寂しい神様



 こんな話を知っていますか?
 「臆病な少年」という話です。
 知りませんか?
 じゃあ、少し聞いてください。




 あるところに、とても臆病な少年がいました。
 何をするにも人の顔色をうかがって、犬が目の前に現れただけでも逃げてしまうような、そんな臆病な少年です。
 少年が住むまちの人々は、そんな少年をいつも笑っていました。
 でも、臆病な少年は、笑われてもまったく気にしません。文句も言いません。
 だって、それが事実でしたから。
 ただ、まちの人々も少年自身ですら気付いていないことが一つありました。
 少年は、とても優しい心を持っていたのです。
 ふだんは臆病さにかくれてみんな気づかないだけで、本当はとてもとても、優しい少年だったのです。
 そんな少年を、神様はいつも見ていました。
 そして、少年がいつも笑われているのを悲しんでいました。神様は、少年が本当はとても優しい子だと知っていたからです。
 少年はとても臆病だけれど、とても優しい子です。
 神様は考えました。
 どうしたら少年の本当の優しさを、まちの人々に伝えることが出来るでしょう。
 どうすれば少年のことをまちの人々は見直すでしょう。
 神様は考えて、まる三日考えて答えを出しました。


 とても風の強い、ある日のことです。
 少年の住むまちが火事になりました。風が強かったのですぐに火がまち全部に広がって、まちの人々はあちこちに逃げまわりました。みんな何とかまちのすぐ近くの丘に逃げだし、少年も同じように丘の上に逃げました。
 火事はとても怖いからです。
 臆病な少年は、自分のほうに火が来ないことを祈りました。
 だって、火に当たったらとても熱いですし、やけどをしたこともありますが、とてもひりひりして痛いからです。火事はそれよりもずっと大きな火で、きっとものすごく熱くて痛いに決まっています。
 そうして臆病な少年は丘の上でぶるぶると震えていました。
 その時、ふと誰かが叫びました。
「あの家の赤ん坊が、まだまちの中にいるぞ!」
 その言葉に、その場にいたまちの人々は慌てましたが、火はとても強くて、まちの人々でも怖くてとても中に入っていくことは出来ません。
 少年は考えました。
 誰も助けに行こうとはしないのなら、赤ん坊はそのまま死んでしまうでしょう。
 少年はとても臆病ですが、とても優しい子でした。
 そして、自分にはなんの価値もないのだと思っていました。
 だからとても怖かったけれど、少年は決めました。
 とても臆病な自分と、まちに取り残されている赤ん坊と、どっちが大切かなんて、少年にとっては考えるまでもないことだからです。
 とても臆病な少年は、とても怖かったのですが、勇気をだして火の中に飛び込んでいきました。
 少年は、とても臆病でしたが、とても優しく、そして本当はとても勇気のある子だったのです。
 まちの人々は、自分たちが臆病だと笑っていた少年が火の中に飛び込んでいったことに驚きました。しばらくのあいだ、不安そうに火を眺めていましたが、少年は火の中から赤ん坊を連れて出てきました。
 赤ん坊に怪我はなく、とても元気でしたが、少年は体中に大やけどをしていました。
 まちのお医者さまはいっしょうけんめい少年の怪我を治そうとしましたが、治す道具は全部火の中で、まんぞくに治療する事は出来ませんでした。
 そして少年は、赤ん坊を無事助ける事は出来ましたが、その大やけどが原因で死んでしまいました。
 まちの人々は悲しみました。そして、今まで少年を臆病だと笑っていたことを後悔しました。
 だって、本当に臆病ならば、火の中に飛び込んでいけるはずが無いからです。まちの人々は、ようやく少年が本当はとても優しく、とても勇気のある子だと気づいたのでした。
 少年の死を悲しんだまちの人々は、少年のために立派なお墓をたてました。
 そして毎年、あの火事が起こった日には、まちの人々は少年のために花を摘み、お墓に飾りました。毎年毎年、その日の少年のお墓は、花でいっぱいになったのでした。

 さて、そこで神様のお話です。
 ずっと少年が誤解されていることを悲しんでいた神様は、少年が死んでしまって、悲しんでいたでしょうか?
 いいえ、悲しんでなんていません。
 だって、あの火は神様がおこしたのですから。
 神様は喜んでいました。だって、少年はもう臆病だと笑われることは無いのですから、神様の願いはかなったのです。そして死んだ少年のたましいは神様の所にやってきたのですから。
「これからはずっと私のそばにいなさい」
 神様は少年に言いました。
 少年は心の中では泣きそうでしたが、笑顔を浮かべて言いました。
「はい、神様」
 少年は、とても臆病でしたが、とても優しく、とても勇気があり、そしてとても賢い子供でした。だから、気づいていたのです。
 まちを火事にしたのは神様であることも、そのために自分が死んでしまったことも。
 けれど、少年はとても優しい子供でしたから、神様を恨んだりなんてしませんでした。それよりずっとずっと、悲しかったのです。
 少年は神様自身も気づいていない神様の気持ちに気づいたのです。
 だから、少年はとても悲しんでいました。
 神様は何でも出来るけれど、いつも一人です。
 いつも一人だから気づかなかっただけなのです。
 だけど少年は気づきました。
 神様は、本当はとても寂しかったのです。
 寂しいから、少年がそばにいてくれることになって、とても喜んでいるのです。
 少年は、神様がまちに火事をおこしたことも、自分が死んでしまったことも、怒ったり悲しんだりはしませんでした。
 ただ、神様が寂しいのに気づいて、神様があんなことをしてしまった訳に気づいてそのことが酷く悲しかったのでした。
 だから少年は笑って言いました。
「はい、神様。僕がずっと、神様のそばにいます」
 神様がもう、寂しくならないように。
 とても臆病な少年は、とても優しく、とても勇気があって、そしてとても賢い子供でした。
 だから少年は神様が寂しくないようにいつも笑っていることにしました。
 だってここに怖い事は何もありません。神様がいるだけです。
 そして少年は、ずっとずっと、神様と一緒に、仲良く暮らしたのでした。





「その話はお前の創作か何かか?」
 古泉からその話を聞いた俺は、何とも言えない気分になりながら呟いた。
 行き成り何を言い出すのかと思えば長々と童話のような話を聞かされ、しかも中身も子供向けのようでいながらかなりシュールでは無いだろうか。
 古泉は俺の問いにいつもの笑顔を浮かべて首を振る。
「違いますよ。有名な話ではありませんが、ちゃんと本になっている話です。元は絵本ですけど」
 そうか。お前の創作だったら、もしまた今度機関誌を発行することになったら、今度は是非こいつに童話を当ててやりたいと思ったんだがね。まあ、いくら何でも古泉がこんな話を作るとは俺も思っていないから、一応確認のために聞いただけに過ぎない。
「お前に絵本を読む趣味があるとは驚きだな」
「僕の趣味という訳ではありませんよ。知人に読むようにと薦められたので読んだんです」
「その知人ってのは、お前が怪しげな機関に所属してたり、閉鎖空間限定の超能力者だって事を知ってんのか」
「ええ、まあ」
 成る程、古泉が俺にこの話をした意味は解からないが、その知人とやらが古泉にこの話を読むようにと薦めた理由は解かった気がする。
 まあ、それが皮肉なのか、古泉を案じるものなのかは俺には解からないが。
「で、何で俺にこんな話をしたんだ」
「その知人に、この話を読んでどう思うか、と聞かれたんですがね、僕は何とも言えませんとしか答えられなかったので、あなたならどう思うだろうかと」
「何とも言えないってな、少しぐらい感想もあるだろう」
 あからさまに俺が呆れた顔をすると、古泉が苦笑いの形に顔を変える。
 まったくもって、腹立たしいヤツだな。
「その知人とやらが、何でお前にそれを読ませたのか、お前解かってんだろ」
 俺のその言葉に、古泉は流石に表情を真面目な形に改めた。
「何が目的なのかも解かりましたし、僕にどう思って欲しいのかも予測は出来ましたが、共感は出来ませんでしたので」
「俺としてはむしろその知人の方に共感したいね」
「僕は優しくも賢くもありませんし、勇気もないただの卑怯者ですよ」
 誰もお前が優しいだとか賢いだとか言ってねえよ。
 ただ、その知人とやらが、「少年」を古泉に、「神様」をハルヒに当て嵌めているのは解かるし、そうしたくなる気持ちも解かるというだけだ。
 そしてそれをお前に読ませたのは、それに対して何がしかの反応が欲しかったからなのだろうが、古泉はそれに全く取り合わないという訳だ。その知人が可哀想に思えてくるね。
「まあそれはいい。それで?」
「それで、とは?」
「そういうお前の裏事情云々は省いて、お前はこの話をどう思うんだ?」
 俺は確かにその知人にある程度の共感は出来るが、古泉の言う通り、少々「少年」を美化しすぎているきらいがあるからな、その知人は。どんなヤツか知りたいとも思わんが。しかし、だからと言って古泉は自分を卑下しすぎているから、中間ぐらいが丁度良いんだろうね。
 それに古泉にとってハルヒは「神様」では無いのだろう。そういう事を以前聞いた気がするしな、それを思えば尚更古泉がこの話に対してそういう意味での感想を持てないのは俺にも解かるから、ただ単純にこの話をどう思ったのかを聞きたかった。
 そういうのを省けば、何がしかの感想もあるだろう。
「感想ですか。そうですね…」
 古泉は一瞬考え込む様子を見せ、それからいつものゼロ円スマイルを浮かべた。
「これはこれで、ある意味ハッピーエンドなんじゃないでしょうか」
「これがか?」
 俺としてはどうにも皮肉に満ちているようにしか思えないがね。
「結果的にまちの人々は少年を見直し、神様は少年を得て、少年自身にも不満があるようには思えません。ならば、これはこれで良い結末だと思いますが」
「俺としてはそうは思えないけどな。人の見えんとこで落ち着いてる神様や少年は良いかも知れんが、その少年にだって家族は居ただろうし、悲しんだだろ。それを放っておいてハッピーエンドとは俺は言えねえな」
 だってそうだろう。
 少年が死んで、まちの人々は悲しんだんだろう。どうしてそれがハッピーエンドになる。まちを燃やして少年を殺した神様は、本当は責められるべきなんじゃないのか。少年の優しさに許されて、甘えているだけの神様なんてなんの価値がある。
 俺の言葉にただ古泉は笑って、
「あなたらしいですね」
 と言った。
 本当に、嫌な話だな。古泉とハルヒに当て嵌めると尚更だ。
 お前らはそれで満足していても、周囲はそれじゃ納得しないんだ。
 お前にそれを読ませた知人もそれが言いたいんじゃないのか、本当は。
「そうですね、でも少し、僕もこの話に感情移入しています」
「どういう風にだ」
「あの神様が涼宮さんだと考えて当て嵌めると、最後に少年が神様の孤独を癒してあげる事が出来た事に、ほっとしています」
 神様が寂しいばかりではあんまりですから。
 その言葉に俺は眉を潜める。
 俺には少年と神様の関係は欺瞞に満ちたものにしか思えないがね。
「あなたがどう思おうと、僕はそう思ってしまうんですよ。だって、残されたまちの人々には支えあう人が他にも居るでしょうが、神様には少年しかいないのですから」
 それは古泉の本心なんだろう。
 そして、神様を想う少年の心にも、偽りなんて無いのだろう。
 ああまったく、本当にやりきれない。
「その、知人から聞いた話ですが、この「臆病な少年」の作者は、最初違うタイトルを考えていたんだそうです」
「なんてタイトルなんだ?」
 古泉は笑った。
 優しく、そして何処か儚く、そして何かを慈しむように遠い目をしながら、そのタイトルを口にした。



 寂しい神様




Fin





小説 R-side   涼宮ハルヒ R-side