琥珀色の子守唄


神無月風様


 錬金術師に別れを告げた後、飛空船(エア・シップ)に乗った六人の仲間たちは、水晶の森を目指していた。
 だが、突然の嵐が、先を急ぐ彼らの行く手をはばんだ。
 雨まじりのみぞれが、飛空船の屋根を叩き壊す勢いで降りしきる。稲光が空を明るく照らして、地を揺るがさんばかりの轟音を立てた。激しく吹き荒れる突風が、飛空船の横腹を打ち、船全体が大きく揺れた。
「これ以上、進むのは危険です。嵐が過ぎるまで待ったほうがいい」
 飛空船の製作者である圭麻が言い、仲間達もうなずいた。
 飛空船は、山と山の間にある谷間に逃げこんだ。谷間の地面に着陸すると、嵐の音は格段に低くなった。
 あいかわらず屋根を打つみぞれの音を聞きながら、六人は現在地を確認しようと、地図を覗きこんだ。
「地図によると、ここは『死者の谷』だな」
 颯太の言葉に、「うへっ」と仲間達は声を上げた。
「なんだよ、その不気味な名前は?」
 那智が顔をしかめると、颯太は苦笑して、地図を読み上げた。
「錬金術師の注釈がある。『別名、化石の谷。多く化石が産出されるため、死と関連づけられたと考えられる。大昔は大河があり、その名残が谷となって残った。この地方では、高天原で亡くなったものは、この幻の大河を渡って、生まれ変わるという伝説がある』だと」
「そう言えば、リューシャーにいた時に、恐竜や貝や樹木の化石が多く発掘される大きな谷があると、聞いたことがあります」
 考え深げに圭麻が言うと、泰造が期待をこめて聞き返した。
「化石ってもうかるのかっ!?」
「バーカ、そんな骨みたいなもん、もうかるわけねーだろ」
 すかさず突っこみを入れる那智に、「そうとも限りませんよ」と圭麻が答える。
「シェルオパールのように、何万年も地層にとじこめられてる間に成分が入れ替わって、貝や骨が宝石になる場合もありますし、琥珀も化石の一種ですしね。中ツ国では、恐竜が丸ごと、オパール化した化石が発見されたこともあるらしいですよ」
「恐竜が丸ごと宝石……。すげー! 化石、掘ろうぜっ!」
 那智がはしゃいだ声をあげ、颯太は苦笑した。
「そう簡単にはいかないだろう」
 だが、彼らの中で一番、嬉しそうなのは圭麻だった。
「嵐が過ぎたら、出発前に少し辺りを歩いてみたいですね。発明品に使える、掘り出し物が見つかるかもしれません」
 瞳を輝かせて、圭麻は言った。

 その夜はそのまま休むことになった。
 真夜中、圭麻はふと目を覚ました。仲間達はぐっすりと寝入っており、辺りは静まり返っている。
「嵐は止んだのか……?」
 外の様子を確かめようと、圭麻はブルースカイブルー号の外に出た。風雨は去り、谷間の上には星空が見えている。
「これで明日には出発できますね」
 ホッとして、飛空船に戻ろうとした圭麻は、誰かが停泊した飛空船の真下にたたずんでいることに気がついた。
 仲間の一人が、起き出して来たのかと、手持ちのランプで照らし出してみる。だが、そこにいたのは見知らぬ女性だった。
 鳴女より、もう少し年上だろうか。藍色の長髪の女性が飛空船を見上げて、立っている。足元を照らすのがやっとの、小さなランプの灯りに、彼女の体が半ば透けているのが映し出された。
「幽霊!?」
 ぎょっとしたものの、圭麻はすぐに気を取り直した。何があっても自分のペースを崩さないのが、圭麻のすごいところである。
「こんばんは。何かご用ですか?」
 のんびり声をかけると、女性は圭麻のほうを振り向いた。
 その顔を見たとたん、圭麻は息を飲んだ。言葉もなく、ただその顔を見つめる。
 彼女はハッとするほど美しい女性だった。だが、その大きな赤紫色の瞳には大粒の涙が浮かび、白い頬を流れ続けていた。女性は祈るように手を伸ばし、桜色の唇を開いた。そうして圭麻に、なにかささやこうとする。
 圭麻は耳を澄まし、女性の言葉を懸命に聞き取ろうとした。しかし、そのささやき声はあまりにかぼそく、風の音、虫の声、飛空船から聞える仲間達のいびきなどに、かき消されてしまった。
「すみません。聞えないんです」
 しょんぼりと圭麻が謝ると、女性は悲しげに目を伏せ、ろうそくが吹き消されたように、一瞬その姿がゆらめくと、そのまま消え失せた。
 しばらく圭麻は、彼女が戻って来るのではないかと待っていたが、その様子はなかった。諦めのため息をつくと、圭麻は飛空船に戻り、自分の寝床に潜りこんだ。

 翌朝、圭麻から話を聞いた仲間達は、考えこんだ。結姫が肩に止まったビンガを撫でながら呟く。
「……その女の人、あたしたちに助けを求めてるのかな?」
「ちょっと待てよ。オレたちは先を急いでるんだぞ。寄り道なんてしてる暇はないはずだ」
 結姫の言葉に反対したのは意外にも颯太だった。だが、勇ましい口調の割には、颯太の顔は青ざめている。
「颯太、おまえ、怖いんだろう!」
 那智がすっぱ抜き、颯太は今度は赤くなった。
「オレは幽霊とか、そう言うのは苦手なんだっ!」
 泰造が腕組みをする。
「なんであれ、俺達に用がある様子だったって言うなら、放っておくことはできないよな」
「もう一晩、ここに留まって、その人から話を聞くことにしようよ。明日の夜は、中ツ国では土曜日の朝だから、少しくらい寝坊しても大丈夫だしね」
 結姫の決断に、颯太と面倒臭そうな顔をした隆臣以外の全員がうなずいた。しかし、颯太と隆臣は那智と泰造からこづかれ、渋々「分かった」と答えた。

 だが、結姫が留まる決断をしたのは、女性の話を聞いただけではないようだった。
 朝食が終わり、全員がバラバラとその辺を散策するために、飛空船を離れた時、結姫はそっと圭麻を呼び止めた。
「圭麻、ちょっと話があるの」
 うなずいて立ち止まった圭麻に、結姫は真剣な様子で尋ねた。
「こんなことを聞いてごめんね。でも、何だか、圭麻の様子がいつもと違う気がするの。……本当は、昨夜見た女の人の幽霊について、まだなにか、あたしたちには話してないことがあるんじゃないの?」
 結姫の勘の良さに舌を巻きながら、圭麻はうなずいた。
「みんなには言うべきかどうか、迷っていたんですが……」
 少しためらった後、圭麻は思い切って口に出した。
「実は、昨夜見た女性の顔が、隆臣に良く似ていたんです」
 結姫の顔色が変わる。
「……隆臣の家族の幽霊かもしれないってこと?」
「断言はできませんが……。最初見た時、彼女は飛空船の下に立っていました。船に乗っている誰かに会いたかったんじゃないかとも思うんです」
 結姫は考えこんだ。
「高天原の隆臣の家族って、どこでどうしているのかな? 月読をお父さんだと思っていたって言ってたけど、本当の家族がどこにいるか、隆臣はきっと知らないんだよね?」
「おそらく、そうでしょうね」
「じゃあ、隆臣とその女の人を会わせたら、何か分かるかもしれないね」
 圭麻はうなずいて、辺りを見渡した。
「オレはあの女性と会話ができる発明品が作れないか、ちょっとこの辺を探ってみます」
「うん、分かった。よろしくね」
 結姫の言葉に、圭麻は軽く手を上げ、飛空船を離れた。
 険しい崖になっている谷間の地層を見て回り、落ちている石を時折、拾い上げる。ふと圭麻の石を探る手が止まった。
「この石の中に木の葉の化石がある。この辺は化石密集層のようですね」
 呟いた圭麻は、真剣な表情で飛空船へ駆け戻った。ガラクタの山からサングラスとカナヅチとタガネを取り出す。そして、自らが見つけた地層に戻り、サングラスをかけて掘り始めた。

 昼食の時間になっても圭麻が戻って来ないため、心配して探しに来た泰造に、圭麻は得意げに自らの拳にある石の塊を振ってみせた。
「化石を掘っていたら、琥珀を見つけました!」
 岩石の内側に、確かに陽に透けてキラリと光る物がある。泰造は「すごいな!」と弾んだ声を上げた。
 昼食の後、飛空船の側で、岩石の中から丁寧に琥珀を取り出した圭麻は、満足そうに息をついた。
 研磨されていないため、ごつごつしているが、飴色に光る小石サイズのそれは、確かに宝石の風格を保っていた。
「化石化した虫が入っているようだぞ」
 中を透かし見て、颯太が指摘する。
「琥珀は虫や葉を中に閉じこめた状態で見つかる場合も多いですからね。……何の虫か分かりますか?」
 圭麻の問いに、見えにくい石の内部を透視するため、颯太の瞳が不思議な色に光る。そして、颯太は虫の名を呟いた。
「共鳴虫(レイソン・ヘロス)のようだな」
 圭麻の顔がひどく嬉しそうになる。
「物音の周波数に反応して、同じ音色を羽で鳴らす虫ですね! この太古の樹液でできた琥珀と、共鳴虫の能力を移した発明品なら、あの女性の声が聞き取れるかもしれません。早速、やってみます!」
 ガラクタの山の奥に閉じこもってしまった圭麻を置いて、結姫達は作戦会議に入った。
「いきなり全員で現れたら、女の人をビックリさせてしまわないかな?」
 結姫の問いかけに、仲間達がうなる。
「とりあえず、圭麻と隆臣とあたしで会ってみるから、颯太と那智と泰造は飛空船の中で待っていて」
「ええ!?」
 予想外の人選に、隆臣が面倒臭そうに、颯太が嬉しそうに、那智が残念そうに、泰造が心配そうになる。
「圭麻はともかく、隆臣より颯太を連れて行ったほうがいいんじゃねーのか?」
 泰造の提案に、結姫はきっぱりと頭を横に振った。
「颯太には飛空船の中で、勾玉を使って、透視していて欲しいの。異常が分かったら、すぐに泰造と那智に知らせて。二人が駆けつけるまでは、隆臣に何とかしてもらうから」
 結姫の口調から、断固とした意志を感じ取ったらしく、仲間達は「分かった」とうなずいた。

 夕食にもろくに手をつけず、圭麻は深夜までかかって、原石を削り、共鳴虫の能力を移して、琥珀のネックレスを完成させた。鳥目のビンガは夜は苦手らしく、既に寝入っていて、戦力外となっている。
「試しに那智、できるだけ小声で歌ってくれませんか?」
 圭麻の頼みに、那智が小さな声でハミングすると、ネックレスから同じ歌声が大音量で流れた。会心の笑みを圭麻が浮かべる。
「成功のようです」
 颯太は顔色こそ悪いが、覚悟を決めた様子で、『布』の勾玉を水がめに沈めて、水の中を覗きこんで、待機している。
「行こう」
 そう言って、結姫が立ち上がったが、彼女の顔色もまた冴えない。結姫も幽霊に対する恐怖心がない訳ではないのだ。隆臣がふっと笑った。
「なんだ。怖いのか?」
 結姫の頬がみるみるうちに赤く染まった。
「……こ、怖くなんかないもんっ!」
「無理するな。……圭麻とオレが先に外に出る。おまえはオレの袖を掴んでいろ」
「う……うん」
 結姫がおずおずと隆臣の服の袖を掴むと、隆臣は「行くぞ」と圭麻をうながした。
「はい」
 うなずいた圭麻がランプとネックレスを持って、まず飛空船を降り、隆臣と結姫が後に続く。時刻はまもなく真夜中になろうとしていた。
 最初は誰もいなかった飛空船の真下の空間に、やがて影のようなものが揺らぎ、藍色の長髪の女性の後ろ姿が現れた。
 結姫が小さい悲鳴を上げ、「来たか」と呟いて、隆臣が腰の剣の柄に手をかける。一人、落ち着いた様子で圭麻が女性に歩み寄った。
「こんばんは。また会いましたね」
 圭麻がランプを足元に置いて、ネックレスをかざす。
 振り向いた女性は、まず圭麻を、続いて、結姫と彼女をかばって立つ隆臣を見た。赤紫色の瞳に新しい涙が浮かび、白い頬を伝う。女性は大きく手を伸ばし、唇を動かした。ネックレスが女性の優しげな声を紡ぎ出す。
『坊や』
 女性は空中を滑るように、すうっと体を動かし、隆臣に近づいた。
『会いたかった。わたしの可愛い息子』
 その言葉に圭麻と結姫が仰天する。だが、隆臣の反応は違った。剣を抜き、鋭く言い放つ。
「オレに近づくな! オレに母親などいない!」
「止めて、隆臣!」
「消えろ、化け物!」
 結姫の制止も聞かず、逆上した隆臣は、自分を抱きしめようとする女性に向かって、剣を振り上げた。
 結姫がその腕にしがみついたため、半透明な女性に鋭い剣先が触れる事はなかった。しかし、嫌悪感をむき出しにする隆臣に対し、女性はわずかに後ずさった後、『坊や……』と悲しげに呟くと、すうっとその場から消えた。
 パチンッと鈍い音がしたのは、その直後だった。結姫に頬を打たれた隆臣は「何しやがる!?」と怒鳴った。
「あの人に切りかかるなんて、なんてことするの!? あの女の人は、隆臣のお母さんかもしれないんだよ!?」
「オレに親はいない!」
「誰にだって、お父さんとお母さんがいるのっ!」
 冷たい嗤いを隆臣は漏らした。
「赤ん坊を月読に売り渡すような奴らが、親なものか!」
 騒ぎを聞きつけて、恐る恐る飛空船から、泰造、那智、颯太が顔を出す。圭麻が颯太に声をかけた。
「颯太、何か視えましたか?」
「ああ。水がめに、額に隆臣と同じアザを持つ赤ん坊をあやす、若い男性と女性が映った。特に女性の顔は隆臣に良く似ていた」
「そっちはどうだったんだ?」
「やっぱり幽霊は出たのかよ?」
 泰造と那智の問いかけに、圭麻はうなずいた。
「隆臣に切りかかられて、消えました」
 全員の顔が隆臣に向く。咎める表情の仲間たちに、切りつけるような鋭く冷たい視線を、隆臣は無言で返した。
「隆臣は自分の本当のお父さんとお母さんに会いたいと思わないの?」
 結姫の問いかけに、隆臣は「思わない」ときっぱり答えた。
「月読の下を逃げ出した後、実の親を探した事もあった。実の親なら月読の手から守ってくれるんじゃないかと思ってな。……だが、月読の追っ手がかかったオレの話を、まともに聞いてくれる奴なんていなかった。親だと名乗って、オレを油断させて、賞金目当てに追っ手に引き渡そうとした奴らもいた。唯一、オレを拾って、名前をくれた親切な村人は、月読の差し向けた追っ手に殺された。……あの村が滅ぼされた時にオレは決めたんだ。オレには家族なんていない。たった一人で生き抜いてみせるってな」
「隆臣……」
 ほろほろと結姫の頬を涙が伝う。
「泣くな」
 隆臣は指先を伸ばし、結姫の涙を拭った。
「あー! 結姫、ずるいぞ!」
 那智がすっとんきょうな声を出し、「そういう問題じゃないだろう」と颯太に突っこまれた。
 だが、那智のおかげで、緊張していた雰囲気が、何となくほどける。
「とにかく今夜はもう寝ようぜ。オレ、眠くなっちまった。いくら学校が休みの日だからって、中ツ国にもいい加減、帰らねーとな」
 大欠伸をしながら、泰造が提案した。
「泰造が眠いのは、いつも早く高天原に来たいからって、無理に早起きしているせいでしょう?」
 苦笑しながら圭麻もまぜっかえすが、何となく全員に眠気が押し寄せていた。仲間たちは飛空船に戻り、それぞれの寝床へ潜りこんだ。
「明日はどうする? あまり出発を延ばしてばかりいる訳にも……」
 颯太の問いかけを、泰造のいびきが遮った。
「泰造はもう寝ているのか」
 苦笑する颯太の隣で、圭麻が答えた。
「今夜は皆、疲れていますし、今後の事はまた高天原で目覚めてから相談しましょう」
「おやすみ〜」
 半分眠った声で那智が言い、仲間たちはそろって眠りについた。

☆★☆★☆

 中ツ国で目覚めた結姫は、時計の針を見てビックリした。時刻は既にお昼近かった。
「夜更かしだったもんね」
 パジャマから普段着に着替えを終えて、一階のダイニングへ降りていくと、母が振り返った。
「あら、結姫、やっと起きたの。そろそろお昼ご飯だから、起こしに行こうかと思っていたところよ」
「なんだか家の中が静かだね。光介たちは?」
「光介と陽一はお友達と遊ぶ約束があるって、朝早くから別々に出かけて行ったわ。陽二は部屋でゲームしているみたいよ。もうすぐ二人が帰って来たら、騒がしくなるんじゃない?」
 母の指摘通り、昼食を食べに、弟たちが一斉に集まると、若狭家は途端に賑やかになった。
 いつも通り、好き勝手に騒ぎ散らす弟たちを叱りつけながら、母の作ってくれた昼食のチャーハンを食べ終えると、結姫は立ち上がった。
「お母さん、あたし、ちょっと出かけて来る」
 母の「気をつけていってらっしゃい」の声を背に、結姫は家を出た。足が向いたのは甲斐隆臣の家だった。
 勾玉を持たない中ツ国の隆臣くんには、高天原の記憶はないと分かっていたが、『オレには家族なんていない』と言った時の隆臣の寂しげな瞳が忘れられなかった。
 隆臣の家の前に辿り着くと、ちょうど反対側から圭麻がやって来るところだった。
「圭麻!」
「結姫も隆臣に会いに来たんですか?」
 圭麻の言葉に、圭麻も自分と同じ気持ちなのだと、結姫には分かった。
「うん。高天原の隆臣のことが気になって……。隆臣くんには隆臣の記憶はないって分かってるんだけど、つい来ちゃった」
 圭麻がチャイムを鳴らすと、優しげな女性が玄関を開いた。
 二人はそろって顔を見合わせた。年齢はずっと上だが、幽霊の女の人に、その女性はとても良く似ていた。
「隆臣のお友達? 隆臣なら、部屋で本を読んでいるはずだから、どうぞ上がってちょうだい」
 結姫と圭麻は「お邪魔します」と頭を下げて、隆臣の家に上がった。
「隆臣! お友達が遊びに来て下さったわよ!」
 女性の呼び声に、二階からパタパタと足音がして、隆臣が現れた。
「結姫! 圭麻も!? 一体、どうしたの?」
「……実は、ちょっと日本神話の班研究のことで相談があって……」
 隆臣の母の前で高天原の名前を出す訳にもいかず、圭麻はあえて、高天原を知る仲間たちの暗号と化している『日本神話の班研究』の名前を用いた。圭麻の言葉に、隆臣は『分かったよ』と言いたげにうなずき、女性のほうを向いた。
「母さん、オレの部屋で三人で勉強するから、邪魔しないでね」
 女性は温かい笑顔でうなずいた。
「それじゃ、急いで飲み物とお菓子を用意するわ」
 三人が隆臣の部屋へ入ると、隆臣の母は、温かい紅茶とクッキーを載せたお盆をすぐに持って来て、「ゆっくりしていってね」と告げて、出て行った。
 お茶とお菓子の前にちょこんと座り、困り顔をしている結姫の代わりに、圭麻が昨夜の高天原での出来事を説明をした。
「そうか。皆、高天原で夜更かししてたのか。それで、オレも今日はお昼近くまで、目が覚めなかったんだね」
 納得したように隆臣はうなずいた。
「隆臣は……高天原の隆臣くんは、本当にお母さんに逢いたくないのかな……?」
 結姫の問いかけに、隆臣は「オレは違うと思う」と頭を横に振った。
「オレは高天原のオレの考えていることまでは分からないけれど、もしオレが同じ立場だったら、きっと父さんや母さんや兄さんに会いたいと思うよ。……ただ、高天原のオレは、ずっと家族がいなかったから、今更、家族に会いたいなんて言えないでいるのかもしれないね」
「素直になれないでいる……というわけですか」
 考えこむように圭麻が呟いた。
「どうしたら、本当の気持ちに素直になってくれるんだろう。このままじゃ、あの女の人も隆臣も可哀想だよ」
 しょんぼりと結姫がうつむく。
「ごめん。役に立てなくて。……高天原のオレがオレの記憶を持っていたら、その女の人にも会ってあげられるのに」
 悲しげな結姫の様子を見て取って、隆臣が赤紫色の瞳を曇らせた。
「……分かりました。オレが高天原の隆臣を何とか説得してみましょう」
 ふいに圭麻が言い出した。
「隆臣、今夜は早めに休んでくれませんか? 高天原の隆臣に早めに起きてもらって、二人きりで話をしてみます」
「説得って……大丈夫なの?」
 問いかける結姫に、圭麻はいつものとらえどころのない笑顔で「任せてください」と答えた。
 一通り、話を終えた結姫と圭麻は、隆臣の家を辞去することにした。先に結姫が玄関を出たところで、続いて外に出ようとする圭麻を、隆臣が真剣な表情で引き止めた。
「圭麻、もう一人のオレに伝えて欲しいことがあるんだ」

☆★☆★☆

 飛空船で目覚めた圭麻は、真っ先に隆臣の寝床を見た。既に寝床は空で、その姿はない。外はまだ夜明け前で、他の仲間たちの静かな寝息が聞こえる。
「どこに行ったのかな?」
 呟きながら、飛空船を降りると、飛空船から少し離れた場所で、ぼんやりと座りこんで、うつむいている隆臣を見つけた。
「隆臣」
 声をかけると、隆臣は「おう」と無愛想に答えた。
「約束、守ってくれてありがとうございます」
 突然、礼を言われて、隆臣がきょとんとしていると、圭麻は笑顔で「中ツ国の隆臣にオレが頼んだんです。高天原で早起きしてくれって」と説明した。
「オレは知らん。勝手に早く目が覚めただけだ」
 記憶のない中ツ国のことを引き合いに出されて、不機嫌な顔つきになる隆臣に、圭麻は続けた。
「それと、中ツ国の隆臣から伝言です。『結姫を悲しませないで欲しい』と」
 思い当たるフシがあるのだろう。一瞬、うろたえた表情になる隆臣に、圭麻は頬を緩ませた。
「高天原と中ツ国で性格は全く違うのに、そういうところは本当にそっくりなんですね。……結姫を心から大切に想っているところ」
 圭麻はそっと右手を差し出した。その手のひらには碧色に輝く勾玉が載っていた。
「オレたちには勾玉があるのに、あなたにはない。……でも、知っていますか? 結姫のために、勾玉の力を持つオレたちにできなくて、あなただけができること」
「……オレだけができること?」
 不審気に呟く隆臣に、圭麻は大きくうなずいた。
「オレたちには勾玉の力を使って、結姫を天照様のところまで守り、導く能力があります。でも、オレたちにはできないこと、それは結姫の心を守ることです。結姫が好きなのは、他の誰でもない、あなただから。結姫が一番の心のよりどころにしているのは、勾玉を持つオレたちじゃない。隆臣、あなたなんです」
「結姫が好きなのは、中ツ国にいる『隆臣くん』って言う奴だ。オレは知らない」
「でも、その隆臣くんとあなたは同一人物なんです。……それに、オレには、結姫があなたに向ける感情を、高天原と中ツ国とで区別しているようには見えないんですけどね」
 思わせぶりな圭麻の笑みと口ぶりに、隆臣はたじろいだ。
「とにかく、今のあなたが取っている、母親という存在に対する拒絶は、結姫にとって悲しい行為に他ならない。……オレからもお願いします。これ以上、結姫を悲しませないでください。結姫のためにも、あの女の人ときちんと向き合って、話してあげてください」
 深々と頭を下げる圭麻に、複雑な表情を浮かべ、無言のまま、隆臣は立ち尽くしていた。
「隆臣! 圭麻!」
 呼び声がしたのは、その時だった。起き抜けに二人がいないことに気付いて探しに来たのだろう。一心に結姫が駆けて来る。辺りもようやく朝日が昇ろうとしている頃だった。
「二人で何を話していたの?」
 心配気な結姫に、いたずらっぽい笑みを浮かべた圭麻は「隆臣に聞いてください。オレはその辺を歩いて来ます」と答えて、そのまま立ち去ってしまった。
「……隆臣」
 隆臣と二人きりになった結姫は困った顔をしていたが、ふいに思い切った様子で、隆臣の顔を真っ直ぐ見つめた。
「ねえ、隆臣。あの幽霊の女の人と話してあげて、お願い。大丈夫、きっと怖くないよ」
「オレは幽霊なんか怖くない」
 むすっとする隆臣に、結姫は包みこむような笑みを向けた。
「……ごめんね。でも、あたし、何だか昨夜の隆臣は怖がっていたように思えて仕方ないの。……幽霊じゃなくて、お母さんと逢うことに」
 ふいに結姫に抱きつかれて、隆臣は動けなくなった。
「きっと、お母さんに逢うのは、怖いことじゃないよ。大丈夫」
 駄々をこねる子どもをあやす母親のように、結姫は隆臣の背をそっと何度も撫でた。強張っていた隆臣の体の力が徐々に抜けて行き、やがて隆臣は小さく呟いた。
「お前らには負けた」
 頑固な隆臣が、ついに圭麻と結姫と説得に折れたのだ。結姫は喜びに瞳を輝かせながら、隆臣の「今夜、あの女に会う」と言う宣言を聞いた。

 昨夜と同様に、颯太は占いの準備をして、那智、泰造と共に、飛空船の中で待機。圭麻、隆臣、結姫の三人が飛空船を降りて、幽霊が現れるのを待つことになった。
「良いか。これ以上、出発は延ばせない。今夜どうなろうと、明日の朝には谷を立つからな」
 颯太の宣告に、誰もがうなずいた。
 月のない闇夜の中、圭麻がかざすランプの灯りだけが、飛空船の周囲をぼんやりと照らし出している。
 やがて、真夜中を過ぎる頃、飛空船の真下の空間に、藍色の長髪の女性が現れた。
 一番、飛空船に近い位置にいた圭麻を押しのけ、隆臣が進み出る。多少は和らいだが、まだ尖った口調で隆臣は女性に問いかけた。
「オレに何か用か?」
 圭麻がかざすネックレスから、女性の涙ながらの声が零れた。
『坊や……。月読に奪われた、私たちの息子。お前を守れなかったことを、どうか許して』
「奪われた……だと!?」
『額にアザを持つ子どもが生まれたと分かった途端、月読は私たちの村へ軍勢を差し向けました。そして、抵抗する私たち夫婦を殺して、まだ名前もつけていなかった赤ん坊のお前を無理矢理、奪い去ったのです。……さらわれたお前の身が心配で、私たちは生まれ変わることもできず、ずっと死者の谷を彷徨っていました』
「私たち?」
 圭麻の疑問に答えるように、女性の傍に影が揺らぐと、女性よりいくらか年上の若い男性の幽霊が浮かび上がった。
 ネックレスが、今度は男性の声を紡ぎ出す。
『教えておくれ。今までどこでどうやって暮らしていた? 月読にひどい目に遭わされたのではないか? 辛い思いをしていたのではなかったのか?』
 隆臣はぐっと奥歯を噛み締めた。
「月読の下でオレは、番号で呼ばれて育ち、まともな人間とすら扱われなかった。……神王宮から逃げ出した後は、執拗な追っ手に苦しめられて、ずっと一人で生きて来た。オレを見捨てたあんたたちを、月読を、恨みながら」
「隆臣……」
 結姫が隆臣の腕を掴む。女性の幽霊が『ああ』と声を上げた。
『隆臣。隆臣と言う名前をつけてもらったのね』
「親切な村人につけてもらったんだ。……だが、そいつも月読に殺された」
 意を決したように、突然、結姫が隆臣の腕を掴んだまま、前に進み出た。
「もう、大丈夫です。隆臣にはあたしたちがいます。あたしたち五人は、隆臣の仲間なんです。この世界を一緒に救うんです。だから、もう隆臣は独りぼっちじゃないし、月読から追われることもありません」
「……結姫」
 戸惑った表情の隆臣に微笑みかけて、結姫は幽霊の夫婦に向き直った。
「あたしたちが隆臣の傍にいます。だから、安心して生まれ変わってください」
『その胸の勾玉。……もしや、あなたは伝説の“地平線の少女(ホル・アクティ)”』
 男性の幽霊が驚いたように声を上げ、女性の幽霊が初めて涙を止めた。
「そうです。彼女、結姫が『地平線の少女』です。隆臣は結姫を守って、共に戦ってくれる、大切な仲間なんです」
 圭麻が口添えする。
 夫婦の表情から悲嘆が消え、安堵が溢れ出す。
『“地平線の少女”様、どうか、息子をよろしくお願いします』
『息子が“地平線の少女”様と一緒なら、私たちも安心して生まれ変わることができます』
 半透明な二人は手を取り合い、『これで私たちも河を渡れます』と微笑んだ。
「河? 河なんてどこに……?」
 尋ねようとした結姫は、「きゃっ!?」と悲鳴を上げた。大量の水がいきなり谷を一気に流れて来るのが目に入ったのだった。だが、どこか現実味のない水は、結姫たちの髪の毛一筋さえも濡らすことはなく、三人と幽霊たちの間を滔々と流れ続けた。
「これが……幻の大河?」
 圭麻が呆然と周囲を見渡して呟く。
 夫婦は隆臣に向かって、静かに告げた。
『さようなら、隆臣』
『元気でな』
 そうして、結姫たちに背を向け、河の向こう岸へとゆっくりと歩んで行く二人に向かって、隆臣は思わず叫んでいた。
「母さん! 父さん!」
 振り返った夫婦の顔に、歓喜の笑みが浮かんだ。
『隆臣、どうか幸せに……』
 最後に二人が残した言葉はそれだけだった。
 夫婦が向こう岸に渡り終えると、幻の河は消え、元の静かな谷間に景色は戻った。
「……何も言ってやれなかった。ずっと彷徨い続けていたあの二人に……」
 ぼそりと呟く隆臣の手を握って、結姫は頭を横に振った。
「ちゃんと隆臣の気持ちは届いたと思うよ。だって、最後に呼んであげたじゃない。『母さん、父さん』って」
「ええ。オレも隆臣の一言で、あの二人は救われたと思います。良かったですね、隆臣」
 圭麻が微笑みながら、隆臣の肩をポンと叩いた。
 タイミングを見計らったかのように、飛空船から、颯太、那智、泰造が顔を出す。
「どうやら上手くいったようだな」
 颯太の言葉は質問ではなく、確認だった。
「水鏡に若い男女の姿が消えて、二つの光に変わるのが見えた。生まれ変わった証だと思う」
「そうか」
 呟いた隆臣は、夫婦が消えて行った谷の向こうを、瞳を細めて見つめた。
「さあ、結姫、隆臣。今夜はもう休みましょう。明日はここを出発ですよ!」
「水晶の森へ急がなくちゃね!」
 圭麻が急かすと、結姫が飛空船へと駆けて行き、その後を圭麻と隆臣が追った。
 ネックレスを胸にかけていた圭麻だけが、一瞬、立ち止まった隆臣が、かすかに呟いた言葉を聞き取った。
『さよなら。母さん、父さん。逢えて良かった……』
 それは中ツ国の隆臣の声かと錯覚するような、とても優しい響きの声だった。
 両親の魂が救われたことで、隆臣自身もまた救われたのだと、圭麻はとっさに悟った。
 だが、そのことは自分の胸だけに、そっと秘めておこうと圭麻は思った。プライドの高い隆臣にとって、決して他人には知られたくないことだろうから。
 圭麻の胸元の琥珀だけが、全てを見守るかのように穏やかに光っていた。

<おわり>




 神無月様のサイトで2000ヒットを踏んで頂きました。
 隆臣と圭麻の友情物語、というお題でリクエストしたのですが、それ以上に素敵なものを頂きました。
 というか、ここまで壮大なお話がもらえるとは!
 本当に有難う御座います。
 隆臣の心が、少しでも救われたなら良いと思います。



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