猫と狼



「トリックオアトリート!」
 バンッ、とドアを勢い良く開け、元気が良すぎるくらいの声に合わせて小さく唱和する声。奇妙な不協和音に眉を顰めて顔を上げた。
「…何だ一体」
 今日は日曜で、部活動のある生徒以外は殆ど登校してくる事など無い、ようするに、静かに、平穏に、仕事を進められる予定だったのだが。
 何故それとは明らかに関係の無さそうな面々がこうして此処に居るのだろうか。
「あれ?知らない?今日ってハロウィンなんだけど」
「知らないってことは、無いと思いますけど」
「えー、でも、訳が解からないって顔してるよ。ねえ、柚木」
「僕たちが此処に居てこんな事をしているのが訳が解からないんじゃないかな」
 勝手な事を言い合いながら、理事長室に遠慮もなく入ってきて目の前に並ぶ三人に、軽く頭痛がした。
 ハロウィンらしく三人とも仮装をしていて、それらしい雰囲気は出ている。
 むしろ、凝りすぎていると言っても良い。
 火原君は狼男、柚木君は吸血鬼、志水君はミイラ男、だろうか。
 咄嗟の思いつきで用意するには作りこんである衣装だ。
「……休みの日にまでわざわざ学院に来て、一体何をしてるんだ、君たちは」
「志水くんのお姉さんがハロウィン用の衣装みんなの分作って送ってきてくれて、折角だから勿体無いし、みんなで着ようって話になって」
「…みんな?」
「おれたち以外だと、日野ちゃんと、冬海ちゃんと、加地くん、土浦、月森くん」
「土浦くんと月森くんは随分嫌がってたけどね」
「加地くんが結局引っ張って行っちゃったよね」
 それはもう、災難としか言いようが無いだろう。同情すら覚える。
「それにしたところで、わざわざ学院に来る必要があるのか?」
「だって、折角のハロウィンなんだし、みんなも楽しんだ方が良いかなって」
「加地先輩の提案で、みんなで来ました」
「その格好で?」
「はい」
 頷いているが、酷く奇異な集団だったのは間違いないだろう。
 ハロウィンというのも、最近ではよく耳にするようにはなったが、それほど馴染みがあるとは言い難い。その中で、この仮装した集団が町を歩いていたらそれは酷く、目を引いただろう。
 私だったら傍を歩きたくは無い。
「……それで?」
「だから、ハロウィンだし、お菓子くれなきゃイタズラするぞってこと!」
「私が、お菓子を持っていると思うか?」
「思いませんね」
 さらりと笑顔で柚木君が言う。解かっているのなら来なければ良いと思うのだが、言った所で無駄なのだろう。
「じゃあ、イタズラですね」
「……何をするんだ?」
 妙なことをされなければ良いが、と思う。何よりも気になるのが、火原くんが、大きな袋を抱え込んでいることだ。
「ええと、じゃあ、吉羅さんは……やっぱりこれだよね!」
 袋を漁り、そこから出したのは、黒い猫耳のついたカチューシャだ。流石に展開が読めて、溜息を吐く。恐らく袋の中には似たようなものが沢山入っているのだろう。
「まあ、此処は諦めて、大人しくつけておいてください」
「学院から出るまでは外さないでくださいね」
 抵抗するのも馬鹿らしく、火原くんが頭にそのまま乗せて来るのを黙って見ながら、こうして今日登校している学生たちにみんな同じようなことをしているのだろうか、と考えれば呆れる以外に出来ることなど無い。
「……それで、他の子たちも同じようなことを?」
「はい。三組に分かれて、手当たり次第に」
「確か、加地くんたちは金やんが居たからそっちに行ってたよね。どうなったかな」
「金澤先生がお菓子を持ってる確率ってどれくらいでしょうか」
「五分五分ってところかな」
 楽しげに話しながら、それでも最後は礼儀正しく「失礼しました」と言って去っていった三人を見送って、頭に乗せられたカチューシャに手を触れながらどうしたものか、と思う。
 別に外したところで、誰も見咎めたりはしないだろうが…。
 逆に言えば、そもそもこんな物をつけていたところで誰も見る者は居ない、か。
 理事長室にわざわざやってくるのは彼らぐらいのものだ。
 いや、それと、あと一人。
 さっき、来ていると言っていたか。
 そう考えていたところで、またドアが前触れもなく開いた。
「お、こっちにももう来てたか」
「………持ってなかったんですね。何も」
 開口一番の台詞にお互いそう呟いて。
 金澤さんの頭の上に乗っていたのは犬か、狼か、その辺りだろう、灰褐色の色をした耳がついたカチューシャだ。
「お前は猫耳か、よく似合うじゃないか」
「嬉しくありませんよ」
「そもそも、大人しくつけているのも意外だけどな」
「……外そうかどうしようか、考えていたところです」
 何だかどうでもよくなって、そっと椅子に体を預けた。恐らく、理事長室から出ても似たような状態の者が何人も居るのだろうし、だったらその間くらいつけていても別に悪くは無いだろう。
 仕事の邪魔になる訳でも無い。
「その耳、選んだの誰だ?」
「火原君でしたが」
「ふうん、よく解かってるな」
 近づいてきたかと思えば、頭の上に乗っている耳に触る。何が楽しいのか、妙に機嫌が良さそうだ。
「…何が解かっているんです」
「お前は、黒猫だって事だよ」
「何ですか、それは」
「俺の、お前のイメージだよ。実際似合うしな」
「嬉しくありません、とさっきも言ったと思いますが」
「そう思うんだから仕方無いだろ」
 そう言いながら、耳を触っていた手が下りてきて頬に添えられる。
「俺が猫好きだってのは知ってるだろ」
「…それとこれとは」
「違わないさ。俺の可愛い猫だからな」
「…っ」
 低い声で耳元で囁かれれば、びくりと反射的に肩が震えて、頬に添えられた手に、自分の手を重ねる。
 どうすれば、私がどういう反応を返すか、この人はよく知っている。猫の習性を、よく知っているように、私の事も。
「…私は猫じゃ、ありませんよ」
「猫だよ、ほら」
 するりと指が、顎を撫でてくる。まるで猫にするみたいに、くすぐるように撫でられて、こくりと喉が鳴る。
「可愛い、猫だ」
 猫扱いなどするなと、手を振り払えばいいのに、出来ない。その指先がただ触れるだけで、私は身動きが出来なくなる。
「私が猫なら、あなたは」
「俺は狼らしいぞ。加地曰く、だ」
「おおかみ」
 呟く私に顔を近づけて、にやりと肉食獣のような顔で笑う。
 確かに、狼、だ。
「trick or treat?」
「……持っていないと、解かってて聞きますか?」
「勿論、解かってて聞くんだよ」
 そう言って、顎を軽く持ち上げられて。
 唇に噛み付かれる。
「猫は狼に食べられました、ってな」
「……噛まれただけですよ」
「勿論、これからちゃんと食べるさ」
 低く笑った声に、くらりを眩暈がした。
 そのままその唇に食べられるのを想像して、目を閉じる。
 猫が狼に、勝てる訳もない。
 熱い吐息を感じて、くらくらと。
 猫は、狼に食べられた。


Fin





小説 B-side   金色のコルダ