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日曜の午前九時。 もしかしたなら惰眠を貪っている男子高校生も未だ居るかも知れない時間であるが、僕は起きていた。自分の身なりに気を使うのを日常の事としている上には、規則正しい生活、なんていうのも含まれてしまっていて、どんなに遅くとも朝七時には目が覚めてしまう。 兎に角、そんな生活習慣が幸いしたと言えよう。 そう、突然彼女が訪ねて来たのは、本当に驚いたのだ。 インターフォンが鳴らされ、出てみればいつもの太陽のような笑顔を眩しく輝かせて彼女は立っていた。 まかり間違っても彼女に寝起きの姿など見せる訳にはいかないから、既に着替えを済ませていた自分を褒めてやりたい程だ。 「おはよう、古泉君」 「涼宮さん?どうしたんですか、今日は市内探索の日でもないでしょう?」 「そうなんだけどね、古泉くんがどんなところに暮らしてるのかな、って気になってきちゃった。入っても良い?」 そう了承を取る頃には既に中に足を踏み入れて居たのだが、別段止める事も無い。 一応こういう事態も想定して、普段から部屋は掃除しているし、見られて困るような物が置いてある訳でもない。ドアを閉めて、彼女の後を追う。 「へえ、結構綺麗にしてるわね、男子の部屋にしては。でも、古泉くんらしいと言えばらしいわね」 彼女の「僕らしい」の基準が本当の「僕」と同じかどうかは別として、彼女のイメージする「僕」にこの部屋は合っていたらしいと少しほっとする。 もしこれで部屋が散らかっていたりすれば、今まで彼女に対して築いてきたイメージも崩れかねない。ある意味で彼女は面白がるかも知れないが、それでは今までの苦労が水の泡だ。 「有希の部屋程じゃないけど広いし、此処で一人暮らししてるのよね?」 「はい。あ、お茶でも淹れましょう、ソファに座っていてください」 「ありがと」 彼女はあっさりと礼を良い、ソファに座る。 それでも興味深そうに部屋のあちこちに視線を向けていた。そのうち何か漁り出すかも知れないが、それは何とか事前に抑えたい。何しろ、後で片付けるのは大変だ。 お茶を淹れて、彼女が座っている場所の前に置くと、もう一度礼を言われ、「どういたしまして」と返す。自分の分に淹れたお茶を持ち、彼女の向かい側のソファに座ると、相変わらず涼宮さんは部屋のあちこちへと視線を向けている。 「何か涼宮さんの興味を惹くものでも見つかりましたか?」 「そういう訳じゃないけど。一人暮らしには豪華な部屋よね。有希はある意味で殺風景でらしいんだけど。このソファだって何だか高そうだし」 「値段はよく解かりませんね。親戚が不要になったのを貰ったものなので」 「親戚って田丸さん?確かにお金持ちだもんね。古泉くんちも実はお金持ち?」 「さあ、どうでしょう?」 にっこり笑って誤魔化すと、彼女は興味はさほど無いのか追及して来ない。 実際はこの部屋にある調度品の全てが、機関に用意されたものだし、僕個人の趣味で置いてあるものなど殆ど無い。しかし、それを彼女に言う訳にもいかないし、言ったところで無意味だ。 それにしても、彼女の来訪の目的は何だろう。 本当に僕の住居を見たかっただけなのか、それともそれ以外に何か目的があるのだろうか。 住居を見に来たにしては、彼女の様子は何処かおかしい。 それは些細な違いであり、大抵の人は見抜く事の出来ない類のものだが、ずっと彼女を見てきた僕には解かる事だった。 「ねえ、古泉くん」 「何でしょう?」 名前を呼ばれて答えると、涼宮さんの表情から笑顔が消えていた。そして浮かんでいるのは、どこかしおらしい、頼りなげな表情。 「そっちに座ってもいい?」 「…構いませんよ」 僕が頷いたのを確認すると、彼女はテーブルの脇を周り込んで、隣に座る。そして、そのまますとん、と僕の肩に凭れかかってきた。 どうかしたのかと尋ねるのは簡単な事だけれど、問うのは止めた。 別段用事がある訳でも無いし、彼女が何か言うまで、彼女の気の済むように任せようと思った。 あたしが古泉くんの肩に凭れかかっても、彼は何も言わなかった。 だからあたしも何も言わずにそのままにする。 それからもう一度部屋を見た。 古泉くんらしい部屋。 大人な雰囲気の高そうな家具、調度品も落ち着いた色合いの青やブルーグレイの物が多い。でも決して冷たい感じも堅苦しい感じもしなくて、そこがあたしの知っている古泉くんらしい。 そんな風に古泉くんの部屋を見ながら、自分でもらしくないな、と思いながら口を開いた。 「あたしね、古泉君と居てもドキドキしないの」 「…」 「キョンと居るとね、それこそドキドキするし、あいつの言葉一つで怒ったり笑ったり、悲しくなったり、本当にせわしなく感情が動くんだけど、古泉くん相手だと、全然それが無いの」 それはある意味で、男の子にとって凄く失礼な話だとは思うけど。多分、古泉くんはあたしのキョンに対する感情なんてとっくに気付いているから気にしない。 それに、古泉くんも何も言わない。 「でもね、キョンの事は特別だけど、それとは全然違う意味で、古泉くんも特別だなって思う」 古泉くんは何も言わない。顔を見れば、ただ優しく微笑んでくれていた。それに少しほっとする。 「古泉くんと居ると、凄く安心するの。凄く素直になれる。何でか解からないけど、古泉くんの側にいると、それだけで気分が落ち着いてくるの」 やっぱり古泉くんは何も言わない。けど、大きくて、繊細な手がそっと頭を撫でてくれた。ああ、本当にほっとする。落ち着く。 他の誰でも、こんな風にはならない。 こんなに素直に甘えられない。 「何かあったんですか?」 そこで漸く古泉くんが聞いてきた。 顔を見れば、何処までも優しく微笑んでいて、その問い掛けもあっさりとあたしの心の中に落ちてくる。お兄ちゃんっていうのが居たらこんな感じなのかな、と思って、身近にいる兄妹を思い出して、やっぱり違うかな、と思う。 家族相手でも、あたしはこんな風に素直に甘えられた事なんて無い。 あたしは凭れた体勢を少しだけ動かして、自分の腕を、古泉くんの腕に絡める。近づけば近づくほど、古泉くんの温もりを感じるほど、あたしはほっとする。 「変な、夢を見たのよ」 「夢?」 そう、夢。 本当に、おかしな夢だった。 「小六の時、急に周りのものが皆つまらなくなった事があったの。自分が、世界にとって本当にちっぽけな存在なんだって思って、それが嫌だと思った。そういう話を、あたしは誰かに話した」 キョンにも一度、そんな話をした。 けれど、その「誰か」はキョンじゃ無かった。 絶対に違った。口調も、雰囲気も、何もかも全く違うから、それは確信できる。けれど、それが誰だかは全然解からなかった。 「あたしの話を聞いたその子は、話を聞いても笑ったりしなかった。馬鹿馬鹿しいと思う人が殆どなんだろうけど、笑ったりしないで、こう言ったの」 多分、その時のあたしはまだ小学生か、中学に上がったばかりか、それくらいだろう。夢の中の事だからあやふやだけれど、そんな気がする。 「その子はね、『君が見て欲しいのは、世界になんかじゃないよ』って言ったの。あたしはそんな事無いって答えた。でもその子は首を振って言うの『違うよ』って。まるで、あたしの気持ちを全部見透かしたみたいに」 古泉くんがあたしの方に向き直り、空いた手でそっと頭を撫でてくれる。他の誰かがやったなら、子供扱いしないでと怒るところなのに、本当に不思議だ。 あたしは更に夢の話を続けた。 「あたしは、絶対違うって言うんだけど、その子は優しく笑って言うの『君が見て欲しいのは世界じゃなくて、たった一人の、大切な誰かだよ』って。あんまり優しく言うから、あたしはそれ以上反論出来なくて、でも心の中では違う違うって繰り返してて、それでも何処かでその子の言う事が本当なのかなって考えてた」 「…今の涼宮さんはどう思うんですか?」 「…わかんない」 古泉くんに抱きついたまま、あたしは目を閉じる。 夢の中の事は曖昧で、それ以上は解からない。その子は男の子なのは間違いないけれど、小学校や中学校の知り合いと照らし合わせてみても上手く合う影は見つからない。 ただ、穏やかな優しさが、懐かしさと切なさをもってあたしの心を支配して、朝目が覚めたらどうしようもなく悲しくなっていて、何だか急に古泉くんに会いたくなった。 部屋が見たいなんていうのは口実で、目的は古泉くんに会う事そのものだった。 多分、そんなこと今の古泉くんはとっくに気付いているだろうけど。 「でも、でもね。ちょっと前のあたしだったら絶対認めなかったけど、今は少し、そうなのかもって思うの」 夢は深層心理を表すと言うけれど、それなら一体この夢にはどんな意味があるんだろう。 ゆっくりと目を閉じたまま、今度は古泉くんの胸に顔を埋める。本当なら男の子相手にこんな事をするのは、家族以外だったら恋人同士とする事なんだろうけど、どうしても古泉くんだとそんな感じがしない。ただ古泉君は、優しくあたしの頭を撫で続けてくれている。 「答えは、焦らなくても良いんじゃないでしょうか」 「え?」 顔を少し上げて古泉くんを見ると、相変わらず優しい顔であたしを見ていた。 「それはゆっくりでも、涼宮さん自身が答えを出すことです。その夢がどういう意味があるのかは僕にははっきりとは解かりませんし、それが実際にあったことなのか、それとも涼宮さんの深層意識が生み出したものなのかも解かりません」 優しい表情のまま、でも、と古泉くんは続ける。 「そういう夢を見たという事は、涼宮さん自身が『世界』と『誰か』で迷っているという事ではないでしょうか。だったら、何れその迷いの答えは、涼宮さん自身が見つける事です」 そう言われて、そうなのかも知れない、と思う。 以前は本当に、世界にあたしを見て欲しいと思っていた。今でもそういう気持ちはあるけれど、前ほど強くは無いのかも知れない。でもその代わりに、別の誰かにあたしを見て欲しいと思っている。 それが誰だかなんて事は、考えるまでも無いことで。 「そっか、そうよね・・・。有難う、古泉くん」 「いいえ、涼宮さんのお役に立てたのなら、嬉しいですよ」 相変わらずの優しい笑顔を見て、一つ気付いた。 夢の中で見たその子の面影。小学校の知り合いとも、中学校の知り合いとも重ならない、その子は、古泉くんに似ていたんだ。古泉くんと知り合ったのはこの高校に入ってからだし、それ以前の古泉くんがどうしていたかなんて知らないけれど、知り合いの誰に似ていると言われれば、一番似ているのは古泉くんに間違いない。 優しくて穏やかにあたしを見守ってくれているところとか、その口にする言葉が、紛れも無くあたしの心を突いてくるところとか。 だから、あの言葉に出来ない懐かしさと切なさに襲われたとき、古泉くんに会いたくなったのだ。その子の面影を持つ古泉くんに。 納得して、安心する。 古泉くんが此処に居て、相変わらずあたしの頭を撫でてくれていて、あたしは古泉くんに抱きついたまま其処に居る。 SOS団の他の誰も居ない、二人だけだから出来る事だ。 どれくらいそうして居たのかは解からないけれど、あたしがようやく古泉くんから離れると、優しい眼差しのまま言った。 「気は済みましたか?」 「うん、ありがとう」 「それなら良いんですよ。ところで、これから暇ですか?」 「…暇だけど」 あたしがそう言うと、古泉くんは少しイタズラっぽく笑って言った。 「だったら、デートしましょうか」 「いきなりデートなんて言うから、びっくりしたわよ」 「すみません」 口調こそ怒っている風を装っているけれど、涼宮さんの表情は明るかった。やっぱり彼女は落ち込んでいるよりも、笑っている方がずっと良い。 実のところ、現状は傍から見ればデートと言われてもおかしくない。 街中を腕を組んで歩いている男女を見れば、詳しい事情を知らない限り、十人中十人が恋人同士だと思うに違いない。しかし、実際のところ、僕と涼宮さんの間にはそんな色めいた感情は微塵も無い。 「ですが、客観的に見ればデートですからね、これは」 「確かに、そうなるわね。市内探索関係なく出掛けてみませんか、なんて言われた時は驚いたけど」 そう、年頃の男女が二人で出掛けるのだから、矢張りデートになるのだろう。しかも今回は市内探索という名目すらない。それを敢えて外して二人で出掛けないかと誘ったのだ。もし探索に出掛けて何も見つからなければ彼女は矢張り落ち込むだろうし、それなら何の関係もなく純粋に買い物だけでも良いと思ったのだ。 彼女も人並みに買い物は好きなようだし。 彼女の夢の話を聞いたところで、僕の役目は終わったようなものだ。聞いても僕に答えられる事などたかが知れているし、それならば気分転換に外に出た方が有意義だろう。 目的地は駅前で、其処でなら何かしら買い物も出来るだろうと踏んだのだった。後は涼宮さんの好きなように回ればいい。 「ね、古泉くん、あっち行きましょ」 「何処ですか?」 「ほら、あそこのショーウィンドウ、可愛い小物がいっぱいあるでしょ」 「ああ、あそこですか」 涼宮さんに腕を引っ張られるままにそのショーウィンドウの前に行く。女の子が好みそうな可愛らしい小物が沢山並べてあって、如何にも中に誘っているようだった。 けれど、彼女は自分が着飾るために此処に惹かれた訳では無いようだった。 「メイドさんもマンネリ化してきたし、此処で何かオプションつけたいところよね。みくるちゃんに似合う、可愛いやつ。古泉くんはどれが良いと思う?」 「そうですね、朝比奈さんならどれでもお似合いになると思いますが」 「そうなのよねえ、全部試してみたくなっちゃうわ。あ、古泉くん、中に入ってもいい?」 「構いませんよ」 本来なら男が入るには躊躇してしまうような場所ではあるが、涼宮さんと一緒ならばデート中のカップルだと周囲は思ってくれるだろう。 涼宮さんに腕を引かれるままに中に入ると、矢張り女性客が多いようだった。当然と言えば当然だが、中にはカップルも居るから、それ程浮くという事も無さそうだった。 「あ、ほら見て古泉くん、これなんか似合いそうじゃない?」 そう言って涼宮さんが手に取ったのは、なるほど、朝比奈さんがつけたなら似合いそうな、可愛らしい装飾を施してある髪飾りだった。 「確かに、似合いそうですね。良いんじゃないでしょうか」 「じゃ、これ買おうかな、ちょっと待っててね、古泉くん」 そう言っていそいそとレジへ向かう様子は上機嫌そのもので、溌剌とした笑顔が可愛らしい。ふと他に置いてある物に目を向けると、シンプルな見た目だが、装飾が凝っているカチューシャを見つけた。これは涼宮さんに似合いそうだな、と思ったが、流石に僕から涼宮さんにプレゼントするのは問題だろう。 涼宮さんなら他意なく喜んでくれそうだが、それを彼に知られた場合は下手な勘繰りをされかねない。そういう危険性は出来るだけ避けたいところだった。 むしろ、これは彼をけしかけてどうにかして彼から涼宮さんにプレゼントさせた方が良いだろうか、と思う。その方が涼宮さんも喜ぶだろうし。さて、そのためにはどうしたら良いだろう。 そんな風に考えていると、涼宮さんが戻ってきた。 「どうしたの?何か良いものでも見つけた?」 「いいえ、何でもありませんよ。出ましょうか」 涼宮さんの問い掛けを誤魔化しながら外へと促した。 一度腕時計を見ると、もう昼時だ。何処かで何か食べた方が良いだろうか。 「何処かで食事でもしますか?」 「あ、もうそんな時間?そうね、ファミレスでも行く?」 「構いませんよ」 「じゃ、決まりね」 涼宮さんはにっこりと笑って僕の腕を引く。 昼食をファミレスで取り、それは僕の奢りにした。流石にこういう場合に女性にお金を払わせる訳にはいかない。 「古泉くん、これからどうする?」 「そうですね…デートなら矢張り此処で映画、という事になるのでしょうが、其処まで単純なデートコースでは涼宮さんはお気に召さないでしょう?」 「うーん、確かに映画も良いけど、今日は天気が良いんだし、どうせなら外で過ごした方が気持ちが良いわ」 「じゃあ、公園にでも行きますか?涼宮さん好みのコースを考えて差し上げられないのは残念ですが」 「別に其処までしなくていいわよ、今日は。公園、良いじゃない。行きましょ」 そう言って僕の腕に自分の腕を絡める。どうやらそうして僕を引っ張っていくのが、涼宮さんは気に入ったらしい。僕も別に否やは無いし、構わないか、と思う。 公園に着くと、涼宮さんは無言になった。僕も何も言わない。 今朝の夢の事でも思い出しているのだろうか。それとも、もっと別の事を考えているのかも知れない。僕に出来る事は酷く限られているから、あくまでも涼宮さんが何か求めてきた時に答えるしかない。 でも、それで良いのだと思っている。 僕と彼女の関係は、そういうものだ。 「ねえ、古泉くん」 「なんでしょう?」 腕を組んだままの状態で、涼宮さんは前を向いて話しかけてくる。 「古泉くんって、好きな子とか居ないの?」 「好きな子、ですか」 「うん。居ないの?」 「残念ながら、居ませんね」 そもそも、今までそういう暇など無かった。 中学の頃は閉鎖空間が頻繁に発生していたために学校にも殆ど行けなかったし、今は今で、SOS団の活動や、機関での用事なども含め割と忙しい。恋人を作る暇など無い。 「勿体無い、古泉くん、モテるでしょ?」 「さあ、どうでしょう?」 「もう、誤魔化して…まあ良いわ。じゃあ、みくるちゃんとか有希は?どうなの?」 「二人とも可愛らしい方たちだとは思いますが、そういう風に考えた事はありませんね」 そもそも、彼女達との恋愛は、普通の女子高生とするよりもずっと課題が多い。涼宮さんは知らないから言うだけ無駄というものだが。 朝比奈さんはいつか未来に帰ってしまうし、長門さんはそもそも情報統合思念体に作られた存在で、厳密に人間と言うにはかなり語弊がある。その彼女達と恋愛をしようと思ったら、相当の覚悟が必要になってくるだろう。多分、そういう風に意識するには、僕にももっと余裕が出来なければならないだろうし、現状では無理としか言えない。 「そっか、勿体無いなあ、古泉くんだって文句のつけようのない美少年だし、みくるちゃんや有希だってかなり可愛いじゃない。SOS団内恋愛禁止なんて法則も無いんだし、纏まったら、それこそ誰もが羨む美男美女のカップルになるわよ」 「そう言ってくださるのは光栄ですが、それはあくまでお互いの気持ちが合わなければいけませんから」 「まあ、それはそうなんだけどね」 一体彼女は何が言いたいのだろうか。 僕に恋愛をして欲しい、というのとは違うだろう。自分と彼の関係性を考えて、僕に対してもそんな事は無いだろうかと意識してみた、というところだろうか。 「周囲から見れば、僕達だってカップルに見えないことも無いんですよ」 「それはそうだけど、あたしと古泉くんは、そういうのじゃないでしょ」 「まあ、それはそうですけどね」 それに反論するつもりは全く無い。事実だ。 僕は彼女に対して恋愛感情めいたものは持ってないし、彼女も僕に対してそういう感情は持っていない。それとは全く違う、けれど友情とも違う、言葉として表すのは難しい関係だ。 だから今は矢張り、SOS団の団長と副団長、という言葉が一番僕達の関係性を表しているのかも知れない。厳密に言えばそれも矢張り異なってくるのだが。 それに、彼女には好意を持っている人物が別にいる。 それを考えれば、僕とこうしている事はある意味おかしい事ではあるのかも知れないが、それでもこうしている事に違和感も何も感じない。 僕達の関係は、多分それで良いんだろう。 古泉くんと公園を歩いていると、ふと目の前に見知った顔を見かけた。 向こうもこっちに気がついたらしく、一瞬驚きに目を見開いて歩いてきた。 「お前ら、何してんだ、こんなとこで」 「見て解かんないの?デートよ、デート」 呆れたようにそう言われて、少しむっとしながら古泉くんの腕に絡める手を強く握った。古泉くんは否定も肯定もしないで笑っている。 「デートぉ?」 胡乱げな眼差しで見つめられ、こっちの顔も自然と睨みつけるようなものになってしまう。別に、こんな風にしたい訳じゃないのに。 「何よ、文句ある?」 「別に」 「ひょっとして、妬いてらっしゃるんですか?」 「だ、誰が!」 あたしとキョンのテンションの低い言い合いに口を挟むように軽口を言う古泉くんの言葉を、慌てたように否定する。そこまで思い切り否定しなくても良いのに。 「安心してください、デートというのは冗談ですよ。ただ、買い物をした後にちょっと昼食を一緒にとって、ぶらぶらと公園を歩いていただけですから」 「それをデートというんじゃないのか、普通」 「機嫌が悪いですね。やっぱり妬いていらっしゃるんじゃないですか?本当に僕と涼宮さんはそんなつもりで一緒に居た訳ではありませんよ」 「だから違うって言ってんだろーが!」 古泉くんがからかうようにキョンに対して言葉を重ねれば、動揺したように否定する。でも不思議とさっきのような落ち込んだ気分にはならない。 多分、あたしに気をつかってくれたんだろうな、と思う。 「ところで、貴方はこんなところで一人で、どうしたんです?」 「そうよ、こんな所で男一人で歩いてるなんて寂しい奴ね」 「るせーよ。買い物に来たついでにちょっと寄っただけだ」 古泉くんの言葉に乗る形でからかって見せれば、キョンは不機嫌そうに眉を寄せる。 「一人で買い物っていうのも寂しいのには変わらないじゃない」 「ほっとけ」 拗ねたように顔を逸らせるキョンを見て気分を良くしていると、不意に電話の呼び出し音が聞こえた。どうやら古泉くんの携帯みたいで、「ちょっとすみません」と申し訳なさそうに謝りながら、あたし達と離れたところに行って通話をしている。 通話を終えて戻ってくると、やっぱり申し訳なさそうに謝ってきた。 「すみません、少し急用が出来たので今日はこの辺で失礼します」 「急用?」 「ええ、本当にすみません。僕からお誘いしたのに」 「構わないわよ、大事な用なんでしょ?」 それに、古泉くんには充分に付き合ってもらったし、別に此処で別れても構わない。けれど、古泉くんはキョンに視線を向ける。 「貴方の買い物はもう終わったんですか?」 「あ、ああ。まあな」 「じゃあ、涼宮さんを送って差し上げてくれませんか?本当なら僕がしなければいけないところなのですが」 「なんで俺が」 「だって、貴方以外に誰に頼むんです?お願いします。それじゃ」 言うだけ言って、古泉くんは走って行ってしまった。 微妙な空気があたしとキョンの間を過ぎる。どうすれば良いんだろう。結局、沈黙に耐え切れなくなって、あたしは口を開く。 「べ、別に送ってくれなくたって良いわよ、一人でも帰れるし」 「いいよ、送ってく」 「え?」 「ほら、行くぞ」 「……うん」 気にした様子もなく促されて、そのまま着いていく。まさかこんな事になるなんて思わなかった。調子が狂う。どうしたら良いんだろう。 何を話したら良いのかも解からず、沈黙が続く。 居心地が良いような、悪いようなおかしな気分。 「古泉が、お前を誘ったのか?」 「え…?うん、外に出ようって誘ってくれたのは古泉くんだけど、最初にあたしが古泉くんの家に押しかけたからだし…」 「押しかけた?」 「一回行ってみたかったのよ、古泉くんち」 最初に古泉くんにした言い訳をしたようにそう言うと、疑問に思った様子もなく頷く。 「何?そんなこと聞いて気にしてるの?それともやっぱり妬いてる訳?」 「妬いてねーよ」 今度は怒った様子もなくそう言われて、それだけにその言葉が本心からだと解かって少し落ち込む。けれど、続けられた言葉に目を見開いた。 「デートじゃないんなら、妬く必要もないだろうが」 「え?」 「何だよ、やっぱりデートだったのか?」 「ち、違うけど」 「じゃあ良いだろうが」 そう言ったまま、キョンはあたしと視線を合わせようとはしない。 でも、それでも良かった。不思議と気分が上向きになる。嬉しい、嬉しい、嬉しい。 こんな程度のことで嬉しくなるなんて単純だけれど、それでも。 あたしは心の中で、こういう機会を作ってくれた古泉くんに感謝した。 こっそりと二人を見送って、上手くいったらしい事に安堵する。 気を利かせた、というよりは、僕がいると彼は本心など絶対に口にしないだろうと思われたから、居なくなった方が良いと判断しただけの事だが。 どうにもこうにも、二人とも互いに好意を寄せ合っているくせに素直じゃない。 まあ、僕がわざと二人きりにさせた事は、ひょっとしたら彼の方は気付いているのかも知れないが、別に彼に後で嫌味を言われたからと言ってどうということはない。涼宮さんが嬉しそうだったらそれだけで別に構わないのだから。 ただ、僕が一番問題視しているのは、どうも彼が、僕の涼宮さんに対する好意を勘違いしている節があるところだった。何しろ彼は人一倍優しい。本人はどうにも自覚が無いらしいが、恐らくSOS団の面々は彼以外なら全面的に同意してくれるだろうと思う。 そしてだからこそ、僕の好意を勘違いしているという事実は、彼が素直に彼女に好意を伝えるのに、枷になってしまう可能性がある。僕に譲る、というような不条理な真似はしないだろうが、何処かに引っ掛かりを感じてしまうかも知れない。出来るならそういう不安要素は早々に排除してしまいたいのだが、どうにも僕がいくら涼宮さんに対して恋愛感情は持っていないと言ったところで、彼は信じない。 信じさせるにはどうしたら良いものか。 実は何よりそれが一番難しいのかも知れない。 確かに僕は涼宮さんに対して好意を持っている。けれどそれは彼が思うような恋愛感情ではなく、一番近い言い方をするなら、一般的な友愛に、少しだけ濃い親愛を足したようなものだと思う。恐らくそれは涼宮さんも同様だろうと思う。 僕と涼宮さんの関係はそれだけで完成されているし、それに不満も何もない。 彼の誤解を解くには、矢張り僕が彼女か何かを作るのが一番妥当なのだろうか、と考えない訳でもないが、どうにもそういう気分にはなれない。 しかし、どうしたものかと考えたところで、結局今まで結論が出ていないのだから、いくら考えたところで無駄なのかも知れない。そのうち彼も理解するかも知れないし、むしろ、矢張り今日の昼間見つけたカチューシャを如何にして彼に涼宮さんへプレゼントさせるかを考えた方が有効だろう。 どうにも素直じゃない彼の事だから、かなり慎重に進めなければいけない。まあ、成功しても失敗しても、彼にとっての僕の印象が良くなる訳でも悪くなる訳でもないのだから別に構わないし。 愛のキューピッドを気取るつもりも無い。 ただ、僕は彼女の笑顔が見たいだけなのだから。 その点については、もう彼には感謝してもしきれないのだけれど。彼が、彼女の笑顔を取り戻してくれた、その事が何よりも嬉しいから、二人には上手く行って欲しい。 彼女は少し人より考え方が奇抜だが、一般常識は持ち合わせているし、感性も人と大きく違う訳ではない。彼女が求めていたのは、本当に何気ないもの。 自分を理解してくれる人。理解しようとしてくれる人。 今まで自分の行動も言動も理解されずに悲しんできた人だから、誰より幸せになって欲しい。 そう思うのはおかしい事では無いだろう。 僕が願うのは彼女の幸せ。 彼女の笑顔。 そうしてここにいる。 それ以上の僕にとっての幸せなど、他には何も無い。 それが、僕の存在意義なのだから。 Fin |