涼宮さんが草野球大会に出場すると言い出したその日の夜、僕は森さんに報告の電話を入れた。 「…と、いうことで、明後日の日曜、草野球大会に出場する事になりました」 一通りの報告を終えると、森さんが問いかけてくる。 『それで、閉鎖空間が発生する可能性はどれくらい?』 「そうですね…一概には言えませんが、涼宮さんは負けるのがお嫌いな方ですから、戦況次第では閉鎖空間が発生する可能性がかなり高いといえます。あと、彼がもう一人連れて来ると言っていましたので、その人物次第でしょうが、期待は出来ませんね。僕としては裕さん辺りを誘ってみようかと思っていたんですが、嫌がられてしまいましたし」 『覚悟は必要、ということかしら』 「そうですね。出来うる限り発生しないように努力はしますが」 僕の言葉に、森さんが深々と溜息を吐く。 涼宮さんが言い出した事を止める事など出来る筈が無い。それが僕らの共通認識であり、下手に止めようとして閉鎖空間を出されては、そちらの方が困る。彼に言ったように、実在しないものを探すよりは余程健全であるのは事実だし。 『では、日曜日の事はそちらに任せます。もし閉鎖空間が発生した場合も、出来うる限り速やかに試合を終わらせる事を優先してください』 「了解しました」 そう言って通話を切る。 上層部に直接連絡するよりは余程気楽だけれど、矢張りこういう事務的な報告は疲れる。まあ、多分この後に上層部への報告をしなければならなり森さんの方が、余程大変だろうけれど。 彼女は僕と上層部の繋ぎ役みたいなものだから、折り合いをつけるのはかなり大変だろう。まあ、それを大変だと匂わせたりしない人でもあるのだけど。 正直に言えば、試合に勝つなんてかなり難しいだろう。今日の練習を見る限り、朝比奈さんは逃げ回ってばかりだったし、長門さんは自分に来たボールだけは受け止めていたけれど、やる気があるかは疑わしい。彼も余り運動神経が良いとは言い難いし、彼の友人二人も似たようなものだろう。 それで、その草野球大会のためにきちんと練習していた人たちに、いくら涼宮さんの運動神経が神がかっていたとしても、難しいに違いない。 「まあ、全ては明後日の展開次第、ですね」 今から悲観していても仕方が無い。 状況次第で柔軟に対応し、涼宮さんを出来うる限り不機嫌にしない事が僕の役目なのだから。 そして草野球大会当日。 半ば予想していたが、何しろ相手が優勝候補だったのも不味かった。かなりの点差を広げられ、彼も大した活躍を見せることのない状況で、涼宮さんの不機嫌が募り、かなり巨大な閉鎖空間が発生した。 それは長門さんの協力を得て、拡大を抑える事が出来たけれど、この後まだ神人退治が残っていた。どうやら、随分と手間取っているらしく、僕も即刻現場に向かう。 実際閉鎖空間に行ってみれば、複数の神人が暴れている状態で、成る程手間取るのも頷けるような状態だった。涼宮さんも余程不機嫌だったらしい。 負けた事自体より、彼が活躍を見せなかったことの方が涼宮さんを煽った原因は大きいのだろうけれど、それを今言ったところで仕方ない。 早々に神人を片付けるべく、僕も他の能力者と同じように、赤い球体に変化した。 全ての神人を倒し、元の色彩溢れる日常に戻ると、黒塗りのタクシーが僕の目の前に現れた。 後部座席が開かれて、森さんが顔を出す。 「乗りなさい」 「はい」 半ば予想していた事だから、大して驚きは無い。 車に乗り込むと、ゆっくりと発進する。 「予想外に大規模な閉鎖空間だったわね」 「そうですね。それだけ、涼宮さんがこの草野球大会にかける期待、ひいては彼に対する期待が大きかったということでしょう」 「まあ、今回の事は仕方が無い、という事にしましょう。あれ以上の閉鎖空間の拡大を防いだ事も評価します。もう少し、小規模で抑えて欲しいところではあったけれど」 そう言われても、僕に出来る事はあれが限界だ。 肩を竦める事でそれに答えて見せれば、森さんは溜息を吐いた。 「それで、今後同じような事態が起きないための対策として、何か貴方から意見は?」 「そうですね、まず涼宮さんを退屈させないことが重要でしょう。こちらで何らかのイベントを与えて退屈させないようにすれば、涼宮さんが突飛な事を言い出す回数も減少すると思います。それに、こちらが用意したイベントなら、ある程度の操作も可能でしょうから」 「具体的には?」 森さんが探るような目線を向けるのに、僕は微笑を返す。 「それは後ほど、本日の報告書と共に企画書を提出しますよ」 「解かりました」 頭にいくらかの考えが無い訳ではないけれど、もう少しよく練らなければならないだろう。彼女を退屈させないため、楽しませるため。彼女がより笑顔になるために。 その後、いくつか今後の打ち合わせをした後、タクシーは僕が住むマンションに着いた。 「古泉」 タクシーから降りると、森さんが身を乗り出して僕に声を掛けた。振り返り、首を傾げる。 「なんでしょう?」 「奇跡を起こせるのは、一人だけでは無いでしょう」 その言葉に、僕は笑みを浮かべた。正反対に頭の中は冷えている。 森さんの言っている言葉の意味を理解した上で、惚ける。 「何のことでしょう?」 そう言うと、森さんは一瞬怯んだような表情で僕を見た。僕自身は今の僕の顔を見ることは出来ないけれど、一瞬でも森さんを臆させるような表情になってしまったのだろう。その時の僕は、それだけ冷えた笑みを浮かべたに違いない。 森さんは暫く僕の顔を見つめた後、 「―――何でもないわ」 「そうですか、では、失礼します」 「ええ、ご苦労様」 そう言って別れ、タクシーは遠ざかっていった。 それを見送りながら、苦笑を浮かべる。もう少し、修行が必要かも知れないな。森さんにも気取られないくらい、完璧な笑みを身につけなくては。 まあ、森さんなら、上層部に余計な事は言ったりしないだろうけれど。 そう結論付けて、僕は伸びをした。 流石に疲れた。 草野球一試合した上に神人退治だから無理も無いけれど。 今日は早めに休もう。明日は学校があるのだから。 車窓を流れる景色を見ながら、わたしは溜息を吐いた。 「嫌な役回りよね」 言いたくも無い事を言わされて、それに対して返って来るのが、あのぞっとするように綺麗でいて冷ややかな笑みだなんて。 「それが我々の役目ですからな」 「それでも多分、わたしが背負っている物は、あの子に比べたら随分軽いのよね」 わたしには、古泉が持っているような能力がある訳でもなく、ただ機関と、能力者を繋ぐパイプ役なのだから。実際に苦労するのは、いつも前線で戦っている能力者たち。 「今回の事は何と報告するつもりですかな?」 「別に、ありのままを。『草野球の試合の経過により、大規模な閉鎖空間が発生したものの、古泉一樹の機転により長門有希の協力を得て拡大は抑制され、試合後、古泉一樹も閉鎖空間に赴き、無事役目を果たした。』それで十分でしょう」 出来るのなら、少しでも古泉が動きやすいようにしてやりたいけれど、わたしに出来る事はとても少ない。もしかしたら、古泉が持っている切り札の方が、わたしが上層部に掛け合い、何かを画策するよりもずっと大きく、単純でありながら絶対的なものなのかも知れない。 それが何なのか、わたしには想像も出来ないけれど。 五月のあの時、古泉だけが不完全な形とはいえ、閉鎖空間に入れたのも、全て。 きっとあの、神の思し召しなのだろう。 そして古泉はきっと、誰よりも神に近い、神に選ばれた御遣いなのだ。 「ねえ、新川」 「はい?」 「報告が終わったら、飲みに付き合ってくれない?」 「私の家に来るというのでしたら了承しましょう」 飲酒運転はまずいですからな、と人を喰った笑みを浮かべながら言う。 全く、誰も彼も、一筋縄ではいかない者ばかりだ。 それでも、上層部なんかよりもよっぽど、わたしは彼らを信頼しているのだけれど。 Fin |