日曜の朝八時。 健全な男子高生ならば、予定もないこんな休日の朝、未だ惰眠を貪っている時刻だろう。 俺も勿論例外でなく、定番化された市内探索も今日は無いのだからと思う存分睡眠を享受しようと考えるのは決しておかしくは無いはずだ。 そんな日曜の朝っぱらに、携帯が鳴り出すと、かけてきた奴を呪いたくなるような気分になるのも決しておかしくはない。半ば寝惚けながら携帯のディスプレイを目にして一気に目が覚めた。 こんな朝に電話をかけてきたら誰であろうが腹が立つが、この人は例外だ。 すぐに通話ボタンを押して携帯を耳に押し当てる。 「はい、もしもし」 『キョンくん?おはようございます。まだ寝てました?』 「あ、今起きたところです。それで、俺に何か?」 朝から朝比奈さんの可愛らしいお声が聞けたなら、むしろラッキーだろう。こんな声で起こしていただけるのなら毎朝お願いしたい。 『ええと、キョンくん、子供の頃の…小学校六年生…くらいの頃の服って持ってます?』 「え?まあ、探せばあると思いますけど」 『出来れば持ってきてもらえますか?あ、それから、そのぅ……』 何かもごもごと呟き、聞き取れない。何かを恥らっている様子だが、一体何なのだろう。 「朝比奈さん?」 『えと、あの……って、長門さん!?』 『下着も欲しい。持って来て』 『長門さんちょっと待ってくださいいぃっ』 ガタガタガタッと電話の向こうで何やら攻防が繰り広げられているようだ。朝比奈さん、長門が苦手なのは克服したんですか? いやそれよりも。 「長門も一緒なのか?」 『そう』 最早何が何やら解からんが。何故男子小学生用の服を一式必要とするんだ?まさか二人がそれをコレクションする訳でもあるまいし。 『あの、下着はっ、その、店で買って来てくださったものでいいですからっ』 「はあ…」 どうやらまた朝比奈さんが長門から電話を取り返したらしい。しかし、本当に訳が解からん。 「まあ、別にそれは良いんですけど。何処に持って行けば良いんですか?長門のマンションか?」 『いえ、古泉くんの家なんですけど。場所知ってますか?』 「古泉の?まあ、住所は知ってますけど…」 何故に古泉の家に朝比奈さんと長門の二人が居るんだ。というか、そもそもこんな朝っぱらからそんな所で何をしているんだ、と突っ込みたいのをぐっと堪える。この三人が集まる理由といえばもう、ハルヒ絡みしか無いのだろうしな。 しかし、古泉の家に集まるのに、何故古泉自身が出てこない。いつもなら朝比奈さんが困っていたら途中から要りもしないのに電話を変わってぺらぺらと解説を始めるというのに。 「じゃあ、これから向かいます。急いだ方が良いんですよね?」 『はい、お願いします』 それを最後に電話を切ると、取り敢えず母親に昔の服の在り処を聞き出し、適当に紙袋に詰め、家を出た。 古泉の家に向かう途中で子供用の下着を買い(これは結構微妙な気分だ。用途不明なだけに余計に)、出来るだけ急いで目的地に着いた。 我ながら物凄い速さだったと思う。 古泉の家に来た事は一度として無かったが、長門のところと負けず劣らずの結構なマンションだった。これも機関から費用が出てるんだろうな。 まあ、細かいところは省くとして、兎に角古泉の住む部屋にやってきた訳だが。 出迎えは朝比奈さんだった。 「どうぞ上がって」 そう言って促されたから、中に入る。だからこの部屋の主は何処に居るのかと思うのだが、きっと中に居るのだろう。何故朝比奈さんに出迎えをやらせたのかは解からんが。 案内されたのは、リビングで、其処には長門と小学生くらいの美少女が座っていた。はて、何処かで見たような顔だが、何処でだっただろう。 しかもその女の子の服装と言えば、恐らく古泉のものと思われるワイシャツ一枚しか着ていない。一体どういうことだ。それとも古泉はついに犯罪に手を染めて警察にでもとっ捕まったのだろうか。 しかし、よくよく考えてみると、それならばこの俺が持っている紙袋の中身はどうなるのだろうか。これは明らかに男物で、下着も当然そのように買ってきた。そして古泉の部屋の中で、ソファにちんまりと座っている美少女……いや、きっと、美少年なのだろう、その正体はと言えば、導き出せるのはたった一人しかおらず、有り得ないと突っぱねるにはどうにも俺は不思議と呼べる事態に慣れてしまっていた。 ああ、よく見れば確かに面影があるではないか。 「古泉…か?」 「はい」 一見美少女な美少年にそう問いかければ、古泉がよく見せるデフォルト笑顔の困りましたねバージョンで、しかしいつもより高いボーイソプラノの声で頷かれた。 ああまた一体、何だってこんな事になったのか。 俺は答えを聞いて、思わず深々と溜息を吐いたのだった。 さて、この事態を前にして、どうするべきか。 視線を巡らせ、長門と目が合う。 「これも、ハルヒの仕業なのか?」 問いかけると、長門が僅かに顎を引く。 「涼宮ハルヒの情報操作の力が働いた事は確認されている。ただ、原因は不明」 「不明?」 長門でも解からないとはどういう事だ。そもそも古泉を子供にする意味は何だ。 「ただ単に古泉の子供の頃の姿が見たかった、とかじゃないのか?」 「それなら僕に昔の写真を持ってくるように言えば、それで済む事でしょう。実際僕が子供になったところで涼宮さんにこんな姿を見せる訳にはいきませんし、例え子供の頃の姿が見たくなったとしても、僕だけ、というのが解せません。それならば当然長門さんや朝比奈さん、貴方の昔の姿も見たい、と考えるのが自然でしょう。ならば、僕がこの姿になったのは、僕でなければならない理由があったか、若しくは誰でもいいから誰か一人で良かった場合しか考えられません」 子供でも古泉は古泉か。この解説口調は相変わらずらしい。見た目がアレだから別人のように感じてしまいがちだが、その口調や仕草がこいつは古泉だと主張している。 見た目はこんなに可愛らしい美少女だというのに、勿体無いことこの上ない。 「心当たりは無いのか?」 「あったら悩んでいません」 「確かにな」 実際そうだろう。それで心当たりがあったのなら、その為に長門も古泉も動いている筈だ。朝比奈さんが役に立つかは解からないが。 「ところでお前、何で俺より先にこの二人を呼んでるんだ?」 「は?」 「いつものお前だったら、そんな格好を長門達に見せようなんて思わんだろう」 なんと言うか、かなりきわどい姿だ。同性の俺になら兎も角、長門や朝比奈さんに対してもフェミニストを気取っているこいつが、こんな姿を進んで見せるとは思い難い。 「ああ、それですか。僕が呼んだのは長門さんだけですよ。朝比奈さんは長門さんが。今朝目が覚めたらこういう事態になっていまして、貴方に連絡する事も考えたのですが、今のこの声で電話をかけても、貴方には悪戯だと思われそうでしたので。長門さんなら何を言うでもなく理解してくれそうでしたしね。本来なら僕が長門さんの所に出かけて行ければ良かったのですが、生憎子供の頃の服は持っていなくて、流石にこの姿で出歩く訳にもいかないでしょう?」 ああそうだな、もしそんな姿で出歩いたら男相手であろうが女相手であろうが攫われそうだからな、今のお前は。 「気味の悪い事を言わないで下さい。長門さんに来ていただいて、それで原因が解決できれば良かったのですが、長門さんにも解からない、という事で流石にこの姿では不便な事が多いので朝比奈さんにも連絡し、着替えに関しても長門さんが、貴方なら子供の頃の服を持っているだろう、と」 そして朝比奈さんが俺に電話を掛ける事になった訳か。 しかし長門、妙に気が効くな。いや、ちょっと待てよ。 「長門、お前は古泉が着る事になると解かってて俺に下着を持って来させようとしたのか?」 そうきくと、こくっと頷くのが見えて溜息を吐いた。成る程、朝比奈さんが必死に抵抗していたのがよく解かる。恐らくは古泉も声には出さなかったが長門を止めていたのだろう。朝比奈さんだけで電話を取り返すのは恐らく不可能だからな。 「あのな、長門。確かに着られなくなった服をおさがりで誰かにあげるとかそういうのは、無い訳じゃない。だがな、下着のお下がりなんて、俺は一度も聞いた事が無いぞ」 というか、流石に俺の家にも子供の頃に使っていた下着なんて置いていないがな。 「そうですよ長門さんっ。いえ、あたしも中々言えなかったのはいけないんですけど」 「まあ、そういう訳ですので」 朝比奈さんは必死に、古泉は苦笑いを浮かべながら長門に言うと、また頷いた。 「そう…………残念」 「何がですか!?何が残念なんですかあああああっ!!!」 長門のぽつりと漏らした問題発言に、朝比奈さんが大声で突っ込みを入れる。俺と古泉はと言えば最早言葉も出なかったのだが。 長門よ、俺はお前の考えている事が今ほど解からなかった事は無いぞ。俺も聞きたい、一体何が残念なんだ!? いやまあ、それは良い、置いておこう。気にしては駄目だ。そんな気がする。 そして古泉にもう一度視線を向ける。 それにしても、矢張り今の姿は視覚的にかなり危険だ。何より見た目は美少女だし、ワイシャツしか着ていないのだ。元の古泉との身長差がありありと解かる程にぶかぶかのワイシャツは、袖を思い切り捲くっても指先が僅かに出ている程度で、裾から延びる白い足がまた、かなり危険値を示している。 理性の薄い野郎が見たら一発で襲いたくなるぐらいの攻撃力を秘めている姿だ。 何よりも本当に可愛い。男だと解かっていても可愛い。下手をしたら朝比奈さんや長門よりも・・・いやいや、これは個人の好みの問題であるからして、優劣は付け難いが、俺的に言えば、今の古泉の顔は、俺の好みにクリーンヒットしている。朝比奈さん以上だ。 もしこれで女だったなら即効告って居た事だろう。 古泉よ、お前はどうして男に生まれてきたんだ。女だったなら今でも相当な美人だったに違いないのに。どうしてこれがあの俺より背の高いスマイルハンサム野郎になるのだろうか。 いやいやいや、こんな事を考えている時点でまずいだろう。そうだ、取り敢えず古泉を着替えさせるのが先決だ。この姿の所為で妙な方向に思考が向いてしまうに違いない。 「取り敢えず古泉、着替えて来い」 「あ、はい。すみません、有難う御座います」 持って来た紙袋を手渡すと、いつものスマイルでお礼を言うのだが、それもまた、この美少女顔の所為で男に対する殺傷能力が上がっている。 ちょっと待て、むしろ危ないのは古泉じゃなくて俺の理性じゃないのか。 早々に元に戻す方法を発見しなければならない。 俺の心の平穏のためにも。 俺の子供の頃の服に着替えて戻って来た古泉は、それはそれで……なんだかマニアックなプレイをしているような気分になるのは何故なのだろう。 普通のTシャツと短パンだというのに、其処から延びる細くて白い腕や足が矢鱈と眩しい。 しかも、丁度俺が小六の時に着ていた服だというのに、それでもまだ少し大きいようだった。 「…どうですか?」 思わず見入っていた俺に、古泉が上目遣いで尋ねてくる。 「ああ、いや、まあ、良いんじゃないか?……でもなあ」 「でも…何ですか?」 似合わない事は無いのだが、美少女顔なだけあって、微妙に違和感も感じる。 「女物の服の方が似合うんじゃないか?」 「……次に同じような事を言ったら殴りますよ」 「今のお前に殴られても痛く無さそうだけどな」 「元に戻ってから殴ります!」 「実はお前、相当気にしてるのか、その見た目」 まあ、男としては女と間違えられるような容姿はコンプレックスになるのだろう。普通に男物の服を着ていても、どちからと言えば男物の服を着ている女の子って感じがするからな。 少し拗ねたような顔をしていても、今なら可愛いとしか思えないから不思議なものだ。 「ところで、お前、今いくつぐらいなんだ?」 「今ですか?多分、小六くらいだと思いますけど…」 「いや、俺の子供の頃の服も少しでかいみたいだからな。かなり小さかったんだな」 元々俺もでかい方では無かったのだが。 それより更に小さいとは相当ではないだろうか。 「背が伸びたのは中学に入ってからですから」 そりゃ随分延びたものだ。今は長門や朝比奈さんより小さい。うちの妹くらいの身長だろう。 「それで、これからどうするんだ?機関には連絡してないのか」 「それはしていません。明日になっても戻らなかったり、閉鎖空間が発生すれば流石に連絡しない訳にはいきませんが、今機関に連絡したところでどうにもなりませんから」 確かに、ハルヒの力が働いているのなら、機関が出来ることなど無いのだろう。長門の方がよっぽど役に立つ。まあ、その長門ですら、今回は原因不明と言っているのだが。 「どうにかして元に戻る方法は無いのか?」 長門に問いかけると、じっと俺に視線を向け、ぽつりと呟いた。 「不明。原因が解からなければ対処出来ない」 「そりゃそうだよな」 朝比奈さんに聞いてもどうしようも無いだろうし。 「お前、本当に心当たりとか無いのか」 「だから、あったらこんなに悩んで居ませんよ。貴方こそ、涼宮さんから何か聞いていないんですか?」 そう言われても、昨日ハルヒと交わした会話を思い返して見たところで、手掛かりになりそうなものは思い当たらない。 「解からん」 「そうですか…」 古泉は深々と溜息を吐いた。原因不明でいつ元に戻れるのかも解からないのでは、憂鬱にもなるだろう。 そう同情していたら、不意に腹の虫が鳴った。それも結構大きな音で。深刻な状況だというのに、全くどうしたものだろうか、これは。 朝比奈さんと古泉がきょとん、とした表情で俺を見、長門はいつもの無表情だが、心なしか好奇心を向けている気がする。 「お腹、空いてるんですか?」 古泉の問い掛けに、尚更恥ずかしさが増して、ぶっきらぼうに答える。 「しょうがねえだろ。朝から何も食ってないんだ」 「ああ、そうですね。起きぬけに電話して、すぐに来ていただいたんですから。そういえば僕も何も食べていませんでした」 「あたしもです」 俺の言葉に、古泉と朝比奈さんが同意を示して、長門も隣でこくりと頷いた。 全員この事態に食事を取る事も忘れていたという事か。ふと壁に掛けてある時計を見れば、もう十時を回っている。朝食にしても昼食にしても中途半端な時間だ。 「取り敢えず何か食べなければいけませんね。血糖値が下がると頭もろくに働きませんし」 「じゃあ、あたしが何か作りましょうか?古泉くん、キッチン使っても良いですか?」 「あ、構いません。冷蔵庫に何かしら入っていると思いますけど…」 朝比奈さんと古泉がそう会話を交わしてキッチンの方へと向かう。俺も何となく気になって着いていった。一人暮らしなのだろう古泉の冷蔵庫の中身というのが、少しだけ好奇心を刺激したからだろう。 中を覗いてみれば、それなりに野菜や肉、牛乳、卵など、一通り何かしら作れる材料が揃っていた。結構ちゃんと自炊しているらしい。 「古泉、お前、料理作れるのか」 「簡単なものだけですけど。外食ばかりだと栄養が偏りますし。ただ、今の身長だとこのキッチンは大きすぎますね」 「大丈夫ですよ、今日はあたしが作りますから」 「有難う御座います。手伝うくらいは僕でも出来ますから」 そう言って仲良く会話を交わす朝比奈さんと古泉は、普段の姿なら嫉妬心も湧いてきそうなものなのだが、今の姿を見ると姉妹…いやいや、姉弟のようにしか見えない。 俺は此処に居ても邪魔だろうから退散しよう。 リビングに戻ると、長門が所在無げにソファに座っていた。それを見て、俺も長門の向かいに腰を下ろす。 この場合、此処で何か解決策を考えるのが筋なのだろうが、腹が減ってろくな考えが出てこず、キッチンの方から仲の良さそうな話し声と笑い声が聞こえてくるのを、微笑ましく聞いて待つことにした。 何となく、これはこれで良いかも知れないな、と思いながら。 朝比奈さんと古泉が料理を運んで戻ってくる。良い匂いが空っぽの胃を刺激して涎が口の中に溢れてくる。 どうやら二人が作った料理はチャーハンのようだが、見た目としてはなかなか、というところだろう。素直に美味しそうだと言うべきか。 二人がチャーハンが入った皿をテーブルに並べ、椅子に座ると、何故か皆揃っていただきます、と手を合わせた。 まあ、朝比奈さんが作ってくださったものならば、当然これぐらいの感謝の気持ちは表すものだろう。 食べた感想はと言えば。 言うまでも無い。美味かったさ、当然だろう、そんなこと。朝比奈さんが作ってくれたものなんだし。ついでに古泉も手伝ってくれたものなんだし。 長門はあっという間に平らげ、俺も空腹だったおかげで早々に皿を空にしてしまったが、残りの二人はといえば、まだ半分もなくなっていない。 古泉はこんなに食べるのが遅かっただろうか。いや、身体が小さい所為なのか? 結局三分の二ほどを食べたところでスプーンを置いてしまった。 「もう良いんですか?」 「はい。流石にこの体だといつもの量は多いみたいで」 「あ、そうですね。ごめんなさい、気付かなくて」 「いえ、気にしないで下さい」 確かに、身体が小さい分、胃に入る量も少なくなるのかも知れない。そして残った分のチャーハンを、じっと長門が見つめている。古泉もそれに気付いたのだろう、苦笑いを浮かべて口を開いた。 「えぇと、食べ残しで良ければ、どうぞ」 古泉そう言って皿を長門の方に押しやると、コクリと頷いて皿を自分の手元に持っていく。 そしてやっぱりあっという間に平らげてしまっていた。 そのやりとりの間に、朝比奈さんも食べ終わり、後片付けは作るのに参加していなかった俺と長門が受け持つ事になった。 それにしても何と言うか、こうしていると…。 「なんだか家族みたいですね」 にっこりと笑って朝比奈さんが言った。 「じゃあ、朝比奈さんはみんなのお母さんって事になりますね、今の状態だと」 「キョンくんはお父さんですか?」 奇しくも同じことを思ったらしい朝比奈さんと笑って話す。しかし、お父さんとはまた妙な気分だ。 「じゃあ長門が長女で、古泉はその弟になるんですね、今の感じだと」 「普段の古泉くんなら、もっとお兄さんって感じがするんですけど」 確かに、年齢よりもずっと落ち着いて見えるから、役柄的にはそうなるのだろう。隣で長門は皿を洗って、朝比奈さんはお茶を淹れてくれている。 古泉はキッチンの入り口に立ってこちらの様子を見ている。 やっぱり、何となく家族みたいな光景だな。 だったらハルヒはどうなるんだろう。この家族像にハルヒを加えたら、次女ってところになるのだろうか。 そんな他愛ない事を話しながら後片付けを終えると、また四人揃ってリビングのソファに腰を落ち着ける事になった。 何となく和んでしまっていたが、古泉がこのままで居るというのは実際問題がある。何しろこの姿では明日学校に出ることなどは不可能で、そうなればハルヒが大騒ぎするのは目に見えている。 「これから、私と朝比奈みくるが、涼宮ハルヒに会いに行く」 そう言って突如結論を出したのは長門だった。また急な話だが。 「これからって、今からか?」 「そう。現在の状況では古泉一樹が何故四年前の姿になってしまったのか原因が解からない。だから、涼宮ハルヒに直接会う事で何らかの解決作が見つかるかも知れない」 「だったら俺も、」 「貴方は彼と此処に居て。女同士の方がいい」 まあ、確かにそうなのだろうが。二人の帰りを待って、古泉と二人きりで此処で過ごすというのはかなり微妙な気分だ。まあ、確かに今の状態の古泉を一人にするのも問題があるし、こういう事は女同士の方が良いのだろうとも思う。 「古泉は、それで良いのか?」 「ええ、今の僕にはどうしようもありませんし、長門さん達に頼るしかないですね。お願いします」 古泉が長門と朝比奈さんに頭を下げると、長門はこくりと頷き、朝比奈さんは「頑張りますっ」と小さくガッツポーズをして見せた。その姿もまた可愛らしい人だ。 そうして二人を見送り、俺は子供になった古泉と二人きり、という状況に置かれた。 しかし、何とも二人だけで居るというのは気詰まりだ。何しろ今の見た目はまさしく美少女顔で俺の好みにクリーンヒットしているのだし、口を開けば古泉だと解かるものの、黙っていれば尚の事、儚げな美少女、という雰囲気が出ていて溜まらない。 何か話題を考えなければ、俺の思考がヤバい方向に行きかねない。 「さて、これからどうしましょうか」 「え?」 「ただ待っているだけ、というのも、貴方は暇を持て余してしまうでしょう?」 まあ、それはそうだが。 俺が頷くのを見て、古泉がふと窓の外に視線を向けた。今はもう夏と言ってもいい暑い季節で、梅雨の今の時期には珍しく晴れ渡っている。 「外に、行きませんか?」 「この暑いのに出歩く気か?それに靴も無いだろ」 「靴なら途中で買えるでしょう。それまでなら別に大きいのを使っても良いですし」 「…本気か?」 普段の古泉なら、お二人が帰るまで此処で待っていましょう、とか何とか言いながらボードゲームでも取り出してきそうなところだが、いや、全部部室に置いているから家には残っていないのか? 「此処で待っていても何も解決しませんし、外に出てみれば何かしら思いつく事があるかも知れません」 どうだろうな、それは。 しかしまあ、確かにじっとしていても仕方ない。二人が帰って来るまでに部屋に戻れば問題無いだろうし。 結局俺は、古泉の言葉に頷き、二人して外へ出かけることになったのだった。 古泉は本当に、今のサイズでは大きい自分の靴を履いて行こうとしたのだが、どうにもその姿は滑稽で、すぐに脱げてしまいそうな上に、かなり歩くのが遅くなりそうなのは目に見えた。 だから、有無を言わせずその姿を抱き上げた。 「うわっ」 突然抱き上げられ、古泉は驚きの声を上げる。ふと古泉を見れば、かなり近い距離に顔があった。 「顔が近いぞ」 「原因である貴方が言いますか。大体、何なんですか、一体」 まあ、古泉の言っている事も尤もなのでそれ以上の反論はしない。 「俺が抱いてった方が早いだろ」 「…それはそうですが、この体勢のまま街中を歩くつもりですか?」 「でかいぶかぶかの靴を履いて不恰好に歩くのとでは恥ずかしさも大して変わらんだろ。それなら機能性を重視する」 「重くないですか?」 「いや、思ったより軽い」 最初に顔を見合わせた時から、どうにもお互い微妙に視線を逸らして会話している。 いや、多分、顔を合わせると今の現状を尚更深く考えてしまいそうで嫌なのだろう、お互いに。 結局のところ、俺が押し切って古泉を抱き上げたまま奴のマンションを出ることになった。 まずは靴屋と、急いで古泉の案内で靴屋に向かい、古泉の足のサイズに合う靴を買った。そうして合わせてみると、足も本当に小さい。 ようやく自分の足で歩ける環境になったことにほっとしたのか、いつもは妙に距離を狭めてくる古泉が、若干俺から距離を置いている。まあ、街中を抱き上げられたまま素足で此処まで来たのだから気持ちは解からないでも無いが。 「それで、これからどうするんだ?」 「…そうですね、どうしましょう」 「何も考えて無いのかよ」 出かけようと言ったのは自分のクセに。 「ただ、余りこの辺でうろうろしているのは嫌です。知っている人に気付かれたりしたら…」 「まあ、今のお前を古泉と理解するのは無理だろうけどな」 ただし、気持ちは解からんでもない。少なくとも古泉は一年以上この辺で暮らしている訳で、それなりに顔見知りが居てもおかしくはない。 だからと言って何処に行くかだが…。 「俺んちの方にでも行ってみるか」 電車に乗らないといかんが。 提案してみると、古泉はあっさり頷いた。此処以外なら何処でも良いのか。 俺の地元に行けば途中で帰巣本能が働いてそのまま家に帰りたくなるかも知れんがな。まあ、その時はその時だ。結局俺達は電車に乗り、俺の家がある最寄り駅まで移動したのだった。 そして切符を買う時に古泉が一言。 「子供料金で良いというのは、ラッキーでしょうか?」 どうだろうな。 ただ金は浮くな。往復で大人一人分というのは良いんじゃないか?今のお前が大人料金で切符を買うのはそれはそれでおかしいからな。 だが、こちらに来ても何処に行くという当てがある訳でもなく、結局ぶらぶらと歩くだけだ。ただ、古泉は時折あちらこちらと視線を飛ばして、その度に何か考え込んでいるようだった。 そうして歩く事から気が逸れていた所為か、古泉が急に躓いた。 「おいっ、気をつけろよ」 「す、すみません」 反射的に腕を掴んで支えると、古泉が少し情け無さそうに笑う。今の姿でそんな顔をするな、妙に庇ってやりたくなるだろ。お前はいつもの胡散臭い笑みを浮かべてれば良いんだ。 などと内心毒づくが、口に出す訳にも行かず、気付けば古泉がじっとこちらを見ていた。 「…なんだよ」 「いえ、今日は何だか優しいですね」 「そりゃまあ、こういう事態だからな。いくら中身が古泉とはいえ子供は守ってやるもんだろ」 その前にいつもはもっと冷たいみたいな物言いだが、そうでしょうと返されて反論出来るかというと微妙なところなので言わない。 「貴方らしいですね」 そう言って笑う古泉の顔が、やっぱり可愛いな、などと我ながらどうかしているような事を思い、気を逸らそうかと先程ふと気になった事を聞いた。 「お前、さっき何をぼんやり考えて躓いたんだ?」 「あ、ええ…その……視線の低さとか、そういうものを感じて、子供になってしまったんだな、と実感していたんです」 何処か自嘲気味に笑う古泉に、何とも言えない気分になる。子供になるというのは、一体どういう気分なのか。想像したところでよく解からない。 高校の授業の難しさにイラつくたびに、小学生に返りたいなどと馬鹿げた空想をした事は無い事は無いが、それはあくまで空想に過ぎず、実際に子供になってしまったら。 実は、表に出さなかっただけで、古泉は結構不安だったんじゃないのか? いつもの古泉と微妙に違う表情や、外に出たいと言ったのも、家の中に篭っていると悪い方にばかり考えてしまいそうだったからじゃないのか。 今更ながらにその事に思い当たり、心の中で毒づく。 俺は結局、古泉の見た目にばかり惑わされて、内面までは考えていなかったのだ。 軽い自己嫌悪に陥り、俺は目の前の小さな体になった古泉を抱き締めたい衝動に駆られた。 「あれえ?キョンくんだー!」 行き成り聞こえた子供の声に、急激に俺の理性は現実を取り戻した。 妹に見つかってしまったのはあれだが、助かった。 お前が声を掛けてくれなかったら、お兄ちゃんはもう少しで踏み込んじゃいけないところに踏み込んでいたかも知れない。 先程自分が何を考えていたか、改めて考えるのは危険な気がするので止めておこう。精神衛生上のためにもきっとそれがいい。 「朝から出掛けてたってお母さん言ってたのに、帰って来たの?」 「いや、そういう訳じゃないけどな」 「……キョンくん、その子だあれ?」 どうやら古泉の存在に気付いたらしい。当の古泉はと言えば、俺の後ろに隠れようとしているらしいが、幾らなんでも無理だぞ。 しかし、問いかけられてなんと答えたものか。 「古泉くんに似てるね?」 「あー、いや、うん……そう、この子は、古泉の親戚の子なんだ。古泉んちに遊びに来てたんだけど、急にあいつに用が出来ちまって、代わりに俺が面倒見る事になったんだ」 「そうなの?」 「そうだ。なっ?」 「は、はい」 慌てて作った言い訳に、妹は疑問に思った様子はなくほっとする。やっぱり一目見ても古泉に似ている(というか本人)という事は解かるらしい。 しかし、妹に見つかったのは、古泉にしては災難だったか。 それにしても、実際妹と見比べても遜色ないくらい古泉はちまいサイズだ。小六にしては子供っぽい雰囲気のする妹と並んでも違和感が無い。 「ねえ、名前はなんていうの?」 「え?ああ、何だっけ!?」 「あ、えーと……か、カズキ、です」 咄嗟にそう答えた古泉に、妹が纏わりつく。 「カズキくん。ねえねえ、一緒にあそぼーっ」 「え、あの…っ」 慌てる古泉に、俺もどうしたものかと思う。幾らなんでも妹にバレる事はないだろうが。 それにしても、カズキ、ね…。単純な変換だな。というか、むしろ名前をそう読まれたことがあるんじゃなかろうか。 あの字でイツキと読む方が珍しいだろうからな。 さて、其処で妹に腕を引っ張られて困っている様子の古泉を見るが、どうしたものか。 俺に決定権は無いだろう。 「お前の好きなようにしろよ」 そう言うと、古泉は俺を見て、それから、妹を見て、少し考え込む。口元に手を当てるような仕草がちょっと可愛らしい。 「ね、一緒にあそぼ」 妹に、最後の一押しとばかりに強請られて、古泉は笑みを作った。 「うん」 その時の表情が、何と言うか…子供っぽいものになっていたのは気のせいだろうか。妹はと言えば、頷いたのを確認した途端、古泉の腕を掴んだまま走り出した。 確かこの近くには公園があったから、其処に行くつもりなのだろう。 古泉の相手は妹に任せて、俺はゆっくりと着いて行く事にしよう。 それから公園では、古泉は殆ど妹に振り回されているような感じだったが、何だかんだと楽しそうに見えた。 ある意味此処で妹に会えたのは古泉にとってもラッキーだったのかも知れないな。妹に振り回されている限り、小難しい事も考えずに済むのだろう。 そんな二人を見ている俺はと言えば、やっぱり何だか女の子同士が遊んでいるようにしか見えなくてどうしたものかと思う。 待て待て、取り敢えず妹は一目で古泉が男だと解かったみたいだし、やっぱり俺の目がおかしいのか? それはそれで何だか嫌だな。 まあ、考えるのはよそう。そうしよう。 しかし、妹と遊ぶ古泉の言葉からは、敬語が消えている。言葉遣いで自分の正体がバレるのを怖れての事だろうが、むしろその方が子供らしくて良いじゃないかと思う。まあ、あの言葉遣いも機関の職業訓練の賜物らしいから、実際はあれが素なのかも知れない。 妹に振り回され、それでも無邪気に笑う古泉を見て、ずっとあんな風なら元に戻っても可愛げがあるのに、と思ってしまうのはいた仕方ない事だろう。 暫くそうやって子供二人が遊ぶのを眺めながら過ごし、気がつけば時刻は午後四時を回っていた。 「おい、そろそろ帰るぞ」 流石にこれ以上遊ばせておく訳にもいかない。長門や朝比奈さんも戻っているかも知れないしな。 「えー、もう?」 「もうって、夕方だろうが。そうそう、俺は今日は帰れんかも知れないから、お袋に言っといてくれ」 「解かった。じゃあ、またね、カズキくん」 「うん、また」 バイバーイと元気よく手を振る妹を見送り、溜息を吐く。 古泉はと言えば、妹に小さく手を振り替えし、その後は何処か虚ろな表情を浮かべていた。 そんな顔をするな、お前はいつもみたいにへらへら笑ってれば良いんだ。言葉に出さず、ぐしゃぐしゃと頭をかき回すと、抗議するような目を向けられる。 「…楽しかったか?」 「そう、ですね」 俺の問いに穏やかに笑ってそう答える古泉を見てほっとする。 なあ、やっぱりお前はそうやって笑っているのがらしいよ。落ち込んでるのも、心を何処かに落としてきたような表情を浮かべるのも全然らしくないんだからな。 例え子供になったって、古泉は古泉で、他の誰でもないんだから。 そう心の中で語りかけてはみるものの、声には出さない。出せる訳がない。 そんな慰めるような言葉を掛けられる事を、古泉のプライドが許さないだろうし、俺だってそんな事を言うのは恥ずかしい。 だから、心の中だけだ。 夏の日差しでまだまだ日が暮れる様子は無いものの、時間帯的にはもうすぐ夕方だ。 二人連れ立って、古泉のマンションに帰る。 きっと、こんな事が無ければ、ずっとこういう機会は無かっただろう。奇妙なものだ。 古泉の家に帰りついたが、まだ長門や朝比奈さんは戻ってきてはいないようだった。恐らくハルヒに引き止められているのだろう。 さて、しかしそれではどうしたものか。 朝昼兼用で食事をしたのが午前十時半頃、そして今は午後五時である。 腹が減った。 古泉を抱えて商店街まで行き、その後地元に行き、妹に会って古泉と妹が遊ぶのを眺め、その後また帰って来た。 ああ、考えてみると結構動いている気がする。腹が減って当然だ。 俺のその様子に気付いたのだろう、古泉が気を利かせてきた。 「何か作りましょうか?今のこの姿じゃ大したものは作れませんけど」 「いや、いい。朝比奈さんや長門もそのうち戻ってくるだろうし、俺らだけ先に何か食ってる訳にもいかんだろ」 それに、本来気を使わねばならないのは俺の筈だ。今大変なのは古泉で、そうは見せないが結構不安な筈なのだから。だからと言って、俺に古泉を慰めるような言葉など出てくる筈も無い。 ああ、全くどうしたものか。 腹が減っているからか、余計に頭が回らない。 結局会話を交わすこともせず、俺と古泉は互いに向かい合わせにソファに座り、時間が過ぎて長門と朝比奈さんが戻ってくるのを待つことになったのだった。 二人が戻ってきたのは午後六時半頃の事である。 沈黙に耐え切れなくなっていた俺は、即効でソファから立ち上がり帰って来た二人に走り寄った。 「遅くなってごめんなさい」 戻ってきて早々謝る朝比奈さんに、気にする事は無いと言い置いて、取り敢えず成果があったか長門に問いかける。 「で、収穫は?」 「ない」 「完結で解かりやすい答えだ」 喜ばしい事は何も無いがな。 結局のところ長門達も無駄足だったという事か。一体古泉が子供になっちまったのは、何が原因なんだ? 「ごめんなさい、役に立てなくて」 「いえ、朝比奈さんの所為じゃないですよ」 落ち込む朝比奈さんの顔なんて見たくないからな。悪いのは古泉をあんな姿にしたハルヒであって、朝比奈さんや長門じゃないんだから。 「ところで、古泉くんは?」 「ああ、そういえば」 成果が一番気になるのは古泉の筈なのに、先程から一言も発してないのが気に掛かる。 そうして古泉が座っていたソファを振り返ると、何処かぐったりとした様子で背凭れに寄りかかっていた。 「古泉?」 明らかに様子がおかしい古泉に気付いて、慌てて走り寄る。 「おい、古泉!」 名前を呼ぶが反応は無い。頬を叩くが、むしろその時触れた肌の熱さに驚いた。 「古泉くん、どうしたんですか?」 「熱があるみたいです」 改めて額に手を触れると、かなり熱い。息も荒くなっているし、体もじっとりと汗ばんでいる。 その様子を見て、自分を罵りたくなった。ずっと側に居て、何故気付かなかったのかと。こんな状態になる前から、体調はおかしかったに違いない。しかも古泉の事だ、俺達に心配かけるからと、気付いていても黙っていたのだろう、そういう奴だ。 だったら、側に居た俺が気付くべきだったのに。 「キョンくん、兎に角ベッドに」 「はい」 朝比奈さんに促され、俺は古泉を抱き上げてベッドに運ぶ。すぐに朝比奈さんが氷枕と濡れタオルを用意してきた。 その手際の良さに感謝しながら古泉を布団に寝かせ、熱を測るために体温計を探そうかと思うが、むしろすぐ側に居る長門に聞いたほうが正確に解かるだろう。 「長門、今の古泉の体温解かるか?」 「三十八度六分」 「結構あるな…」 「風邪でしょうか…」 「精神、及び身体的疲労によるもの。風邪と呼ばれる類のものではない。医者に見せるよりも休ませる事を優先すべき」 ヘタな医者より頼りになるな、長門。 しかし、精神的な疲労か。やっぱり今の状態は古泉にとって相当きつかったのだろう。そのクセ弱音も吐かずに我慢する。 「じゃあ、あたし達はリビングに戻りましょう。一人の方がゆっくり眠れるでしょうから」 「そうですね」 朝比奈さんの意見に従って、俺達は一旦リビングに戻った。 無口な長門と、今回の事で気落ちした俺を気遣ってか、兎に角朝比奈さんは場を明るくしようと必死な様子で言った。 「兎に角、あたし達が落ち込んでいても仕方ありませんから、食事にしましょう。古泉くんにも、起きた時に何か簡単に食べられるものを作っておいた方がいいでしょうから」 「そうですね…。俺も手伝います」 元気付けようとしてくれているなら、それに乗る事にしよう。ただ落ち込んでいたってどうしようもないのは確かだ。 俺と朝比奈さんがキッチンに向かうと、長門も着いてきた。 「…長門も手伝うのか?」 聞くと、小さく首を縦に振る。 「そうか」 もう一度頷く。 そうして、兎に角料理の仕方など殆ど知らない俺は、朝比奈さんの指示に従い、長門と共に自分たちの食事と、古泉用にお粥を作ったのだった。 病人といえばお粥だろう。風邪じゃないが。 そして自分達の食事を終えると、朝比奈さんと長門には家に帰るように促した。 朝比奈さんは、熱を出した古泉を心配そうにして帰るのを渋っていたが、結局のところ大勢残っていても仕方がないからと俺が説得し、何か変化があれば必ず連絡すると約束して帰ってもらった。 病人の看病は、朝比奈さんの方が向いているのかも知れないが、今回は俺がやりたかった。 古泉の変調に気付いてやれなかったお詫びや責任の気持ちがあったからだが、何よりも、放っておけなかったし、古泉は古泉で、朝比奈さんや長門にあのような姿をずっと見せているのは良しとしないだろう。 妹の看病くらいならした事がある。 そうして俺は気を引き締め直し、古泉の寝ている部屋へと向かったのだった。 古泉の部屋に戻ると、まだ眠っているようだった。すっかり温くなっていたタオルを換えて、古泉の体温を確認するが、まだ熱は結構あるようだった。 俺が持って来た服も汗で濡れてしまっている。何より昼間妹と遊んだ時のままだ。 やっぱり着替えはしないといけないよな、しかし俺が持って来た服は今古泉が着ている一揃いだけだ。これは大きいのを我慢してもらって、古泉の服を着せるしかないか。ああ、体も拭いてやった方が良いのだろうか。 兎に角思いつく限りをしようと、クローゼットを漁ってワイシャツを見つけ出し、眠っている古泉の服を脱がせる。 それにしても、他人の着ている服を脱がせるというのは妙な気分だ。相手が男であっても…というか、今の古泉は完全に美少女顔で、それが余計に視覚的にヤバい。 俺は出来るだけ古泉を見ないようにしながら服を脱がせ、体を拭いてやる。ああ、本当に何で古泉相手にこんな気分にならなきゃいかんのか。 汗を拭き、ワイシャツを着せてやると、汗に濡れた服の方は洗濯機に放り込む。これぐらいはやり方は知っている。 明日の朝着るものが無かったら困るだろうから、今のうちに洗って乾かしておいた方が良いだろう。 やれるだけは一通りやって、古泉が寝ているベッドの脇に座り込む。疲れているだけなら、寝ていれば熱は下がるだろうが、それにしたって、現状が解決されなければ意味がない。 どうにか出来ないものか。 「ん…っ」 小さく呻く声が聞こえて、古泉に視線を向ける。めが醒めたらしく、熱で潤んだ瞳が俺を見上げてきた。 「…僕は……」 「熱出して倒れたんだ。気分はどうだ?」 「少しだるいですけど、大丈夫です。看病してくれてたんですか?」 「まあな。お前が熱出してんのに気付かなかった俺が悪いんだし」 「そんなことは…」 そう言ってから、自分の着ている服が先程と違っている事に気付いたのだろう古泉は、ワイシャツを見遣り、それから俺を見た。ああ、何だ、妙に気まずいのは何故だ。 「いや、な、汗で濡れちまってたから…」 「……いえ、お手を煩わせて申し訳ありません。有難うございます」 俺の妙な反応の所為か、古泉も気まずげに視線を逸らして礼を言う。ああ、何なんだこの空気は。 「ああ、そうだ。朝比奈さんがお粥作ってくれたんだ。食べるか?」 何か話題を逸らす事は出来ないかと考えて思いついたそれを口にする。 「そうですね…食欲が無い訳ではありませんから」 「じゃあ、温めなおして持ってくるから、待ってろよ」 キッチンに行き、急いで温めなおし、ベッドまで持っていく。 「食べれるか?」 「大丈夫ですよ、子供じゃないんですから」 「今のお前は子供だろ」 そう言うと苦笑いを浮かべられて、ああ、これは言うべきじゃなかったかと思う。 俺は古泉に対する気の使い方なんて解からないんだ。だからいつも通りに出来るように早く戻ってくれないだろうか。切実にそう思う。 食欲はあると言ったとおり、量も加減して作られていたおかげか、お粥は全て古泉の胃の中に消えた。それを片付けてまた部屋に戻る。 「兎に角寝ろよ。長門が言うには疲れているかららしいから、寝てりゃ治るだろ」 「はい…すみません」 「なんで謝る」 「いろいろと。今日は迷惑を掛けっ放しですから」 「……こういう時はお互い様だろ。気にすんな。んでとっとと寝ろ」 「…はい」 俺が無理矢理古泉を布団に寝かせると、それに従ってゆっくりを目を閉じた。 矢張り疲れているのだろう、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。先程までのような苦しそうな息をしていないだけ随分マシだろう。 そして、やっぱり俺も疲れた。 本当に、どうやったら元に戻るのか。眠る古泉を見つめながら、俺もいつの間にか眠り込んでしまっていた。 翌日。身体が軋んだ痛さに目を覚ます。 結局古泉が寝ているベッドの側で不自然な体勢で寝てしまった所為か、身体が痛い。 思い切り伸びをして、古泉の容態はどうだろうかと視線を向けて、固まる。 「古泉、おい、起きろ、古泉!!」 昨夜熱が出ていたなんて事はお構い無しだ。そんな事は気にしてられるか。 「んっ…」 「起きろ、古泉!戻ってるぞ!!」 「え…?」 俺の言葉に一気に意識が覚醒したのか、古泉はぱちくりと目を見開き、それから身を起こした。 そして自分の手を見て、姿を見、それからはあ、と大きな溜息を吐いた。その気持ちはよく解かる。 「何はともあれ、良かったな」 「ええ、本当に。今日戻らなかったら、機関に連絡して何らかの対策を講じなければいけませんでしたから」 「それにしても、結局原因は何だったんだ?人騒がせな…」 「ああ、それは…」 何か思い当たる事があるのか、古泉が鼻筋をなぞりながら呟く。 「僕に、子供の時間をプレゼントしてくれたんだと思います」 「は?」 「いや、思い出したんですよ。子供でいる間はすっかり忘れていた…というか、その部分の記憶が消されていたのでしょうが、金曜日、涼宮さんと二人で話したときの事を」 やっぱりハルヒか。そして古泉に心当たりが無かったのは記憶が消されていたからだと?ああもう、何でそんなとこだけ用意周到なんだ。 「で、何を話したんだ?」 「ええと、つまりですね…」 古泉の話によると、金曜の放課後、俺は掃除当番で遅くなり、朝比奈さんも長門もクラスのホームルームが長引いた所為で、その時部室はハルヒと古泉の二人だけだったらしい。 其処でハルヒがふと古泉に問いかけたのだった。 「古泉くんの子供の頃って、どんな風だったの?」 「どんな、とは?」 「何だか想像つかないのよね、古泉くんが他の同年代の子供と一緒になって外で遊んでる風景とか」 「ああ、そういえば確かに、無いですね、そういった事は」 「…本当に無いの?」 ハルヒは言った当人だというのにかなり驚いたようで、古泉に問いかけてくる。古泉はその様子に苦笑いを浮かべ、隠す事でもないから、と答えた。 「子供の頃は身体が弱くて、すぐに熱を出していたんです。両親も過保護で外で遊ぶ事は絶対許可してくれませんでしたね。まあ、中学に入った頃から丈夫になって、今では何ともありませんが、その頃には友人と外に遊びまわる、というのもしなくなるでしょう」 そう言うと、ハルヒはふーん、と頷き、何事か考え込んでいるようだった。 ようするに、古泉はその時の会話の記憶が消されていたという事だ。 「そんな風に、僕が子供の頃友人と遊ぶ事が無かった事を気遣って、子供の時間をプレゼントしてくれたんでしょう。涼宮さんは無意識の事でしょうが。そして、昨日僕が貴方の妹さんと遊んだ事で、目的は達成された、という事ではないでしょうか」 「…だからって何でその時の記憶を消すんだよ。だから余計にややこしくなったんだろ」 「そんな事を覚えていたら、純粋に楽しめないからじゃないですか?」 「…そうかね」 何と言うか、ハルヒなりに古泉を気遣っての事だったのだろうが、おかげで色々と大変だったんだがな、俺達は。 「いろいろと有りましたけど、今となっては良い経験だったと思いますよ」 「そうか?熱まで出しといて」 「ええ。此れまでにないくらい貴方に優しくしていただきましたから」 にっこりと笑ってそう言われ、成る程昨日の俺もどうかしていたと改めて思いなおす。 妙に気恥ずかしくなり視線を逸らし、それでもまあ、元に戻ったんだから良かったと溜息を吐く。 もう二度と御免だがな。 おまけ さて、元に戻ったのは良いことだ。 しかし、なんと言うか…。 「少し勿体無い気もするな、あれは結構可愛かった…がふっ!」 俺がしみじみと言っていると、行き成り顔面に何かが飛んできた。枕だ。 「何すんだ、行き成り!」 「次にそんな事言ったら殴るって言ったでしょう!」 「殴ってねえし、女みたいだって言った訳でもないだろうが!」 「だから枕にしてあげたんでしょうっ」 可愛いですら禁句かよ、お前。 ってちょっと待て。 「お前その格好であんま動くな!!」 「えっ」 その下には何も穿いてないんだぞ、あんまり動くと見たくないものまで見えるだろうが。 俺が動く古泉を抑えようとしたのと、古泉がその事に気付いて慌てたのが同時。 結果はと言えば、俺が押し倒すような形でベッドに倒れこんでしまったのだった。非常に拙い。 何が拙いかと言えばこの構図もさることながら現在の古泉の姿が拙い。 「…態とじゃないからな?」 「解かってますから、早く退いてください」 勘違いされるのも困りものだが、この反応も可愛げが無さ過ぎる。子供の時はそれでも結構可愛かったというのに、勿体無い。 「本当に、元に戻ると可愛くないな」 「可愛いなんて言われても嬉しくありませんから」 まあ、男としてそれはそうだろう。しかも古泉の場合、昔散々言われたに違いない。 気持ちは解からんでもないが、矢張り勿体無い。 「ところで、申し訳ないんですが」 「何だ?」 「着替えたいので部屋から出て行って貰えますか?見たいと言うのなら別ですけど」 「……解かった」 俺も男の着替えなんぞ見たくない。 ああ、全くもって、可愛くない。 子供の頃の姿が好みにど真ん中だっただけに勿体無い。そうだ、今度ハルヒにまた古泉を子供の姿にしたくなるように唆してみようか。 一日限定の子供なら、また良いじゃないか。 さて、どうやってハルヒを唆そうか。 Fin |