星のある夜



―――見て、こんなにも星が近い。
   今にも手が届きそう…。

―――この水晶、私にプレゼントしてくださらない?


 ふと、目を覚ますとまだ夜明け前だ。
 最近何度も夢に見る、彼女との思い出。彼女がHOLYに来てからだ。
 忘れたと思っていた、忘れようとしていた幸せな記憶を彼女が穿り出していく。
 今、彼女に会って何になるというのだろう。何も知らない彼女、一番必要な時には傍に居なくて、居て欲しくない時に、やってくる。
 なんて、タイミングの悪い女性なのだろう。
 過去など、捨てたと思っていたのに、彼女がそうでないことを知らしめてくる。


 もう眠れそうに無いと思い、劉鳳はベッドから起き上がり、シャワールームへと歩く。
 きゅっと蛇口を捻ると、冷たい水がざぁっと流れ、全身を濡らす。
 頭を冷やさなければ。
 そう、幸せな思い出など、辛いだけだ。捨てなければ、自分の目的のために。なんとしても…。
何分、そうやってしていただろうか。
 身体はすっかり冷えている。しかし、頭の芯は熱いままだ。
 ここ数日のことを思い出す。カズマと言う名の男。何もかもが、様変わりする。
 今まで築いてきた世界が一変する。水守と、カズマ…。二人がやってきてから、何かが動き出した。
 劉鳳は頭を振り、そのままシャワールームを出る。
 服を着たままシャワーを浴びていたので、変えなければいけないと思い、タオルを手に取ると、ふっと、部屋の外に人の気配を感じた。
 劉鳳は濡れた服をさっと着替えて、けれど髪は拭かないまま、部屋の扉を開ける。
 よく知る、変わらない女性。
 扉を開けた瞬間、はっと驚いたような顔でこちらを見る。
「何か用ですか、桐生さん」
 声をかけると、少し逡巡した後、真っ直ぐこちらを見る。その瞳も変わらないままだ。
「あの、謝ろうと思って…貴方のお母様のことを聞いて。ごめんなさい。何も知らないで、勝手なことを言って」
 真っ直ぐな瞳。素直な言葉。
 何故、彼女はここまで変わらないで居られるのだろう。
「こんなところで立ち話も何ですから、とりあえず中に入ってください」
 回りを伺いながら劉鳳は言う。こんなところを誰かに見られたら変な噂も立ちかねないからだ。
 しかし、この時間だと誰も起きてはいないようだ。
 彼女は大人しく部屋の中に入ってくる。
 男の部屋に入ってくるなんて無用心だな、と思うが、自分もどうこうするつもりは全く無い。問題ないだろう。
「シャワー、浴びてたの?髪が濡れてるわ。こんな時期にこのままだと風邪をひいてしまうかも…」
 そう言って彼女が劉鳳の髪に触れようとするのを劉鳳は彼女の腕を掴んで止める。
「気にしないで下さい。こんなことで風邪をひくほどやわではありませんから」
「腕…すごく冷たいわ。水を浴びてたの?いくら鍛えていても、やっぱりこれじゃぁ…」
「貴女が気にすることではありません」
 劉鳳は冷たく言い放つが、彼女はめげない。
「いいえ、気にするわ。それに、二人のときは敬語も止めて。いいでしょう?それぐらい。過去を捨てたなんて嘘。本当は全部覚えているんでしょう?お母様のことも、全て…だから辛くて、忘れたフリをしようとしているのよ」
「君に、何が解かる?俺の気持ちなど、君に解かる筈がないだろう」
「解からなくても、理解しようとすることは出来るわ。貴方が話してくれたら、私はそれを必死で理解しようとする。それが一番大事なことなんじゃないの?私は、貴方のことを解かりたいと思うの、だから…」
 言い募る彼女をどうにかして交わそうとするが、言葉がなかなか出てこない。
 何を言えば良いだろう、彼女に。何を言えば、彼女は諦めて本土に帰ってくれる?
「俺は、理解されようとは思わない。君が何を言おうと俺は…」
 言いかけたところで彼女はそっと劉鳳を抱きしめてくる。
「こんなに冷たい。冷え切ってしまっているわ。それでも、貴方の心は熱いのね、六年前から、傷ついたものが絶えず燃え続けてる…」
 劉鳳は、何故か押しのけることも出来ず、そのままにしていた。
 何故、突き放すことが出来ないのだろう。突き放せば良いのに、そうすれば、彼女も諦めるかもしれないのに。
 違う。
 自分が諦めたくないのだ。彼女を、失いたくないと心の何処かで思っている。
「貴方は傷ついたまま…。でも、六年も経ったのよ。少しは癒されても良い筈だわ。傷ついたままでは前に進めないのよ、劉鳳」
「……水守、俺に癒される権利などないんだ。そんなもの、ありはしない」
 劉鳳がそう言ったことで、彼女はそっと身を離す。そして、劉鳳を見上げて言う。
「癒されるのに、権利なんて必要ないわ。必要なのは、癒されて欲しいと思っている人が居るかどうか。私は思ってるわ、貴方のお父様も。貴方を好きな、他のいろんな人も…」
「もし、そうだとしても、まだダメだ。俺は、まだ何もしていない。何もしないうちから癒されることなどは出来ない」
 彼女の素直な言葉は、どうしてこんなにも己の心の中にすんなり入り込んでくるのだろう。
 今まで作っていた壁も、彼女の言葉には何の意味もなさなくなる。
「じゃぁ、今だけでも安らいで良い筈だわ」
「安らぐ?俺に、そんな事ができるのか…?」
「できるわ。そして、その権利もある」
 彼女は微笑む。優しく。
 劉鳳はそっと彼女を抱きしめた。彼女は何も言わず、そのままでいる。
 暖かい。冷えた身体に、彼女のぬくもりが伝わってくる。
「劉鳳、夜が明けるわ。ほら、窓の外」
 彼女が言い、劉鳳もそちらに視線を移す。
 カーテンの向こうから薄明かりが差してきている。
「残念。結局この部屋から星が見えなかったわ。この部屋は、星がよく見えそうなのに…」
「何処でも変わらないだろう」
「変わるわよ。貴方が居る場所と居ない場所では全然違うわ」
 彼女のふざけたような物言いに、劉鳳は苦笑するしかない。
「そろそろ自分の部屋に戻ったほうがいい。部屋にいるところを誰かに見られたら何を言われるか解からないからな」
「あら、私は貴方と噂になるんなら、別に構わないわ」
「そういう訳にもいかない。それに、俺は君を本土に帰すことをまだ諦めたわけじゃない」
 劉鳳がそれを言うと、彼女はさっと真剣な顔に変わる。
「それじゃぁ、勝負ね。貴方が私を本土に帰すことが出来るか、それとも私が此処に居座り続けることが出来るか」
 彼女は挑戦的な目で劉鳳に言い、部屋を出て行く。
「それじゃぁ、また後で」
「ああ」
 水守が部屋を出て行くと、急に室内の温度が下がったような気がした。
 癒されてもいいというのか、この自分が。
 母を、愛犬を助けることも出来ずに、己の身だけを守ることしか出来ずに、何も出来ずにいた自分が。
 それなら、過去を清算しなければならない。復讐を。それが出来るまで、きっと自分が癒されることは無いのだろう。
 でも安らぎを。
 それぐらいなら良いのだろうかと思う。そう、それぐらいなら。
 全てが終わったら…。
 そう、この部屋で彼女と一緒に星を見よう。忘れない、忘れることの出来ない、思い出の一つとして。
 それが出来たら、きっと自分も癒されることが出来るのだ。
 安らぐことなど、いくらでも出来る。
 彼女が傍に居さえすれば。けれど、彼女を此処に留めるわけにはいかないのだ。

 綺麗な朝焼けを見ながら、劉鳳はHOLYの制服に身を包んだ。
 肌に残る温もりが消えないように。
 今日一日だけなら、いいのかもしれない。今日、一日だけなら……。


Fin





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