桜降る夜



 ザザザァ…。
 強い風が、満開に咲いた桜の花びらを容赦なく落としていく。
 吉羅と共に飲みに行った帰り道。
「少し寄っていきませんか。桜が満開ですよ」
 そう言う吉羅の誘いにのって、公園に入った。
 月明かりの下ぼんやりと浮かび上がる薄紅色の花びらは風に散らされ桜吹雪がひらひらとはらはらと舞い落ちていく。
「凄いな。明日には殆ど残ってないなあ、こりゃ」
「そうですね」
 無数の花びらが絶えず散っていく様は美しいけれど、儚くて寂しい。
 夜桜見物と決め込むには風が強すぎて、ともすれば目に花びらが入りそうになってまともに目も開けていられない。これでは見物も何もあったものではない。
 吉羅の方を見れば、少し離れたところで舞い落ちる花びらを見上げていた。
 そこで不意に一際強い風が一瞬吹いて思わず目を閉じる。
 容赦なく降り注ぐ桜の雨は吉羅の姿もその一瞬でかき消してしまいそうで、酷く焦った気持ちになる。
「吉羅」
 名前を呼んで、腕を掴んで、抱き締める。
「金澤さん…?」
「……」
「どうしたんですか?」
「いや」
 お前が消えてしまいそうな気がしたから、なんていい年して妄想染みたことを言える訳もなく、けれど先程感じた焦燥は未だ消えずにあって抱き締めた腕を放す事も出来ない。
「こんな所を、誰かに見られたら…」
「誰も居ないし、例え居たとしたってこんなん酔っ払いの戯事だろ。誰も気にしねえよ」
 こんな風の強い晩に夜桜見物に来るような酔狂者が他に居るとも思えない。
 相変わらずはらはらと桜は勢いよく舞い散って、それを眺めながら先程までとは違うことを思う。こうして、腕にしっかりと吉羅を抱いているからだろうか。
 このまま、吉羅と二人でなら消えてしまってもいいかも知れない。
 そんな風に考えて、自嘲する。
 どうも今日はやたらと感傷的だ。
 酔っているせいかも知れない。
「酒じゃなくて、桜に酔ったのかもな」
「え」
 吉羅の耳元に囁いて、唇にキスをする。
 ひっきりなしに舞い落ちる花びらを見ていれば、それで酔ってしまってもおかしくないと思う。だから、今の俺はこんなにおかしくなっているのだと言い訳して。
 こんなところで、キスをして。
「金澤さん?」
「……そろそろ帰るか」
「どうしたんですか、本当に」
「桜に酔ったんだよ」
「……確かに、酔ってしまいそうな光景ではありますね」
 俺の言い訳に、吉羅は不意に視線を上げて、また桜を見詰める。
 舞い降る花びらは、もう吉羅の身体にも俺の身体にも降り積もっていて、雪みたいに溶けたりもしないから酷い状態だ。
「それに、本当に帰らないと桜まみれになる」
「確かに、それは遠慮したいですね」
 苦笑いを浮かべて頷く吉羅に、もう一度キスをして。
 桜の花びらに邪魔をされない場所で、ちゃんと吉羅を抱き締めたい。


Fin





小説 B-side   金色のコルダ