澤村様
「――なんだ、飛び降りる気か?」 気付けなかった。 背後から自分の腰へと回される腕に、瀬那は小さく息を飲む。 相馬真伍の囲われ者となって、幾月――。 相馬のマンションに共に暮らすようになってから……規制はされていないが、外に出る事も少なくなった日々。 其れでも時折風を感じたくて……ベランダへと素足で降りたのが、つい先刻。 放した筈のピピに似た鳥を見つけ、視線で追う内に……相馬の戻る時間をすっかり失念していたらしい。 「……相馬さん。お帰り、なさい」 「俺の居ぬ間に飛び立とうとしていたのか? 生憎だったな、逃げられずに」 「いえ、そういう訳では……」 「フン。そうか? 身を乗り出してたから、てっきりそうだと思ったぜ」 可笑しげにクツクツと喉を震わせながら、相馬は瀬那の腰に回した手を、シャツの合わせ目から素肌へとずらした。 滑らかな肌を愉しむような其の手の動きに、瀬那は羞恥に視線を伏せながら何とか声を絞り出す。 「あ、の……中へ、入りませんか?」 「ぁ?」 ピピに見間違えた鳥は、とっくに視界から消えていた。 そして、現在――契約上、自分の絶対的存在である相馬の帰宅。 もう此処に居る必要はない。 この広く開けたベランダでは何かあった時に身を隠しにくいし、常に対抗勢力に身を狙われている相馬を、ボディガードの立場上……危険に晒せる筈もない。 そう考えての提案だったが、本当は――このまま外で事に及ばれるのを防ぎたかったからなのかもしれない。 相馬と此処で……穢れなき翔と櫂に遠く繋がる空の下、相馬に抱かれて善がる、淫らな自分を晒したくなかったのかもしれない。 最もな理由を思い浮かべながらも、瀬那は心の奥底……隠しようもない自分の本音に、苦笑を洩らす。 「――いいだろう。来い」 しかし自分の願いなど聞き入れてはくれないだろう、と半分以上諦めていた瀬那は、意外な其の言葉に瞳を瞬いた。 相馬のイロ兼ボディガードとなってから、1日と置かず抱かれてきた、瀬那。 どんなに泣いて懇願しても、自分が満足するまで離そうとしなかった、相馬。 だから今回も聞き入られるとは思っていなかった提案があっさりと承諾され……瀬那は思わぬ事態に背後の相馬を見上げる。 「相馬さん……今日、何かいい事でも……あったんですか?」 「何故だ?」 「いえ、あの……まさか聞いて頂けるとは、思っていなくて……」 「何言ってる。俺は何時もお前の意見を尊重してやってるだろうが。ほら、中に入れ。早くしねぇと、気が変わるぞ」 「は、はい!」 半分脅されるように急かされ、瀬那は慌ててベランダから室内へと飛び込んだ。 続いて相馬も室内へと戻り、ベランダの戸を閉める音が続く。 だが背後を振り返ろうとする行為は許されずに……瀬那はまた、背後から相馬の胸の中へと抱き締められた。 「そ、相馬さん……」 「ぁ?」 しかし其の抱き方に何処となく感じた、常とは違う違和感。 瀬那は唇を舌で軽く湿らせてから、背後の相馬を見上げた。 抱き締められた体勢。背丈の違う相馬を見上げるのは窮屈だが、顔を近付ける相馬に、瀬那は囁く。 「今日は、その……」 「何だ?」 歯切れの悪い物言いに動きを止め、相馬は怪訝そうに眉を寄せる。 身に着けていた相馬のシャツの上……無遠慮に這いずる手を、浅い息を零しながら瀬那は軽く抑えた。 「あの、今日は……少し、調子が悪くて」 「…………」 皆まで言わずに視線を伏せる。暫しの沈黙。 そして――。 「……チッ!」 ――解放。 舌打ちが洩れたものの、あっさりと解放された事に対し瀬那は再び驚く事となった。やはり、相馬の様子が普段とは違う。 「あの、相馬……さん?」 「他にどんな我侭を言うつもりだ、瀬那。言ってみろ、聞くだけは聞いてやる」 「どう、して……?」 緩く結わえるのみだったネクタイを解くと、相馬は苛立ちを紛らわす様に荒い仕草で煙草を咥えた。 フィルターに歯を立てながらジッポの火を近付けると、直ぐに息を吸い込む短い音が続き、煙が部屋へと立ち昇る。 どかり、と豪奢なソファに合わない粗暴な仕草で腰を下ろす相馬に、僅かに肌蹴られたシャツを合わせつつ、瀬那は視線のみで問うた。 「今日は誕生日だろうが」 「え。私、の……?」 「何だ、お前自分の誕生日も忘れてやがるのか?」 「……忘れていました。ここ数年、自分の生まれを祝う気なんて起きなかった物ですから。ですが、相馬さんこそ。何故、私の誕生日なんて……?」 本当に忘れていた。 ロベール殿下や真理さん、翔,櫂と共に暮らしていた時は、真理さんがちらしずしを作ってくれて……暖かい祝福を受けた事は憶えている。 だけど、あの日から――。 私は、自分の生まれさえも呪った。 誕生日など、ただの4桁の数字としか認識していなかった。 祝う余裕もなかった、のに。 「お前の事なら何でも知っている」 「――え……?」 「調べさせた。お前をみどりの所で見掛けた時に」 「しら、べた」 「俺の物にしようとして、な。だが、うちの情報網をもってしても全ては調べ切れなかった。瀬那、お前一体何モンだ?」 「それ、は……」 迂闊だった。 独占欲の強い相馬の事だ、自分の何から何まで調べ上げる事は、幾らでも予測できた筈だ。 孤児院に居る翔と櫂の情報までにはまだ行き着いていないみたいだが、相馬が本気を出せば、あの2人の事を知る日もそう遅くはないだろう。 今の今まで其の可能性を思い浮かべずに此のマンションでぼんやりと過ごしてきた日々を、悔やんだ。 「――まぁいい。あの時はみどりが煩かったから、何もしなかったがな。だからお前の生まれた日なんぞガラにもなく知ってる。今日くらいは、言及せずにいてやるさ」 「相馬、さん」 「なんだ?」 「誕生日を、祝ってくださるのなら……誕生日プレゼントを、頂いても構わないでしょうか?」 「……何が欲しい」 ――自由を。 そう願いを紡ごうとする自分の唇を、瀬那は強い力で噛み締めた。 今更自由を願ったとしても、自分に何処か帰る場所があると言うのか。 翔と櫂はまだ幼い。 この地球で、自分を生まれ故郷のウィンフィールドへと戻してくれる存在など、何処にも居やしないのだ。 此のまま自分は……相馬の許、翔と櫂を遠くから見守るしか先がない。 「――ないで、ください……」 「ぁ?」 ならば、願う事はたった1つ。 ――彼等の自由を。 瀬那は震える喉を叱咤し、掠れる声を振り絞る。 「私の事は……もう、調べないで、ください……」 「――なに?」 「それが、願いです。調べずとも、貴方は既に私の全てを手に入れています」 「……全て、だと?」 相馬は、ソファの背凭れに頭を預けると、ハ。と皮肉気に乾いた笑いを洩らした。 合わせて、咥えていた煙草を揺らす。 長くなった灰が、柔らかな絨毯を敷き詰めた床へゆっくりと落ちていく。 「いいだろう。その願い、叶えてやる。――こっちへ来い」 「……はい」 ソファに座る相馬に近付くと、腕を乱暴に引かれ――自然、相馬へと跨る格好となる。視点の違いで何時もとは違う貌を見せる相馬を、瀬那は間近に見下ろした。 「其の言葉、もう取り消しは効かねぇぞ」 「……解って、ます」 「成る程。じゃあ、俺が今望んでいる事も解るな?」 「はい」 相馬の首に腕を絡めると、相馬は口端を緩く引きながら咥えていた煙草を外し、傍の灰皿に申し訳程度に押し付ける。 「俺がお前の全てを既に手に入れていると言うのならな、瀬那。……解っているな? お前の心も、俺の物だ」 「……はい」 何処かで聴いた事のある鳥の声が、遠く、聴こえた気がした。 シリアスで切なく、何処と無く瀬那を見透かしているような相馬さんが格好良いです。 独占欲強いところがまた良いですね。 |