授業中 長門編



 授業というのは、ある種新しい知識を受け入れる場である。元々知っているような知識を改めて教えられる事もあるが、それでも教師によって教え方は異なり、それはそれで新しい発見に満ちている。
 そういう意味で、高校の授業とはある意味で有意義なものだろう。
 季節でいうのならもう立夏も越えているから夏。気温も既に三十度を越えており、この暑さにクラスメイト達は授業を聞く耳も疎かになっているようだった。窓は開け放たれているが、風は殆ど無い。
 私には関係無い事とはいえ、教師ですらこの暑さに教える事に対する熱意と呼ばれるようなものが減退している。
 そんな時、不意に窓から早い勢いで白球が飛んできた。ぶつかりそうになる手前で受け止めると、教室中が突如飛んできたボールに唖然としている。
「だ、大丈夫か、長門」
「平気」
 教師が心配そうに、しかし驚きを隠せない顔で問いかけてくるのに対して頷くと、そうか、とだけ呟いた。そして一体何処から飛んできたのかと窓の外を見る。
 恐らく体育の授業で野球をやっているクラスが有り、その玉が何の偶然か此処まで飛んで来てしまったのだろう。窓が開いていたためにガラスが割れる事は無く、むしろそれは幸いだっただろう。もし割れていたなら怪我人が何人か出ていてもおかしく無い。
 私は受け止めたボールを見、これをどうするべきか考える。このまま外に投げた方が良いのか、授業が終わるまで待って届けるべきか。
 それを考えていると、廊下から誰かが走ってくる音が聞こえた。聞き慣れている足音に、慣れない慌てぶりが感じられるそれに、誰がやってきたのかを理解する。
 そしてそれと同時にドアが開かれた。その瞬間に、何名かの女生徒が高い声を発した。
「すみません、此処にボールが飛んできましたよね?」
 疑問形というよりは確認形の問いに、私は立ち上がり、彼に近づき、白球を渡す。
「長門さん?」
「取った」
「取ったって…。あー、怪我人とかは、居ませんでしたか?」
 私の言葉に戸惑いを見せ、教師に視線を移して問いかける。
「ああ、飛んできた球は、長門が受け止めたからな。怪我人は、無い。古泉、それはお前が打ったのか?」
「いえ、僕は外野です。お騒がせしてすみません」
 頭を下げると、もう一度私に視線を移す。
「素手で取ったんですか?」
 問いかけられたので頷く。すると、古泉一樹は珍しく険しい顔をして、私の手を取った。
「掌、見せてください」
 言われて見せると、益々顔を顰める。
「赤くなっているじゃないですか。手当てしましょう。保健室に…」
「平気」
「駄目です。ちゃんと手当てしないと。そうういう訳ですので長門さんは連れて行きます。お騒がせして本当に申し訳ありません。また後で打った者も連れて改めて謝りにきます」
 そう言って私の手を引くので、そのまま着いて行く。特に断る理由は思いつかなかったから。
 教室を出て行く時に、女生徒の何人かが「良いなあ」と呟いている声が聞こえたが、何が「良い」のか解からずに首をかしげた。

 そのまま保健室に連れて行かれ、しかし保険医の姿が見えなかった為、彼が手当てをしてくれる。
「痛覚も止められるし、私は平気。貴方は知っている筈」
「それでも、クラスの方々は訝しく思っていましたよ。幾らなんでも教室に飛び込んでくるような球を、しかも硬球を素手で受け止めて平気な筈は無いんです。下手をしたら骨にヒビが入ってもおかしくないんですから」
 彼にそう言われ、教師やクラスメイト達が驚いていた理由を理解した。
 その彼らの疑問を払拭するために保健室まで連れて来たのだろう。
「それに、見ているだけでも矢張り痛そうですからね。僕としても女性の手が赤く腫れているところは見たくありません」
 そう言って彼が包帯を巻き終える。
 彼の言葉はつまり、私自身を気遣ってくれた、という事だろう。それならば、それに対して謝意は告げなければならない。
「有難う」
 古泉一樹は一瞬驚いた顔をして、それから微笑んだ。いつも涼宮ハルヒやSOS団の皆に見せているものとは違う、恐らく彼の本当の笑顔。
「どういたしまして」
 柔らかい声でそう言われ、また頷く。
 人間的な感情が私には希薄だけれど、それでもこうして彼の素の笑顔を見れたことを、嬉しい、と思った。
 そして手に巻かれた包帯を見つめ、そっと撫でる。
 不思議と、暖かい気分になった。


Fin





小説 R-side   涼宮ハルヒ R-side