熱視線



 一月三日。
 一応仕事をしに出たものの、今年はそれほど急ぎのものもなく、思ったよりも早く帰宅する事が出来た。
 しかし、それはそれで、手持ち無沙汰になる。
 ドライブに行こうかとも思ったが、何となくそんな気にもなれない。
 さて、どうしようかと考えたところで、携帯の着信音が鳴った。
 ディスプレイに表示されている名前を見て、急いで通話ボタンを押す。
「はい」
『なあ吉羅、今何処に居る?』
 開口一番にそう問われて、反射的に答える。
「今は、自宅に居ますが」
『今日は仕事は無いのか?』
「多少はありましたが、もう終わりましたよ」
『そりゃあ丁度良い。今からそっちへ行っても良いか?』
「それは、構いませんが」
『じゃ、三十分後ぐらいに行く』
 そう言ってぷつりと切れた。
 また突然の事だと苦笑いを浮かべながら、いつもの事だとも思う。
 気紛れに誘ってきたり、かと言ってこっちが誘えば断られる事の方が多い。
 何気なく断られる度に、少し胸が痛むのを、きっと金澤さんは気づいては居ないのだろうが、私の方も仕事が立て込んでいれば断るのだから、お互い様だろう。


 そして丁度三十分後に、インターフォンが鳴り、金澤さんがやってくる。
 エントランスから中に入れ、そして玄関を開けた瞬間に、パンッ、と派手な音と火薬の匂いがした。
「Happy Birthday!」
「な……」
 何の心の準備もしていなかっただけに、驚いて二の句が告げない。
 固まっている私を見て、金澤さんはひらひらと目の前で手を振った。
「おーい、大丈夫か?」
「な……んなんですか、いきなり!」
「何って誕生日のお祝いだろうが」
 全く悪気は無いのだろう。無いのだろうが…それにしても。
「この年でやるようなことじゃないでしょう!大体、これ誰が片付けるんですか」
 クラッカーが鳴らされた直後に飛び出す紙は、見た目は華やかだろうが、直後ゴミになる。本当にこの年にやる事ではない。
「大丈夫だって、ちゃんと片付けるから。ほら、とっとと中に入ろうぜ」
「ちょっと、金澤さんっ」
 体を押されて、そのままリビングに向かう。あれをあのまま放置はしたくないのだが、片付けると言っている以上はそれを信用するしかない。
「いや、それにしても家に居てくれて良かったぜ。仕事だったらどうしようかと思ってたからな」
「祝ってくれるのは嬉しいんですが、それにしてもどうしてあんな…」
「取り敢えず、驚かせようかと」
「驚きましたよ」
 本当に驚いた。
 そもそもクラッカー自体見たのは何年ぶりだろう。思い返しても最後に見たのはいつだったか思い出せない。
「それで、私の誕生日を祝ってくれるために、わざわざ?」
「ああ。んでもってこっちがプレゼント」
 おもむろに持っていた紙袋からワインを取り出す。最初の驚きで、紙袋を持っていたのにも今気づいたが。
「お前の生まれ年のヴィンテージワインだぞ」
「…有難う御座います」
 受け取って銘柄を見れば、シャトー・ラトゥール。
 赤ワインの中ではそれなりに値の張るものだ。
「高かったでしょう、これは」
「まあ、安月給には響いたけど、これくらいはな。ロマネ・コンティなんてのは流石に無理だが」
「私でもそれは贈るのに躊躇しますよ…」
 ロマネ・コンティなど、一本で百万単位のものが多い。
 贈る方と貰う方の価値観が一致しない限り、そうそう贈れるものではない。
「折角だから早速飲んでみるか?」
「…金澤さんも飲みたいんでしょう」
「あはは…まあ、滅多に飲まない値段のワインだからなあ」
 でも、確かに一人で飲むよりも、二人で飲みたい。
 金澤さんと、二人で。
「それでは、飲みましょうか。グラスを用意してきます」
「ああ」
 グラスを二つ用意して、ワインを注ぐ。
 ソファに隣り合わせに座って、ワインを口に含んだ。
「美味いか?」
「はい、美味しいです」
 高級なものというのなら、もっと高級なものも、飲んだ事ぐらいはある。
 それでも、金澤さんが私のために買ってきてくれたことを思えば、これ以上美味しいものなど無いだろうとさえ思える。
 どんなものでも、きっと敵わない。
 ふと、金澤さんを見れば、酷く優しい眼差しでこちらを見ている。
 その視線に、思わず目を逸らせた。
 頬が熱くなる。
 ワインではなく、その視線に酔いそうになる。
「あまりこちらを、見ないでください。金澤さんも飲んだらいいでしょう」
 そんな目で見られたら、どうして良いか解からなくなる。
「いや、悪いな。お前が嬉しそうにしてるから、つい」
「……」
 嬉しくない訳が無い。
 こうして、金澤さんに誕生日を祝ってもらえて。それが、嬉しくない筈が無い。
 横目で金澤さんを見れば、ワインを口に含んで嬉しげに目を細めていた。
「やっぱ、数千円で買える安いワインとは全然違うな。そう滅多に飲めるもんじゃ無いが」
「では、金澤さんの誕生日には私からあなたの生まれ年のヴィンテージワインを贈りましょうか?」
「うーん、それはそれで、悪くないけどな」
「…何です?」
 含んだような言い方と、意地の悪い笑み。
 何か、思いついたときの顔だ。私をからかう時の顔。
「ワインよりも、お前が欲しいな」
「な…」
 言ったかと思えば腕を引かれ、唇が重なる。
 ワインを零しそうになって、そちらに思わず気を取られれば、その隙に舌が口内へと入り込んでくる。
「ん…っふ…」
 一頻り口内の嘗め回された後に開放されて、相変わらず意地の悪い笑みを浮かべる金澤さんを睨みつける。
「そんな顔するなって。もっとしたくなるだろ」
「知りませんよ、そんな事は。大体……」
 言いかけて、口を噤む。
 自分が何を言おうとしたのか考えて、顔が熱くなる。
 何を、馬鹿なことを口走ろうとしたのか。
「大体、何だ?」
「…っ」
「吉羅?」
 促すように問われて。
 その瞳がまた、優しく細められて。そんな目で見詰められれば、どうしようもない。逆らえるはずも無い。
 熱の篭った優しい視線に、眩暈がする。
「大体……私はとうに、あなたのものです」
「……そりゃ、嬉しいな」
 本当に嬉しそうな顔をして、もう一度キスをされて。
 間近に見える金澤さんの優しい眼差しに、頭の中がぼうっとして、何も考えられなくなる。
「じゃあ、知ってるか?俺もとっくに、お前のものだって」
「……」
 問われて、頷く。
 そうすれば尚更嬉しそうな顔をして。
「何が欲しい?」
 問いかけに、口を開く。
 ああ、この人は、今日、これを言わせるためにやって来たんだろう。
 それが解かっているのに、その視線に逆らえない。
 もう完全に、この視線に酔っている。
「あなたが、欲しい」
 言葉にすればすぐに発したそこは塞がれて。
 でも、もう言葉など必要ない。
 欲しいものは、もう此処にあるのだから。


Fin





小説 B-side   金色のコルダ