寝顔と眩暈



 合鍵を使って、そろりとマンションに入り込む。
 午前六時。この季節、外は大分明るくなってきているとはいえ、早朝と言える時間帯だ。
 チャイムも押さずに鍵を開けて、部屋の中に滑り込む。
 しん、と静まり返った室内は、まだ部屋の主が夢の中に居ることを教えてくれる。
 そろそろと音を立てないように廊下を進み、寝室へと向かう。
 ドアをそっと、これもまた音を立てないように細心の注意を払って開け、そして目当ての人物が居るベッドの傍へと近づく。
 この侵入者にまだ気づいていないのだろう、微かな寝息を立てて眠っているその顔を覗き込む。
 今まで何度となくこの人と夜を共にしたけれど、まともに寝顔を見たことは一度しかない。それも初めて寝た時、まだ、この人を好きになってもいなかった時の話。
 だからわざわざよく見ようなどとも思わなかったし、正直その時は自己嫌悪の方が上で、そんな余裕もなかった。
 普段こちらを真っ直ぐ見据えてくる赤い瞳は閉じられていて、その分何処か幼い印象を覚えるのは、常のこの人が自分では太刀打ち出来ない程に大人だからだろうか。
 実際の年齢も、そして精神的なものさえも敵わない、といつも思わされる。
 でもだからこそ、惹かれてやまないのも事実だ。
 しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。こうしている間に起きてしまってはこんな風に忍び込んだ意味が無い。
 目的を早々に達成してしまおうと、携帯を取り出し、カメラ機能を使い、吉羅さんの寝顔に照準を合わせる。
 カシャリ、と微かな音とフラッシュの光。
「…ん、」
 流石にそれで気づいたのか、吉羅さんが呻き声を洩らす。
 撮った画像を確認して、それをしっかりと保存する。此処で慌てたら本末転倒だ。
「……何をしているんだ」
 そんな俺を見て不機嫌そうな声で問いかけてくる吉羅さんに、少し冷やりとしながらも顔は笑みを浮かべる。
「吉羅さんの寝顔を撮りました」
「……わざわざこんな早朝に忍び込んですることか?」
 声が不機嫌から呆れにシフトするのを見て少しほっとする。これくらいで人を嫌うような人ではないと解かってはいるけれど。
「だって普段はなかなか寝顔なんて見せてくれないでしょう?折角なのでプレゼント代わりに撮らせてもらおうと思って。あ、大丈夫ですよ、他の誰にも見せたりはしませんから」
「…プレゼント?」
「はい、今日は俺の誕生日ですから。強制的に頂きにきました」
 そう言うと、吉羅さんは身を起こして溜息を吐く。
 本当に呆れられたかな、と苦笑いすれば、突然腕を引かれた。咄嗟に身構えることも出来ず、気がつけば睫が触れ合いそうなほど近くに吉羅さんの顔が見えた。
 そしてそれ以上に唇に触れたものに気づいて驚く。
「吉羅さん、」
「全く、そういうことは早く言いなさい」
 呆れた表情に滲む苦笑いに、言葉が出なくなる。
 こちらが一方的にプレゼントを貰うだけなら、それでいい。けれどこんな風に許されると、途端にどうしたらいいか解からなくなる。
 本当に敵わない。
「誕生日おめでとう」
「……有難う御座います」
 敵わない、けれど、それでも。
 目が眩みそうなほど嬉しいなんてことは、絶対に、口にはしない。



Fin





小説 B-side   金色のコルダ