他の誰かじゃなくて


近江恵様


ふと、喉の渇きを覚えて瀬那は目が覚めた。
無理もない、ここは機上で、次の目的地への移動の途中なのだ。
機内の明かりは落とされ、狭い通路の隣の客の気配も分からない。瀬那はふと隣を見た。
隣には身動き一つしない恋人、櫂が深い眠りの中にいた。
少しでも動けば隣の自分と当たってしまうような席に座るなんて以前の彼には考えられないことかも しれない。
それでも、この恋人は自分の隣にいる。
もう、数え切れないほど見つめ、心に焼き付いて離れない櫂の顔を改めて見つめる。
どうして自分の隣に彼はいるのだろう。あのままの場所に居ればこんな狭い席ではなく、それこそ 自家用ジェットなどと常人では考えられないようなもので簡単に移動できる場所にいたのに。
そこまで考えて瀬那は自嘲する。
(私が引き摺り下ろしたんでしたね。)

それでは何故、自分は櫂を選んだのだろう。
櫂には双子の兄、翔がいる。双子とは言いながら長く離れて暮らしていたせいか、あまり似ていないと 他人は言うが、生まれた直後から見守り続けていた自分にはよく似ていると微笑ましくなることも多い。
でも、決定的に違うことがある。
翔に持つ感情は常に「弟」であり、それは自分が生きている限り一生変わらないと確信できる。
けれど、櫂には一度もそれを感じたことがない。
むしろ年上の自分が持つにはみっともないと思える程の恋情と劣情、そして愛される喜び。
今まで感じたこともないそれらに翻弄されてしまう。
そして二人の母の真理の存在。翔がどちらかといえば父親似なのに対して櫂は母親の真理に似ている。
最初の頃は櫂もそれを気にしていたようだが、最近それを口にすることもなくなった。
確かに僅かに残っていた彼女の写真を見て似ていると客観的に思うのだが、櫂が信じようが信じまいが 今まで一度も櫂の中に真理の面影を追ったことはない。むしろ最近では真理の面影は櫂がベースに なっている気さえする。
ふと、背筋が寒くなるのを覚える。
先程から身動き一つしない櫂は実は自分が作り出した幻想なのかもしれない。
欲深い自分が身勝手に作り出した幻想・・・怖くなって思わず櫂の頬に手を伸ばす。
「・・・ン、瀬那?」
いつも瀬那ならこんな風に恋人の眠りを妨げることはしない。けれど、今はただそこに確かに存在することを 確認したくて頬に触れる。
「どうしたの?」
覚醒の早い恋人は不振そうに瀬那に顔を向ける。暗がりの中、瀬那の表情を確認すると僅かに眉を ひそめる。
「また、後ろ向きな事考えていたね。」
そういって頬に触れている手首を掴む。少し乱暴な動作だが今の瀬那には安堵を与えてくれる。
「ちゃんと、存在してくれてるんですね。」
ようやく安心した瀬那ななんとか笑おうと努力したが、ただ顔を歪めたようにしか見えなかった。
「貴方って人は本当に・・・」
櫂は溜息をつくとまだ少し不安そうな瀬那の唇にキスを落とす。
「どうやったら、その後ろ向きなところが治るんでしょうね?本当に。・・・」
「すみません・・・」
「はあ、全く・・・それでも、そんな貴方でも僕は好きなんだからもっとタチが悪い。 どんな貴方でも・・・瀬那が瀬那であるから好きなんだろうけど。」
「!」
苦笑しながら櫂は握った手首に優しい力を加え、引き寄せる。
(やはり、櫂は頭がいいのですね。)
素直な感想だった。一般的に勉強が出来るとかそういことではなく、自分の迷いを簡単に晴らしてしまう そのことに素直に感動してしまう。

「愛してあげます。貴方が後ろ向きな事、考えられなくなるくらい。心も、身体も、ね」
耳元で囁かれる言葉に全身が熱くなるのを感じる。
他の誰でもなく、櫂という存在がもたらすこの熱。櫂が櫂であるから愛してる。
一見、単純なこの事がたった一つの絶対的な答え。
「さあ、休みましょう。着いたらまず、たくさん愛してあげますから」
少し意地悪く櫂は言うと自分の毛布を上げ、目を閉じる。それでも片手は瀬那の手をしっかりと握っている。
瀬那は残った片手で毛布を上げると自分にだけ向けられる恋人の優しさに包まれ眠りについた。


END




 近江恵様から相互記念に頂きました、櫂×瀬那小説です。
 後ろ向きな瀬那と、それを拭い去ってしまう櫂の関係が素晴らしいです。
 櫂、男前ですね。



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