第二話 〜荒野の中で〜



 水守は一人で市外に足を踏み入れた。
 不安がない訳ではないが、それでも何かしなければ何も始まらないから。
 けれど、こういう時、水守は何故か何時も早々に躓いてしまうのだ。自分がついていないだけなのか、それとも他の何かなのか…それは解からないが…。
 目の前にある受難は、ただ運が悪い…とだけしておいた方がいいのは確かだ。それだけで済めばの話だが…。
「姉ちゃん、美人だねぇ〜」
「そうそう、垢抜けてるよね、市街の人でしょ?」
 軽く声を掛けてくる男達三人に水守は一歩後退る。
「ねぇ、俺達と一緒に来てくんない?君みたいに美人なら歓迎するよ」
 どういうつもりで声を掛けてきているのか図りかねるが、善意からでないことは水守にも解かる。いかに世間知らずと言われようと、こういう相手にのこのこ着いて行くほど水守も馬鹿ではない。
「いえ、私は…」
「そんなこと言わずにさぁ」
 男の一人が水守の腕を掴む。
「困りますっ、放して下さいっ!!」
「何言ってんの。こんな所に一人で出て来るんだからそれなりのことは考えてるんだろ?」
 男の揶揄するような言葉に水守はカッと頬が熱くなる。
「放して下さいっ!!」
 水守はきっと男を睨みつける。
 やはり一人で来るのは無謀だったのだろうか?それでも、来ずには居られなかったのは真実が知りたかったから。だから、今こんな男達に捕まっている訳にはいかない。
「俺達気が短いんだよね。大人しく言うこと聞いてくれないってんなら、それなりの覚悟してもらわないとなぁ」
 そう言って、男達リーダーらしき人物が他の二人に同意を求める。
「そうそう」
「もうこのままやっちまおうぜぇ」
 二人の男は軽く言う。
「止めてくださいっ、貴方達の相手をする暇なんてありません」
「言う言う〜、でもあんた一人で俺達相手に何ができるっての」
「それでも、貴方達みたいな人に屈するぐらいなら死んだほうがマシですっ!!」
 水守は毅然と言い放つ。その言葉に嘘はない。こんな連中の言いなりになどなってたまるものか。
 しかし、その言葉は確実に男達に火をつけた。
「人が下手に出てりゃ言ってくれるじゃねぇかっ!!」
「遠慮なんかすることねぇ、やっちまおうぜ!!」
「きゃぁっ!!」
 今にも襲ってこようとしている男達に水守はただ叫び声を上げる。
 ばっと手で前を庇い、目を瞑る。
「絶影!」
 一つまた別の声がして、水守はゆっくりと目を開ける。目の前の男達を触手がなぎ払う。水守ははっとして触手の元を見る。一体のアルターが、男達から水守を助けてくれたのだ。
 見覚えのあるアルターだ。あれは、カズマのアルターを破った…。
 男達はアルターを見ただけで怯え、逃げていく。水守はただ戸惑うばかりだ。
「大丈夫ですか?」
 声を掛けられ、水守は其方を向く。緑がかった黒髪、紅玉の瞳…間違いない、カズマを倒したアルター使いだ。
「はい、ありがとうございます」
 水守とさして年が変わらないだろう少年は、思うより紳士に水守に近づく。水守は礼を言い、頭を下げる。
「どうしてこんな所に?貴女は市街の人間でしょう?」
「ええ。それは……」
 水守は言い淀む。水守は間違いなく、彼に会いたかったのだ。カズマを破ったネイティブアルターの彼に。けれど、自分は実際に彼と顔を合わせたのはこれが初めてだし、何から切り出したら良いのか解からない。
 けれど、何か言わなければ、何も始まらない。前に進まなければ、何も変わらない。そう、カズマが教えてくれたように…。
「私は、貴方に会いに来たんです」
「俺に?」
 少年は目を見開く。面識もない自分がこんな事を言うのはおかしなことだと思う。けれど、彼に対峙して、彼と話しをするには正直でなければいけないと思った。だから、嘘偽りなく水守は話す。
「私は…HOLDの人間です。以前、貴方がHOLY隊員と戦っていたのを、遠いところからでしたが見ていました」
「HOLDの…?」
 少年は訝しげに水守を見る。そう、こういう反応が返ってくるのは解かっていた。けれど、嘘を吐くことなど覚えたくはなかった。正直でいれば、きっと彼も正直に返してくれるだろう。彼は、そういう人間のように思えた。
「はい、少し、話がしたいのですが…」
 そこで水守ははっとする。自分はまだ名乗ってもいない。これでは失礼だと思い、水守は言う。
「申し遅れました。私は桐生水守と言います。もしよろしければお名前を聞かせていただけませんか?」
「聞いてどうする?HOLYの人間に俺のことを伝えるのか?」
 少年は警戒心を解かない。水守もそれは当然だと思う。きっと、すぐに人を信じていては生きていけない世界だから。
「私は、一人の人間として貴方と仲良くなりたいと思ったんです。そして、その為にはまず名乗らなければ何も始まらないでしょう?私はそう思っています」
 水守はすっと少年を見据える。
 少年は目を細めて水守を見る。こんな少女に出会ったことがない。真っ直ぐ前を向いて、自分の主張をしっかりと誇示して正直に自分に話してくる。嘘のない瞳が少年には新鮮だった。
「俺の名前は、劉鳳…です」
 名乗れば水守は微笑む。劉鳳はその表情にはっとする。
「敬語はいいです。素のままで話をしましょう」
「…ああ」
 劉鳳は何時の間にか彼女に対する警戒心を解いていた。この少女は嘘を吐いていない、と劉鳳は思った。何故初対面の人間にここまで心を許しているのか自分でも解かり兼ねたが、たぶん一つは彼女のその言葉の率直さの所為だろうと思う。
「しかし、如何して俺と?」
「…貴方が、以前戦ったHOLY隊員は私の幼馴染なの」
「君の?」
「ええ。その時のことは今でも憶えているわ。貴方が彼を倒した瞬間も。でも、私は貴方を憎んでいるわけじゃないの、ただ、私が聞きたいのは貴方がHOLDの事をどう思っているかということ。如何して貴方なのかと聞かれれば、それは私が市外の人で顔を知っているのは貴方だけだったから。そんな単純なことよ」
 水守は用件も織り交ぜて言う。信頼できる人だと思った。きっと、正直に答えてくれるだろうと。
「HOLDの事を…というのは具体的にどういうことだ?君はHOLDの人間だろう?」
「ええ、そうよ。だから客観的な意見を聞きたいの。私は…本土から来たから、まだ此処の事に詳しくはないわ。まだHOLDに来てからも日は浅いし、知っている事も少ないと思う。だから、本土の人間としての思考で言えば、HOLDの今の体制に疑問を持っているわ」
「本土の…」
「知りたいんです、インナーの人がHOLDの事をどう思っているのか…」
 有りのままを…自分の有りのままの心を彼女は言っている。劉鳳も、それに答えたいと思った。彼女が知りたいと思う事に、自分が何か協力できるのなら。
「俺は、HOLDのやり方は納得できないでいる。アルター能力者を捕らえて、言う事を聞かないものは本土に強制連行する。今此処で生きているアルター能力者は自分の意思をもって行動している。それを無闇に捕らえて行くのは気に入らない」
「アルター犯罪者と呼ばれている人達が実際、どういうことをしているのか、私は知らないんです。貴方なら、何か知っているんじゃないですか?」
「俺も詳しい事は知らない。HOLYはアルター能力者の諍いの時や、徒党を組んでいる人間を集中的に狙っているようだが…」
「そうですか…」
 水守は考え込む。HOLYのしていることは正しいのだろうか?水守にはどうしてもそうは思えなかった。
 この人は、だからこそHOLYのやり方に反発しているのではないのだろうか?
「水守!!」
 水守は名前を呼ばれてはっと振り返る。
「こんなとこで何してんだよ!」
「カズマ…」
 カズマはズカズカと水守に近づいてくる。凄く怒っているのが解かる。やはりカズマにまで何も言わずに出てきたのは拙かっただろうか。
 そして、カズマはふっと視線をずらし、劉鳳を睨みつける。
「しかも、こんな奴と一緒に。何かされたんじゃねぇのか?」
「カズマッ!劉鳳さんは絡まれてる私を助けてくれたのよっ!!」
 水守が劉鳳を庇うように言うのでカズマは気に入らない。
「こんな奴庇うってのか?」
「事実だから言ってるのよ!」
「コレが君の幼馴染だと言うのか?」
 劉鳳は溜息を吐きながら言う。
「なんだと!?」
「すぐに突っかかってくる。馬鹿のする事だ。育ちと頭のよさは比例しないらしいな」
「言わせておけば!すかしやがって、気にいらねぇんだよ、お前は!!」
「それはこっちの台詞だ。貴様のような人間を見ていると吐き気がする」
 カズマと劉鳳は睨み合う。
 今にも喧嘩を始めてしまいそうな二人に水守は戸惑う。何とかして止めなければ、ただではすまないだろう。
「カズマ、劉鳳さん、やめて!」
「お前は黙ってろ!!」
「君は口出しするなっ!!」
 二人は同時に異口同音を口にする。二人の男に怒鳴られて、水守はびくっとする。そもそもこの二人は相性が悪いのだろうか?水守は似たもの同士だと思うが、それをあえて口にはしない。したらしたで怒るのが目に見えている。
 けれど、この二人が喧嘩を始めるのを黙ってみているわけにもいかない。
「さっさと出せよ、あんたのアルターをよ」
「この前散々負けたくせに、まだ解からないようだな、貴様は…」
「うるせぇよ!!」
「怒鳴ってばかりで五月蝿い奴だ」
「すかしやがって、人のこと見下ろしてんじゃねぇよ!」
 二人の険悪さはピークに達している。どうしたらここまで仲が悪くなれるのか少し疑問ではあるが、この二人にはそういうものは通用しないのだろう。
(劉鳳さんも本能で動く人だったんだわ…)
 水守は少し溜息を吐きたくなった。
 そして、今まさに二人は喧嘩を始めようとする。
 けれど…
「劉鳳く〜ん?こんなとこで何してんの〜」
 気の抜けた声に二人のやる気が一気に削がれる。
「君島…」
 劉鳳は君島を睨みつけるが、本人は全く堪えていないらしい。
 君島は劉鳳に近づき、肩に腕を回す。
「な〜にやってんの?端から見たら女取り合ってもめてる男にしか見えないよ?あ、でもこの姉さん美人だからそれもあるかもねー♪」
「君島っ!!」
 君島の揶揄う一言に劉鳳は真っ赤になる。その様子をみて君島はくっくっと喉を鳴らして笑う。
「お前、一体何がしたいんだ?」
「いやぁ?かなみちゃんが心配してたから迎えに来ただけだぜ、俺は」
「それならそうと早く言え!!」
「八つ当たりはやだなぁ、劉鳳くん」
「君島っ!」
 劉鳳と君島はカズマと水守を無視して二人で口げんかを始める。端から見ていれば本気で喧嘩している訳ではないのは解かるのだが。
「あ、お姉さん、名前なんてーの?美人だよね、俺、こいつのダチで君島っての」
「え…あの…」
 行き成り自分にふられて、水守は戸惑う。
「…お前、すぐに女に声をかける癖をどうにかしろっ!」
「やだなぁ、俺が声かけるのは美人だけだよ〜?」
「てめぇら、勝手にこいつに声かけてんじゃねぇよっ!」
「「妬いてるのか?」」
「違うっ!!」
 文句を言ったカズマは、君島と劉鳳に同時に返されて、真っ赤になって反論する。
「俺はこいつの親からこいつのこと頼まれてんだよ!てめぇらみたいな男に手出されてだまるかっ!」
「カズマ…」
「行くぞ水守っ!!もう勝手に市外に出んなよ!?」
「えっ、ちょっと…っ!」
 水守はカズマに手を引っ張られて慌ててついていく。
 劉鳳と君島はそれを見つめる。
「振られたね」
「どういう意味だ!?」
「そのまんまの意味〜♪」
「貴様はっ、どうしてそう人を揶揄うような事ばかり…っ!!」
「からかってんだもん」
「君島っ!!」
 あははは〜と笑いながら、君島は歩き出す。その先には車が置いてある。
「行こうぜ、送ってくからさ」
 劉鳳は溜息を吐いて助手席に乗り込む。どうにも君島には乗せられやすくて困る。
「それにしても、本当に美人だったなぁ、ナイトがついてたけど」
「……」
 君島の呟きに劉鳳は答えない。そして、その劉鳳の反応を君島は声を抑えて笑うのだった。


「心配しましたよ、みのりさ〜ん」
「水守です」
 HOLY本部に帰り着けば、早速水守はジグマール隊長のお説教を食らう事になった。勝手な行動は慎めと、また言われたのだ。
 そして、憂鬱なままラウンジに出れば、そこにはクーガーが居て、今の会話につながる訳だ。
「いやいや、すみません。それにしても、本当に無事で良かったですよ。何事もないのが何よりです。市外は危険がいっぱいありますからね、柄の悪い連中もたくさん居る。一人では外に出ない事です」
「…すみません」
「まぁまぁ。一度の過ちは許されるものです。さぁ、お座りになって」
 水守は溜息を吐き、クーガーの進められるままに座る。もちろん、クーガーの示した隣の席ではなく、向かい側の席に。
「それで、どうしてまた市外に出ようと?」
「それは…」
 すぱっと用件を切り出したクーガーに、水守は言い淀む。その水守の様子を見て、クーガーはにっと笑う。
「言いたくないのなら問い詰めませんよ。さて、それでは俺はこれで失礼します」
 そう言って、さっと立ち上がり去っていく。
 なんともさっぱりした人だとは思う。大人で不思議な雰囲気を持った人だ。いつも余裕がある。
 あの人は、HOLYの事をどう思っているのだろう。HOLYに馴染んでいるようで、それでいて染まっていないあの人は。
 水守は今日の事を思い出す。今日逢った劉鳳のことを。
 緑がかった黒髪に、紅玉の瞳。冷たい雰囲気を放つ外見とは裏腹に、とても優しい人だった。優しく、紳士で、それでいて熱い人だ。今日、市外に出て何か価値があっただろうか?あった様な気がする。それが何かははっきりとまだ掴めないが、それでも、彼に逢って、また前に進めそうな気がする。それだけは間違いない事実だろう。やはり、HOLYのことをもっと詳しく知る必要がある。
 きっと、これからまた自分は色々なことをしでかすだろう。自覚はある。
 けれど、きっとカズマはそんな自分を見捨てないだろうし、そしてまた、劉鳳という名前の少年にも会えそうな気がする。否、また会いたいと思った。
 水守は、本土よりいくらか近い、ロストグラウンドの夜空の星を見上げた。


「君島さん、劉くんどうしたんですか?」
 帰ってきた劉鳳を見て、かなみが心配そうに言う。帰ってきたときはいつも優しく声を掛けてきてくれるのに、今日は何処かぼーっとした表情で、様子がおかしい。
「いやいや、心配するほどのことじゃないよ、かなみちゃん。気になる人と気に入らない奴が同時に現れて混乱してるだけだから♪」
「はぁ?」
「君島っ、かなみに余計な事を言うなっ!」
「ふっふ〜ん、図星でしょ〜?」
「君島っ!!」
 自分を揶揄って楽しんでいるのは解かる。解かるがそれでもそれを無視できない自分が情けない。
 劉鳳は思わず頭を抱える。
「劉くん、大丈夫?お茶もってこようか?」
「かなみ…ありがとう、大丈夫だから」
 劉鳳はかなみに微笑む。それから、君島を見て言う。
「君島、何時まで居る気だ?さっさと帰れ」
「うっわ、冷てぇ。ひど〜」
「五月蝿い、さっさと帰れ」
 文句を言う君島に劉鳳は言う。
「んじゃ、また来るぜ、劉鳳」
 文句を言う割りに君島はあっさりと帰っていく。劉鳳は溜息を吐いた。
 今日はまた色んなことがあった。良い事なのか悪い事なのかは判断つきかねるが。
 あの、水守という少女と会ったのは、悪い事ではないような気がする。
 一番最初に思い出すのは、強く真っ直ぐとした瞳。そして、艶めく黒髪。不思議と女々しい感じがしない少女だった。
 本土の人間だと言っていた。そして、あの男の幼馴染だと。今思い出すだけでもあの男は腹が立つ。どうも生理的に気に入らない種類の人間だ。どういう関係の知り合いか知らないが、彼女の言動を見ていれば、裕福な家の育ちなのだろう。そうなると、幼馴染のあの「カズマ」という名の男もそれ相応の身分なのではないだろうか。とてもそうは見えないが。
 初対面の人間にあれだけ心を許したのは初めてかもしれない。
 それほどまでにインナーでの生活は厳しく辛い。騙し、騙され、それでも人々の優しさもまたあって、そんな生活が劉鳳は嫌いではなかった。HOLYに入る人間がどういうつもりかは知らないが、自分は今のままでいいと思っている。
 けれど、ああいう少女に逢うと、また新鮮な気持ちになる。
 また、逢いたいと思った。
 また、逢える事を願った。
 次に逢えば、きっと何かを理解できるような気がした―――…。



 リンリンリン…
 鈴が鳴る
 リンリンリンリン…
 鳴り止むことのない鈴の音
 それは命が吹きかける吐息で揺れる鈴
 リンリンリン…
 誰かと誰かが何処かで出会う
 誰かの鈴と誰かの鈴の音が重なる
 リンリンリンリン
 リンリンリンリン
 やっと近づいてきたその音が本当に重なるのは何時だろう
 ずっとずっと傍に居て、離れないで居るのは何時だろう
 もっともっと
 近くなるのは何時だろう?



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