休日の朝


ささこ様


 ジリリリ……
 目覚まし時計の音が響く。店で1番大きな音のを選んだかいがあって、どんなに眠くともこの半年、起きられなかった事は一度もない。翔もセナも最初の『ジ…』が聞こえるや否や目が覚めて、2人同時に手が伸びる。時計の上で手が触れ合って、どちらかともなくクスクスと笑みがこぼれた。
「おはよう、セナ」
「おはようございます、翔」
「ごめん。俺、寝ぼけてて仕掛けちゃったみたいだ」
 今日は祭日、2人とも仕事は休みだ。もっとゆっくり寝ているつもりで遅くまで起きていたというのに……。翔は、せっかくの休日を自分のポカで台無しにしてしまったと心から申し訳なく思い、セナはそんな翔を慰めるように重ねられたままの手を優しく撫でた。
「仕掛けたのではなく、触ってしまっただけかもしれませんよ」
「あー、かも。夕べはその……夢中だったし」
 別の意味も込めて謝ると、セナは笑って長い指を翔の指に絡ませた。
「いいんですよ。私も気がつきませんでしたし、同罪です」
 そんな事ない気もする……けど、むきになって違うと否定するのも変だよな。そう思い返して翔は話題を変えた。
「このまま起きる? お詫びに朝食は俺が作るよ」
「いいえ。……出来るならもう少し、このまま君と朝のまどろみを楽しみたいのですが……」
 言いながら、優しく絡めとったてのひらをそっと自分の口元へと運ぶ。
「いいですか?」
 セナの唇と熱い息を感じながら、翔は愛しい恋人の仕草に目を細めた。
「もちろん、いいに決まってるだろ。……セナ」
 囁くような甘い声に、セナは幸せそうにゆっくりと翔の指先に口付けていく。
「そんな顔されると自分の手なのに妬けちゃうな」
「そうですか?」
「そうだよ。第一、竹刀だこばかりでごつごつしてるし可愛げのない手だろ?」
「そんな事ありませんよ。私は好きです」
「俺はセナの手が好きだ。セナの手はしなやかで気持ちいいよな……って、触って気持ちいいのは指だけじゃないけどさ」
 そう言うと翔はセナの懐に頭を押し付けた。
 セナを抱き締めるのは大好きだけど、こうやってただくっついているのも大好きだ。
 いつもと逆の翔の行動に、だがセナは何も言わずに微笑んで柔らかく翔を抱き締める。それだけで2人とも幸せだった。そして幸せな時間はゆったりと続いていくはずだった。
 しかし。ふいに訪れた幸せな時間は、同じ様にまた容赦ない音によって破られた。今度は玄関のベルの音で。
「何だろう。こんな時間に? ……あ、俺が出るよ。セナは寝てて」
「…………っ、翔!」
 起き上がりかけたセナを半ば強引に布団に沈めて、翔は不満そうな声を上げるセナに笑顔でウインクを返した。
 パジャマのままでひらりと布団を飛び越えていく翔に、セナは苦笑しながら視線を送る。が、幸せそうなセナの笑顔は翔の対応を待ちきれずに再び鳴らされたベルと訪問者の翔を呼ぶ声の前に消えていった。
 もしかして……。
 心当たりはある。それは本来なら喜ばしいことなのだが、心境は複雑だった。先程まで翔の息吹を感じていた胸元に手をやると、セナはため息をひとつついた。
 一方翔はあんまり慌てていたのであちこちに足の指や肩や頭をぶつけながら、遠くもない玄関にようやくたどり着いた。そのせいで自分を呼ぶ声の正体にたいして気にも留めずに、返事だけ元気に返して扉を開けてしまったものだから、目の前に立っている見慣れた子供たちの姿に心底から驚いてしまった。
 そして大口をあんぐりと開けて立ち尽くしたその姿は、ちょっとした冒険の果てに担任教師の家にたどり着いた子供たちを大いに満足させた。
「お前……たち……!」
「えへへ〜。来ちゃった」
「羽村先生こんにちは〜」
 満面の笑みを浮かべ主犯らしき子供2人が翔に挨拶をし、他の生徒もそれに続く。
「いきなり……どうしたんだ?」
「遊びに来たんです」
「ちょっと待てよ。お前たち、いきなりやってきて、先生が留守だったらどーするつもりだったんだ?」
「その時はその時!」
「ってお前らなー」
「ウソウソ。みんなで市営動物園に行こうって。その途中で先生の家に行ってみようって」
「なんだ、ついでか」
「えへへ」
「お父さんお母さんにはちゃんと許可もらってるか?」
「はーい」
 電車でふた駅先のキリンがメインのミニ動物園か。あそこなら行き道も危なくないし、確かに親も子供だけで行くのを了承するかな。皆が水筒持参なのは察するに動物園の中でお弁当を広げる計画なのか? 今時貴重な子供らしい計画に感激し、翔は大きく両腕を広げて5人の子供たちを抱き寄せた。
「そっかー。よく先生のうちにたどりついたな。びっくりしたぞ」
「………羽村先生、まだ寝てたの?」
 くすくすと笑われて初めて翔は自分の格好に気がついた。休日に、まだ寝ていたと後ろ指を差される時間ではないと思うが、元気のいい子供たちの行動力からすると、確かに信じられないくらい寝ぼすけなのだろう。
「悪いか。毎日お前らと付き合って、先生はとーっても疲れてるんだよ。休みの日くらい好きなだけ寝させてくれ」
 そう答えながら、今の状況に内心汗を掻く。ただここで子供達を追い返すわけにはいかないよなと、翔は腹を括った。
「ちょっとだけ、上がっていくか?」
「やったー」
「着替えるから、ちょっと待っててくれよな」
「はーい!」
「あ! 静かにしてるんだぞ」
 いったん閉じかけた扉をもう一度開けて念押しする。が、この年頃の子供たちに、この言葉がどれだけ持つか。翔は急いでセナの待つ寝室に取って返した。
「セナ、悪いけど……!?」
 だが部屋にいるはずのセナの姿はなく、敷きっぱなしになっていた布団も綺麗に片づいていた。
「セナ?」
 ワープゾーンを開ける訳でもないセナが消えるはずがない。隣の部屋だ。そう思って襖を開けようとして、戸口でセナと鉢合わせた。
「さあ、早く。着替えるのでしょう?」
「セナ?」
「急いで」
「う、うん」
 何故か事情を分かってそうなセナに首を捻りつつ、とにかく着替えをする。
「私はしばらく外に出てきますね」
 髪だけは手グシだがしっかりと水落先生になったセナは財布をチラリと翔に見せ、
「2時間くらいピピと公園をぶらついてきます。朝兼用のお昼を何か買ってきますよ」
 そう言い残し部屋を出ていく。
「廊下では迷惑になりますから、生徒さんたちには入って貰いますね」
「あー、もうちょっと待って!!」
 慌ててパジャマを押入れにぶち込んで翔はセナの後を追い、横をすり抜けて洗面所に飛び込んだ。
 顔を洗いながら音でセナを追うと、セナが玄関の扉を開けた途端、翔を待ちきれずにキャーキャーと騒がしくなっていた子供たちの声がピタリと止む。
「こんにちは。どうぞ中に、入っていいですよ」
 優しいセナの声が聞こえ、突然現れたセナに驚いて子供たちが固まったのだと想像がついた。そうしてセナの足音が遠ざかり、おそらくエレベーターホールに消えるまでセナを見送ってからだろう、再び上がった子供たちの声が一段と大きく響き渡る。
「うそー! カッコいいー!!」
「誰なんだろー、あの人!?」
 女子が興奮を押さえきれずに騒ぐ声に何となく優越感を抱きながら、翔は玄関に顔を出し子供たちを呼んだ。
「さ、入れよ。もうちょっと静かにな」
「はーい!」
 きちんと靴を揃え、子供達は物めずらしそうにあちこち覗きながら翔についてくる。
「意外に綺麗」
「結構広ーい」
「羽村先生、こっちの部屋は?」
 と、生徒の一人が確信犯的に質問してきた。
「ああ、そこは先生の同居人の部屋だから、勝手に入るなよー」
「同居人!」
 どよどよっと空気がうねる。しまった、と思った時はもう遅かった。
 学校関係者にはそうしておこうかと決めていた言葉がつい口から出てしまった。相手が生徒たちなのだから、ここは兄でよかったのに……。
 だが同居人と他人行儀な表現を使ってしまったら、今さら兄に格上げは出来ない。
 明日学校でしぼられるかな? まさか小学生の教え子たちには本当のことは言えないし……と、翔はこっそりため息をついた。
「さ、好きに座れ」
 食堂兼の居間に通したが、やはり子供たちにはまず翔の部屋が気になるらしく、
「こっちは羽村先生の部屋? 開けていいよね」
 と、返事も聞かずに襖を開ける。
 セナ! 布団をたたんでくれてありがとう!!
 閉めておけばいいだろうと甘く考えていた自分を深く反省しつつ、翔は動物の調教師さながらに、生徒たちを居間に誘導する。二組並べられた布団を見られたら、いくら小学生相手でもどんな言い訳も通じないだろう。恋人だとは思われなくても、いい大人が寝室を一緒にして枕を並べていると、学校中の噂になってしまうところだった。そんな事になったら教師仲間に一人ずつ言い訳する羽目になる。背中に汗を掻きつつ、何でもない顔で翔は子供たちに応対する。
 そういえば、一緒に住もうと言った時めずらしくセナは反対したよな。俺は大学を出たら絶対一緒に住みたかったから、セナの言葉はかなりショックで、俺と違ってセナは一緒に住みたくないんだとがっかりしていたら、それに気付いたセナがあわてて否定してくれて同居にも同意してくれたけど。部屋だけはそれぞれ持とうと、部屋数だけは絶対譲らなかった。そんな風に自分の意見を通そうとするセナがめずらしくて記憶に残ったけど、もしかして。こんな事があるってわかっていたのかも……?
「ねえ先生さっきの、先生の同居人の人、何ていう名前なんですか? 何をしている人? どうして羽村先生と同居してるんですかー??」
 明日までも待てなかったかと苦笑しながら、翔はあきらかにセナのカッコよさに夢中になってそうな女子の頭を軽く小突く。
「コラ、先生のファンクラブを作るとかいってたくせに、もう目移りしてんのか?」
「だってあの人カッコいーもん」
「そうそう、先生とは違った都会の大人の魅力って感じでー」
「どーせ先生は田舎者だよー」
 小突いた握りこぶしをぐりぐりと頭に埋め込むフリをすると子供達はきゃっきゃと笑う。
「一休みして元気になったみたいだな。そろそろ動物園に出発したらどうだ?」
 頃合とみて促すと、文句を言いながらもそれじゃ行こうかという空気になった。
「忘れ物するなよー」
 とりあえずセナの話題も立ち消えてホッとしながら翔も出かけるつもりで戸締りをする。
「ねー、先生も一緒に動物園行こうよー」
「ダメダメ、先生も行ったら冒険にならないだろー? それとも心細くなったか?」
「そんな事ないよー」
 可愛い教え子たちをわさわさと引き連れ、翔はマンションを後にした。



 駅とは反対側にある公園は祭日にもかかわらず人影もなく静かだった。この辺は子供の少ない地域らしい。セナはパン屋でアンパン四つ、クリームパン三つ、コロッケパン五つ、焼きそばパン五つを買うと、ベンチに腰を下ろしてぼんやりと遠くを眺めていた。
「……嬉しそうでしたね、羽村先生は……」
 翔に教職はあっていると思う。自分を暗闇から救ってくれたように子供たちを正しく導く灯台になれる人間だと思うから。だから翔が自分と一緒に働きたいと教師を目指すと言ってくれて、とても嬉しかった。
 だが、遊星学園の教壇に立つ翔の姿を想像すると、翔の将来をそこまで自分に添わせていいのだろうかと不安も感じた。
 翔が途中で進路の修正を図り、小学生を教えたいんだと、おずおずと進路変更の報告をしてきた時、セナには子供たち相手に生き生きと授業をする翔の姿がすぐに目に浮かんで、心の底から翔の決断を喜んだものだ。
 ただ教師仲間や生徒たちから色々と一般知識を蓄積していく過程で、小学校の教師は休みの日にも生徒が押しかけてきたり色々大変だと聞いていたから。
 一緒に住もうと言われた時には、そんなところまで気を回し危うく翔を悲しませるところだった。何もかも全てを翔と分け合いながら生きたいと思っているセナが別々の部屋を要求したのも、そんな場合を考えてだ。
 それでも愛する翔を羽村先生などと、よそよそしい芝居をしなければならないこんな日が、これから幾度もあるのだろうなと思うと、ため息がもれてばかりのセナだった。
「ピピ?」
 ふと気付くと自分のひざと肩とベンチの周りを往復していたピピの姿が消えていて、顔を上げるとすぐ目の前に肩にピピを乗せた笑顔の翔が立っていた。
「なーに暗い顔してるんだよ、セナ」
「翔……。すみません、もう生徒さんたちは帰られたのですか?」
「ああ。駅まで送ってきたトコだ。あいつら動物園行く途中で電車を降りてわざわざ寄ってきてくれたんだよ、すごいよな、小学五年生だぜ?」
「よくあるらしいですよ? 翔はしなかったんですか? 先生の家に押しかけた事」
「うん、なかった。羽村のうちに入ってからは剣道一筋だったしな。でもそっか。よくあるんだ、こーいう事って」
「ええ。覚悟しておきましょう」
「大丈夫。あいつらには突然来るなって、必ず先生がいいって言ってからだと約束させたから」
 翔が笑いながらセナに手を伸ばした。
「さ、早く帰ってメシにしよ。それアンパン? クリームパンとコロッケパンと……」
「焼きそばパンもちゃんと買ってありますよ」
セナも笑顔で翔の手をとり立ち上がる。
「セナ」
「羽村先生……。そう、呼ばれてましたね」
 セナの目の前にいる翔は見た目は同じ翔なのに、羽村先生と呼んでも何の違和感も感じない。先生らしい包容力のある笑顔と、実際に頼りがいのある内面と。両方が優しく混ざり合って、今は真っ直ぐセナを見つめている。
「そうだな。他にも翔先生とか、ハムラッチって呼ばれたり…。あとタメ口の奴もいるけど、俺はあんまり気にしないから。ただ他の先生には止めろって教えたよ」
「もうすっかり先生なんですね。羽村先生」
 あまり気にしなくてもいいのかもしれない。翔は翔なのだ。変わるはずがない。当たり前の事に気がついて、いつのまにかセナは再び幸せに包まれている。
「やだなぁ、からかわないでよ、水落先生」
「羽村先生をからかうなんて、とんでもありません」
 翔とセナは並べた肩を時々軽くぶつけ合いながら、我が家につくまで先生ごっこを続けたのだった。



  おわり




 ささこ様のサイトで1500HITを踏んで書いていただきました、翔×瀬那小説です。
 小学校の先生の翔、というのに驚きつつ納得です。
 いい先生であり、いい恋人だなあと思います。



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