夫婦のように



「だからな、お前はいちいち言うことがキツすぎるんだよ」
「あなたが日野君に甘すぎるだけでしょう」
 目の前で、金澤先生と吉羅理事長が口論を始めたのを見て、ほんの少し、溜息を吐く。最近ではすっかり見慣れた光景だ。
「馬鹿言え、お前がキツい分、俺がフォローしてやってんだろうが」
「頼んでませんよ、そんなことは。それにあなたが彼女に甘いのは、私が居ても居なくても変わらない気がしますが」


 …なんて会話がいつも、大体、繰り返される訳で。
 話が終わった後はいつもげんなり、疲れ気味だ。
 森の広場のベンチに座って、溜息を一つ。
「どしたの?随分お疲れみたいだね」
「天羽ちゃん…、うん、ちょっとね、さっきまで理事長室に行ってたから」
「何?また難題押し付けられたの?いい加減香穂子を利用するのも止めて欲しいよね」
 吉羅さんに対して良い印象を持っていないらしい天羽ちゃんは、もうそれだけで憤慨したような顔をする。それに苦笑いを浮かべながら首を振る。
「別にそれは良いんだけどね。慣れたっていうのもあるんだけど、吉羅さん、絶対に出来ない事は言ってこないし、宣伝のためっていうのもあるんだろうけど、実際私がヴァイオリニストとして成長するようにっていうのも考えてくれてるっていうも解かるんだよね」
「…そんなに良い人には見えないけど」
「良い人っていうか、同情されてるだけかも」
 ファータが見える者同士で、ファータに巻き込まれてヴァイオリンを始めたから責任を感じている、みたいな事を前に言われた事があるし。
「でも、言われた事をクリアすると、実際自分でも成長出来たかなって思えることも多いし、遣り甲斐があるから、最近は結構楽しみでもあるんだよね」
「ま、前向きなのは良い事だけどさ。だったら何でそんな疲れた顔してる訳?」
「うーん、何て言うか…笑いを堪えるのが大変で」
「はあ?あの吉羅と話すのに、何か笑うことでもあるの?」
 本気で解からない、という顔で首を傾げる天羽ちゃんに、何と説明したら良いかな、と考える。それに、あんまり言ったりするようなことでも無い気がするし。
「うーん……理事長室に行っても、大体金澤先生も居たりするから、二人きりって訳じゃ無いでしょ?」
「そうだね、何か金やんってもう、香穂子の係みたいになってるよね」
「あはは…でさ、天羽ちゃんも、金澤先生と吉羅さんが口論してるのは、何度か見たことあるでしょ?私の事で」
「うん…でもそれがどうかした?笑う事は無いと思うんだけど…」
 そう、私も最初のうちは、むしろ口論してるのに焦ってそこまで考えてなかったんだけど、慣れるともうこれはこれでこの二人のコミュニケーションなんだなって悟ってしまう。まあ、話題が私なだけに居心地が悪いんだけど。
 そこでふと、考えてしまったからいけない。
 思いついた瞬間に噴き出しそうになって、必死に堪えるのが大変だった。急に笑い出したら金澤先生は不審そうな顔をするだろうし、吉羅さんだって不機嫌になって嫌味の一つや二つ飛んでくるだろう。それは避けたかったから、必死で堪えた。
「……何ていうか、あの二人の口論を聞いてるとね………まるで、娘の育て方でもめる夫婦みたいだなあって、思っちゃって…」
「ぶっ」
 言った途端に天羽ちゃんも噴き出した。そして爆笑した。
「天羽ちゃん、笑いすぎ」
「ご、ごめん。だって、ついつい想像しちゃったからさあ。でも確かにそうだよね、躾に厳しい母親と娘に甘い父親みたいな喧嘩だよねえ」
 まだ肩を震わせている。
 まあ、気持ちはすごくよく解かるんだけど。
「そうなんだよね、その度に私も何か思わず笑いそうになっちゃって、我慢するのが大変で…」
「あははは、ああ、やっぱり駄目、堪えらんない」
「お前さん、笑いすぎだぞ」
「ひっ」
「か、金澤先生」
 急に後ろから声がして、天羽ちゃんと二人びくっと肩を震わせて、恐る恐る振り返る。
「……い、いつから聞いてました?」
「笑いを堪えるのが大変、当たりか」
「ずっと聞いてたんですか?」
「仕方ないだろ、自分が話題で、出るに出れなかったんだよ」
 ベンチの裏の繁みで、猫と戯れていたらしい。猫を抱き上げた金澤先生がそう呟く。でも、怒ってはいないみたいで、ちょっとほっとする。
「あーもう、本当にびっくりしたよ」
「聞いてたのが吉羅じゃなくて良かったなあ。あいつだったら本気で不機嫌になって、嫌味の総攻撃をしてくるぞ」
「うわ…」
「ま、あいつには言わないことだな。つーか変な想像すんなよ、もう」
「すみません」
「気をつけます」
 実際まあ、変な想像だし。
 思いついちゃったからついつい笑いそうになった訳だし。
 でも吉羅さんに怒られるほうがずっと怖いから、やっぱりもう、これ以上誰にも話さない方がいいかな、と考えて。
 もう一つ、溜息を吐いた。




 キッチンで夕食を作っている吉羅の背中を見ながら、昼間、日野と天羽が話していたことを思い出す。
(夫婦、ねえ…)
 実際、今の自分たちの状況はそれに近いものがあるのかも知れない。
 恋人同士で、週末は毎回吉羅の部屋に泊まって、どちらかが夕食を作る。
 昼間の口論なんて決して引きずるものではないし、お互いもう気にしても居ないだろう。それはそれ、これはこれ、と割り切っている。
 何事も無かったかのように、穏やかな空間で当たり前のように傍に居る。
 いっそ、一緒に暮らせればいいのに、と考える事もあるが、流石にそれは対外的に無理だということも承知していて、こうして週末に泊まるだけでも十分だと思う。
 実際恋人が手料理を振舞ってくれるという状況は、例え何度目であっても嬉しいものだ。もう数え切れないくらい何度も食べているのに、それでも。
 というか、その状況がまるで新婚みたいだな、と考えて、思わず笑いそうになった。
 昼間の会話に毒されている。
 座っていたソファから立ち上がり、吉羅に近づく。
 そっと背後に回って、抱き締める。
「っ」
 びくっと身を強張らせる吉羅の手元を見れば、海老の筋を抜いていたらしい。何を作っているところだったのか若干気になるが、今は良い。
 その海老も驚いたせいで落としてしまっているが。
「いきなり、何するんですか、危ないでしょう」
「包丁は使ってなかったんだから平気だろ」
「だからって…」
 さらに続けようとした吉羅の言葉は、俺が首筋にキスをしたことで止まった。
 ちゅ、と吸い付いて、シャツのボタンを二つほど外して中に手を潜り込ませる。
「な、何……っ、いきなり、何なんですかっ」
「んー、料理作ってるお前の後姿見てたら、何かこう、ムラムラっと…」
「ムラ………って、だから、止めてください、こんなところで」
「こんなところだから、興奮するんだろ」
 服の下に潜り込ませた手を動かして、胸の頂をきゅっと摘む。ぴくん、と体を震わせて、俺の手を掴む。
「何かこう、ふりふりのエプロンとかつけてさ、新婚さんごっこみたいなのも面白いと思わないか?」
「何を、言ってるんですか!そん、なこと…っ、思いませ……っあ…」
 胸の突起を刺激しながら、もう片方の手を下ろして、下肢に触れる。そっと擦ってやれば、シンクの縁に手をついて耐えるように体を強張らせる。
 ガチャガチャと音を立ててベルトを外して、中に手を潜り込ませる。
「や、め……、金澤さ…ん」
「……こういう顔は、あいつらには見せたくねえなあ」
 顔を赤く染めて、潤んだ瞳が俺を訝しげに見詰めてくる。こんな顔は、それこそ誰にも見せたくない、知っているのは俺だけで良い。
 前を直接握り込んで扱いてやれば、甘い声が零れ落ちて、次第に勃ち上がって来る。胸の突起を刺激して、首筋を舐め上げて、耳を嬲る。
「んんっ、あ……あぁ…」
 嫌だとでも言うように首を振って、しかしそれを裏切るように先走りが溢れてくる。とろとろとあふれ出した精液に濡れた手を、そのままズボンを下ろしもせずに更に奥へと潜り込ませる。
「っ、な……あ、やめ…っ何してるんですか…っ」
「止めない。それにお前だって、その気になってきてるだろ」
 触れる体温が熱くなって、奥も、誘うようにひくついている。指を押し入れてもすんなりと受け入れてくる。
「は、あ……」
「な…?その気だろ」
「ちがっ……」
 否定しても説得力はまるで無い。
 指を増やして、中をかき回せば、足を震わせてぎゅっとシンクの縁に縋りつく。立っているのも辛くなってきたのだろう。
「や……んんっ、あ…」
 中の指を動かすたびに敏感に反応する感度の良い体が、いつまでもこの状態に耐えられる訳も無い。ゆるりと自分で腰を揺らしているのも、気づいているのか、いないのか。
 どちらでも良いか。わざわざ指摘すると拗ねてしまいかねない。
 ひっそりと笑いながら、下着ごとズボンを全部ずり下ろして、自分の熱を押し当てる。
「あ、あああっ」
 きゅっと、締め付けてくる熱さが気持ち良い。腰を動かして、その心地よさに酔いながら、首筋に、背中にキスを落とす。
「んぁ、あっ、ああ…っ」
 胸の突起を摘んで、刺激して、こんな風にキッチンでするのも悪くないなと思って。
「……やっぱ、エプロンつけてる方が、燃えそうだな」
「なん、ですか……あっ、さっき、から…っ」
「フリルは、冗談にしても……俺がお前に似合いそうなエプロン、贈ったらつけてくれるか…?」
「そんな…、知らな……あ、あっ」
 知らない、何て言いつつ、それでも贈れば律儀に身につけてくれるのだろう。
 それを想像して、どんなエプロンを贈ろうかと考えて。
 快楽に震える体を抱き締めて、笑った。



 ぐったりと座り込んだ吉羅を見下ろして、そしてシンクに転がった海老を見る。他にも出ている材料を見つめて。
「で、何を作ろうとしてたんだ?」
「オニオンスープと、シーフードパスタです」
「俺の味付けになるけど良いよな?」
「もう、お任せします…」
 何しろ、吉羅は暫く立ち上がれそうにない。
 後は責任を持って俺が作ろう。というか、それぐらいしないと怒られそうだ。
 座り込んで俯いている吉羅の髪をそっと撫でてから、材料に向き直り、袖をまくった。


Fin





小説 B-side   金色のコルダ