頑固な意志



 桐生水守が医療班に帯同して、一週間が経った頃だった。
 職務中の劉鳳に緊急連絡が入った。

 ―――第三医療班がネイティブアルターに襲われた…

 一瞬気が遠くなりそうな程、何を言っているのか理解した途端に鈍器で頭を殴られたような衝撃が身体中を駆け抜けた。
「第三…医療班っ!?」
 搾り出したような声。隣に居たシェリスはちらりと劉鳳を見る。
 劉鳳が一体誰の事を気にしているのかは聞かなくても解かる。だから、敢えてそれを口にする。
「第三医療班って言えば、桐生さんが帯同しているところね」
 それだけで十分だった。劉鳳はすぐさま駆け出す。
「劉鳳っ、私はどうしたらいいの!?」
 自分に何も言わずに行こうとする劉鳳に後ろから問い掛ける。
「連絡があるかも知れないっ、その時はすぐに俺に引き継いでくれ!!」
「解かったーーーーっ!!」
 半ば叫ぶような状態で二人は会話をする。
 シェリスは劉鳳が走っていく後姿を見つめながら溜息を吐く。
 やれやれ、といった感じだ。桐生水守が関わると、劉鳳は冷静で居られなくなる。パートナーとしては、それでは困るのだ。自分に指示を与え、動かす側は劉鳳なのだ。そう、パートナーとしては。
「今は職務中…だもんねぇ?」
 誰に同意を求める訳でもなく、シェリスは呟いた。


 劉鳳は走った。
 とにかく、あの通信だけでは現状が解からない。その分もどかしい。
 現場に急行するために、劉鳳は車を用意しようと駐車場に向かう。その途中。
 キキィー――ッ!!!
 するどい音を立てて目の前に車が止まる。
「劉鳳、乗れよ。みのりさんの所に行くんだろう?」
「クーガー!?」
「俺なら誰よりも早く現場に行けるぞ?」
 何処から情報を得たのかは知れないが、いつもクーガーは大事な時に目の前に現れて助けてくれる。それに感謝したらいいのかどうかは別として、だが。
 クーガーが水守に特別な感情を持っているのは周知の事実だ。
 けれど、今はそんな事を気にしている暇は無い。
「…頼む」
 劉鳳はそのままクーガーの運転する車に乗り込む。
 クーガーの車は猛スピードで市街を駆け抜けて行った。


 水守は溜息を吐いた。
 医療班を襲ってきたネイティブアルターは怪我をしていた。
 ただ、医療品が欲しかっただけなのだ。
 慌てたのは他の医療班の人間で、すぐにHOLYに連絡してしまった。あと数十分もしないうちに誰かが派遣されてくるだろう。
 水守はその誰かが来る前にそのネイティブアルターの手当てを素早く終わらせ、逃がした。そのまま放っておけば間違いなくHOLYに捕らえられてしまうだろうから。
 襲ってきたネイティブアルターは、一度水守を人質に取ったが怪我の所為で無理な動きが出来ず、戸惑っている間に水守が相手を押し切り、有無を言わさず怪我の手当てをしたのだ。
 しかし、その時の衝撃で通信機器が壊れてしまい、使い物にならないため、HOLYに再び連絡を取る事が出来ない。何事もなかったのだと伝える事が出来ないのだ。下手をすれば自分はHOLYに連れ戻されてしまうだろう。
 誰が来るだろう。
 少なくとも、あの幼馴染は来ないだろう。自分のことを疎ましく思っていたようだし。
 誰に何を言われようと、水守はまだHOLYに、安全な市街にもどるつもりは無かった。まだ、やるべき事が残っているから。自分で出来る精一杯を此処でしたいと思ったから。
 水守は散らかった床を片付けようと、ガラスの破片に手をのばした、その時。
 キキィー――――ッ!!!
 ものすごい音に水守は耳を塞ぐ。誰が来たのか解かり、水守は微かな安堵を憶えた。けれど、来ていたのはその人物だけではなかった。
 凄い勢いでドアが開き、水守は目を見開く。
 来るとは思っていなかった人物が、目の前に居たのだ。その後ろには、車を運転してきたであろう人物。
「劉鳳…」
 水守は呟くように名前を呼んだ。
 劉鳳は元気そうな水守を見て、ほっと息を吐いた。けれど、それを表情には出さない。
「…被害の状況は?」
 出来るだけ劉鳳は事務的に言葉を出す。
 現状の把握。それは大事な事だ。これは、仕事として行おう。
「通信機器の破損と、医薬品のビンが少し割れてしまった程度です。怪我人は一人も居ません」
「そうですか」
 怪我人は居ない。そのことに劉鳳は心底ほっとしていた。
 けれど、此処に来るまでに決めていた事がある。
 やはり、水守を此処に居させる訳にはいかない。こんないつ危険なことが起こるとも知れない場所に。
「それで、肝心のネイティブアルターはどうしたのですか?」
「怪我をしていたので、私がその治療をして、帰っていきました」
 劉鳳を前に水守は平然と言い放つ。
「怪我の?貴女は自分を襲ったネイティブアルターの傷の手当てをしたんですか!?」
「ええ。怪我人の手当てをするのは当たり前のことですから。怪我をして、止むを得なく此処を襲ったんです」
「もし、そうだとしても、そのネイティブアルターは間違いなく罪を犯したんです。大人しく帰すべきではなかった」
 二人はじっと対峙する。劉鳳の隣に居たクーガーは溜息を吐く。
「おいおい劉鳳。怪我人とはいえ、相手はネイティブアルターだぜ?みのりさん一人に何とか出来るようなことじゃないだろう。下手に引き止めて怪我人を増やすより、相手の望む事を叶えて、帰してやるのが最善作だったと思うぞ、ねぇ、みのりさん?」
「水守です!そうです、彼の要求した事は決して無茶な事でも何でもなく、普通の人間ならば叶えられるべきことだったんです。だから…」
「解かりました。その事に関してはそれ以上追求はしません」
 劉鳳は溜息を吐く。クーガーが仲裁に入り、この件は何とかおさまった。
 しかし、勝負はこれから。二人とも自覚はあった。お互い頑固な性格は熟知している。劉鳳がクーガーを見れば、そのことに口出しするつもりはないらしく、肩を竦めただけだった。
 そして、劉鳳はゆっくり息を吸い、用件を切り出した。
「しかし、桐生さん。貴女にはHOLY本部に戻って…」
「お断りします!」
 言い終わる前に水守は拒否する。出鼻を挫かれて、劉鳳はぐっと詰まる。
「つい先刻、危険な目に遭われたばかりでしょう!いつ命の危険にさらされるかも解からない場所に貴女を滞在させておくわけには行きません!」
「自分の身に起こったことについては自分で責任をとります。父にだって何も言わせないわ。それだけの覚悟で今此処に来ているの!!」
「覚悟だけで何とかなるなら全ての人がそうしているっ!医療班への帯同はもう十分だろう、今すぐ本部に帰還するんだ!!」
「それは出来ないわ。私はまだ自分のするべきことを済ませていないもの。此処にはまだ病人も怪我人もたくさん居るの!それを放って帰ることなんて出来ない!!」
「君以外にも医療班の人間はたくさん居る。君でなければいけない理由にはならない!!」
「私が、そうしたいのよ。このまま戻っても、私はきっと後悔するだけだわ。そんなのは嫌なの。何も出来ないまま終わる事が、一番私には耐えられない事なのよ!こんな状態で戻っても、きっと私は何一つ満足に出来ない!!」
「それは君の心の持ち方次第だろう!仕事に支障をきたすようなら本土に戻ればいいっ!!」
「嫌よ。私は私の意思のために此処に居るのよ!それは誰にも邪魔はさせないわ!!」
「いい加減聞き分けろ、頑固者!」
「そう言う貴方は分からず屋だわ!!」
「何だと!?」
「何度でも行ってあげるわ、分からず屋!!」
「そう言う子供っぽいところは相変わらずだな!」
「あら、過去には興味ないんじゃなかったの?」
「っ!!いいから、本部に戻れ!!」
「反論出来なくなったらそっちに逃げるのね!?」
「口だけ達者になって、可愛げのないっ!!」
「それは貴方の方でしょ?素直さの欠片も無いわ!!」
「素直なだけの男なんて何処が面白いんだ!」
「だったら、物事を聞き分ける包容力でも持てば!?」
「女ならもう少し物腰を柔らかくしろ!!」
「貴方には言われたくないわ!」
「それはこちらの台詞だっ!!!」
 二人の口喧嘩はエスカレートしていく。しかし、問題の重要性は薄れていっているような気がしてならない。
 というより、まるで子供同士の喧嘩だ。遣っている言葉がやけに大人っぽいが。
 近くで聞いているクーガーには如何ともしがたい現状である。二人を止める事は自分には出来ないだろうという事も、何となく察しは着く。決着は、どちらが言い負かされるか、ということだろう。
 その結果は、明らかに目に見えているが……。
「劉鳳の馬鹿っ!!」
「何!?」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!!!」
「っ…!!」
 感情が高ぶった所為か、水守は泣き出す。それを見て戸惑うのは劉鳳で。
「み、水守…」
 思わず名前で呼んで慰めてしまうのだ。
 これで決着はついたな、とクーガーは思う。男は元来女の涙には弱いものだ。とくに、惚れた女の涙には。
「ばか〜〜〜っ」
「わ、解かった。解かったから、もう泣くなっ!!」
 終いには劉鳳の胸をぽかすかと殴っている。
 劉鳳は必死に泣き止まそうとするが、慌てて上手く言葉が出てこない。
 それも、水守のことが好きなクーガーにはかなり羨ましい光景なのだが、本人達は絶対、全く気づいていないだろう。
「もういい、此処に残っていいから泣くなぁっ!!」
 劉鳳も最後はやけになって叫んでいた。
「いいの?」
「えっ?」
「いいのね?此処に残っていいのね?そう言ったわよね?」
「あ…ああ」
 水守は少し涙の浮かんだ瞳で劉鳳を見上げる。
 しまった、と思ったときにはもう遅い。水守はにっこり笑って言うのだ。
「ありがとう、劉鳳」
 こう言われれば劉鳳にはこれ以上何も言えはしない。
 そしてそのまま劉鳳とクーガーは帰ることとなった。


「まぁ、何事も無くて良かったじゃないか」
「……」
 助手席に座った劉鳳はぶすっとしている。
「ああ、ひょっとしていつもこの手で負けてるのか?」
「っ!クーガーっ!!」
「お、当たりかぁ、流石みのりさんだ」
「…あいつは、いつもいつも口喧嘩になると最後は泣き落としに入るんだっ!ことごとく負けてる俺も俺だが……」
「可愛いもんなぁ、みのりさんの泣き顔。嘘だって解かっててもなぁ。ああ、お前、ひょっとして可愛すぎて手出しそうになるから苦手…な〜んてこと…」
 ちらっと横を見れば隣に居る劉鳳は顔を真っ赤にしている。
「…図星か?」
 それを見てクーガーはくっくっと笑う。
「お前もまだまだだなぁ」
「何が言いたい!?」
 もう半分やけになった状態で劉鳳は睨みつけてくる。
「ま、みのりさんが泣き落としするなんてのは、お前に対してだけだろうな。俺にはぜーったい無理だ」
「?どういうことだ?」
「女性だって人前で泣くのは恥ずかしいさ。見せていい相手なんてのは大体決ってるもんだって事だよ。解からないなら解からなくてもいいがな」
「??」
 本当に解かっていない様子の劉鳳にクーガーは苦笑せざるを得ない。
 しかし、それを説明してやるほどクーガーも親切じゃない。
(敵に送る塩なんてそう持っちゃいないさ)
 女の人が見せる涙は、喩え嘘であったって、家族か好きな男の前って相場が決っている。とくに、水守のような気丈な人間なら尚更。大切な人が居なくなった時も、そうだ。
 女にだってプライドはある。そうだれかれ構わず涙を見せたりなんてしない。
 それを、劉鳳は気づいていないだろう。
 馬鹿な男だ。


 HOLYに戻ればシェリスが出迎えてくる。
「どうだったの?医療班」
「通信機材と医薬品のビンが壊れた程度だ。怪我人は居ないらしい」
「へぇ、良かったね、何事も無くて」
「ああ」
 そう言ってシェリスとは視線も合わせず歩いていく。後ろから来たクーガーの隣をシェリスは歩く。
「どうだったの?」
「来なくて正解だったな、シェリス」
「それは良かったわ。その割りに劉鳳機嫌が悪いわね?」
「負けて悔しいんだろ」
 クーガーは肩を竦めて言う。
「あの二人、気づいてないなんて嘘じゃないの?」
「いーや、アレは天然だ」
「ああ、馬鹿らしくなってきた…」
「それでも諦める気は無いんだろ?」
「当然。それじゃね。クーガーもちゃんと仕事しなさいよっ!」
 そう言いながらシェリスは劉鳳の隣に走っていく。
 女は強い。何よりも精神的に、どんな男よりも。
 クーガーは溜息と共に踵を返して歩き始めた。

 結局、知らぬは当の本人達ばかりなり。



Fin





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