無防備な君



 昼休み、暖かい日差しと、生徒たちの賑やかな声が聞こえる。
 翔はその時間を利用して、恋人の居る生物準備室へと向かった。ついて見ると、どうやら先客が居るようだ。
 中を覗き込んで見ると、愛しい恋人の姿が見て取れる。しかし、当の本人はこの陽気に誘われたのか、気持ち良さそうに寝息を立てている。そんな瀬那の様子を間近で見つめる生徒が一人。
 何か瀬那に用があってきたのだろうか、どうするつもりかと様子を伺っていると、ゆっくりと眠っている瀬那にその生徒が顔を近づけていく。
 流石に止めないとまずい。
「何をしてるんだ?」
 いくらか低い声を出してそう問いかけると、生徒はびくっと肩を揺らして慌てて振り返った。後ろ暗いらしく、視線をおどおどと彷徨わせる。
「は、羽村先生っ」
「ここで、何をしてるんだ?」
 再度問いかけると、生徒は慌てて取り繕うように手に持っていた何枚かのレポート用紙を示して見せた。
「あ、あの、生物のレポートを水落先生に届けに来たんですけど…」
「じゃあ、水落先生が起きたらオレが代わりに渡しておくよ。貸して」
「は、はい」
 慌ててレポート用紙を翔に渡して、生徒は立ち去ろうとする。
「ただし」
「うあっ、は、はい!」
「今度またあんなことをしようとしたら、その時は許さないからな?」
「は、はい…っ、失礼しましたーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
 最後に半ば脅すようにしてそう言うと、生徒は一瞬にして青褪め、走り去っていった。あっという間にエコーがかかって消えていく声を聞きながら、翔は溜息を吐く。
 それから瀬那に視線を移した。
 傍に近寄って肩を揺らす。
「水落先生、起きて」
「ん…っ…」
 一瞬声は漏らすが、それでも起きる気配はない。
「……セナ、早く起きないと、キスするよ?」
「ん…だめ…です……」
「……はぁ……」
「…?」
 学園内でキスをされるのを嫌がるのなら、あの生徒に襲われそうになる前に起きて欲しい。
 解かっていなさそうな瀬那に、もう一度溜息を吐いた。
「はい」
「? 何です?」
「生物のレポートだって。水落先生が眠ってて渡せなくて困ってたから預かっておいた」
「ありがとうございます」
 瀬那は礼を言って翔からレポート用紙を受け取り、目を通す。
「…あれ?」
「どうかした?」
「これ、レポートじゃありませんね…」
 書かれている文章を読み勧めて、苦笑いを浮かべる。
「ラブレターです」
「えっ?」
 慌てて瀬那からレポート用紙を取り上げる。
 読んでみると、確かにそれは生物のレポートなどではなく、瀬那への想いを綴ったラブレターだった。
「あ、あいつ…っ」
 レポートと言って渡せば確実に瀬那の元に渡るのが解かって態とそう言ったのだろう。そう言えば翔が中身を確認しないのも見越して。
 これからはレポートだろうと何だろうと絶対中身は確認しよう、と心に誓う。
 翔と瀬那が付き合っている事は全校生徒、職員に知られているにも関わらず、一向に瀬那へのアプローチは減らないどころか、日々翔の目を掻い潜ろうと手口を変えて来ている。
「凄いですね、翔の手から私に渡るように…とは」
「感心してる場合じゃないって。セナももっと気をつけてよ…」
「すみません…」
 苦笑いを浮かべてそう言うも、その顔は何を気をつけたらいいか解かっていないな、と思う。翔が何を心配しているのか、本当に解かっているのだろうか?
「そろそろ昼休みが終わりますよ、羽村先生」
「ああ、うん。じゃあ、また。部活が終わったら一緒に帰ろう」
「はい」
 そう言うと翔は生物準備室を後にした。


 瀬那は射撃部の顧問、翔は剣道部の顧問で、部活の終わる時間帯は大体同じで、帰宅する時間もそう変わらないから、いつも一緒に帰る事にしている。
 一緒に暮らしているマンションに帰り着くと、すぐに瀬那にキスをする。
「ん…っ」
 舌を絡めて貪ると、瀬那が翔の腕を掴む。
「翔…、少し、待って…」
「何?」
「行き成りすぎますよ」
「だって、学園じゃずっと我慢してるんだよ?これ以上は無理。キスだけだから」
 そう言って口付けると、瀬那もそれ以上は止めなかった。
 暫く思うように瀬那の口唇を貪ると、ゆっくりと身体から力が抜けていくのが解かった。一旦口唇を離して、もう一度触れるだけのキスをして満足する。
 瀬那の頬は赤く染まり、熟れた唇が色っぽい。
「今日はオレが夕食の用意するよ」
「私も手伝いますよ」
「いいから、座って待ってて」
「はい」
 家事の分担はどちらがする、とは特に決めていない。ただ、気がついた方がする、それだけで充分だった。
 ただ、料理をするのはどちらかと言えば翔の方が多い。瀬那も昔に比べれば下手と言うほどではないけれど、矢張りまだ翔の方が腕は上だからだろう。
 夕食は味噌汁と焼き魚というシンプルなものだけれど、食器を並べて二人で食事をとる。
「いただきます」
「いただきます」
 そう言って二人で手を合わせて食べ始める。
 そういう当たり前の生活が幸せだと思う。
 まぁ、それにしたって、心配ごとがない訳ではないのだが。
「セナ」
「はい?」
「今日は何人に告白された?」
「ぶっ…」
 思わず食べているものを吹き溢しそうになるのを寸での所で止めて、口の中のものを飲み込んだ。
「翔…そういう事を聞くのは止めてもらえませんか?」
「嫌。で、何人?」
「…二人です」
「今月に入って十五人だね。ったく、まだ半分も過ぎてないのに…」
「いちいち数えないでくださいよ」
 瀬那としてはそんな事を報告させられるのは恥ずかしくて堪らない。
「いちいち聞いて自覚させないと、セナは気をつけてくれないだろ。セナって自分がモテるのは解かってるクセに無防備っていうか、何ていうか…」
「モテるのは翔も同じじゃないですか…」
「オレはいいの」
「何だか不公平ですよ…」
 瀬那が溜息を吐くと、翔がむっとした顔をする。
「いいの、オレの場合はセナみたいにしょっちゅう告白される訳でもないし、何かされそうになっても返り討ちに出来る自信があるから」
「私だってそうそう襲われるつもりはありませんよ?」
「そう言ってたって、結構セナは隙だらけなんだから。今日だって……」
「今日?」
 瀬那が問い返すと、翔ははっと口を噤む。
「あ、いや…何でもない」
「何でもなくはないでしょう?」
「…今日だって、昼休みに昼寝してただろ?そういう時に襲われたらどうするんだよ」
「大丈夫だと、思いますけど?」
 実際キスされそうになっていたクセに…とは何となく言いたくない。気づいていない以上、教える必要もないだろうし。
「兎に角、もっと気をつけてよ。最近はオレやセナより体格のいい学生だって居るんだからな」
「ええ」
 そう言って頷いてはいるものの、何処まで解かっているかどうか、かなり不安だ。
 昔は、瀬那より身長も低く、子供だったから、逆にこんな風に不安に思うことはなかったと思う。けれど、今は瀬那より僅かだが背も高く、視界も広がった所為か、いろいろと不安になってくるのだ。
 まぁ、それでも自分が守れれば問題はないのだが。
「本当に解かってんのかなぁ」
 小さく呟き、溜息を吐いた。




 昼休み、瀬那が次の授業の準備をしていると、一人の生徒が生物準備室に入ってきた。
「水落先生」
「二年の…斉藤くん、でしたか。どうかしましたか?」
 声を掛けて来た生徒が誰かを認識して、瀬那は笑みを浮かべる。確か空手部に入っている生徒だったと思う。それだけあって体つきもしっかりしている。
 真剣な表情で黙り込む斉藤に、瀬那はもう一度問いかける。
「どうかしましたか?何か、悩み事でも?」
 一歩、彼に近づくと、素早い仕草で腕を掴まれ、そのまま勢いよく押し倒された。
「っ!」
「水落、先生…っ」
 背中を強かに打ち付けて、息が詰まる。その間に斉藤は瀬那の身体に乗り上げ、腕を押さえつけていた。
「斉藤…くんっ」
「好きです、水落先生……ずっと、ずっと好きだったんです」
 斉藤の手が瀬那のシャツの裾から潜り込んでくる。何とか止めさせようと抵抗すると、逆に腕を頭の上に纏められて押さえつけられた。
「斉藤くん…やめ…っ…んん……っ!」
 強引なキスに身を捩る。顔を背けようとすると、逆に躍起になったように斉藤は唇を求めてくる。素肌に這わされていた手は下肢に延びて瀬那自身に触れる。思わず身体がびくっと跳ねる。
「ん…っ…ぁ…」
「ずっと、ずっと好きだった…。叶わないって解かってても、それでも…っ!!」
 ワイシャツの前が肌蹴られ、首筋に口付けられる。
 襲われているのは自分の方なのに、斉藤は何故か泣きそうだった。
「諦め…きれなくて…。どうせ、叶わないなら、一度ぐらいは……」
「だめ…です…っ。斉藤くん…止めなさいっ」
「嫌です」
 瀬那の静止の言葉を聞き入れず、斉藤は握り込んだ瀬那のモノを扱いた。
「ぅ…あ…っ」
「水落先生……」
「だめ………ゃ……っ、……翔!!」
 抵抗し切れず、助けを求めるように翔の名前を呼ぶと、斉藤が一瞬怯んだかと思うと、ぐっと強い力で瀬那から引き離され後ろに飛ばされた。
「つ…っ!」
「翔……」
 瀬那は目の前に立っている恋人の姿に力が抜けるのを感じた。
「斉藤…」
「…はい」
「次にこんなことがあったら、この程度じゃすまないからな…」
「……っ」
「二度とこんなことするな」
 低い、怒りに満ちた翔の声に、斉藤はゆっくりと立ち上がり、部屋から出て行った。そして、翔はゆっくりとこちらに視線を向ける。
「翔………その……怒ってますか?」
「…怒ってないように見える?」
「いえ……」
 怒っている。深く、静かに。
 こんな風に怒る翔はかなり珍しい。それだけ本気で頭に来ているのだろう。
「オレ、何度もセナに気をつけろって言ったよな?」
「…はい」
 言い訳も出来ずに頷くと、翔が瀬那に近づき、目の前に屈み込んだ。
「何処触られた?」
「ど、何処って…」
「キスされたよな?唇濡れてる」
 そう言って翔は瀬那にキスをする。
 一瞬驚いて身体を強張らせると、翔はそのまま瀬那の腕を掴んで押し倒した。
「んっ…んん…っ」
 乱暴に口腔を犯されて、何とか抵抗しようとするが、押さえつけてくる腕はびくともしない。
「セナ…」
 一度口唇を離し、翔は瀬那を押さえつけたまま視線を合わせた。
「オレの腕、振りほどける?」
「それは…」
「出来ないだろ?オレ、今はセナより背も高いし、力も強いんだ。斉藤だってそうだ。それがどういうことか、全然解かってなかっただろ?」
 そう言って、翔は瀬那の前に触れる。
「翔っ、止めてください…学校で…っ」
「駄目だ。セナはいくら口で言っても解からないから、身体に教えてやらないとな」
「そんなこと…」
 呟く瀬那に構わず、翔は前を扱く。
「あ…」
「此処も触られたんだろ?それで感じたの?もう勃ってきてるよ」
「そ、それは…っ」
「感じたんだろ?セナは感じやすいから」
「あ…ふ…っ…」
 前を扱かれ、瀬那は声を漏らす。そして唇は肌蹴られた胸を辿る。
「何処触られた?消毒してやるよ」
「あ…っ……んんっ…」
「答えられないの?じゃあ、身体全部消毒しなきゃな」
「や、やめ…っ」
 翔が胸の突起を舐める。ぞくりとした快感が瀬那の身体を走り抜ける。何とか翔をどかそうとしても、もう殆ど力が入らない。
 瀬那が抵抗しようとする間にも翔の手は前を扱き、唇は胸を愛撫して、快感を煽っていく。
「あ…や…んっ…」
「ホントに、セナは感じやすいな。もう此処、こんなに溢れてきてる」
 そう言って、それを指で掬い取り、奥に触れる。
「翔……そこは…っ」
「逃げちゃ駄目だよ。これはお仕置きなんだから」
 思わず逃げようとする瀬那を押さえつけて、翔は其処を解すようにゆるゆると撫でる。先走りを塗り込めるように馴染ませると、だんだんと解れていくのが解かる。
 つぷん、と指を一本入れると、もっと、とでも言うように誘い込んでくる。
「それに、此処は欲しがってるみたいだよ?」
「あ…っ」
 指を奥深くまで差し入れられ、瀬那は喘ぐ。
 其処を広げるように動いていた指は、すぐに二本に増やされる。中の指を動かしながら、翔は瀬那のモノを銜え込んだ。
「あ…あぁ…っ」
 指は瀬那の中の感じる場所を擦り上げ、口唇は前を容赦なく扱き上げる。
 高まる快感に最早抵抗することも出来ず、瀬那は身を捩る。
 そんな時、不意に予鈴の音が聞こえた。
「しょ、翔っ」
「何」
 瀬那の呼びかけに、一度翔は前から口唇を離す。
「授業が…」
「オレは次ないから」
「私はありますっ!」
「ふぅん、でも、こんな状態で授業なんて出来るの?」
 そう言って翔は中の指を奥まで突き入れる。
「あぅ…っ」
「今から達って、急いで授業に出たって、さっきまでナニしてましたって、顔に出てると思うよ」
「で…も…」
「それにセナも、指だけじゃ満足出来ないだろ?」
 柔らかく解れている内壁を引っ掻くとびくっと瀬那の身体が跳ねる。
「ひぁっ…あ…」
 漏れてしまった声に瀬那は慌てて口を塞ぐ。此処は学校だ、ということを先程予鈴を聞いて改めて認識したせいか、瀬那は手の甲を口に当て必死に声を抑える。
 翔はまた瀬那のものを口に含み、指で奥を抉った。
 そうして煽られていく快感は確実に高まっていくのに、達することは許されなかった。根元を空いた手で戒められていたから。
「んっ…んん…んぅ…」
 翔は瀬那のものを唇で扱き、時折軽く括れのところに歯を立てる。そして指はいつの間にか三本に増やされ、ばらばらに動く。そうする度に瀬那は快感に身体を震わせる。
 けれど達くことは許されず、快感は体中に渦巻いて、おかしくなりそうだった。
「しょ…翔……もう…もう……許して…ください…」
「駄目だよ。これはお仕置きだって言っただろ?」
 瀬那の懇願をにべもなく撥ね付け、翔はくびれの部分に歯を立てる。
「んんっ…!」
 必死に声を抑えるが、時折堪えきれない喘ぎが漏れる。
 翔は尚も前と後ろを攻め立てて、瀬那の理性を溶かしていく。気が遠くなりそうな程の快感に耐えながら、瀬那は必死に懇願する。
「翔…翔……もう、もう…お願いですから……翔……許し…ぁ、んっ」
 ぐっと奥まで指で抉られて言葉を詰まらせる。
 翔の口唇は根元を戒めたまま先端を吸い上げ、どうにもならない快楽に全身が朱に染まる。
「は…ぅ……しょ……う……も…ねが……い…」
 舌も上手く回らなくなった瀬那を見て、翔はようやく其処から口唇を離し、指を引き抜いた。快感にぐったりとしている瀬那の両足を肩にかけ、自分のものを一息に突き立てた。
「あ…ぁ……ぁああっ!!」
 その衝撃に、瀬那は達してしまう。
 ぐったりと身体を弛緩させ、息を整えようと瀬那は呼吸を繰り返す。
「入れただけで達っちゃったの?駄目だよ、オレはまだだから」
「あ…っ、あうっ!!」
 瀬那が落ち着くのも待たず、翔は律動を始める。遠慮のない激しい動きに、一度達した身体は尚のこと感じやすくなり、溶けそうなほどの快感が瀬那を襲う。
「あ…あ……や、ぁ……はぁ……あぁ……んっ…」
 激しい快感に声を殺す事も忘れ、翔の動きを受け止めるしか出来ない。
 高く腰を抱えられ、垂直に突き立てられ、引き抜くとまた容赦なく貫かれる。翔の動きにも段々と余裕がなくなり、一層激しさは増す。
「うぁ……あぁ…翔……翔……あ、あ……ひっ……ぁ…」
「セナ…っ」
「もう…もう……ぁ、ああああっ!!!」
 翔が自身を最奥へと突き入れた瞬間、瀬那は高い喘ぎ声を発して達した。そして翔も射精の収縮に合わせて瀬那の中に迸りを放った。
「は…ぁ…はぁ…っ」
 足りなくなった酸素を補給しようと、必死に呼吸を繰り返す瀬那に、翔は軽く口付けをして、体勢を入れ替える。
 瀬那を四つん這いにさせて、今度はゆっくりと腰を動かした。
「しょ、翔っ」
「まだ、終わってないよ」
 慌てる瀬那に翔はそう告げる。中にある翔のものが段々と力を取り戻していくのを感じて、瀬那は青褪める。
「や、止めてください…っ、翔…!」
「駄目」
 そう言って翔はゆるく瀬那の感じる場所を突いてくる。
「あっ…ぁ…ん…」
「オレが満足するまでは許さないからな、セナ」
 翔の手が前に伸び、瀬那のものを扱いた。
「あ、ひっ……もう…やめ、て…っ」
 翔に扱かれ、中を緩く突かれて、瀬那のものは再び勃ち上がり始める。
 中で動く翔は的確に感じる場所を突いてくる。そうして瀬那は快楽に呑まれ、思考を放棄した。
 行為は瀬那が気を失うまで続いた。
 最早どれ程の間攻められていたのか、瀬那には解からなかったが。


 気を失った瀬那を前にして、翔は溜息を吐いた。
 翔は瀬那の衣服を整え、後始末をしてから、そっと抱き上げた。
「頼むから、セナ…。オレ以外のヤツの前で、あんまり無防備な顔しないでよ…」
 翔のそんな願いは瀬那の耳には届かず、聞くものもいなかった。





 瀬那はゆっくりと目を開ける。
 此処は何処で、何があったか、意識を手繰り寄せる。
「あ、セナ…気がついた?」
「翔っ…あ、痛…っ」
 翔の顔を見た途端に、先程のこと思い出し、起き上がろうとすると鈍い痛みが身体を襲った。どうする事も出来ずに再びベッドに身を沈める。
「起き上がるのは無理だろ?大丈夫?」
「此処は…」
「保健室。永田先生はもう帰ったけど、頼んでセナが起きるまで使わせて貰ってるんだ」
「そうですか」
 何だか今の翔を見ていると先程のことなど嘘のように思える。けれど、何よりも身体の痛みが、それは夢ではなかったと訴えている。
「授業は…どうなったんですか?」
「ああ、セナの授業?午後の二時間は丁度空いてた立花先生が代わりに監督してくれたよ」
「そう、ですか…。後でお礼を言っておかなければいけませんね…」
 その時にどんなことを言われるか考えるとかなり憂鬱だが。
「セナ…」
「はい」
「オレ、謝らないからな」
「翔…」
 翔は、真剣な眼差しで瀬那を射抜く。遊星学園で再会した頃よりも、ずっと大人になり、顔つきも精悍さを増した。
「だって、ああでもしないと、怒りが収まらなかったんだ。セナはいくら言っても聞かないし、もしあそこでオレが行かなかったら、どうなってたかって考えたら…」
 だから心配で毎日昼休みは瀬那のところに通っていたのだが。
「もし、あのままだったら、オレ、多分次に斉藤の顔を見たら、殴ってたと思うし。そうしたら下手したら懲戒免職だろ?それとも、セナはオレが教師辞めたほうが良かった?」
「そんなこと…っ」
「どっかに怒りぶつけなきゃ、どうしようもなかったし、実際セナにも腹が立ってた。だから、オレは謝らないよ。元はと言えばオレの話をちっとも解かってくれないセナが悪いんだからな」
 ちょっと怒ったような拗ねたような顔をして、それが何処か子供っぽくて、思わず瀬那は微笑んだ。
「すみません、心配かけて。これからはもっと気をつけますから…」
「そうしてよ」
「翔と一緒に働けなくなるのは、私も嫌ですからね」
 瀬那の言葉に、翔もほっとしたような顔を浮かべた。
「翔」
「何?」
「キス、してください。それで今回のことは謝らなくても、許してあげます」
「何だかなぁ、それ」
 その言葉に翔は一度苦笑いを浮かべて、それでも瀬那にキスをした。しっとりと合わさるだけの優しい口付けが嬉しかった。
 そこでふと、現実的なことに思考が移った。
「ところで、翔………今日の五時間目、科学室、授業入ってました……よね?」
「そうだね」
「………そ、それじゃあ…」
 科学室は生物準備室のすぐ隣だ。最初の方は声を抑えようとしては居たけれど、途中から声を抑える余裕など全く無かったのは自分でも自覚している。
「科学室に声、筒抜けだろうね」
 平然とした様子で言う翔に、ひょっとしてこれもお仕置きの中に入っているのだろうか…と瀬那は泣きたい気分になりながら考えた。
 何より、不特定多数の人間にあの時の声を聞かれていたのだと思うと、兎に角恥ずかしい。
「まぁ、それはそれとして」
「あっさり流さないでくださいー」
「そろそろ帰ろうか」
 瀬那の訴えをあっさり聞き流し、翔は言う。
「帰るのはいいですが…」
「立てないよね?オレが抱いていこうか?」
「いくらなんでも無茶です」
「えー、此処までもオレが抱いて運んだんだよ?」
「距離的な面でどう考えても無茶です」
 生物準備室から保健室までと、学園から自宅まででは天と地ほどの差がある。いくら翔でも現実的に考えてそれは無理だろう。なにより、そんな姿を見られるのはかなり恥ずかしい。
「まぁ、それは冗談だけど。タクシー呼ぶから待ってて。校門まではオレが運ぶから」
「……解かりました」
 校門まででも充分恥ずかしいが。
 それにつけても、明日学校へ行くのが憂鬱だ、と瀬那は溜息を吐いたのだった。



 そしてその後。
 当然、その時科学室で授業を受けていた生徒から噂は広まったが、授業を二時間もサボったにも関わらず特にお咎めもなく、ただ瀬那は噂の羞恥に耐えることとなった。
 そして同時に「羽村先生を本気で怒らせたら怖い」という噂も流れ、瀬那へのアプローチも激減したという。
 其処まで翔が計算済みだったかどうかは…不明である。



Fin





小説 B-side   Angel's Feather TOP