだ櫂の唇が私の唇に重なり、笑顔の印象そのままに優しく舌が口の中を探る。
「櫂……あんまりそういうコト言うなよ〜」
 翔のむくれた声がしたとたん、櫂の体が弾くように動いた。翔に足を撫でられ、それに反応したようだ。
「いいじゃない。別に」
 からかうような櫂の声を受けた翔の指が、私の根本のあたりを柔らかくなぞるように触った。
「櫂はこのあたりゆっくり触られるのが弱いよ」
 翔の指の焦らすような動きに、私の体も新しい快感を呼び起こされる。
「まだまだ。翔がすごく感じる場所はたくさん知ってるんだから」
「オレだって、櫂の弱いトコいっぱい知ってる」
 二人がお互いをどんな風に愛しているのかを次々と競い合いながら実地で示されて、嬉しいようなおかしいような妙な気分になる。
「翔……櫂……私で遊ぶのはかまいませんが……あまり焦らされるのは……」
「あ。ゴメン」
「すみません。セナ」
 激しくしないと言い、十分に手加減はしていたのだろうが、それでも二人がかりで散々に愛撫されて、どうにかならない方がおかしい。
「昨日はオレが先だったから」
 と譲られ、私の中に先に入ってきたのは櫂の方だった。獣の形で後ろから貫かれ、待たされている翔は私が口で慰めた。
「……セナ!」
 張りつめたものに、いつもされているのであろう刺激とは別の形でされたせいか、翔の声から余裕がなくなるのを感じた。それが嬉しくてさらに愛撫を強める。
 私の行為で感じる翔の表情は胸が痛くなるほどに愛しくて、私を通じて櫂も翔を感じさせている気持ちになるのか、抜き差しされる櫂の動きにも変化が出る。
「櫂……セナ……オレ、もう……!」
 喉の奥に翔の放つ熱さを感じ、薄暗がりの中で翔の背に白い羽根が現れる。その輝くような光に見とれたとたん、私の前を握りこんだ櫂の手と、擦られる刺激に最後の一押しを与えられて、櫂も小さなうめき声と共に私の中に熱いものを放った。
 背に櫂の指とも、唇とも、髪とも違う柔らかな何かが触れるのを感じた。
 それは私の背に触れたとたん、キスをされた時に似た、ほのかな熱を残して淡雪のように消える。
 飲み下した翔の味を分け合うように、私を引き寄せて櫂がキスしてきた時、はじめてそれが櫂の背に現れた羽根の名残なのだと知った。
 翔と櫂の背に現れた翼は神々しいほどに美しく、その光に照らされた罪の闇は、心の中でさらにくっきりと浮かび上がるような気がした。
 それでも、闇から逃れたいとはもう思わなかった。この美しい光をまた見るためならば私の何を引き替えにしても惜しくはないと、ただそう思っていた。


 ……あれから一ヶ月が過ぎた。
 その朝目覚めた私は、両腕にすっかりなじんだ重さが乗っていることに気付き、さてどうしたものかとため息をついた。
 右には櫂、左には翔がそれぞれ私の肩を枕にして眠っていて、動くに動けない。かといって、ここ数日納期前の最終チェックで徹夜続きだった双子を起こしてしまうのも忍びない。昨夜までの状態を思い出すと、あの後の二人が仮眠ベッドまでたどり着けたことだけでよしとした方がいいくらいなのだから。
 せめて私がもう少し役に立てればいいのだが、社会人リハビリ中のデザイナー兼事務員では、まだまだ二人の抱き枕程度の役割しか果たせないのが辛いところだ。
 それでも、覗き見る二人の寝顔は安らかに幸せそうで、抱き枕としてでも役に立っているのならいいかと考える。
 腕に感じる双子の重みに、言葉にしがたい幸福を感じる。
 正しい形ではないのだとしても、二人が私に注いでくれる愛情は確かなもので、彼らも又私が送る不器用な気持ちを、苦笑しながらもしっかりと受け止めてくれている。
 愛を注いでくれる相手がいて、その相手に自分の愛情を返せるという喜びが、近衛兵という役割を終え、たまらない空虚さを感じていた私を満たしてゆく。
 今でもまだ、二人の優しさに甘えてしまっていいのだろうかと悩むことがある。二人へ注ぐ思いが恋ではないことに、私が二人よりずっと年上の男であることに、守ると誓った人たちの忘れ形見と歪んだ肉体関係を結んでいることに。
 真理さんとロベール殿下の面影を残す二人を見つめるごとに、胸は痛む。「今さら僕たちに罪が一つ二つ増えたところで」と櫂は笑い飛ばすが、闇を飲み込んでなお光を見つめる二人の強さを、私はまだ持ち得ていない。
 闇を軽々と飛び越えていく二人の翼に、いつか置いて行かれるのではないかという恐れは常に私の胸にある。私を捕らえる闇は日々不安を私の心に囁き落とす。
 もし……彼らの手が私から離れていってしまう日が来たら、その時私はきっと、闇の囁くまま二人に、この上なく残酷な罠を仕掛けてしまうことだろう。
 彼らが私に仕組んだような甘く苦い罠を、私のすべてを使って織り上げるだろう。
 私自身は彼らのものになったが、彼らも又私のものなのだから。
 手を動かして二人の背を撫でると、左側で翔が……少し遅れて櫂がそれぞれに目覚める気配で体を揺すった。二人の意識を感じ、胸の内側でうごめく闇はすっと意識の奥底へと消えていく。
「おはよ、セナ」
「おはようございます、セナ」
「おはようございます。起きられますか? 二人とも」
「眠いけど〜大丈夫」
 左右から二人が私の頬におはようのキスをする。二人が起きあがってようやく、私の腕も解放され、起きあがることを可能にする。


 そうして二人の笑顔に挟まれ、私の一日が始まる。日常の薄皮の下に深い狂気の闇を秘めて。
 許されないこの幸せが続くようになど、誰に祈ればいいのかわからなかったが、苦く甘い幸せの日々の終わりが、願うことならまだ先であるようにと祈り、私は自分を呼ぶ二人の声に従って、彼らの元へと向かった。

the END




 砂沢皓様から頂いた、双子×瀬那小説です。
 ブログで書いて、とリクエストして書いて頂き、更にアダルトバージョンを頂きました。
 三人の微妙な均衡と関係が素敵です。



小説 B-side   頂き物 B-side