涼宮ハルヒの消滅



 涼宮さんが死んだ。
 それは、誰から連絡を受けるよりも早く、その瞬間に僕は理解した。
 何故なら、彼女から与えられた力は消えうせ、彼女を感じていた細胞の一つ一つが死滅したかのように機能しなくなり、僕の中から大切なものが一瞬にして失われたから。
 その瞬間に、もうこの世に彼女がいないのだということを理解したのだ。


 その後の僕は、最早生きていても死んでいるのと変わらないものだった。
 涼宮さんが死んだと病院に呼び出され、話を聞きながらもそれは耳に届かず、朝比奈さんや彼が泣いているのを見ながらも僕は何処か遠いところに居た。
 葬儀の時もそうで、諾々と線香をあげながらも、僕の心は最早この世界にはいなかった。
 葬儀から帰るときに一度、長門さんに腕を引かれたが、それすらも僕の心を動かしはしなかった。

 そして彼女が煙となった瞬間に、僕の世界は完全に終わった。
 機関が用意したマンションに戻り、そしてベッドに寝転んで僕は目を閉じた。
 ずっと機関から何度も電話が来ていたが、取る気にもなれず電源を切り、僕は全てを放棄した。
 僕にとって彼女は「全て」に等しい存在だった。
 彼女が笑っていれば僕も嬉しいし、彼女が泣いていれば泣き止ませる方法を必死に考え、苛立っているならそれを解消し、退屈しているならば共に楽しむ方法を模索した。
 僕の存在は彼女の為にある。
 それは四年前、初めて閉鎖空間に赴いた時に誰が決めた訳でもなく理解したことだった。
 彼女を想い、彼女の為に生き、彼女の為に死ぬ。
 そして彼女が死んだ瞬間に、僕の生も終わるのだ。
 誰よりも愛しくて、大切で、他の何よりも、世界よりも大切だと思う存在。きっと、そう思える存在がいるのは僕だけでは無いだろう。僕にとってそれは彼女であり、しかしそれは恋愛感情とはかけ離れた、他人からは理解され難いものに違いない。
 何故なら僕には彼女の感情が解かった。
 すぐ側で生きるようになってから尚更それは強くなり、彼女が何を想い、何を感じて生きているのか、彼女に与えられた能力と共にそれ以上に近しい心が僕にそれを教えてくれた。
 彼女の笑顔を見ることが何よりの僕の喜びだった。
 けれど、それは彼女が死んだ瞬間に無に帰した。それは、半身が無くなったのと同じ…否、それ以上の衝撃であり、僕にとってこの上ない絶望だった。
 部屋の電気もつけず、僕は体の全ての機能を放棄した。
 食欲、睡眠、感情、人が感じるもの全てが今の僕には必要のないものだった。
 喪失感が体中を覆い、それが指先まで満ちた。
 体の感覚が無くなる、目を開いたところで何も見えない。
 彼女が死んでも涙は出なかった。
 この後、僕がする事は全ての思考を放棄し、感情の赴くままに体を動かす事だった。
 僕の絶望は、きっと、誰にも理解できない。
 僕がそれ程彼女を大切に想っていた事を、一体誰が理解していたというのだろう。誰もが僕が彼女の側に居るのは役目のためだと思っていた。
 そうでない事を知っていたのは、僕と彼女だけ。
 僕は彼女と共に生きてきた。
 ならば、死ぬのも共にしなければいけないだろう。
 足は自然とマンションの屋上に向かった。
 頭は何も考えていない、真っ暗で、彼女の元に向かうことこそが、僕の唯一の目的だった。
 屋上の淵に立つ。
 此処から一歩足を踏み出せば、彼女と同じところに行ける。
 其処には絶望も歓喜もなく、ごく当たり前の行動だと僕自身の中で認識されていた。
 だってそうだろう。
 半身を失った人間は、普通生きていける筈が無いのだから。
 だから、僕も其処に行く。
 ふと後ろから声が聞こえた。
 振り向けば、彼女に選ばれた少年が居た。
 何かを必死で叫んでいるが、僕の耳は最早彼の言葉を理解しない。
 ただ、成る程、これで良いのだと思った。
 彼女は誰にも看取られる事なく逝った。
 最後に、きっと彼の姿が見たかっただろうに、見れなかった。
 だから、僕が変わりに見て、そして彼女の元に行く。
 彼は相変わらず何か叫んでいたけれど、僕にはどうでも良いことだった。
 僕はそのまま体を後ろに倒した。
 その瞬間に彼が走り寄ってくる事が解かったが、僕はそのまま目を閉じた。
 重力に任せて落下する。
 彼女の元へ行く。
 手を伸ばす彼女が見えた。
 僕も伸ばす。
 彼女と手を繋いだ瞬間に、僕は彼女と一つになった。





「古泉、古泉っ、古泉ーーーーーーっ!!!!!」
 叫ぶ声は虚しく響き虚空に消えた。
 ハルヒが死んで数日、学校に来ない古泉を訝しく思ってマンションを訪ねた。
 部屋に行けば鍵がかかっておらず、中に誰も居ない。
 妙な予感に捉われて屋上に行けば、屋上の淵に立つ古泉の姿が見えた。
 その瞬間に鳥肌が立った。
 何をしようとしているのか一目で解かる。
 名前を呼び、叫んだら古泉は振り返ったが、古泉の視線は俺を映していながら何も映していなかった。そして、俺が止める言葉も聞かず、古泉はマンションの屋上から飛び降りたのだった。
 薄っすらと笑みを浮かべて。
 何故、気づかなかったのだろう。
 病院に行った時、葬儀の時。
 古泉は泣きもせず、淡々と事態を受け入れているように見えたから。
 だから、気づかなかったのだ、自分の悲しみに精一杯で、古泉の様子など見えていなかった。
 そもそも、此処まで来たのだって長門の注意があったからに他ならない。
「古泉一樹のところに行って。でないと、彼までいなくなる」
 そう、何処か焦ったような珍しい声音でいう長門に急かされて、俺は古泉のマンションまで来たのだ。そして、間に合わなかった。
 さっきまで古泉が立っていた場所に跪き、下を見る。
 古泉が見えた。
 下はコンクリートで、どうあっても助からないだろうことは俺にも解かる。
 救急車を呼ぶことさえ頭に浮かばなかった。
 ただ、何故、と。
 何故、気づかなかった。
 ハルヒの死によって、古泉が一体どれほどの影響を受けるのか、俺は全く考えていなかった。
 いや、知らなかったんだ。
 古泉にとってのハルヒの存在が何なのか。
 そして、ハルヒを失い、また古泉をも失った。
 ハルヒが死んだ時にも感じた、何か大きな物が自分の中から欠けて行くのを感じた。
 古泉も、こんな気持ちだったのだろうか。俺よりもずっと、深くそれを感じていたのだろうか。だからハルヒの元へ行ったのだろうか。
 俺も、此処から飛び降りれば、同じところに行けるのだろうか。
 そう思ったが、俺は飛び降りる事は出来なかった。
 無駄だ、と思った。
 俺はきっと、あいつらと同じところには行けない。
 きっと何かが違う。
 何かは解からないが、それだけははっきりしていた。
 もう二度と還らない、元には戻らない、ただ、あいつらはこれで、幸せなんだろう。
 最後に浮かべた笑みを思い返し、そう思った。
 涙が溢れる。
 悲しい、哀しい、かなしい。
 あいつらは幸せでも、俺は悲しい。
 もう二度と、あいつらには会えない。


Fin





小説 R-side   涼宮ハルヒ R-side