笑う君に祝いの言葉



 午前四時。
 朝というにもまだ早い、この季節でも、まだ外は薄暗い、そんな時間。
 チャイムが鳴らされる。
 何度も、何度も。
 流石にそこまでされれば起きない訳もなく、半覚醒のまま、相手を確認する。
 スピーカーから聞こえる声を聞いて、相手が誰かを悟ると、一気に目が覚めた。
「志水君?」
 取り敢えず中に入れれば、部屋に入ってきた途端に抱きつかれる。
「……一体どうしたんだ、こんな時間に」
「吉羅さんに、会いたくて」
「は…?」
「でも、眠い、です」
 そう言ったかと思えば腕にかかる重さが増えた。
 もう寝ている。
 相変わらずと言えば相変わらずだ。行動が全く予測出来ない。
 そして、こんな時間に突然やってに来たにも関わらず、チェロはちゃんと持ってきている辺り、矢張り相変わらず、なのだろう。
 彼に何を言ったところでどうしようもない。
 チェロを置いて、それから彼を寝室に運ぶ。
 こんな状態で何をしたところで、そう簡単に起きない事は解かっている。何故突然こんな時間に来たのかは目が醒めてから聞けばいい。
 それに私も、まだ完全に起きるには早い。
 志水君をベッドに寝かせて、私も横に寝る。
 すると温もりを求める猫のように擦り寄ってくる。暦の上では秋だと言っても、まだ残暑の厳しい季節、学生的にはまだ夏休みで、くっついても暑いだけだろうと思うのだが、彼を見ているとどうにも引き離す気にはなれない。
 どうにもいつも、彼のマイペースさに引きずられてしまうが、決して嫌ではない。
 こうして、共に眠るのも。
 目を閉じて、訪れる睡魔に身を委ねて。
 そっと傍にある温もりを抱き締めた。



 低音の、緩やかで繊細なメロディ。
 自分が弾いていたヴァイオリンとは違う音色。
 それでもここ最近、一番聞いて耳に馴染んでいる音。
 その音を聞きながら目が醒めた。
 悪くない寝覚めだ、と思う。
 ベッドから身を起こし、リビングに行けば志水君がチェロを弾いている。全く聞いたことの無い曲だから、彼のオリジナルなのだろう。
 時計を見れば、七時を少し回ったところだ。
 私は兎も角、彼は三時間程度しか寝ていない。此処に来る前に睡眠をとっていたのかは定かでは無いが、もう少し寝ていても良いぐらいだろう。
 弾いている間に話しかけて邪魔をするようなことは出来ないから、ソファに座って彼の奏でる音楽を聞く。
 ゆったりと身を包むようなメロディは、聞いていて心地良い。
 弾き終わるのを待ってから、声を掛ける。
「その曲は?」
「さっき、起きた時に思いついて、忘れないうちに一回、弾いておきたくて…あれ、でも寝てる時に思いついたのかな……どっちだろう」
「どっちでも良い」
 そんなのは些細な問題だ。
「でも、良い曲だった」
「有難う御座います」
 そう褒めれば、ふわりと微笑む。
 音楽を愛し、音楽に愛されて、音楽と共に生きる。
 彼は芯からそういう人間なのだろう。
「それにしても、何故あんな時間に突然来たんだ」
「吉羅さんに、会いたくて」
「それは来た時に聞いた」
「そうでしたっけ?」
 すぐに眠ったから覚えていないのだろう。かくりと首を傾げる。
「聞きたいのは、何故突然あんな時間に会いたいと思って来たのかだ」
「ええと……僕、実家の方に帰ってたんですけど、昨夜吉羅さんにどうしても会いたいなって思って……気がついたら此処に来てました」
「……家の人は、そのことを知っているのか?」
「…多分、知らないと思います」
「………今すぐ連絡しなさい」
 結局まだはっきりした理由は解からないが、それは後でも良い。
 今頃大騒ぎになっているのでは無いのだろうか。いや、彼の行動を知っている身内ならば、それほど気にしては居ないのかも知れないが、どちらにしろ連絡は入れさせなければならないだろう。
 それは最低限の責任だ。
「携帯、持ってきてないです」
「うちの電話を使って良い」
「はい」
 電話機を指差して言えば、頷いてそちらに向かう。
 チェロは持って来ても携帯を持って来ていないというのが、何とも彼らしいが。
 それで納得してはいけない気もする。
「うん……うん、じゃあ、夜には戻る。……うん」
 受話器を置いて、こちらを振り返る。
「電話しました」
「そうか……で、何時まで此処に居るつもりなんだ?」
「ええと、夜には戻るって言ったから、四時くらいには出ないと怒られますよね」
 それまでは居るつもりなのだろう。
 まあ、今日は仕事の予定も無かったから良いが、あればどうする気だったのだろうという気もする。その辺りは考えていないのだろうが。
「普通は、夜中に家を勝手に抜け出した時点で怒られると思うが」
「怒ってました。でも、今日、一番最初に会うのは吉羅さんが良かったから」
「何故、今日なんだ?」
「今日が、僕の誕生日だからです」
 言われた瞬間、口から溜息が漏れた。
 なるほど、そういう事かと納得したのと同時に、呆れ返る。
「そういうことは、最初に言いなさい」
「…言わなきゃ駄目ですか?」
「聞かなければ、祝うことも出来ないだろう」
 それにしたところで、今から出来ることなど限られている。
 タイムリミットが四時だとして、それまでに何が出来るのか。恐らく、家に帰れば家族が誕生日祝いの用意をしてくれているのだろう。
 しかしまず、これから何をするにしても、言わなければならない言葉がある。
「誕生日、おめでとう」
「有難う御座います」
 先程、曲を褒めた時と同じように…いや、それ以上に嬉しそうに笑う。
 たった一言。
 それだけで。
「とりあえずは、朝食だな」
 私はいつもは茶粥だけれど、彼にそれを出す訳にもいかないだろう。まだ若い、成長期だ。彼の好きな物を作って、私なりの祝い方で。
 きっと、ケーキなどは家で食べるだろうけれど。
 彼が私に何か求めるものがあるのなら。
 今日は、いくらでも聞いてやろう。
 折角の、恋人の誕生日なのだから。


Fin





小説 B-side   金色のコルダ