雪より白き花 1



「クリストファー様、お待ちください。クリストファー様!」
「うるせぇな。待たない」
 ずんずんと先へ進むクリスをシオンは慌てて追いかける。そろそろ森も深くなってきた。これ以上進むのはまずい。
「クリストファー様!!」
「その呼び方止めろっていっつも言ってんだろうが。年だって四つしか違わないんだぜ?しかもお前が年上で。何でそんな呼ばれ方しなきゃなんねぇんだ」
「そのようなことは出来ません。あなたは街の次期長になられる方です。そして俺はあなたを守る近衛で…」
「俺は長になるつもりなんてねぇ」
 そうやって言い合いながらもクリスの足が止まることは無い。随分道も狭くなった。クリスの前にはロープが張られているが、それを無視して跨ぐ。
「クリストファー様、其処から先は立ち入り禁止です!」
「知ってる」
「でしたら、止まってください」
 その言葉を聞いて、クリスは立ち止まり、振り返る。
「シオン」
「…はい」
 真剣な眼差しで名前を呼ばれ、シオンは少し息を詰めた。
「オレはお前が何度止めたって先に行く。この先に行って、この森に住んでるという賢者に会う」
「クリストファー様…」
「医者も、学者も、神官も巫女も、誰も彼も、全然役に立たない。街に広がる原因不明の流行り病を治す術すら見つけ出せないで、子供や年寄りのような弱いものから順に死んでいく。此処最近の街での集まりはいつも葬式だ。お前だって解かってんだろ、他に方法はない」
「ですが…」
 シオンはようやくクリスの立つところまで追いつく。けれど、だからと言ってクリスの行動を止められるかと言うと別問題なのだ。
「この森が立ち入り禁止になってもう百年近く経つと言います。その間、誰も足を踏み入れたことは無いと言う。噂では、足を踏み入れた者には災厄が降りかかるとか、この中に居る賢者は酷い変わり者で、中に踏み入ったものには片端から呪いをかけるとか。兎角、良い噂は聞きません。そんな場所へクリストファー様自らが行かれる必要はありません」
「誰も足を踏み入れていないのに、どうしてそんなことが解かるんだよ。人の噂は捻じ曲がりやすい。何が真実かなんて、解からないだろ。そして、その馬鹿げた噂を信じて、だれも中に入ろうとしない。だったらオレが行くしかないじゃないか」
 クリスは決然と言う。クリスの言う言葉は尤もだが、もしもということを考えれば、クリスを守る立場にあるシオンは中に踏み入って欲しくは無い。
「クリストファー様、ですが…」
「この流行り病、ただの病気だと思うのか?」
「…それは…」
「神官は不吉の前兆と言うが、詳しい原因は解からないという。巫女も同じで、医者や学者とくればどんな答えも返しはしない。残る道は一つだろう?今はオレたちの街だけに踏みとどまってるが、いつ外まで広がるか解からないんだ。何も解からないまま時が過ぎて死んでいくのを待てってのか?それこそ馬鹿げてる」
「……」
「この中に住む齢百二十を越すっていう賢者なら、何かしらどうにかする方法を知ってるかも知れないんだ。だったら、それに縋るしかないだろう?違うか?」
「…解かりました。俺も一緒に行きます」
 クリスを説得するのは無理だ。その意思は固く、理論も間違っていないのに、これ以上説得するのは無意味だ。何よりシオンも、街の現状には憂えていた。
 深く、暗い空気が街全体を覆いつくしている。それを払えるのなら、実際賢者だろうが、悪魔だろうが縋りたいとさえ思う。
 クリスはシオンに笑いかけ、二人で先への道を歩き始めた。

 獣道程度の場所を暫く歩くと、急に道が拓けた。人が入ってこないようにわざとあんな道になっていたのだろう。整備されている訳ではないが、先程通ってきた道と比べれば格段に歩きやすい。
 しかし、それと同時にモンスターも現れるようになった。最初は雑魚モンスターばかりだったが、次第に強いモンスターが現れる。次から次へと現れるモンスターに、クリスもシオンも疲弊していく。
「はぁ…。ったく、なんだよ此処は。モンスターの巣窟じゃねぇか。こんな所に人が住んでるってのか?」
「賢者が居ると言うのもあくまでも噂ですから。しかし、このモンスターたちは、何かを守っているようにも見えます。この奥に何かがある」
「何か…か。取りあえず、先に進むしかねぇか」
「はい」
 クリスは一度深く溜息を吐いて、また歩き始める。シオンもその後に続きながら、辺りの様子を常に探る。いつまたモンスターが現れるか解からない。
 そうやってどれ程歩いただろう、クリスが急に立ち止まる。
「おい、あれ…」
「…あれは…人間?」
 クリスの視線の先を辿り、シオンは僅かに息を呑む。白い人影が蹲っているのが見えた。
「まさか、あれが噂の賢者か?」
「…俺たちと同じように森の中に入って負傷した者かも知れません」
「兎に角、声を掛けてみるか」
「ええ」
 小声でそうやって話してから、もう一度人影を見る。蹲ったまま動こうとする様子は無い。二人はその人影に近づき、声を掛ける。
「おい、どうした?大丈夫か?」
「ぅ…」
 シオンが声を掛けると微かに呻き声を漏らした。近づいたその人物は白いフードを目深に被り、白いローブを纏った神官のような恰好をしている。深く被ったフードと、俯いているせいで、顔が全く見えない。
「体調が悪いのか?それとも、何処か怪我をしているのか?」
「…人…?どうして…」
 そうして漏れた声は微かに擦れてはいるものの、低く、澄んだ声だった。
「百二十のじーさんの声じゃねぇな、少なくとも」
「クリストファー様っ!」
 幾らなんでも失礼すぎるクリスをシオンは叱責する。
「事実だろ」
 不満そうな顔でそう漏らすも、それ以上は言わない。
「それで、どうしたんだ?こんな所で蹲って」
「…すみません、少し、体調が悪くなって…」
「何か、俺たちに出来ることはあるか?」
 声からしてまだ二十から三十歳ほどの青年は、シオンの言葉に僅かに顔を上げる。しかし、青年がどのような容姿をしているのかはそれでも窺い知れない。ただ、形のいい顎のラインがようやく見える程度だった。
「…この先にある、泉の水を汲んできてはもらえませんか?」
「泉の?解かった。俺が行って来よう。クリストファー様は此処に居てください」
「了解」
 シオンの言葉にクリスは頷き返す。
 そして、シオンは二人を残して、青年の示した方向に歩いていった。
 シオンが泉に水を汲みに行っている間、クリスとその青年はその場に取り残される。
「まさか、あんたがこの森に住む賢者なんて言わねぇよな?」
「賢者…?」
 クリスの問いかけに、青年の声に訝しさが混じる。訝しく感じるのはこちらの方だ、とクリスは思う。この森に住む賢者の話は差はあれどウィンフィールドのいたる所で知られている。
「この禁忌の森に住む齢百二十を越す賢者のことだよ。知らないのか?」
「……この森に、賢者など居ません」
 青年は簡潔にそう答える。
「いない?どういうことだ?あんた何を知って…っ」
 其処まで言ったところで問う声を止めた。大して言葉を交わした訳でもないが、青年の息は先ほどより荒くなり、体調が悪くなっていることが解かった。
 シオンが戻るまでは大人しく待っていた方がいいだろう。
 しかし、この青年の話していたことが事実なら、この森に賢者はいない。最早打つ手はなしということか。街を救う術もないというのか。
 青年の正体も気になるところだが、今クリスにとって大切なのは街に流行っている病をどうにかして食い止めることだった。
 そこに、シオンが皮袋に水を入れて戻ってきた。
「水を汲んできたが…」
「すみません…」
 擦れた声でそう言うが、皮袋に手を伸ばしかけた青年の手が止まる。
「……っ」
 手が震えて思うように動かせないらしい。これでは手で水を掬い取ることはおろか、皮袋を持つことさえも出来ないだろう。
「…どうしたらいいんでしょう、この場合…」
 シオンが困ってクリスに尋ねると呆れたような顔をされた。
「お前が飲ませてやれば?」
「は?」
「お前が手で水を掬って口元まで持ってってやればいいだろ」
「ああ、なるほど」
 クリスの言葉の意味することが解かってシオンは納得する。クリスに皮袋を持ってもらい、両手で水を掬うと、手を口元まで運ぶ。
「すみません」
 青年はもう一度謝ると、震える手を軽くシオンの手に添えて唇を寄せた。ローブの下の顔は相変わらず見えないが、形のいい唇がシオンの手に吸い寄せられていく。
 青年がこくりと水を嚥下したのが解かった。それを感じた瞬間に、ぱぁっとシオンの手から…否、青年の手から光が発せられた。
 眩しくて思わず目を閉じる。一体何事なのか。
 光がおさまってようやく目を開くと、手で掬った水は全てなくなっていた。零れ落ちたのではない、消えたのだ。
 シオンもクリスも、呆然とその様子を見つめることしか出来なかった。
「申し訳ありませんが、そちらの水もいただけませんか」
 落ち着いた青年の声で話しかけられ、皮袋を持っていたクリスははっとする。
「あ、ああ」
 頷いて皮袋を差し出すと、青年は今度は自分の手で水を掬い取り、また同じように光が発せられた。
 そして、光が収まると手の中の水は消えうせているのだ。
「本当に、あんた一体、何モンだ?」
「人間ですよ、ただの」
 クリスの問いかけにそう応じて青年は立ち上がる。それに引きずられるかのように膝をついていたクリスとシオンも立ち上がった。
 青年の身長は思ったよりも高い。シオン程ではないが、クリスよりは高いのだ。百八十センチは越えているだろう。
 あんな風に蹲っていて、あんな震える手をしていて、だから体の弱い華奢な姿を予想していたが、存外そんなことはなく、水を飲んであの光を発してからは驚くほどに元気になっている。走り回ったりする訳ではないにしても、体にエネルギーが満ちている。
「…一体なんだったんだよ、今の。魔法か?」
「まぁ…そうですね」
 クリスの問いかけに青年は頷く。
「じゃ、黒い翼なのか?」
「いいえ。だから、普通の人間だと言ったでしょう?」
「普通の人間が魔法なんか使えるかよ」
 青年の言葉に不満そうにクリスが言うと、苦笑いが口元に浮かんだ。
「それでも使えるんだから仕方ありませんよ」
「…根本的な問題としてなんか違う」
 クリスががっくりと項垂れる。その様子に軽く笑い声を漏らして、青年はシオンに向き直る。
「本当にありがとうございます。助かりました」
「いや…。でも、本当にもう大丈夫なのか?あれだけで…」
「あの泉の水は精霊の加護を受けた聖水なんです。あの水がないと、先程のようになってしまって…」
「…やっぱり、あんたこの森に住んでるんだな?」
 青年の言葉に確信したようにクリスが言う。
「じゃあ、やっぱあんたが賢者じゃないのか?」
「…この森に住むのは、モンスターと、精霊と、さまざまな動物たちと、世間知らずの年寄りだけですよ」
 恐らくは自身のことを指す年寄り、という言葉は如何にも青年に不似合いだ。
「でもあんたが百二十歳を越えてるってのは…」
「まぁ、それは事実ですが…」
「どう考えてもそんな年には見えない。それで百二十を越えてんだったら、やっぱ普通の人間じゃないだろ」
 クリスは青年の言葉に全く納得しかねるように言った。此処で彼を賢者ではないと受け入れて引き下がる訳にはいかないのだ。
「私自身は普通の人間ですよ。少々魔法が使えて、年を取らなくなっただけです」
「それの何処が普通の人間なんだよっ!黒い翼なら兎も角、そうじゃないんだろ?」
「ええ」
 クリスの言葉に、青年は全く動揺することなく返していく。落ち着いた様子が尚更クリスの神経を逆撫でしていくようだった。
「だったら…っ」
「どれも二次的なものです。私自身が望んでこうなった訳ではない」
「っ!」
 青年の強い言葉に、クリスは声を詰まらせた。
 それは間違いなくその青年が元は普通の人間であったということなのだろう。それが何故こういう風になってしまったのかは解からないが…。
 それでも、自分たちには尋ねなければならないことがある。
「だが、俺たちがこの森の外で噂している賢者というのは、貴方で間違いないようだ」
「その賢者というのが、腑に落ちないのですが…」
 シオンの言葉に青年が顔を顰める。口元だけしか見えないから、僅かにゆがむ唇からそう判断するだけなのだが。
「殆ど、ウィンフィールド中の人間が噂していることです。この森には齢百二十を越す賢者が住んでいると。それ故にこの森へ足を踏み入れることは許されないのだと」
「それはまた…随分な噂を流したものですね、あの方も…」
 青年が密かに溜息を吐いた。
「私に何を期待して此処に来たのかは知りませんが、期待に添える様なことは何もありませんよ。百年ほど前から私は一度もこの森の外へ出たことは無い。賢者と呼ばれるほどの知識は全くありません」
「……だけど、それでも、もうオレたちはあんたに頼るしかないんだ」
「……はぁ…仕方ありませんね」
 クリスの押し殺したような言葉を聞いて青年は溜息を吐いた。
「取りあえず、此処でいつまでも立ち話をしているのもなんですから、家まで来ませんか?何が出来るとも思いませんが、お話ぐらいは伺いましょう。折角助けてくださった方を無碍に追い返す訳にも参りません」
「ありがとうございますっ」
 ほっとしてシオンがそう言うと、クリスもその隣で安堵したような表情を浮かべた。

 青年に案内されて、森の中を歩く。
 そして、ふとあることに気づいた。
「…あなたと会ってから、全くモンスターが出てきませんね…」
「ああ、あのモンスターたちは森に入って私に害をなそうとする者を排除するために居るんです。私の傍に居る限りは安全ですよ」
「あんたのために?」
 クリスは訝しげな顔をする。この青年がモンスターを操っているというのだろうか?そのクリスの疑問に気づいたのか、青年は唇に笑みを浮かべた。
「別に私が彼らを放っている訳ではありませんよ。私は、いろいろな人の協力で、こうしてこの森に住んでいるんです」
「…ふぅん」
 納得してはいないが、それ以上聞いても無駄だろう。そう判断してクリスは口を噤む。
 そうして歩いているうちにシオンが水を汲みに来た泉に差し掛かった。
 そしてその奥に続く小道。その小道を入って暫くしたところに、青年の家はあった。
 家というほど立派なものですらない。ただの掘っ立て小屋だ。
「…本当にあんた、此処に住んでるのか?」
 クリスの疑問も当然だとシオンも思うが、青年は平然として頷く。
「ええ」
「…変わり者って部分の噂だけは本当みたいだな」
 クリスのその皮肉に、青年はただ微笑で返した。
「どうぞ、遠慮せずに入ってください。狭いところですが」
 そう言って青年は二人をその小屋に招きいれた。
 招き入れられた部屋を見ると、中は意外と広い。何か空間的な魔法でもかかっているのだろう。
「どうぞ、お座りになってください」
 そう言ってクリスとシオンに青年は椅子を勧めた。広いテーブルに、六人分の椅子。一人で暮らしている割にその椅子の数の多さに疑問を覚える。しかし、尋ねてもはぐらかされそうな気がして、言葉にする気にはなれなかった。
 適当に椅子を座ると、また口元に笑みを刻む。
「何か、お茶でも飲みますか?」
「え?あ…」
「貰う」
 茶を奨められるとは何故か考えていなかったシオンは言葉に詰まるが、クリスはさらりと答えを返した。
「それでは、淹れてきましょう」
 そうして、少し離れた場所にあるコンロに火を点す。火元は何なのだろう。こんな所では電気はおろかガスだってないだろうと思うのだが…。
 湯を沸かしているその青年の背を見つめながらそんな事を考えてしまう。魔法を使える青年にそれを聞くだけ野暮というものだろうか。
 それもまた魔法か何かの一種なのかも知れない。魔法には詳しくないから、よく解からないが。
 そうして、暫くしてお茶を淹れ終えた青年が、三人分のカップを持って戻ってくる。
 そしてそのカップから薫るハーブの匂い…。
「ハーブティか?」
「ええ。随分前に、淹れ方を人に教えていただいて、それ以来人にお勧めする時はいつもハーブティになってしまいます。芸がないですがね」
 軽口のようにそう言う青年の性格が未だにつかめない。そう戸惑いを覚えながらもハーブティを口に運ぶと、口内に薫る匂いと味がほっと心を落ち着けさせた。
「美味い…」
 そう感心して呟くと、また青年は微笑んだ。
「それでは、ご用件をお伺いしましょうか」
 青年の言葉を受けて、クリスは頷く。
「此処最近、オレ達の住んでる街では原因不明の病が流行しているんだ。最初は風邪のような症状で大したことがないと思っていても、次第に身体が動かなくなり、食事も取れず、血を吐いて死に至る。今まで、その病気にかかって助かったものは一人もいない。生命力の弱い子供や年寄りから順に死んでいくんだ」
 クリスの言葉を、青年は真剣に聞いているように見える。表情は伺い知れないまでも、人事と取らずに聞いてくれているようだった。
「神官や巫女、医者に学者…いろんな人間がその病の原因を探ったが、結局何も解からなかった。神官や巫女は不吉の前兆と言うが、それが何なのかは解からない。結局、今のままじゃどうすることも出来ずに死を待つしか出来なくなる。もう、あんた以外に頼れる人間が居ないんだ」
「不吉の…前兆ですか」
 クリスの言葉に青年は溜息を吐く。
「私は、神官でも医者でも学者でもありません。病に対する知識などないに等しいんですよ」
「それでも…っ、そう、街まで来て病人の様子を少し見てくれるだけでもいいんだ。それで解からないって言うんなら諦めるから」
 縋るクリスに、青年は口元を歪める。
「私は…この森から出ることは出来ないんですよ」
「どうしてだよ!?」
「この森…あの立ち入り禁止のロープが張ってある所から外はもう、結界が行き届かない場所……其処から出て私が生きていくことは叶いません。半時も待たずして死んでしまうでしょう。病人を診るどころか、街に着く前に倒れてしまう。それに、今の話からすると、病人をこちらに連れてくるのも難しいでしょう?」
 青年の言葉にクリスは息を詰める。それはシオンも同様だ。この森から出れば生きてはいけない。だからこの森に年も取らぬまま住み続けている。何故そうなったのか原因は解からないにしても、これ以上何を言っても無駄だというのだけは解かった。
「今更、死が恐ろしいとは思いませんが、何を為すこともなく死ぬのは、今まで生き続けてきた意味がありませんから……お力になれないようで、すみません」
 青年の言葉に反論することは出来なかった。この森から出ると死んでしまうという青年を無理にこの森から引っ張り出す事は出来ない。
 完全に先の絶たれた二人は、何を言うことも出来ず俯いた。
 その時、小屋の窓から一羽の小鳥が飛び込んできた。
 ピィッ
 小さく高い声で鳴いて青年が差し出した指の先に止まる。綺麗な、青い色をした、今まで見たこともないような鳥だった。
「今日は、先客万来のようですね。迎えに行って差し上げたい所ですが、今はお客様も居ますし、先程のように途中で動けなくなっては困りますから…此処まで案内してあげてください」
 そう、その小鳥に青年が語りかけると、ピィッ、と応えるように鳴いて窓から出て行った。
 訝しげにクリスとシオンが青年を見ていることに気づいたのだろう、口元に苦笑を浮かべた。
「貴方たちとは違う、別のお客さんがお見えになったようです。此処百年ほど、足を踏み入れる者も少なかったというのに、おかしなものですね」
「客……か。オレたちはもう帰った方がいいか?」
「いえ…折角ですから、その方たちが見えるまで居たらいいでしょう。もしかすると、まだ他にもこの世界に異変が起きているのかも知れません」
 そう言う青年の言葉は少し張り詰めていた。何か、思い当たる節でもあるのだろうか。それとも、ただの勘なのか、解からないが、それでも二人はもう暫くこの場に居ることにした。


 森の中に延々と張られたロープを前に、三人の少年は立ち止まった。
「この向こう、だよな」
「うん」
 短い髪に活発な印象を与える少年が、隣に居る、少女とも見紛う容姿の長い髪を三つ編みにして、丸い大きな眼鏡をかけている少年に問いかける。
 短髪の少年はウィンフィールドでよく見られる近衛の服を着ており、三つ編みの少年は白のローブに、細かい文様がついた、巫女服を着ていた。
「この森に住む賢者様…か。あんまりいい噂は聞かないけどね」
 短髪の少年を同じ髪の色と瞳をした、長い髪を一つに束ねた少年は、溜息を吐いてそう言った。
「でも、ここ三ヶ月続く日照りを解決するためには此処に来るしかないってアンリの占いに出たんだからな。オレは信用してるぜ」
「ショウ、巫女に仕える近衛兵が何呼び捨てにしてんの。幼馴染とはいえちゃんと敬称をつけなよ」
「別にいいだろ、カイ。今回のこれは公務じゃないんだから」
 そう言って二人が口論をするのを、アンリと呼ばれた少年がおろおろして止めようとする。
「ショウくんもカイくんもやめてよ。別に呼び方なんて何でもいいんだし」
「よくないよ。きちっと躾とかないとすぐにショウは公私混同するんだから」
「んなことしねーよっ!」
 カイの皮肉にショウは言い返す。これはまた日常茶飯事の会話だ。
「今回のは公務じゃないと言っても、神官様から直々にお願いされてきたんだからね。アンリの占いの結果を確かめる意味もあるんだし、公務と同じようにして然るべきだよ」
「カイくん、いいんだよ、本当に今は。まだ正式に巫女になった訳じゃないんだし、ね?」
「…仕方ないなぁ、アンリがそう言うなら」
 アンリの言葉に、カイは苦笑する。いつも優しい気遣いを見せるアンリに敵うはずもない。
「それに、いつまでも此処にこうしてる訳にもいかないしね」
「ああ、中に行こう」
 そう言って三人の少年はロープを跨いだ。
 ロープの中に足を踏み入れた途端、何かが変わる訳でもない。景色も何ら変化がある訳でもない。
 ショウが先に進もうと二人を促そうとすると、アンリがぼーっと立ち止まってしまっていた。
「アンリ?どうしたんだ?」
「この中の空気って、凄く綺麗なんだよ。結界が張ってあるみたい」
「そうなの?僕にはよく解からないけど」
 アンリの言葉にカイは首を傾げる。そういう、普通の人間には解からない様な微細な変化を感じ取ることが出来るからこそ、アンリは巫女となれるのだけれど。
「うん。凄く綺麗だから、この中に居る人も、きっと悪い人じゃないと思うよ」
「そっか。じゃ、先に進もうぜ」
「うん」
 アンリの言葉に頷いてショウが先を促すと、今度はアンリも一緒に歩き出す。ショウが先頭で、真ん中にアンリを挟み、後にカイが続く。
 先に進むにつれ道は広くなり、モンスターが出始めた。
「変だよね、こんなにモンスターが出てくるなんて」
 モンスターに魔法攻撃を加えた後、カイが呟く。
「最近じゃ、滅多に見なくなったのに」
「うん。でも、このモンスターたちも悪い子じゃないんだよ。何か大切なものを守ってるみたい」
「悪い子じゃなくても、こう襲ってこられると戦わない訳にはいかないけどな」
 ショウが溜息を吐いた。
 ショウは剣の腕にそれなりに自信があるし、カイは攻撃魔法が使える。アンリも多少の攻撃魔法と回復魔法が使えるから、戦闘自体に難がある訳ではないが、続いての戦闘には疲労が見えてくる。
「あ…」
 アンリがふと、視線を一点に留めた。
「アンリ、今度は何?幽霊さんとか言わないよね?」
 カイは少しげんなりしながらそう聞いた。けれど、アンリはふるふると首を降る。
「違う。あれ、見て」
 そう言われてアンリの視線の先をみると、一羽の青い鳥が見えた。今まで見たこともないような、綺麗な青色をした小鳥だった。
「ブルーブルーフライキャッチャーだ」
「え?」
「前読んだ本に写真が載ってたんだ。ウィンフィールドにもごく少数しかいない、超希少種の小鳥だよ。こんなところに居るなんて…」
 カイの説明を聞いて、改めてショウは視線の先の小鳥を見る。小鳥はばたばたと羽ばたきながら、ショウたちの上を旋回する。
「? どうしたんだろ」
「着いて来いって言ってるみたいだね」
「行ってみるか」
「ま、どうせ一本道だしね」
 そう言って三人はその小鳥の後について歩き出した。
 すると、不思議なことに、さっきまでひっきりなしに来ていたモンスターが姿を見せなくなった。
「どうなってるんだ?」
「あの子が僕たちがこの森に入ることを許してくれたからかな」
 カイの疑問に、アンリがそう答えると、不意に景色が開ける。
 泉の水が水面に光って少し眩しい。
「うわ、すげー」
 ショウが思わず感嘆の声を上げる。きらきらと光が反射し、眩しい。透き通るような泉の水は濁ることなく水の下の地面を映し出している。
 何より、日照りに悩まされている地から来たショウたちにしてみれば、こんな美しい泉は久しく見ていなかった。
「此処の水、みんなに持ってってやれば喜ぶだろうなぁ…」
「これも賢者様のものでしょ?許してもらえないんじゃない?それより、急がないと置いてかれるよ」
 ショウの言葉をさらっと切り捨ててカイが言う。ショウはむっとしたが、文句は言わずに後をついていく。
 そして、小鳥が案内した場所は小さな小屋だった。その小鳥はすっと窓から小屋の中に入っていく。
 三人は思わず顔を見合わせた。
「此処に、賢者様が居るの?」
「解かんないけど…取り敢えず、入ってみるしかないよな」
 そう言って、ショウはそのドアをノックした。


 あの青い鳥がその別のお客を迎えに行っている間、何をするともなくお茶を頂いていた。
「ところでさ…賢者様」
「その、賢者様、というのは止めていただけませんか」
「…名前、聞いてねぇ」
「ああ、そうですね。すっかり名乗るのを忘れていました。私はセナと申します」
「オレたちは…」
「シオン殿とクリストファー殿、ですね。さっきからお名前を呼び合っていましたから」
 クリスが名乗ろうとすると、セナが先に言う。出鼻をくじかれてぐっと詰まる。
「それで、セナ…さ、ま…」
「そんなに言い難そうに様なんて付けなくても、呼び捨てでいいですよ。そんな大層な身分でもないんですから」
 くすくすと笑いながら言うセナに、クリスはむすっとする。
「じゃぁ、セナ」
「はい、何でしょう?」
「この森に居るモンスターは、あんたを守るために放たれてるんだろ?それなのに、こんな簡単にオレたちや、さっき迎えにやらせた客たちを入れちまっていいのかよ」
 クリスの問いに、シオンも同感と頷く。
「もし招き入れて、不届きなことをする連中だったらどうするのです?」
「招き入れるにも、ある一定の基準はありますから。大丈夫ですよ」
「基準?」
「ええ。先ほどのあの子が選んでくれます。あの子が来るのは客と呼べる相手の時だけですので」
 そう言ってセナは笑うが、その基準や、あの青い鳥というのが何なのかはさっぱり解からない。
「結局その基準が何なのか解からねぇじゃねえか」
「はぁ…ですが、説明すると長くなってしまいますので」
 穏やかに口元に笑みを刻みながら、セナは言う。答えながらも何処かすらりとかわされて行くような気がしてならない。
「ところで…その、お二人が住む街で、その疫病以外に変わったことはありませんか?」
「変わったこと?」
 セナの問いかけに、シオンは首を傾げる。
「はい、その疫病が流行する前後に何か切欠になるようなものがあるのではないかと思うのですが」
「切欠…かぁ」
「そう言われても、思いつきませんね…」
 クリスもシオンも首を捻る。思い返してみても、他に変わったことなど見当たらない。唯一つを除いては。
「黒い花が…」
「え?」
「クリストファー様、そのことは…」
「ああ、そうだな。悪い、なんでもない」
 シオンの声に、クリスも黙り込む。
 原因と思われることは一つだけあるのだ、確かに。けれどそれが何故病を流行らせているのか、さっぱり解からない。何より、それはクリスとシオンにしか見えぬものだった。街のだれもが、その花に気づかない。見えないと言う。
 だから、シオンもクリスも、その事に関しては口を閉ざした。近づいて摘み取ろうとしたこともあるが、何かが邪魔をしてそれをすることは出来なかった。
「何かおかしい事があるのなら、はっきり言ってくださらねば、私としてもどう考えていいのか解からないのですが…」
 セナが幾分真剣な声色を滲ませて言う。シオンとクリスは顔を見合わせた。
「でも、だからってあんたが見に来れる訳じゃないんだろ?」
「…いえ、場合によっては……」
「え?」
「今は、早急に決めることではありませんね。この話も一時保留しましょう。もし、私が外に出ることが適ったならば、その時にでも」
「…何か、方法があるのか!?」
 セナの言葉は曖昧で、けれど、クリスやシオンが希望を見出すには十分だった。
「まぁ、それもこれから来るお客様と、あとは交渉次第ですが」
 セナは口元に微笑を浮かべ、やはりクリスやシオンには解からないことを口にした。
 不意に、また窓からあの青い鳥が飛び込んできた。
 その鳥はすぅっと室内を飛んでセナの肩に止まる。セナはその鳥の頭を指先で軽く撫でて微笑む。
「どうやら着いたようですね」
 セナがそう言ったかと思うと、コンコンっとドアがノックされる音が聞こえた。
 その音を聞いて、セナは客を迎え入れるべくドアを開けた。
 其処に立っていたのは、まだ十代半ばぐらいの少年三人だった。
「いらっしゃいませ。取り敢えず、中にお入りなさい」
 セナはゆったりと口元に笑みを刻んで、三人を招き入れる。少年たちは戸惑いながらも小屋の中に入っていった。
「その小鳥…さっきの……」
「ええ。あなた方を迎えに行って貰っていたんです。ご苦労様、もう行っていいですよ」
 後の言葉はその小鳥に向かってのもので、その言葉を聞いた鳥はピイッと鳴いてドアから出て行った。
 三人の少年たちはぐるっと物珍しそうに小屋の中を見回した。クリスたちにも目を留め、戸惑いを露にする。
「あの…あなたが賢者様、ですよね…?」
 長い髪を一つに束ねた少年が、セナに問いかける。セナは苦笑いを浮かべ、首を横に振った。
「矢張り、そういう風に噂が流れているのですね」
「え?」
「どういう意味だよ?この森に賢者さまが居るって聞いてオレたち…」
 短髪の少年が勢い込んで言うのを、そっとセナが肩に手を置いて止めた。
「その、賢者というのが私を指しているのは間違いないようですが、私は賢者と呼ばれるような知識など身につけては居ませんよ。此処に居るのはただの世間知らずの偏屈者ですから」
「あの、でも…」
 セナの言葉に戸惑いを見せている三人に、相変わらず口元に笑みを浮かべたまま、手招きをする。
「取り敢えず、お座りになってください。遠いところから遙々いらしたのでしょう、お茶を淹れて来ますので、一息吐いてください」
 そう言ってセナはキッチンへと向かった。少年たちは戸惑いながら、クリスたちに視線を向ける。
「取り敢えず座っとけば?ああ言ってんだし、遠慮する必要はないんじゃないか?」
「あなた方は…賢者様の知り合いですか?」
「さっき知り合ったとこ」
 そう言ってクリスは冷えたお茶を飲んだ。
「取り敢えず座っとけよ、戻ってきた時に座ってない方が困った顔されるぜ」
 もう一度クリスに言われ、三人の少年はそれぞれ椅子に座る。主の分も含めて丁度六人分。まるで、今日の事が解かっていて誂えたようにすら思えた。
「ちょっと、あの賢者様に頼みたいことがあってさ…でも、どうなんのかなぁ、結局」
「さぁ、全てはセナ様の胸の内次第、ということでしょうから」
 クリスの問いかけに、シオンも困ったような顔を浮かべる。希望と不安が綯い交ぜになって複雑だった。
「お前らは?何でこんなとこまで?その服装からすっと巫女と近衛兵みたいだけど」
 三つ編みの少年と、短髪の少年を見て、クリスが問いかける。
 少年たちは顔を見合わせて、それからクリスたちに向き直った。
「そのことは、賢者様がお戻りになってからお話しますから」
 代表して短髪の少年が言う。真面目で活発な印象を与える少年は、シオンと同じ職であることも手伝ってか親近感を感じた。
 そして、そう話しているうちに、セナがお茶を淹れて戻ってきた。
 三人の前にカップを置き、セナは口元に笑みを刻んだ。
「それでは、今日此処にいらした、ご用件を伺いましょうか?」
 三人の少年たちは顔を見合わせ、頷きあう。
「あの、オレたちは東の、此処から歩いて三日ほどの場所にある街から来たんです。オレたちの住む街ではもう、半年近くも雨が降ってなくて、日照りに悩まされてたんです」
 そこで、代表して話す短髪の少年が一つ息を吐く。
「その様子がどうもおかしくて、雨が降らないのはオレたちが住む街だけなんです。その周囲の街では変わりなく、普通に雨が降る。隣町なんかに頼って水を分けてもらったり、水路を引いて貰ってるけど、それも限界があって…。それで、この、アンリの巫女の試験も兼ねて日照りを解決する方法を占ったんです」
 そう言って三つ編みの少年を示す。アンリと呼ばれた少年は、短髪の少年の言葉を継ぐ。
「僕の占いには、この森に何らかの解決の糸口が見つかると出たんです。だから、この森に住むっていう賢者様が何とかしてくれるんじゃないかって…神官様に言われて、僕の護衛をしてくれるショウくんと、双子のカイくんと此処まで三人で来たんです」
 アンリの説明を、セナは静かに聞いている。そして、最後にカイと呼ばれた少年がこう続けた。
「それから…僕らが此処に来るまでに通った街でも、それぞれ違いはあれ、何かしら異変の起きている所があったんです。僕らの街とは逆に豪雨に悩まされていたり、何の原因もないのに作物が不作だったり…どうもウィンフィールド全体で異変が起こっているとしか思えないんです」
 カイの言葉を締めくくりに、三人は沈黙した。シオンとクリスも顔を見合わせる。異変が起きていたのは、自分たちの街だけではなかったのだ。
 セナは、深々と溜息を吐いた。
「困りましたね…」
「え?」
「その占いを信用するのなら、どうも私は、この件に関わらなければいけないようですね。勿論、あなた方の件も」
「!」
 セナの最後の言葉はシオンたちに向けられていた。二人は驚いてセナを見る。
「でも、あんたこの森からは出れないって…」
「ええ…そうなんですけど…」
 口元を苦笑いの形に変えて、セナは溜息を零した。
 そのセナの口元を見て、不意にクリスは思いつく。
「なぁ、あの泉の水…精霊様の加護を受けた水だって言ってたよな?だったら、あの水をうちの街の病人に持って行って飲ませたら、もしかすると…」
「あかん」
 間髪居れずに別の声が返って来た。それは、今までその場に居た六人の誰とも違う声で、突然背後からしたその声にクリスは驚いて振り返る。
「…な、いつの間に…」
 いつから其処に居たのか、全く解からなかった。それは他の者も同様で、セナだけが困ったように溜息を吐いた。
「水の精霊様…」
 そのセナの言葉に他の五人は、尚のこと驚いたのだった。
「水の精霊様…って」
「この人が?」
「つーか、どっから出てきたんだよ、一体」
「精霊様ですから、神出鬼没なのではないですか?」
「別に冷静に分析して欲しいわけではないと思いますが?」
 それぞれがそれぞれに反応を返しているが、水の精霊はその五人には見向きもしない。
「なぁ、茶淹れてくれんか。あんたの淹れるお茶は美味いから好きや」
「六人分でよろしいですか?」
 セナの言葉と同時に、またしても突然、何処からともなく人…ではなく精霊様なのだろう…が現れた。
 …全部で六精霊。
「…つーかオイ、いいのかよ、こんなとこに六精霊が揃って…」
「百年前の白い翼と黒い翼の戦い以来封印されているんじゃなかったんですか?」
 クリスの言葉の後にカイがそう言うと、赤い髪の元気そうな青年が軽快に笑った。
「んなもん、ガセに決まってんだろ?ずっと封印されてたんじゃ、退屈で仕方ねーや」
「そもそも、封印されていたのでは、此処の結界が張れませんしね」
 続いて落ち着いた雰囲気の綺麗な容姿をした青年がそう言った。
「どうぞ、お茶を淹れてきました」
「おう、おおきに」
「皆さん、伝説に残る六精霊様なんですから、少しは落ち着いてくださいね。自己紹介ぐらいして頂かないと、それこそ困ってしまいますよ」
 セナが微笑んでそう言うと、まぁ一応素直に、というか、自己紹介をしてくれた。
 最初にセナに名前を呼ばれた関西弁の青年は水の精霊、そして赤い髪の青年が火の精霊、落ち着いた物腰の青年が月の精霊、それから…どう見ても犬…なのが土の精霊、そしてまだ十四、五歳ぐらいの少年が木の精霊、紅一点の女性が金の精霊らしい。
 それぞれがそれぞれに、どうも灰汁の強い…としか言いようのない個性を持っていて、本当にこれが伝説の精霊様たちかと疑いたくなる。
 しかし、セナが嘘を言っている様にも見えず、大体、精霊でなければあんな風に突然現れたりすることも出来ないだろう。
「それでや、最初の話に戻るけどな」
「ああ、あそこの水…だめなのかよ?」
「そうや、あれはセナ専用や。他のもんが使ってもなんの効果もあらへん」
「だけど、このままじゃオレたちの街が…」
「それはわいの知ったことやない」
 言い募るクリスを水の精霊は冷たくあしらう。
「何だってっ!?それが仮にも精霊様の言う台詞かよ!」
「仮にもやなくて正真正銘の精霊様やけどな。病気による死亡は自然の摂理や、わいらがどうこうするような問題とちゃう」
 そう言われてクリスはぐっと言葉に詰まる。精霊は何でも願いを叶えてくれる存在ではない。精霊とは、自然をあるがままの姿に整えるための存在なのだ。
「水の精霊様…」
 それまで成り行きを見守っていたセナが、水の精霊を呼んだ。
「何や?」
「私が、この森の外に出ることは可能ですか?」
 その言葉に、全員がはっとしたように二人を見つめた。
 水の精霊はじっと瀬那を見据える。
「外に出たいて言うんか?」
「ええ。彼らの話していることが気になるので」
「外に出たらどうなるか、解かっとるやろう。結界の外に出たら身体の端から腐り始めて半時後には死んでるで」
「解かっています」
「せやったら、外に出たいやなんて言うんやない」
 水の精霊はにべも無くセナの言葉をはねつける。
「しかし、もしウィンフィールドで起きている異常が、彼の仕業なら、このまま黙って見過ごす訳にはいきません」
「あいつの仕業やて決まった訳やない」
「彼のしたことでないという証拠もありません。それとも、このままこの森にまで異常が及ぶまでまっていろと?」
「例えなんと言おうと、アンタがこの森から出るのは賛成出来んな」
 水の精霊の言い分に、流石のセナも幾分むっとしたようだった。
「…水の精霊様、正直に答えてください」
「なんや?」
「今、ウィンフィールドで起きている異常な現象を知っていて、六精霊様方で示し合わせて私に黙っていたんじゃありませんよね?」
「……」
「私に話せば外に出たいと言うのは解かりきっていますからね?」
 水の精霊の黙り込んだ様子、それから、他の精霊たちの気まずそうな様子から自分の推測が正しかったと確信したのだろう、セナの語気が強くなる。
 そこで月の精霊が弁解するように間に入った。
「無用に貴方の気を煩わせる訳にはいかないと思ったんですよ。外に出るということは、大きな危険が伴いますから。もしこれで彼の仕業でなかったとしたら、それこそ無駄に命を縮めてしまうことになりかねません」
「私は、別に今更死が怖いとは思いませんよ。私が何のために、この無駄に長い生を生きてきたのか、精霊様方ならご存知でしょう。彼がしたことのならば、私が止めなければいけないんです。もし彼のしたことなのに、それを見過ごすことになれば、私は今まで一体何のためにこうまでして生きてきたんです?」
「セナ…貴方の気持ちは解かります。ですが…」
「もう十分すぎるほど生きましたよ。これ以上生きたいなんて思っていません。それでもこうしているのは、彼が現れたときに、私が止めなければならないからです。百年の禁忌を破って彼らがこうして此処を訪れたことといい、その時がきたのだと考えてもおかしくはないでしょう?」
「せやけどなぁ…」
 精霊たちは困ったように顔を見合わせる。
「せめて確かめに行かせてください。此処から一番近いクリストファー殿たちの住む街でいいんです。方法はあるんでしょう?」
 セナがもう一度問いかけると、精霊たちはそろって溜息を吐いた。



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