Disappearing summer



 八月三十一日。
 本来なら夏休みの最終日である今日、僕はとある賃貸マンションのインターフォンを押していた。
 時刻は九時。
 早すぎるという事も無いが、遅くも無い。
 この時間なら相手は起きているとふんで此処まで来たのだ。
 そして思った通り、彼はドアを開けて顔を出した。
「何だ、朝っぱらから。夏休み中はもう来ないかと思ってたんだがな」
「涼宮さんに、今日はお休みだと言われましたので時間が空いたんです。貴方もお暇でしょう?これから出掛けませんか」
「勝手に暇だって決めつけんなよ」
 忌々しげな顔をしてそう言うが、実際彼に予定があるとも思えない。夏休み中も、どうやら殆ど出掛けたりはしていないようだし。
「でしたら、何かご予定が?」
「…無いけどな」
 案の定、そう言えば更に顔を歪めて呟く。その表情が可笑しくて笑みを零すと、更に睨みつけられた。
「では、出掛ける用意をしてください、少し遠出になりますから」
「って、俺はまだ一緒に行くとは言ってねえぞ」
「そう言わずに。入りますよ?」
 そう言って彼の承諾を聞く前に足を踏み入れた。彼は仕方無さそうに溜息を吐き、結局僕を許容する。まあ、それが解かっているからの行動ではあるのだけれど。
 彼は見かけによらず意外とお人好しらしく、何だかんだで僕が言う無茶も受け入れてくれる。
 それを利用して彼に出掛ける用意をさせ、殆ど強制的に部屋から引きずり出した。僕はそもそも日焼け対策をしているからなのだが、彼はそんな事をしているとは思えない。だというのに、全く日に焼けていないのは本当に殆ど部屋から出ていないのだろう。夏休みの間に真っ黒に日焼けした彼や涼宮さんと比べると彼はどうにも不健康だ。
「何処に行くんだ?」
「それは着くまでのお楽しみです」
 問いかける彼に笑みを浮かべてウィンクすると、嫌そうに眉を潜められた。髪を整え、眼鏡をかけ、それなりにだらしなく無い格好をした彼の姿は、一見すると優等生、というよりは秀才タイプに見えるだろう。僕も自分の見かけに関しては同様で、周囲からは取り立てて違和感のある組み合わせには見えないだろう。
「僕が来れない間も、殆ど部屋から出てないんでしょう?今日は息抜きですよ」
「なんでそんな事知ってる?」
「僕がいない間は、別の者が貴方の監視についているんです。だから貴方の行動は自然と僕まで伝わってきます」
「プライベートもへったくれも無いな」
「それが解かった上で協力して頂いているのだと思っていましたが。それと、人目のあるところでは『生徒会長』らしく振舞ってくださいと言ったでしょう?その言葉遣いは減点です」
「……解かった」
 彼は深々と溜息を吐いて頷いた。
 少し、不思議な事がある。
 どうして彼は、何だかんだと言いながら僕の言葉に従ってくれるのだろうか。確かに若干お人好しのところはあるが、かと言って彼が僕の言葉に其処まで従う義理は全く無いのだ。見えないところで僕の言葉と相反する言動をしていたとしても、別段咎められる事は無いはずなのに、僕が彼の元に来れなかった間、彼は僕の言った言葉をきっちり守って生活していた。
 そこが不思議でならない。
 彼は、人から命令されるのは好まない性質だと思っていた。恐らく、本来なら彼は命令する側の人間で、だからこそ僕は彼に生徒会長になって欲しいと頼んだのだ。
 なのに何故、彼は僕の言葉に従うのだろうか。
 そう疑問に思っても、直接問い質す事は出来ない。出来るなら、したくない。其処まで踏み込む必要も無いだろう、と思う。
 僕はその思考を振り切り、駅へと向かった。

 二時間ほど電車に揺られ、ついたのは人気の少ない駅だった。
 すぐにタクシーを捕まえ、乗り込むと行き先を告げる。運転手は一つ頷くとすぐに車を出した。タクシーというと、矢張り新川さんの運転を思い出すのだが、それよりはいくらか乱暴な運転で、乗り心地は余り良くない。と言っても新川さんの運転する車に乗るときは機関の任務でばかりだから、余り良い思い出とは言えないが、それでもついつい引き比べてしまうのは無理も無いことだと思いたい。
 そしてタクシーでまた一時間ほど揺られて着いたのは、潮風匂う砂浜だった。
 夏休みの最終日とはいえ、まだ暑い中人気が全く無い。
「何だ?人が全くいねえじゃねえか。いくら夏休み最終日でも誰も居ないのはおかしいだろ」
 当然の如く当然の疑問を口にした彼に笑みを浮かべて答えた。
「此処は機関が所有する土地ですから、関係者以外は立ち入り禁止なんです。まあ、所謂プライベートビーチですよ」
「何で機関が砂浜なんか所有してんだよ」
「この砂浜だけじゃなく、この辺一体ですよ。機関の所有する研究所や医療施設、まあその他諸々あるのでね。この砂浜はおまけみたいなものです。機関に在籍する人間の殆どが大人ですから、こんな海水浴に最適の砂浜があっても、息抜きの散策にぐらいしか訪れない、宝の持ち腐れです」
「つまり、人が来ないから存分に地を出して構わないって事だな?」
 僕の細かい説明など興味は無いらしく、その点だけを確認して煙草を取り出し、火をつけた。ヘビースモーカーの彼が此処に来るまでずっと我慢をしていたのは承知しているから、取り立てて文句を言うつもりも無い。
「で、まさか此処で泳ごうなんて言うんじゃ無いだろうな?」
「貴方が泳ぎたいのならそれでも構いませんが。言ったでしょう、息抜きです。部屋に引き篭もっているのも体に良くありませんし」
「泳ぐなんて疲れるだけで面倒だ。まあ、実際殆ど部屋の中で過ごしてたから、今年海にも来てなかったけどな。出店も無い上に日差しを避けるような場所も無い砂浜で突っ立ってるだけってのはただ暑いだけなんだが」
 彼の言葉は確かに最もだろう。今は正午過ぎ、相当暑い時間帯だ。そういえば昼食もまだだし、何か食べた方が良いだろうか。
 しかし、タクシーは帰してしまったし、此処から歩いていける距離で食事の出来るところとなると、機関の施設以外には無い。
「別に何処でも良いぞ、食えるなら」
 その点を話して昼食をどうするか問いかけてみれば、そう答えが帰って来た。
 ならば悩む必要は無い。
 僕達は砂浜から一旦離れて、小ぶりの建物に入っていった。一見しては食事が取れるとは思えないような、白く四角い、本当にさほど大きくもない施設だが、食事をするには此処が一番最適だろう。
 入り口に居た警備員に一言二言口を聞き、彼を示して中に入りたい旨を伝えると、すぐに頷き、中に通してくれた。
「顔パスかよ、お前」
「まあ、三年も機関にいれば、自然とそうなりますよ」
 中に入ると、すぐに開けた場所があり、机と椅子が置かれている。此処はようするにこの辺一体で働く機関に所属する者専用の食堂だ。昼過ぎではあるが、今は人は余り居ない。最近は割りと平和だから、当然なのかも知れないが。それでも何人かの人が居て、僕に声を掛け挨拶をしてくる。僕もそれに返しながら、一番奥の厨房に向かう。
 そこで顔見知りのコックに彼を紹介し、食事をしたいと言うと、気前良く頷いて何が食べたいか聞いてくる。
「何って行き成り言われてもな。メニューとか無いのか?」
「別に何でも良いですよ、大抵の食材は揃ってますから」
「…マジかよ」
 彼は一瞬呆れ、それから注文を口にした。その後僕も注文し、暫く時間が掛かるから座って待っているようにと言われて、空いている席につく。
「何つーか、本当に機関ってのはワケの解からんとこだな」
「そうですか?」
「ああ。ある意味すげえ金の無駄遣いをしてるな」
 彼のその言葉に思わず笑みを浮かべる。確かに、そうとられてもおかしくは無いだろう。無駄に広く所有する土地。機関に在籍する人間に対するサービスにしても、過剰とも言える。しかし、それは翻せば、これだけしてやってるんだから、裏切ったら承知しないぞ、という事に他ならない。
 機関に対抗する組織から、何らかのアプローチを受けている者も少なく無いだろうし、実際裏切ったものも少なからず居るが、そういう人間は大抵手酷い制裁を受けている。命が助かれば儲けもの、といったところだろうか。
 しかし、そんな事を彼に言う必要も無い。不必要に深く関わらなければ、無事に高校を卒業し、望む大学に行く事が出来、そして機関の事など何れ忘れるに違いない。
 まあ、彼は此処に来た事すら忘れてしまうのだから、言っても問題は無いのかも知れないが。
 彼と他愛も無い事を話していると、食事が運ばれてきた。
 彼はカレーライスと唐揚げとサラダという、ボリュームも重視のもので、僕はと言えば月見うどんである。
「お前、よくそれで足りるな」
「僕はこれぐらいが丁度良いんです」
「だから背はあるのにそんなに細いんだな」
 まあ、確かに彼が食べるぐらいの量が、男子高校生としては標準だろう。ただ、僕はどうにもそれだけ食べる気にはなれない。
「もう少し太っても罰は当たらないぞ」
「本当にこれで充分なんですよ、僕は」
 笑みを浮かべてそう言うと、唐揚げを一つはしで挟み、行き成り僕の口に突っ込んできた。思わずそれを咀嚼すると、にやり、と人の悪い笑みを浮かべた。
「これぐらいは食っとけ。あと野菜もな」
 そう言ってサラダをまた端で挟み、問答無用で僕の口に突っ込んでくる。避けきれずにそれをまた咀嚼すると、楽しげに笑っていた。
 一体何がそんなに楽しいのだろう、僕が思わず呆れていると、「鳥の雛に餌でもやってる気分だな」と言われたが、あんな無理矢理な餌の遣り方も無いだろうと思う。
 しかし、文句を言おうにも彼は既に自分の食事に集中しており、タイミングを逸してしまった。結局僕も無言で月見うどんを平らげるしかなくなってしまう。
 食事は二十分程度で終わり、また建物の外に出た。
 もう夏休みは終わりだというのに、外に出た瞬間にむっとするような熱気が襲ってくる。
「くそっ、ずっと建物の中に居たい気分だな」
 彼が毒づくのを見て苦笑し、僕もその通りだなと思うのだが、誘った手前それは言えない。もし言えば、だったら連れてくるんじゃないと言われるのが関の山だ。
 再び海岸に戻り、暫く砂浜を歩いた後、辛うじて出来ているような日陰に腰を下ろした。
 別に何をしに来たワケでもなく、他にする事が無いというのはかなり時間を持て余すものだな、と実感する。正直、僕には暇な時間など殆どなく、次から次へとやる事があるから、不意にこんな時間が出来ると、どうして良いか解からなくなる。
 だから今日、突然何もする事がなくなって、ふと思い立って彼を連れて此処に来た。
 結局、何もする事が無い事には変わりはないのに。
「ったく、ホントにあちーな」
 そう言いながら、彼はまた煙草を取り出し、火をつけた。間が持たないときに煙草を吸うのは中々良い手段なのかもしれないな、とふと思う。
「いっそ本当に泳いでみたらどうですか?」
「冗談だろ」
 彼は僕を軽く睨みつけて、思い切り吸い込んだ煙草の煙を思い切り吐き出した。
「何してたんだ?」
「え?」
「涼宮ハルヒから連絡があってから。随分忙しかったみたいだな」
「ええ…そうですね」
 これは彼なりの助け舟だろう。
 僕に何も言いたい事もなく、間を持て余していたから、彼は態々助け舟を出してくれたのだ。僕はそれにそのまま乗り込んで、この夏休みにあった事を語り始めた。
 話し始めれば中々話題は尽きる事がなく、彼は時折呆れた表情を見せながらも、似合わぬような穏やかな眼差しでそれを聞いていた。
 途中、飲み物を買いに行ったりもしたけれど、夕暮れまでの数時間を、僕は彼とそうして会話しながら、その海岸沿いの日陰で過ごしていたのだった。
 有意義とは言えない、もしかしたら無駄かも知れない時間だけれど、僕はそれを純粋に楽しいと思った。こんな時間が、もっとあれば良いのに、と。
 先のことなど何も気にせずに居られる時間、そんなものが、あったら良いのに。

 夕暮れに染まり始めた景色の中、ふと会話が途切れ、沈黙が下りた。
 美しい夕日が海に沈もうとする様を眺めていると、何とも言えず胸に迫ってくるものがある。これがただ感動しているだけなのか、郷愁の念を誘われているのか、それとも迫り来る夜に恐怖を覚えているのか、どうにも判然としないが、それでもその光景は、心震えると称しても間違いないものだろう。
 夕方の太陽は、大きく見える。
 太陽の位置が移動しているために、既に其処は日陰では無くなっているが、この時間ともなれば、そんな事はどうでもよくなる。ただただ、僕はその夕暮れの景色に見入っていた。
 海が太陽の色に染まり、近くにあるものの影は一層濃くなる。完全に日が沈めば、それは闇と一体になるのだろう。
 不意に、視線を感じた。
 間近に見える筈の彼の表情が、夕日の影になってよく見えない。
 けれど、その瞬間に、僕の脳裏にフラッシュバックする光景があった。
 キス、される。
 そう思った時には、ゆっくりと彼の唇が僕の唇と重なっていた。
 それ程長い時間ではないが、それでも充分にその感触を味わう事が出来る程の長さだったのは間違いない。ようやく顔を離した彼の表情を視認すると、随分不機嫌そうな顔をしている。
 本来なら、此処は僕が怒るところではないのだろうか。
「なんで避けない。避ける間はあっただろう」
「…避けて欲しかったんですか?」
 問いかけると、尚更顔を顰められた。
 そんな表情をされると、困る。何故、避けなかったかなんて、そんな事、改めて考えなければいけないのだろうか。考えたら、答えは一つしか出ないのに。
「嫌じゃなかったからですよ」
「それはどういう意味だ?」
「言葉どおりの意味です」
 嫌ではなかった。むしろ、それを嬉しいと感じていた。
 何故、と思う。
 これは、きっと繰り返されてきた事なのだろう。一万何千回と繰り返してきた夏休みの中で、一体どれだけの確率で、この時間があったのかは解からないけれど、それでも、矢張りこうして彼をこの場所に連れてきて、こうしてキスされた事が、きっと以前にもあった。
 強い既視感がそれを物語っている。
 では何故、僕は彼からのキスを嬉しいと感じたのだろう。十七日以前の僕と、今の僕の感情には大きな隔たりがあるように思えてならない。それはきっと、こうして繰り返された中で、少しずつ僕の中に降り積もり蓄積されていったものなのだろう。
 一万何千回と続いた夏休みの中で、毎回こういう事があったとは思えない。けれど少なく無い回数を、こうして彼と過ごしたんだろうという事は解かった。
 だからこうして既視感を覚える。
 だけれども、僕がこうして強く以前あった事を感じるのとは反対に、彼は全くそれを感じて居ないのだろう。当然だ、涼宮さんに近い者であればあるほど、こうして強いデジャビュを覚えるのなら、涼宮さんと未だつながりを持たない彼が、その事を感じる事など、ある筈が無いのだ。
 そしてだからこそ、きっと今のこの瞬間も、彼は次のシークエンスになれば、忘れてしまうのだろう。
 僕が覚えていても、この人は、忘れてしまうのだろう、全てを。
 これまでの事を忘れているように。
 ああ、何だか、泣きそう、だ。
 泣かないけれど。
 不意に、泣きたいような強い激情が胸に迫る。
 この瞬間に、意味など無いのだ。
 だって、今回の夏休みが終わらない事を、僕は知っている。
 全てを忘れてしまう。
 例え、僕がふとした折にそれを感じる事があったとしても、彼はその欠片すらも感じ取る事は出来ないのだろう。
 何て、残酷な。
 こんな、どうしようもない気分になるのは、いつ以来だろうか。
 三年前から一度も、僕は泣いていないのに、こんな事で、泣きたくなるのだろうか。
「…僕と、恋人になりたいんですか?」
 表情が見えないように俯いて、彼に問いかける。
「そりゃ、まあ」
「セックス、したいと思いますか?」
「したいに決まってるだろ。俺はお前が…」
「夏休みが終わるまで」
 彼が続けようとした言葉を遮り、口にする。
「全部……貴方の言葉の続きも、貴方の恋人になることも、セックスするのも、全部、夏休みが終わってからにしてもらえませんか?」
「…夏休みが終わってからって…明日じゃねえか」
 そう、彼にとっては明日。
 でも、その明日が来ない事を、僕は知っているから。
「キスまでなら、良いです。でも其処から先は、駄目です」
「なんかよく解からんが…涼宮絡みでまた何かあったのか?」
「…そうですね、全部、終わったらお話する事もあるかも知れません」
 そう言って、ようやく顔をあげて、笑みを浮かべる。ちゃんと笑えていただろうか。泣きそうな顔になっていないだろうか。自分ではよく解からない。
 ただ、彼は一瞬顔を顰め、それでも一つ、僕にキスを落とした。
 そのキスが幸福で、同じだけ不幸だと思った。
 この瞬間を、全て忘れてしまう事が。
 だから、それから先なんて絶対に駄目だ。彼から口にされる愛の言葉も、セックスも、今此処で体験してしまうという事は、全て消えてなくなり、その『初めて』の瞬間すらも意味の無いものになる。
 そんなのは、嫌だ。
 ちゃんと覚えていられると確信出来る時に、出来ることならそうしたい。
 その瞬間を、ちゃんと覚えていたい。
 彼にも、覚えておいて欲しい。
 それが本当に『初めて』になるのか、今の僕には解からないけれど、夏休みが終わらない事を、僕が解かっていたなら、矢張り同じように言うだろう。そして、夏休みが終わらない事を解かっているから、僕は今日、彼と此処に来た。
 ならば、矢張り未だ、と考えるのが自然だろう。
「よく解かんねえな、何が起こってんだよ、今」
「…全部、終わってからですよ」
「忘れんなよ」
 そう言われて、約束は出来ないな、と思う。
 強い既視感を覚えて、確かに同じような事を繰り返しているのかも知れないけれど、最後のシークエンスでそれが繰り返されるかは解からない。こういう細かい会話は、覚えていない可能性が高い。
 それでも、その言葉は出来れば守りたいと思うから、僕は微笑む事でそれに答えた。
 普段なら、いくらでも嘘など口をついて出てくるのに。
 今は、彼の前で嘘を言いたくなかった。
「もう一つ、お願いしていいですか?」
「何だ?」
「今日、日付が変わるまで、一緒に居てくれますか?」
「別に良いけどな、明日学校だぞ?」
「…お願いします」
 僕がそう言うと、彼は溜息を吐いて、もう一度口付けてきた。
 煙草の匂いがした。
 出来ることなら、忘れずにいられたらいいのに。


 それから、僕と彼はずっと海岸に座りながら瞬く星空を眺めていた。
 その間に何度かキスを交わし、けれどそれ以上は決して触れ合わない。
 腕時計の時間は暗すぎて見えないから、携帯電話を取り出して時間を確認する。
 23時59分。
 もうすぐ、今日が終わる。
「もう一回、キス、してもらえますか?」
 今日のこの時間を出来れば覚えていられるように。
 彼は何も言わず、唇を重ね合わせてきた。
 ゆっくりと目を閉じて、このまま、本当に日付が、九月一日になっていれば良いのに、と、心の底から願った。
 この瞬間を、忘れたく、な――――……


Fin





小説 B-side   涼宮ハルヒ B-side