流れ行く刻の中で


港瀬つかさ様


 戦いの果てに掴んだモノは、平穏で幸福な日常。





「お疲れですか、陛下?」
「疲れてないとでも思うのか、お前は?バテたぞ、俺は。」
「仕方ありません。仕事が立て込んでいるのですから。」

 サラリと言い切られた言葉に、クリスは眉間に皺を刻んだ。
 本名をクリストファーという若き白い翼の国王陛下は、
 白銀の髪にオッドアイという人目を惹く色彩を持ち、端整な顔立ちをしている。
 その斬新すぎる政治は国民を驚かせながらも喜ばせ、日々その人気は鰻登りという現状である。

 旅から戻りクリスの近衛として仕えるセナは、苦笑しながら主を見る。
 我が儘で自分勝手なところが目立つ時もあるが、
 何をする気もなく日々を過ごしていた人間界時代に比べれば良くなったのだ。
 それを知っているからこそ、今のクリスを見ても彼は微笑むだけなのである。
 もっとも、幼少時からの世話役であるシオンだけは小言を言い続けているのだが。

「つーかさ、何で俺にばかり厄介事が来るわけだ?」
「クリストファー様は国王陛下ですから。」
「好きで継いだ王位じゃねーっつの。いいか、セナ。
 俺は絶対に、近い将来王が白い翼だけだというこの制度を改めるぞ。」
「志を高く持たれるのはご立派です。可能かどうかはさておき。」
「あのなぁ、そうでもしないと俺は、お前がいるのに后を娶れと言われるんだぞ?!」
「クリストファー様はウィンフィールド王国の国王陛下なのですし、それは当然かと。」

 どんな思いを秘めてそういっているのか、クリスには解らない。
 穏やかな微笑みを浮かべて告げるセナの表情は常と同じで、
 その柔らかな声音が耳に心地良いのさえ、いつもと何一つ変わらない。
 だからこそクリスは、微かに苛立ちを覚えてしまう。

 こいつは、いつも俺に不平も不満も見せない。
 延々と溜め続けてきた感想の一つを、クリスは改めて思うのだ。
 不安に思う事はないのかと、顔には出さないようにしながらも思っているのだ。
 セナという男は、自分の中で感情を封じ込めて、消化してしまう。
 荒げた感情を相手にぶつけるという事をしないのだ。

 それは、信頼されていないという事なのだろうか。
 かつてはそんな風に訝しんだ事もあったが、今では違うと知っている。
 セナは、不器用なのだ。
 自分の中に感情を封じて生きてきた所為で、そうなってしまった。
 そうしなければ、幼い子供が一人人間界で生きていけるわけがなかったのだ。
 クリスにシオンの庇護があったような、そんな優しい掌は、セナにはなかったのだから。

 ガシガシと、クリスは髪をかく。
 どうなさいましたかと、穏やかな声と微笑でセナが問いかける。
 その笑みも、その声も、決してクリス只一人に与えられる物ではない。
 不器用な彼は、誰に対しても平等に優しい。
 その優しさが彼の纏う鎧であると気付いた時、
 いつかそれを破がして、セナの傷つきやすい精神を救いたいと願った。

 クリスがセナに抱いたその感情が、初めから恋愛感情であったのかは怪しい。
 当初それは、子供の独占欲にも似たモノだったのかも知れない。
 同じウィンフィールドの人間であるという事もまた、親近感を抱かせた。
 酒を共に飲み、言葉を交わし、そうして、知ったつもりになっていた。
 セナという人間の抱えてきた重さをクリスはまだ、カケラしか知らない。

「セナ、ちょっと来い。」
「はい?」
「いいから、ここまで来い。」

 執務机の向かい側で書類の整理をしていたセナを、クリスは呼んだ。
 傲慢な命令口調は、けれど彼にとっては染みついたモノでしかないらしい。
 けれど不思議と、それが重圧を含むわけでもなく、反発を呼ぶモノでもない。
 天性の王者としての資質を兼ね備えた男なのだと、セナは漠然と思う。
 当人は何処までも否定し続けるのだろうけれど。

 傍らまで歩み寄ってきたセナを見て、クリスは笑う。
 その笑みは、無邪気な子供の笑みのようでありながら、何処か策士めいていた。
 この人は、と一瞬セナが身構える。
 けれど間に合わず、伸ばされた腕に顎を捕らえられて、無造作に唇を重ねられる。
 戯れのように交わす、振れるだけの口付け。
 もう何度目になるのかすら、どちらも忘れてしまった。

 口付けの名残を惜しむように離れるクリスの掌。
 小さく笑みを刻む唇に、楽しげなオッドアイの双眸。
 抱えた書類をもう一度持ち直して、頬を軽く染めながらセナは何事もなかったように振る舞う。
 あくまで、淡々と。
 それが彼の照れ隠しだと、クリスは知っていた。

 こほん、こほん。
 そんなわざとらしい咳払いが聞こえて、2人は入り口の扉へと目を向けた。
 呆れたような顔をして、補佐官コンビが立っている。
 漆黒の髪のシオンと、白銀の髪のレイヤードの2人である。
 何をやっていらっしゃるんですかと咎めるようなシオンの眼差しと、
 一欠片の熱も含まない至極平然としたレイヤードの眼差し。
 ある意味、限りなく好対照なコンビである。

「お仕事はお進みでしょうか、陛下。」
「それなりにな。何だよ、お前らまた書類の山でも持って来やがったのか?」
「いいえ。決算報告書をお持ちしただけです。それと、シオン補佐官が……。」
「一段落ついているのでしたら、お茶にでもしようかと思いまして。」
「お、気が利くじゃねーか、シオン。今日のお茶請けは何だ?」
「…………クリストファー様、仕事がお済みになってから、ですが。」
「解ってるっつーの。で、おっさん、今日は何作ったんだ?」
「レイヤードの希望で、クリームブリュレを……。」
「あぁ、あのプリンの親戚みたいなヤツか。」

 ぽんと手を打って、国王陛下は至極満足そうに笑った。
 さっさと終わらせるぞと宣言して、ペンを走らせる。
 流れるような見事な筆跡を見詰めながら、補佐官2人と近衛は思った。
 何故、常にこうやって真面目にやって下さらないのだろうか、と。





 それでも、他愛なく過ごすこの時間だけが、望んだ未来なのだと、知っていた…………。




 港瀬つかさ様に相互記念でリクエストさせていただいた来栖×瀬那です。
 初書きだそうで、とても貴重なものを頂きました。
 補佐官二人が良い味を出しています。



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