甘い指先



 ドアを開けた瞬間目に飛び込んで来た光景に、一瞬動きが止まる。
 それから部屋の主に視線を向け、口を開く。
「…何だ、こりゃあ」
「見て解かりませんか」
「いや、解かるっちゃ解かるけど…」
 応接用の机の上に置いてある、綺麗にラッピングされた箱の山。数は軽く二十は超えていそうだ。
 今日の日付を鑑みれば、中身が何なのかも予想はつく。
「全部チョコレートか?よく受け取ったなあ、お前」
「別に受け取った訳じゃありませんよ。朝来たら理事長室の前に置いてあったんです。差出人の名前も無いので返すに返せませんし、仕方が無いから取り敢えず其処に置いてあるんです」
「ふーん…お前、去年はバレンタインチョコ貰ってなかったよな」
「去年は受け取りませんでしたから」
 淡々と答えながら、視線は仕事の書類の方に向かっている。
 全然興味が無いのだろう。
「去年受け取らなかったから、今年こうなったんだろうなあ……どれ」
 当人が興味無さそうだから、俺が開けたって問題ないだろう。一つ包装を解いて取り出してみる。
「うわ…これ一粒千円単位のたっかいやつだぞ。くっそー、俺なんて貰っても一箱数百円のばっかだっつーに」
「人のを開けなくても、金澤さんも沢山貰っているんでしょう」
「俺が貰うのなんて義理チョコだよ、義理チョコ。お前のなんてこれ、明らかに本命じゃねーか」
 こんなお高いチョコを、義理でなんて渡す筈が無い。加えて差出人が無い訳だからホワイトデーのお返しなんてのも無い訳で、取り敢えず食べてもらえればいいってところか。
 この学院の生徒は金持ちも多いから、学生でもこんな高いチョコが買えるんだろうが、それでも本命でなければ買わないだろう。
「お前、これ全部食うの?」
「…捨てる訳にもいかないでしょう。大体は入れ物が大袈裟なだけで、中身は少ないでしょうし」
「捨てるには勿体無いよなあ、確かに」
 差出人も書かずに置かれてたのは、そういう性分を見抜かれてるからじゃないのかと言ってやりたいが、言ったところでどうしようもない。
 結果は多分変わらないだろう。
 それでも、貰って欲しく無いなと思うのは、矢張り我が侭だろうか。そもそも、受け取りたくて受け取った訳でも無いのだから、吉羅を責める訳にもいかない。
 しかし、何も言えないせいで、もやもやとした気分が燻ってしまっていけない。
「何ですか、変な顔をして」
「変とは何だ、変とは」
「言葉通りの意味です」
 吉羅は俺の心情などお構いなしに冷たい言葉を吐くものだから、ますますむくれてしまう。
 チョコレート一つで妬いている自分が情けないと思いながら、それでも気に入らないのだから仕方ない。
「なあ、これ貰って良いか?」
「駄目です」
「何で。どうせ差出人書いてあったら返すんだろ?別に俺が貰ったっていいじゃねえか」
「金澤さんだって沢山貰っているんでしょう、むしろそちらを責任もって食べるべきではないんですか?」
「ふーん、何だかんだ言って結局、チョコレート貰って嬉しいんだろ、お前」
「何を言っているんですか、誰もそんなことは言っていませんよ。金澤さんこそ、一体何故そんなに機嫌が悪いんですか」
「別に悪くねーよ」
「明らかに悪いでしょう、一体何なんです」
 流石に吉羅も眉を顰めて、声が尖る。
 機嫌が悪い?
 そうだ、滅茶苦茶悪いさ。
 何だか妙な言い争いになって、更に気分が悪い。
「……もう良い」
「金澤さん?」
 俺が勝手に怒ってるだけだ。それで吉羅に腹を立てるのは見当違いだってことも解かってる。
 冷静になれば、何でもない事の筈だ。
「ちょっと、頭冷やしてくる」
「あ、金澤さん」
 呟いて踵を返すと同時にまた声を掛けられた。
「何だよ」
「今夜、何か予定はありますか?」
「特に無いけど…」
「それでは、うちに来ませんか。良いウィスキーが手に入ったんです、飲みましょう」
「……まあ、良いけどな」
 さっき口論になっていた筈だというのに、何で其処で飲みに誘うかね。
 しかも平日に。
 別に俺としては構わないが、何でまた…と思わなくはない。
 さりとて、俺がいくら考えたところで吉羅の考えている事など解かる訳もないから、取り敢えず了承だけして理事長室を出た。



 夜、吉羅の部屋のソファにゆったりと身を預ける。
 キッチンのカウンターの上には、例のチョコレートの山が出来ていて、それを見るのはあまり気分の良いものではないから、其処から視界を逸らす。
 吉羅はキッチンからウィスキーのボトルと、氷の入ったグラスを持ってテーブルに置く。
「どうぞ」
「おう」
 頷きはするものの、何だかまだ気まずい。
 吉羅は割りと平然としているように見えるから、それは俺だけが感じているのかも知れないが。
 ふう、と溜息を吐いて、ウィスキーを飲む。
 吉羅が良いと言っただけあって、確かに良い酒のようだ。
 美味い。
 吉羅は再びキッチンに戻って行って、多分つまみでも取ってくるんだろうと思ったら、ガラスの皿にチョコレートを乗せて戻ってきた。
「…おい」
「何ですか」
「これ、今日お前さんが貰ったやつじゃないのか?」
「違います。これは、私が買ったものです」
 思わず問いかければ、すぐに否定が返って来る。
「お前が…?」
 よくよく吉羅の顔を見てみれば、目尻が少し赤い。冷静で、何事も無いように見えたのは、俺がそれに輪をかけて冷静でなかっただけなのかも知れない。
 それでも確信が欲しくて、確認するように問いかける。
「ひょっとして、バレンタインのチョコレート?」
「…だったら何です」
 ちょっと怒ったような顔で、でも多分、これは照れているんだろう。
 そんな吉羅の様子に徐々に実感が湧いて、嬉しさが込み上げてくる。
「昼間、お前が貰ったチョコ、食べるなって言ったのは自分で用意してたからか」
「…………」
「沈黙は肯定にしかならないぞ」
「ちゃんと、あなたのために用意したものがあるのに、人から貰った物をあげられる筈、無いでしょう」
「そうか」
 何だ、そういうことか。
 結局、お互いにあまり冷静でなかっただけだ。吉羅の方もさっさと言えばいいのに、回りくどく酒を口実にするのだから。
 馬鹿馬鹿しいとは思うが、ほんの少し照れくさくもある。
「なあ、吉羅」
 すっと視線を投げかけて、未だ立ったままの吉羅を手招きする。
 そっと隣まで歩み寄ってきた吉羅の手を引いて、すとん、と膝の上に乗せる。
「な…金澤さん…っ」
 慌てた様子の吉羅の手をしっかりと掴んで、少し高い位置にある目をしっかりと捉えて。
「なあ、チョコレート、食べさせてくれよ」
「は……、何言って…」
「この手で、食べさせて?」
 声に甘さを滲ませて、強請る。
 そんな俺の我が侭に吉羅は一瞬唖然として、それから、さっと顔を赤く染めた。じっと俺を見て、どうしたものかと悩んでいる様子に、更に追い討ちをかける。
「な?良いだろ」
 逃げそうになる腰を引き寄せて、膝の上に抱いたまま。
 じっと視線を合わせて見詰め続ければ、俺に逆らえなくなるのを知っているから。
 暫くして観念したように目を伏せて、ガラスの皿に置かれたチョコレートを一粒、手に取る。
 ほんの少し震える手が、俺の口元に運ばれて。
 口を開いて、食べるのは一瞬。
「か…っ」
 摘んだ指ごと口に含んで、慌てて手を引こうとするのをしっかりと掴んで、指先についたチョコレートもしっかりと舐め取る。
 あっという間にチョコレートは口の中で溶けて、甘さを味わって。
「うん、美味いな」
 顔を真っ赤にして、言葉を失くしている吉羅に笑いかけて。もう一度指先を舐める。まだ甘い気がする。
 一粒を充分すぎるほどに味わった後、笑みを浮かべて強請る。
「もう一個、食べさせて」
「金澤、さん…」
 ガラスの皿に乗せられたチョコレートが全部無くなるまで。
 甘い、口の中で溶けるチョコレートと、恥ずかしがって、耳まで赤くなる吉羅の表情と、熱で溶けたチョコレートがついた指先と。
 全て甘くて、癖になりそうだ。
 毎年こうやって食べさせて貰うのも悪くないかな、と考えて。
「なあ、もう一個」
 そう囁けば、顔を赤く染めて、瞳を潤ませて、それでもチョコレートをもう一つ摘んで俺の口元に運んできてくれる。
 本当は、お前だって期待してるんだろう?
 声に出して問いかけはしないけれど、それは確信。
 にやりと笑って見せて。
 もう一度、その甘い指先を口に含んだ。


Fin





小説 B-side   金色のコルダ