HAPPY CALL



 そろそろ寝ようかな、と広げていた楽譜を片付けていると、携帯の呼び出し音が鳴った。
 液晶に表示された名前を見て、慌てて通話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
『良かった、まだ起きていたか』
 受話器の向こうで、低い、淡々として落ち着いた声が聞こえる。
 久しぶりに声を聞く。
 声どころか、メールを送っても殆ど返事などして来ない人だから、連絡を取ることそのものが久しぶりと言ってもいい。
 忙しいのは解かっているけれど、時折こちらの事など忘れられているのではないか、と思うほど。
 勿論、ウィーンと日本では距離も時差も違うのだから、連絡が取り難いのは当然だと解かってはいるし、それに何より、忙しい人だからおれに割く時間なんてあまり無いって事も解かっているけれど。
 それでも、寂しい、と思う。
 わがままなのかも知れないけれど。
『それとも、寝るところだったか?」
「あ、いえ。大丈夫です」
 吉羅さんと話せるのなら、少しくらい夜更かししたところで、なんてことはない。
『それなら良いが……そちらはそろそろ日付が変わっている頃だろう』
 問われて、時計を見る。
「はい、さっき零時を過ぎたところです」
『そうか。誕生日おめでとう、王崎君』
「え…」
 さらりと言われた言葉に驚く。
『君の誕生日だろう?』
「ええ、それは、そうですけど。よく知ってましたね」
 教えた覚えは、無いんだけど。
 しかも、こっちの日付が変わった直後に、わざわざ。
 これで驚かない筈が無い。
『君は、自分が日本では有名人だということをまだ自覚していないのかね』
「え…」
『雑誌には名前も載るし、プロフィールが載っているものもある。そういうものをチェックしていれば、知ろうとしなくても自然と目に入る』
「…それは、そうかも知れませんね」
 確かに、日本の音楽雑誌の取材だとかいうのも受けた事があるし、それに吉羅さんが目を通していても、おかしく無いというよりも、当然だ。
 何しろ、星奏学院の、理事長なんだから。
『それでなくても、調べようと思えば君はうちの生徒だったのだから、いくらでも調べようはあるがね』
「調べようと、思ってくれたんですか?」
『必要無かったから解からないな』
 照れ隠し、という訳でも無いんだろうな。変な期待はしない方が良い。
 それでも。
「それでも、吉羅さんに祝ってもらえて、嬉しいです」
 吉羅さんにお祝いしてもらえるなんて、想像もしていなかっただけに、本当に嬉しい。
『恋人の誕生日に、何もしない、という訳にもいかないだろう。かと言って、特別プレゼントするものも思い浮かばないから、今度帰国した時に一緒に食事でもしよう。勿論、支払いは私がする』
「駄目ですよ、吉羅さん」
『何がだ』
「そんなこと言われたら、すぐにでも帰りたくなります」
 すぐに、会いたくなる。
 会って、話して、もっともっと、一緒に居たいと望んでしまう。
 普段、素っ気無くて、本当に好かれているんだろうかと、自信が無くなることも多いけれど。時折こういう風に、不意打ちでこんなことをしてくるから。
 たまらない。
 そんなことを思って言葉にしたら、電話越しにくすりと笑う声が聞こえた。
『……すぐには無理だろう』
「解かってますよ、そういう気持ちになるってことです」
『すぐには無理でも、帰ってきたらゆっくり会おう。私も時間を作る』
「はい」
『では、もう遅いから、そろそろ寝なさい。こんな時間に電話する私が言うのもなんだがね』
「いえ、声が聞けて、凄く嬉しいですから」
 本当は、もっともっと、聞いていたいけれど、仕方ない。
『私もだ。君の声を聞くと、気分が落ち着く』
「……」
『こんな時間にすまなかったね、君に一番におめでとうと言っておきたかったんだ。君は今日一日、色んな人から直接間接問わず祝われるだろうから、一番最初に伝えるのぐらいは私でも良いだろう。我ながららしくないことだと思うが。それじゃあ、おやすみ』
「はい、おやすみなさい」
 ツー、ツー、と電話が切れた音がして。
 思わずその場にしゃがみ込んだ。
 だって、こんな、子供みたいな、独占欲。
 吉羅さんが、おれに対して持っているなんて、想像もしていなかった。
 想われて無いんじゃないかって不安になったのさえ、何処かに吹き込んでしまって。
「ずるいな、本当に」
 多分、吉羅さんにとっては、そんなに特別な事を言っているつもりなんて、きっと無いんだろうけど、おれにとっては、嬉しくて、眩暈がしそうだ。
 尚更恋しくて、会いたくて。
 寂しいと、すぐに会ってキスしたいと思うのに、会えない距離がもどかしい。
 それでも嬉しくて。
 幸せで。
 きっと、すぐには眠れそうも、ない。
 真夜中の、電話。


Fin





小説 B-side   金色のコルダ