憂鬱な出会い



 そいつの事は、実際に会って話す前から知っていた。
 顔と名前は転校してきた次の日には、それこそ瞬く間に学校中で認知されて居たのだから当然と言えるだろう。
 その理由は簡単で、SOS団という、訳の解からない頭のイカレた女が作った団体に、転校初日に入団させられたから、という事だった。
 そもそも、その女がまず学校全体が知らない者の居ない程の有名人であり、入学してからの数々の奇行は生徒達の話題に上るのも当然と言えるものばかりであり、更にはSOS団という風変わりな団体を作って校門前でバニーガール姿でビラ配りまでしたというのだから、これで知らないとなれば潜りとしか言いようが無いだろう。
 かくしてその女、涼宮ハルヒと共に、SOS団も学校中が知らぬ者の居ない存在となり、更に其処に属する者達も当然有名になるのは目に見えていて、クラスメイトの名前さえ覚えていなくとも、SOS団の団員の名前ならば覚えているだろうと思えるくらいの有様だ。
 元々朝比奈みくるは同じ学年で、そりゃあ物凄い美少女の上にあの体型だから、一年の頃からファンがついていた事もあり、始めから知ってはいた。まあ、あの涼宮ハルヒに引っ張りまわされ、振り回される姿は哀れとしか言いようが無い。
 そして長門有希という少女もまた、かなりの美少女だ。以前は眼鏡をかけていたそうだが、俺はその頃の姿はよく知らない。何故外したのかも知らないし、知りたいとも思わないが、まあ美少女ではあるが妙な雰囲気を漂わせた女生徒だとは思った。
 もう一人は至って普通の男子生徒で、涼宮ハルヒに引っ張りまわされつつもそれに付き合っているのは、意外と同じ穴の狢かも知れない。SOS団はある意味美形集団でもあるから、その標準としか言いようのない容姿はある意味浮くが、むしろだからこそそいつが他の生徒達の繋ぎ役として使われている感も否めない。
 そして最後の一人が時期外れの転校生である。
 長身の美少年、しかも九組という理系クラスに転入したことからしても頭も良いのだろうし、スポーツもそこそここなすらしい。そいつに憧れている女生徒も少なく無いというのだから大したものだ。
 つまるところ、SOS団という団体は、彼らの知名度は上げているが、少なくとも涼宮ハルヒという女以外のメンバーの印象を悪化させては居ないらしい。
 むしろ、大半の生徒は次に奴らが何を仕出かすかと、楽しみにしていたと言っても過言では無いだろう。
 刺激に餓えた、実行力の無い生徒達は、それを行う者達に憧れ、観衆となることでその刺激を満たそうとするのだから。
 俺も当然その観衆の一人であり、中に入りたいなどと思う無謀な好奇心は持ち合わせて居なかったし、むしろ、奴らがおかしな事をしていれば、好奇心を持って見るよりもまたやっているのかと呆れた気分で眺めたりもしたものだ。
 俺は一般的に言えば、不良の部類に入る学生で、正直学校で起こるゴタゴタなどどうでも良いことだった。
 見た目的には影が薄くもなく、しかし濃くも無い程度に留めながら、教師に見つからない程度に煙草を嗜み、まあ機会があれば喧嘩もしたし、咎められない程度に学校もサボった。
 中途半端な不良と見られるかも知れないが、学校で「イイコ」にしておくと楽だというのは自明の事であり、余程反抗するのが目的で無い限り、学校でまで不良ぶるのは馬鹿でしかない。成績もそれなりに悪くは無いし、要領も割りと良いほうだったから、それまで煙草を持っているのを咎められた事も無く、学校ではそれなりの生徒を演じた。
 一匹狼を気取るつもりは無いが、同じクラスの奴らはどれも子供っぽく見えて付き合う気にならず、自然と一人で居る事は多かったが、それは気にする事では無かったし、見た目も悪くなかったから女に不自由する事も無かった。
 まあ、退屈だったのは事実だが、だからと言って自分の将来をそれ程悲観していた訳でもなく、とっとと卒業し、大学に行って、もう少し自由な環境を満喫したいと、そう思うだけだった。
 だから、ヤツからの手紙は、諾々と学生生活を続けていた俺にとっての転機の一つであったのは間違いないだろう。
 そう、手紙だ。
 しかも下駄箱に入っていやがった。
 一体何の嫌がらせかと思ったね。
 下駄箱を開ければ手紙が入っていて、白い封筒できっちりと封をされたそれに記されていたのは男の名前だ、よく考えてみろ、寒気がするだろう。
 下駄箱に手紙なんて、ラブレターか果たし状かどっちかだろう、どっちも男からなんて御免だ。
 何しろ、果たし状は兎も角ラブレターが入っていた事は一度や二度では無いし、だからこそ男からの手紙なんで薄気味悪いだけでしかない。一応中を確かめてみれば、意外と豪快な字で『放課後六時半、裏庭でお待ちしています』と短い文章が書かれていた。
 それだけでは何の内容かさっぱり解からないし、矢張り気色悪い。
 日付は書いてないから今日の放課後なんだろうが、それにしたところで、こんな悪趣味な呼び出し方法では男は誰も引っ掛からないだろう。
 しかし、だ。
 間が差したと言えば良いのか何なのか、俺は、普段滅多に出てこない好奇心というものにかられてしまったのだ。
 その男が一体何の用件なのかは知らないが、マジで告白だったら一回殴りつけて帰れば良いし、イタズラだったならむしろ怒るのも馬鹿らしく呆れておけば良い、それよりも、学校でもかなりの有名人であるところの『古泉一樹』が一体俺に何の用なのか、正直そちらが気になってたまらなかった。
 矢張り俺も年相応の男子高校生だという事だろう、好奇心には勝てなかったのだ。
 それを、後悔する羽目になるとはつゆ知らず。


 指定された時間に裏庭に行けば、すでに古泉が待っていた。
 もう六月も終わりというだけあって、まだ日は暮れきっていない。西日が差し込み、古泉を照らしているのが見えた。それがまた様になっている。
 それにしても、誰かのイタズラという訳ではなく、本当に当人からの呼び出しだったらしい。
「良かった、来ていただけてほっとしました」
 本当にほっとしたような表情で言うものだから、俺は呆れて溜息を吐いた。
「不安になるぐらいなら手紙なんて回りくどい方法じゃなく、直接呼びだしゃいいだろ」
「出来る限り、僕が貴方と接触したということは人に知られたく無いものですから、すみません」
 接触って、また随分と大げさな言い方だな。
「んで、何の用だよ?」
 溜息を吐きつつ問いかければ、古泉は微笑を浮かべる。しかし、そういえば自己紹介の一つもしていないのだが、良いのだろうか。まあ、良いだろう、向こうだって自分の有名人ぶりを知らない訳でも無いだろうしな。
「貴方に、お願いしたい事があるんです」
「お願い?」
「長い話になると思いますので、座ってください」
 そう言って申し訳程度に設えてあるベンチに座るように促される。言われるままにベンチに腰掛けると、古泉もその隣に座った。
 そして聞かされた古泉の話は荒唐無稽としか言いようが無いものだった。
 涼宮ハルヒはこの世の神に等しき存在で、願望を実現する能力があること、そして自分は涼宮ハルヒに力を与えられ、『閉鎖空間』とやらで戦う超能力者であること、『機関』の存在。そして同時に、朝比奈みくると長門有希はそれぞれ涼宮ハルヒを観察するために未来と宇宙から送られてきた存在であること、そしてもう一人、この世の鍵と呼ばれる少年のこと。
 正直言って信じる信じない以前の問題で、やっぱり来るんじゃなかったな、と本気で思った。
 そりゃそうだろう、一体何の呼び出しかと好奇心に駆られて来てみれば、延々と電波な話を聞かされたら誰だって引く。
 いくら顔がよくて女にモテたって、こんな話を聞かされれば、百年の恋もいっぺんに冷めるだろうな、正直お近づきになりたくない。
 そんな俺の心情が顔に出ていたのか、古泉は一通り放し終えると苦笑した。
「そうそう、信じてもらえるような話ではありませんけどね」
「当たり前だ。お前、精神病院にでも行った方が良いんじゃないか?」
「それで神人と戦わずに済むようになると言うのなら、行くのも吝かではありませんけどね」
 肩を竦めて見せる古泉を横目で見ながら、本気でどうしたものかと思う。
「それが本当なら証拠でも見せてみろ」
「そうですね、機会があれば閉鎖空間にお連れするのも構わないんですけど」
 最近は余りその機会も無いんですよね、と笑みを浮かべながら言う。
 それにしても、何故俺はこんな話を聞かされているんだろうな。
「で?」
「はい?」
「本題がまだだろうが。お前の言う『お願い』ってのは何なんだ?」
 そしてとっとと話を終わらせろ。
 暇と言えば暇だが、こんなくだらないことに長々と付き合うつもりは無い。
「そうですね、単刀直入に言いますと、貴方には来期の生徒会長になっていただきたいんです」
「…はぁあ?」
 本気で呆れたくなるその言葉に俺は我ながら素っ頓狂な声が出た。当然だと思う。何で俺みたいな一般的に不良と分類されるような人間が生徒会長にならにゃいかんのか。
 そう俺が問いかけると、笑みを変えないまま話を続けた。
「つい先日、僕達が草野球大会に参加したのはご存知ですか?」
「ああ、噂だけなら聞いたな。随分ははちゃめちゃな試合だったらしいが」
「そうです。試合に負けそうになった際、涼宮さんが閉鎖空間を発生させてしまったもので、少々反則的な手を使わせてもらったものですから」
 反則的な手ってのは一体何だろうな。
 考えたくも無いが。
 古泉の笑顔にも段々飽きてきた、本気でさっさと話を終わらせてくれ。
「その際に得た教訓ですね。涼宮さんが退屈して何かとんでもないことを言い出す前に、こちらで退屈させないイベントを用意すべきだと気づいた訳です。特に、僕達が想定していない事態での閉鎖空間の発生は抑えたいところですので、こちらで用意し、想定した場所に事態を落としたいんですよ。それで、貴方に生徒会長になって頂きたいというのは、そのイベントの一つな訳です」
「何でそれがイベントになるんだよ」
「生徒会長というのは、涼宮さんが想定する中で最も解かりやすい『敵』だからです。SOS団というのはこの学校にとっては非公式な団体であり、まあ、学校側にとっても手に余る存在でしょうし、もしSOS団を潰そうとするのなら生徒会だろう、というのが涼宮さん的な考えですね」
「……まあ、一万歩ぐらい譲って、その超能力だの、閉鎖空間だのが事実で、生徒会長をする人間が必要だったとしてもだ。何で俺なんだよ。んなもん、その機関とやらの仲間にやらせりゃ良いだろうが。もしくはお前がなれ」
「僕がなっては意味がありませんよ。僕はSOS団の一員ですから。それに、全校生徒のデータを調べた結果、貴方が一番、涼宮さんが理想とする生徒会長に相応しいと判断したんです」
 本気で嫌になってきた。
 全くなんだってこんなことになったんだっけ?
 ああ、好奇心になんてつられるんじゃなかったな、好奇心猫をも殺すとはこのことか。
「相応しいって、何がだ」
「まず第一にその容姿ですね。涼宮さんが望む生徒会長像に一番近いのが貴方な訳です。雰囲気も勿論ですし、それに…」
 そう言って隣に座っていた古泉が徐に俺に近づき、顔を寄せる。
 ちょっと待て、近すぎる。
 無駄に整った容姿が、俺の顔のすぐ近くまで来たかと思うと、古泉の手が俺のズボンのポケットの中にすべりこんだ。
「おいっ」
「……貴方、ヘビースモーカーでしょう?」
 にっこり笑って俺のズボンのポケットから取り出したのは、煙草だ。
「その割りに貴方は一度も教師にそれを見つかっていないし、補導経験も皆無。一般的に不良と呼ばれる部類に属しながら、周囲はその事に気づいていない。貴方が煙草を吸うという事実を知っている人すら稀でしょう」
 確かにそうなんだが、一体なんでこいつはそんな事を知っているんだ。
 その俺の訝しげな視線に気づいたのか、軽くウィンクをしてみせた。止めろ、男がやっても気持ち悪い。様になるのが余計にキモい。
「言ったでしょう、全校生徒の素行はある程度調査済みなんですよ。勿論貴方のこともです。成績も中の上と悪くありませんし、現在のところ親しい友人も居ない。貴方が生徒会長に立候補したところで、特別意外だと思う人も居ない。一人暮らしだというのも都合が良いですね。コンタクトが取りやすいので」
「…マジで気持ち悪いな」
 俺のプライベートは何処に行ったんだ、一体。
 大体何で俺の成績なんて知ってんだ。マジであるのか、その『機関』ってのは。
 しかし、そうだとしても、
「んな面倒なこと、誰がやるんだよ」
「勿論、ただで、とは言いません。貴方は進学希望でしたよね?」
「だから何だ?」
「生徒会長になることを条件に、貴方の進学を有利にする、というのはどうでしょう?」
「…出来るのか?」
「勿論、機関の力をもってすれば、可能です。他にご要望さえあれば出来うる限り答えさせていただきますよ」
 どうやら、こいつは本気で言っているらしい、というのは解かるが、マジでか。
「だからってな、行き成り立候補したところでなれるもんでも無いだろ」
「その辺は大丈夫ですよ。機関が全面的にバックアップさせて頂きますから。勿論、貴方にもそれなりの協力はしていただかなければなりませんが」
 荒唐無稽、と言ってしまえばそれまでなんだが、何となく筋が通っているし、本気で俺が煙草を吸っているという事実を知っている人間は限られている。
 調べられない事も無いのだろうが、それにしたところで、妄想だけでこういう事も出来ないだろうと考えると、少なくとも『機関』の存在だけは事実なのだろう。
 そもそも大学進学を有利にする、というのも本気で出来るのかと疑いたくなるところだが、もし俺を本当に生徒会長に仕立て上げる事が出来るのなら、進学を有利にする事ぐらい訳も無いことに違いない。だから、古泉の言葉は、ある程度で真実であり、間違っていたとしても、生徒会長に立候補したところでなれなければ無意味である訳だから、俺が損をする事は余り無いと考えられる。
 しかし。
 矢張り面倒なのは面倒だ。
「…考えさせてくれ」
 即答しなけりゃいけない問題でも無いだろうしな。
 良い大学に行けるならそれに越した事は無いが、何処までこいつを信用していいのかも解からないし、未だにこいつの言葉を何処まで信じるべきかも解からない。
「勿論です、よく考えて答えを出してください」
 古泉は決して笑みを消すことなくそう良い、そしてポケットからメモを取り出した。
「こちらが僕の携帯のナンバーになります。お返事が決まったらご連絡頂けますか?」
「俺のは…」
「そちらは把握済みです」
 そうかよ。
 本気でストーカー染みてるな。
「それでは、これで失礼します。遅くまでつき合わせて申し訳ありません」
 確かにな。
 腕時計を見れば時刻は七時半を回っているし、流石に辺りも暗くなっている。古泉は頭を下げて礼をした後、そのまま夜闇に消えてしまった。
 俺は溜息を吐き、ズボンのポケットを探る。
 そして思い出す。
「あいつっ、俺の煙草持って行きやがった!」
 全くなんだってこんな事になったんだ。
 くそ、帰りがけに買っていくか。
 本当に来るんじゃなかったな。出来ることなら先程あったことを全てなくしてしまいたいところだが、そうも行かないだろう。
 全くどうしたものか。
 俺は溜息を吐き、ぐったりとベンチに凭れかかったのだった。
 これが、俺とヤツの出会い、俺の転機の一つだったのは、間違いない。
 酷く憂鬱な出会いではあったが。


Fin





小説 B-side   涼宮ハルヒ B-side