海は、蒼く、広く、どこまでも続いていた。 お互いに、着の身着のままで元居たところから出てきてしまったので、町に出てすぐ、俺達は服を買った。明らかにボロボロの俺と、神父服を着ている古泉が一緒に歩いているのは誰がどう見たっておかしいだろう。 俺は多少の貯えがあったので、一度元に住んでいた街に行き、通帳を持って来た。 「……吸血鬼が通帳に貯えを持っているというのも、おかしなものですね」 「今は違うし…つーか長い間生きてると、色々暇を持て余してな、気まぐれにバイトとかしてみたりするんだけど、使いたいとも思わないもんだから金が溜まってな…」 「吸血鬼がアルバイト…」 「お前、いい加減其処から離れろよ」 もう俺は吸血鬼じゃないんだから、と言っても、俺だって吸血鬼だった頃の感覚が完全に抜けた訳では無いのだが。 「……バイト先の人とか、襲ったりしてませんよね?」 「…………」 「その沈黙は何ですか」 「いや、なに、人を襲いたいって思うのは、吸血鬼の生理現象なんだって……そりゃあ、美味そうなやつが居たらさあ…」 「今までのあなたの生活を僕がどうこう言う資格は無いとは思うんですが、仕事先の人を襲うのはどうかと思います」 というより、古泉は人間全般を襲うのがそもそも承服しかねることなんだろうけどな。 「もうしねーよ、必要もねえし」 「…そうですね」 取り敢えずはそれで納得してくれたらしい。実際、今までの生活をどうこう言われても、正直困るからな。これからは心機一転、人間として生きていく訳だし。 「それにしてもお前、神父服も似合ってたけど、そういう服も似合うな」 何しろ元が良いし。 「…そうですか?あまり着慣れないので、変な気分です」 「これが普通だろ。もう神父じゃないんだし」 今古泉が着ているのはごく普通の白いワイシャツのジーパンである。白い肌に白い服というのが尚更古泉を眩しく見せるし、ジーパンは形の良い足のラインを綺麗に見せてくれるので、正直俺は眼福ものだね。実際、ごく一般的な服装なのも事実だし。 俺も似たような格好だしな。 「それはそうかも知れませんが……その一般的な服を着慣れていないもので」 「ガキの頃から教会に居たんだっけ?」 「そうです。幼い頃にエクソシストとしての素質があると認められて引き取られたんですが、結局何の役にも立てませんでした」 古泉は少し申し訳無さそうに笑う。 まあ、実際今まで面倒を見てもらった恩だとかなんだとかが、古泉にはあるのだろう。それを俺が連れ出してきてしまったのだから、申し訳ないと言う気持ちが無い訳では無いが、それでも古泉が此処に居て、俺と一緒に生きることを選んでくれたのが何より嬉しい。 「それに、今だって金銭面であなたを頼っている訳ですし、僕はとんだ役立たずですよ」 「そんなことないだろ。それに、これからはお前にだって働いてもらわないといけないしさ」 「そうなんですけど……僕、今までまともに働いた事が無いので…大丈夫でしょうか…」 「大丈夫だって。何とかなるさ」 古泉はまだ十代だ、その年で働いた事の無いやつなんて、結構居るもんだ。古泉一人が特殊な訳じゃないのだから、気にする必要は無い。 「それより、ほら、行くぞ。海の見える町が良いんだろ。こっちのバスだ」 古泉の手を取り引っ張る。流石に街中で手を繋ぐのは照れるのか、古泉は恥ずかしそうにあたりをきょろきょろと気にしている。 長い歳月の中で、その程度のことで羞恥心なんて感じなくなっていた俺は、その古泉の反応が可愛くてならないのだが。 バスに乗り込み、そしてついた先は、俺が住んでいた街から一番近い、小さな海辺の町だった。 余り無駄遣いはしたくない、ということで、近辺で一番安いホテルの場所を聞き、其処に泊まることにした。ホテルというよりは、民宿に近いものがあるが。 まだ明るいうちにホテルに入り、ベッドに腰を下ろす。古泉は部屋の窓を開けると、海が見えた。窓は結構大きく取られていて、開放感がある。安い宿だから狭いし、壁にヒビが入っていたり、食事はそれぞれで補わなければならないが、暫く滞在するにはうってつけの場所だろう。 日は随分傾いていて、西日が部屋に差し込んできていた。海の色も、それに合わせたようにオレンジにきらめいている。 今日は流石に無理だが、明日には職探しもしなければならないだろう。 「…潮の匂い……」 「海に来た事はあるんだろ?」 「…以前派遣されていた教会が海辺にあったので、その時に。まあ、二月ほどしか居なかったんですけどね」 まあ、ずっとあそこに居た訳じゃないとは思っていたし、驚く事でも無いが、まだ若いってのに大変だなあ、と思わずにはいられない。 実際の年齢が俺の十分の一にも満たない古泉相手じゃ無理無いのかも知れないけどな。 「海と山、どっちが好きなんだ?」 「どちらも好きですよ。海も、山も、神が与えてくれた恵みに満ちていますから」 古泉の発した、『神』という言葉に、思わず反応する。 俺だって解かっているんだ。捨てると言ったって、今まで体に染み付いていたそれが、簡単に消える訳では無いという事ぐらい。俺だって、全てを捨てたと言いつつも、残してきた人間が気になら無い訳でも、それまで培ってきたものが消えてなくなった訳でも無いのだから。 それでも、やっぱり『神』は嫌いだ。 何を願ったところで、応えてくれる訳も無い存在が、こうも信仰されているのが理解出来ない。 特に、古泉が『神』の話をしているのが余計に苛立つ原因なのだろう。そんなものに嫉妬している自分が、一番愚かしい。 「…何だか、不機嫌そうですね」 海を見ていた古泉がこちらに振り返り、俺の顔を覗き込む。 その古泉の手を引いて抱き締めると、あっさりと俺の腕の中に納まる。本当に、俺を受け入れてくれているんだと思うと、何とも言えない気分になる。 「別に、なんでもない」 そう言ってキスをすれば、目を閉じて受け入れる。 「……今度は機嫌が良さそうですね」 「うるさいっ」 くすり、と笑みを浮かべる古泉の様子に、思わず顔が赤くなる。何だこれ、こんな反応じゃまるで、初恋みたいじゃないか。そんなものは、遠い昔の、過去の思い出でしかないというのに。 古泉の反応一つで一喜一憂している自分が何とも情けない。 一つ首を振って気分を切り替え、抱き締めている古泉をそのままベッドに押し倒す。 古泉が俺を見上げている。 その瞳に、拒絶の色が無い事が、未だに信じられない。 その薄い唇に自分の唇を重ね合わせる。古泉は目を閉じて受け入れる、どころか誘うように薄く唇を開く。それに誘われるように舌を差し込めば、逃げる事もなく舌を積極的に絡めてくる。 眩暈がしそうだ。 舌を絡め合わせながら、古泉のシャツのボタンを外すと、古泉の手も俺の服に伸びてくる。お互いに服を脱がせ合い、それぞれの素肌が露になったところで、俺は古泉の唇を解放する。 息を吐きながら、濡れた瞳で見上げてくる様子に、ぞくりと背筋を這うものがある。当然、此処まで来て止めるなんて選択肢は俺には無い。 古泉の白い首筋に舌を這わせると、そこで静止がかかった。 「ちょ、ちょっと、待ってください」 「…なんだ。嫌なのか?」 此処まで来て嫌だとか言われても正直困るのだが。しかし嫌だと言われたら止めるしかないだろうな、とも思う。今までなら無理矢理していたけれど、それとこれとはもう、状況が違う。 「嫌じゃないんです。そうではなくて……あの、僕にも、触らせてもらえませんか?」 「え…?」 「僕も、あなたに触れたいんです。だから……」 「俺もお前に触りたい」 思わず数秒見つめあい、愛されているんだなあという実感が体に湧いてくる。まあ、お互い触りたいというのなら、二人で触れば良い。 一度身を起こし、お互いに身に纏っている物を全て脱ぐと、俺がが古泉の上に跨り、古泉の顔の方に尻を向けるような格好になる。俺の顔の前には当然、古泉の下半身が丸見えということだが。 お互いにお互いのものを口に含み愛撫する。当然、古泉はフェラチオなんてしたことは無いだろうから舌の動きは拙いが、古泉が自分から申し出てくれたというだけで、すぐにイけそうな気分だ。まあ、勿体無いからそんなにすぐにはイかないが。 逆に俺はと言えば、吸血鬼ではなくなっても、こなしてきた回数は古泉とは比べ物にならない。体力は落ちているようだが、テクニックまで落ちてはいない。 その差は歴然だが、古泉の懸命な舌の動きは俺を刺激するには充分で、この時点では五分五分といったところだろうか。こうして一回出してしまうのも悪く無いが、視線の先には、先走りに濡れた古泉の秘所がある。 もう一月ほど触れていないが、それでも快感を思い出したのかひくひくと蠢いて俺を誘っている。其処に指を這わせると、古泉がぴくん、と身を震わせた。 「あ…っ」 その様子に思わずにやりと笑いながら、古泉のものを口に銜え愛撫しながら、先走りと俺の唾液で濡れた其処を何度も撫でてはゆっくりとほぐしていく。 「ん…っ…ぁ…そこ、は……」 「良いだろ、触っても。……優しくするから」 酷いことは、絶対にしないから。 そう言って愛撫を繰り返せば、太股を震わせ、快感に絶えながらも、また俺のを口に含んだ。続けて良いということだろうと判断し、俺もまた銜えなおす。 濡れたそこが大分解れてきたと思ったところで、指を一本入れてやる。きゅう、と締め付けてくるが、すぐに受け入れるように収縮が繰り返される。その様子に目を細めながら、指を動かすと、口に銜えた古泉のものが容量を増す。古泉の身体が快楽を期待して熱くなっているのがよく解かる。 古泉も拙い動きながら必至で俺のものを愛撫して、その濡れた感触に俺も熱くなる。しかし、矢張り体に与えられる快楽の差は大きいらしく、指を二本に増やし、前立腺を探して、刺激すると、あっさりと俺の口に放ってしまう。 それを全て口の中で受け止めて、飲み下す。吸血鬼の時には甘く感じられたそれも、人間の体になった今では生臭いものだ。しかし、それでも古泉のものだと思えば平気で飲めてしまうのだから、愛情ってのは偉大な物だと思うね。 荒く息を繰り返す古泉を股の下から覗き込んだ後、二本差し入れた指を動かす。 「あっ……ん、や……ま、って……っ」 達したばかりで刺激されるのが辛いのか、古泉が抗議の声を上げる。しかし、俺はあえてそこを無視して、指を三本に増やす。何しろ、俺自身は未だ達することも出来ずに居る状態で、早く続きがしたいと切望しているのだ。 三本の指をそれでも出来るだけゆっくりと動かして解しながら、収縮を繰り返す其処に早く入りたいと逸る気持ちが唾液を口内に溢れさせ、ごくりと喉を鳴らした。 古泉の方もまた内側の刺激に敏感に反応し達したばかりの其処がまた勃ち上がり始めている。 「は……あ、……お願い、です…から、もう……っ」 「でも、まだ早いだろ。一ヶ月も間が空いたし…」 「良いですから…っ、お願いします!」 急かすように言われて、これ以上我慢が出来るほど、俺も人間が出来ている訳ではない。たとえ何百年生きようが、そういう問題では無いんだろう。 指を引き抜き、体の位置を反転させて古泉の足を抱え上げる。 「いくぞ?」 「は、はい…」 古泉がこくりと頷くのを確認して、いきり立ったものを一突きで中に押し入れる。 「あっ、あああっ!」 「くっ」 衝撃に古泉の口から悲鳴が漏れる。俺のものは強く締め付けられ、思わず呻く。やっぱりまだ早かっただろうか。古泉も痛い筈だ。 「…大丈夫か?」 「だい、じょうぶ、です…だから…」 「煽るなよ…」 潤んだ瞳で見上げられて、抑えていられるほど大人じゃないんだ。特に、どうしようもなく惚れ込んだ相手にそうされたら。 「…お願いです。もっと…あなたを感じたいんです」 「ああもう、知らないからなっ」 こんな風に求められて、抑えられる筈がない。 ギリギリまで引き抜いて、一気に突き入れる。最初から遠慮する余裕なんてもう、あったものじゃない。そんな余裕は、吸血鬼である自分を捨てたと同時に捨ててしまったのかも知れない。 締め付けてくる其処は痛いくらいだが、それでも段々と拓かれてくるのが解かり、それに合わせて突き上げる角度を変えていく。 「ふあっ…あ…あ、ん…ああ…っ」 それに合わせて、古泉の口から漏れる声の質も変わってくる。どうせなら気持ちよくなってもらいたいからな、痛い思いをさせてしまったんじゃあ、今までしてきたことが無意味だろう。 「古泉…」 「はあ…あ……あ…は、い……」 「古泉、気持ち、良いか?」 「……はい」 俺の問い掛けに、うっとりとするような笑みを浮かべて頷く。その様子を見て、俺も心に何かが染み渡っていくのを感じた。これが、幸せってものなのかも知れない。 幸せと快楽は比例するのか、格段にお互いの感度が上がった気がして、抜き差しを繰り返す度に腰が痺れるような快感が体を駆け巡り、古泉の方も荒く息を吐きながら俺の背に腕を回してすがりついてくる。古泉の唇をまた貪るように奪い、舌を差し入れる。 「ふっ…んんんっ…ぅ…ふ…ぁ…っ」 古泉も必至に俺の舌に自分の舌を絡めてきて、何もかもが繋がっているような感覚に、もうこのまま融けてしまえばいいのにとさえ思う。今まで何度も、何人もの人間と体を重ねてきたけれど、こんな感覚は初めてだった。 それが、人間になったからなのか、それとも相手が古泉だからなのかは解からないが、そんなものはもうどうでも良かった。 そうして体を重ね合わせ、唇を互いに貪りあい、快楽を分け合って、俺達はそのまま力尽きてベッドに倒れ込んだ。 古泉は酸素を補給するかのように忙しなく呼吸を繰り返し、俺も似たような状態だった。一つだけはっきり解かるのは、精力は絶対に落ちている気がする、ということだった。 よく今まで吸血鬼の俺に付き合って身体がもったよな、こいつ。 思わず感心するほどだ。 「何だか…」 「ん?」 「不思議な気分です」 古泉が微笑みながら言う。 「あなたとこうしていることが、信じられないというか…」 「それを言うなら俺もだよ。つーかお前が俺を受け入れた事が信じられん」 「僕もそう思います。でも……仕方ないです、あなたの側に居たいと思ってしまったんですから」 そう言う古泉の顔が何とも幸せそうで、俺も幸せな気分になる。 良いのかね、一日に何度も、こう、幸せな気分に浸っていて。 まあ、良いか。 こうして腕の中に、古泉がいるだけで、もう全部、どうでも良い。 細かいことは、明日考える事にしよう。 今は、この幸せを噛み締めることにして。 朝起きて目が覚めたら古泉の顔が目の前にあった。 何となくそれが新鮮に思えて、そもそも誰かと朝まで夜を過ごした事が無かったんだと思い返す。本当に、俺と古泉の日常はこれから変わっていくんだろう。 そうして目が覚めたのにそのままボケッと古泉の顔を見つめていると、ぴくん、と古泉の睫が揺れて、ゆっくりと瞼が押し上げられる。 「…おはようございます」 「…おはよ」 にっこりと微笑んでそういう古泉に、思わず照れてぶっきらぼうな言い方になる。なんだろう、この照れくさい展開は。それが嫌じゃないと思っている辺り、俺はもうどうしようもないのかも知れない。 食事をして、二人で外に出た。 職探しをしよう、と前日に思っていたのだが、それよりも前にもっと近くで海が見たい、という古泉の希望によって、砂浜へと足を向けた。 砂が足をとって歩き難い上に、靴のなかに砂が入ってきて気持ち悪い。面倒になって靴を脱ぐと、それに倣うかのように古泉も靴を脱いだ。脱いだ靴をひっくり返すと、入った砂がさらさらと落ちていく。 目の前に広がるのは、一面の蒼い海、水平線。 改めてみると圧巻だった。 波が足元まで押し寄せてきているのを見つめた後、古泉に視線を向けると、じっと水平線の向こうを見ていた。 「凄いですよね」 「ん?」 「海はこんなに広くて、大きくて、僕なんてとても小さくて……でもその大きなものが、ちっぽけな僕達にたくさんの恵みを与えてくれるんです」 「…ああ」 確かに、それはそうだと思う。海や、山や、畑でとれるたくさんの物が人間の生きる糧になるのだから。神とか持ってこなくてもそれは偉大だと思う。 「これから、此処で暮らしていくんですね」 「ああ」 「…少し、不安だったんですけどね、今までと違う生き方をするというのは。でも、この海を見ていたら、そんなことすらちっぽけに思えてきました」 そう言って微笑む古泉の手を握る。 元々、俺より体温の低い手が、潮風で少し冷えている。 古泉もまた、俺の手を握り返してきた。 「二人で、頑張りましょう」 「そうだな」 古泉に笑い返して、また海を見つめた。 何処までも広がる蒼い海が、俺達を祝福しているように思えた。 なんてのは、流石にくさすぎるだろうか。 それでも、こうして古泉と二人で居る、その事が、幸福なのは間違いなかった。 Fin |