甘えた声



 ソファに座って本を読んでいると、急に後ろから抱きつかれた。
「吉羅さーん」
「…何だ、重い」
「あ、冷たい」
 抱きつかれるだけでなく凭れ掛かって来られれば重いと言いたくなるのも当然だろう。わざとらしく拗ねてみせながら、実際は気にしていないのも解かっている。
「それで、何だ」
「今日、僕の誕生日なんです」
「そうか、おめでとう」
 告げられた言葉にそう返せば、今度は本当に不満そうに唇を尖らせた。
「心が篭って無いです」
「そんな事は無いが」
 突然言われたところで、何をする事もできないから、困る。
 前々から知っていたなら、何かプレゼントを用意しようとか、好きな料理を作ってやろうとか、そういう事だって、考えない訳ではないのだから。
「当日に言うくらいなら、もっと早く言ってくれ」
「下手に誕生日プレゼント用意してもらうよりは、突然言って強引にでも貰った方がいいかなあって」
「どういう意味だ?」
 ふふ、と何か企んだような笑みを浮かべて、加地は後ろから回してきた手にぎゅっと力を込める。
「欲しいものは、もう決まっていますから」
「何だ」
「吉羅さんが欲しいです」
 振り返ればキスをされて。言われた言葉に、呆れる。
「何を今更」
「今更…うーん、そうなんですけどね、そうじゃなくて。今日は」
 耳元に唇を寄せられて、囁かれる。
 甘い声で。
 今日は。
「僕の思う存分、好きなだけ、あなたを抱きたいんです」
「……」
「駄目ですか?」
 私の沈黙に、まるで捨てられた犬のように、すがる眼差しで甘えた声で伺ってくる。どうしたものか、と考える。
 思う存分、好きなだけ。
 ようするに、明日起きられないくらいの事は覚悟しなければならないという事だ。本気で、手加減無しでされて、無事に翌朝起きられた試しは一度も無い。
 だからこそ、普段は手加減するようにと言ってきかせているし、加地も無茶な事はしない。でも、こういう時ぐらいは、と思うのも解からないではない。
 明日は土曜日で、仕事の予定もない。
 それなら、と覚悟を決める。
「…解かった。好きにしたらいい」
「本当ですか!?」
「ああ」
「有難う御座います!」
 それで、またぎゅうっと抱きつかれて、其処まで嬉しそうな顔をしてもらえるのならば。
 悪くは無い、とそう思う。
 こんな風に、余すところ無く、そして疑う余地もなく、愛されていると感じられる事は、これ以上なく幸せな事だと思う。
 だからこそ、私もできるだけ返したいと、そう思うから。
 彼が生まれてきた、今日この日に。
 彼が望むのなら、いくらでも、好きなだけ。
 叶えてやりたいと、そう思う。
「その前に、君の好きな料理を何か作ろう。突然だからケーキも無いし、材料もそう多くは無いから限られてくるが」
「嬉しいです、そうやって、吉羅さんがお祝いしようとしてくれるだけで」
 そうして、本当に嬉しそうに笑うから。
 私も笑って、ソファから立ち上がる。
 愛情表現を惜しまない彼に対して、私は彼のようには振舞えない。甘えた声で愛情を求めることも、優しさを求めることも。
 でも、だからこそ、求められた時には出来る限り返したいと思う。
 それ以上にいつも、多くの物を貰っているから。
 そうして嬉しそうに笑う顔を見るのを、悪くないと思うから。
 何よりも今日が彼の誕生日だと言うのなら。
 それこそ本当に、何でも叶えてやりたい。
 甘えた声で、甘えた顔で、私を好きだとその全てで告げてくれる彼に。
 私も告げよう。
 君が生まれてきて嬉しいと。
 傍に居てくれて、嬉しいと。
 告げたなら、どんな顔をするだろう。
 そう考えて、気づかれないようにひっそりと、笑った。


Fin





小説 B-side   金色のコルダ