The fragment of lonesomeness



 遊星学園の学園長が変わった。
 別段、それがおかしい訳ではない。普通なら学園長の交代は何年か毎に行われるものだし、そんなことをいちいち気にしている教師も生徒も、あまり居ない。
 けれど、今回の人事異動には常ならざるものがあった。
 学園長の交代と共に、大幅な人事異動が行われ、古参の教師などは追い払われるような形で異動していってしまった。何か強い圧力がかかったとしか思えない。
 幸か不幸か、自分はその異動に巻き込まれることはなかったけれど。
 けれど、学校に居る事に対する緊張感が増したのも事実だ。意識せずともぴりぴりと身体が周囲の気配を伺っている。逆にそれが怪しまれる事も承知しているが、無意識にそんな状態になってしまうのはどうしても抑えられなかった。
 それは、自分だけではないようだったが。
「水落先生」
 不意に、声を掛けられて振り返る。その顔を見て、ほっと息を吐いた。
「東堂先生」
「ちょっと、話があるんだが、構わないか?」
「ええ。生物室に行きますか?」
「そうだな」
 紫苑の言葉を確認すると、そのまま生物室へと向かう。
 生物室へ入り、念のために鍵を掛けた。そして、深々と溜息を吐く。
「どうも、最近の学園の空気は緊張するな」
「ええ、若林学園長が来てから、ですね」
「気にしている生徒も、かなり居るらしい」
「そうでしょうね」
 瀬那は視線を伏せる。
 若林学園長は、その役職に似合わないほど若く、怜悧な容姿をしている。新任の挨拶では、思わず見蕩れてしまった生徒も少なからず居たらしい。そして、それと同じ時期に赴任してきた、榊原乱も。
「そちらは大丈夫なのか?」
「ええ、今のところは。目立った変化はありませんし…」
「そうか、ならいいが…怪しまれないようにしようと思えば思う程、神経が過敏になってしまうのはもう、どうしようもないな」
 条件反射のように身についてしまっている。
 ある種の気配に敏感に反応してしまうのだ。長い間紫苑も瀬那もその気配に常に気を配って生きてきたのだから。
 それに、紫苑には解からないだろうが、瀬那は、隠しても隠し切れない魔力の気配を感じていた。時々、悪寒がするほどの強い魔力。
 黒い翼である証。
「瀬那、お前は榊原とも接する機会が多いだろう。兎に角、気をつけてくれ」
「はい、解かっています」
 紫苑の言葉に、微笑を浮かべて頷いた。
 大丈夫、一人ではないのだから。
 一人で耐えなければならない訳ではないのだから。それは紫苑も同じだろう。頷き返し、彼独特の、包容力のある笑みを向けてくる。
 そして、二人は生物室から出て行った。


 数日経ち、この新しい気配にも段々慣れてきた頃。
「水落先生、ちょっとよろしいでしょうか?」
「はい?」
 突然、榊原に声を掛けられて驚く。
 今まで、彼から話し掛けられたことなど、ほとんどない。
 どうも、瀬那は榊原が苦手だった。苦手、という表現は少し違うだろうか。ただ、若林よりも、この榊原の方が油断ならない感じがした。
 いや、それだけではなく、記憶の底を刺激してくる何かが、畏れにも似た感情を、瀬那に抱かせていた。それが何なのか、掴めそうで掴めない。
「屋上へ行きませんか?」
「そうですね」
 榊原の言葉に頷きながら、どうしようか、と考える。
 此処で断るのも気にしすぎているようで問題があるが、屋上など滅多に人がこない場所だ。何か企んで居たとして、対処出来るかも解からない。まあ、どちらにしても今更断る事など出来ないが。
 榊原に促されるまま、屋上へと向かった。
 空は蒼く澄み渡り、太陽が眩しかった。ついつい目を細めて空を見上げる。瀬那の肩に止まっていたピピが其処から飛び立ち、上空をぐるりと一周した。
 あまりにも自然な動作だが、もし自分に何かあればピピは必ず紫苑に知らせに行ってくれるだろう。願わくは、榊原がこの小さな鳥にあまり気を止めないで居てくれると嬉しいのだが。
「それで、一体何の話です?」
 問い掛けて榊原の顔を見ると、その瞳のあまりの暗さに驚く。ぞくりと、背筋が粟立った。
 榊原は突然瀬那の肩を掴み、壁に押し付けた。覆い被さるようにして、顔を近づけてくる。瀬那は咄嗟に顔と顔の間に手を挟んだ。
「何のつもりですか、榊原先生」
「意外とガードが固い」
「質問の答えにはなっていませんね」
「少し、味見がしたくなっただけですよ」
「味見?」
 あまりな言い分に瀬那は眉を潜める。
 その瀬那の様子に微笑を浮かべて、榊原は二人の間を邪魔している手を掴んだ。
「初めて見たときから、気になっていたんです」
 それはともすれば愛の告白のようにも聞こえるが、瀬那にはそれが逆に不快でならなかった。しかし、そんな瀬那の心情など気にとめる様子もなく、瀬那の手をしっかりと押さえ込んで、今度こそキスを仕掛けてくる。瀬那は何とか止めさせようともがくが、上手くあしらわれてしまう。
 手馴れている。
「やめてくださ…んんっ」
 制止の声も無視され、そのまま口付けられる。
 舌が隙をついて口内に入り込んでくる。瀬那はそれを容赦なく噛んだ。
「っ…」
 流石に、榊原も瀬那から身体を離した。
「本当に、固い。私が手荒なことをする前に大人しくした方が身の為だと思いますが?」
「若林学園長のことはよろしいんですか?」
 若林と榊原がそういう関係にあることは、学園内では公然の秘密、というか、暗黙の了解と言うか、兎も角も皆言及しないまでも生徒も教師も全員そのことは知っている。
 だからこそ、こんな風に接してくるのが余計に不快なのだろう。
「あの方はつまみ食い程度で怒ったりはしませんよ」
「つまみ食い…」
 味見の次はつまみ食いか。わざと怒らせようとしているとしか思えない。思わず瀬那は溜息を吐いた。榊原はなにやら嬉しそうに笑っている。
 言葉遊びを楽しんでいるのか。
「お気に召しませんか?」
「気に入らない、と言っても貴方は気にしないんでしょう」
「よくお解かりで」
 傲岸不遜というか、傍若無人というか…。
 瀬那はくすり、と笑みを洩らした。怒りから呆れに、呆れも過ぎると笑いになる。
「つまみ食いが気に入らないのなら、本気で付き合いませんか?」
「…本気で?」
「ええ、他の生徒にも教師にも、もちろん学園長にも内緒で」
「…つまみ食いからセックスフレンドに昇格、というところですか?」
「そう取って頂いても構いません」
「私に、それだけの価値があるとでもお思いですか」
「価値があるかはまだ解かりませんが。言ったでしょう?初めて見たときから気になっていたんです。だから、これは賭けですよ」
「賭け?」
 榊原は二人の間に指を一本立てた。
「貴方に、私が利用できるだけの価値があるのか、それともないのか。結果は未だ解かりませんが、それも賭けだ。まあ、手軽にセックスを楽しめるだけで私としては嬉しい事この上ないのですが。でも、もしかしたら…」
「もしかしたら?」
「まかり間違って、本気になるかもしれません」
 しらっとした顔で言うものだから、瀬那は思わず本気で吹き出した。
 油断した訳でもない。榊原が気に入らないのも変わらない。だけど、何故だろう、心は榊原の提案に傾いていった。
 その暗い瞳に、自分と同じものを見たからかも知れない。
 若林という相手が居るにも関わらず、その瞳は孤独に満ちていた。瀬那も同じだ。紫苑が居て、守らなければならない人たちが居て、でも、それでも心に巣食った孤独はいつまでも消えさることはなくて。
 きっと、榊原も、瀬那の中に同じものを見出したのだろう。だから、こんな提案をしてきたのだ。初めからそのつもりだったのだろう。一度だけの遊びと言うのなら、無理矢理にでも瀬那を抱く事は、榊原にしてみれば至極簡単なことに違いない。
 それでも、こうやって会話をすることを望んで、瀬那を引きずり込もうとしている。
 いいかもしれない。
 もしかしたら、同じ孤独を持つ者同士が触れ合えば、少しは、この寂しさも紛らわせる事が出来るのかも知れない。
「いいですよ」
「え?」
「貴方の提案を受けてもいいと言ったんです」
 瀬那の言葉に少し驚いたような顔をした後、榊原は笑みを浮かべてもう一度キスをしてくる。今度は瀬那も拒絶はしない。
 瀬那の口内に入り込んできた舌は巧みで、確実に快楽を引き出してくる。手は瀬那のネクタイを解き、シャツのボタンを一つ一つ外し始めた。器用に片手だけで、ボタンを外していくのを、キスを受け半ば呆れながら、放っておいた。もう片方の手はしっかりと瀬那の腰に回っている。
 本当に、手馴れている。
「んっ……ふ…」
 瀬那から微かに息が洩れたのを聞いて、榊原は口唇を離した。そして、唇は瀬那の首筋へと下りていく。
「見える場所に痕をつけたりは、しないでくださいね」
「解かっています」
 くすりと笑って榊原は瀬那の素肌に手を這わせる。最初はゆっくりとその感触を味わうように動かしていたが、胸の突起に触れ、瀬那がぴくっと震えたのを見ると、すぐに其処を愛撫し始める。
「ん…ぁ」
 思わず声を洩らすと、榊原は嬉しそうに笑う。そして、片方の手で、ズボンのボタンを外し、其処から手を滑り込ませて、瀬那の中心を掴んだ。
「あ…っ」
 切ない声を上げ、瀬那は榊原の背に腕を回す。そのまま下肢に纏っているものを全て取り払い、露になった其処を扱き上げる。
「ふ……あ…」
 榊原の唇が耳元に寄せられ、息を吹きかけられる。それに感じて震えると、また嬉しげに笑った。
「随分、感じやすいようですね」
「…いけませんか?」
「いえ、嬉しいですよ」
 そう言って、瀬那の口に指を持っていく。舐めるように促され、それを口に含んだ。
「ん、ん…っ」
 もう片方の手は、相変わらず瀬那の中心を愛撫している。撫で上げられ、少し爪を立てられるとたまらなげに身体を震わせる。
 瀬那は気を紛らわせるように、丹念に舐める。指をしっかり濡らし、それこそわざといやらしく舌を使って見せる。もう十分だと思われるところで、榊原はその手を、入り口へと持っていった。其処はまだ固く閉じていて、進入を拒もうとしている。
 そこに濡れた指を一本突き入れた。
「う…っ」
 痛みに、瀬那は小さく声を洩らす。
「初めてではないが、かなり久しぶりのようだ」
「遊星学園の教師になってから、こういうことは今までしてませんから」
 瀬那の応えを聞き、納得したように一度頷いて、榊原は中を解すように指を動かした。それと同時に前も扱く。瀬那は壁に背をつきながら、榊原の背に腕を回してしがみ付く。与えられる快楽に足が震えて、立っていられなくなりそうだ。
 その間にも、榊原は中を解し、指を二本、三本と増やす。少し息苦しさはあるが、痛みはない。榊原が上手いのだろう。前を扱いていた手は、瀬那が立てなくなりそうなのを悟り、腰に回され、支えられた。
「ん……もう…」
「ええ、いきますよ」
 促され、榊原は瀬那の片足を抱え上げ、其処に己のものを宛がい、貫いた。
「くっ……ん」
 流石に、久しぶりではきつく、痛みに顔を顰める。圧迫感と、内臓がせりあがってくるような感覚にうめくしかない。少しでも楽になろうと、呼吸を繰り返す。
 榊原は中を探るようにゆるりと腰を動かした。少しずつ中を開いていきながら、瀬那の感じる場所を探す。ある場所を突くと、瀬那がぴくりと震える。
「ああ、此処ですね」
 そう言って、其処に擦りつけるようにして、腰を動かす。
「あぁ…ふ…っ」
 背筋から這い上がってくるようなゆるやかな快楽に、瀬那は熱い息を零す。決して性急ではなく、段々と上り詰めるように計算されたセックス。
 一体、何人の人間を抱いてきたのか。
 ふと、そんなことを考えて、苦笑する。そんなことはどうでもいい。今はこの快楽に身を任せて、互いの中にある何かを貪り合うだけなのだから。
 瀬那がよそ事を考えていたのに気づいたのだろう、榊原は少し面白くなさそうな顔をして、もう片方の足も持ち上げた。
「あ!…あっ…くぅ…っ」
 より深く榊原のそれを飲み込んで、息苦しさにうめく。しがみつく腕に力を入れ、身体を強張らせたものだから、内壁は収縮し、より強くその形を感じた。
「んっ…ぁ…」
「今は、私のことだけ考えていればいい」
 囁きかけるようにそう言われ、瀬那は笑みを浮かべた。
「勿論、貴方の事しか、考えていませんよ、今は」
 そう言うと、ぐんっと、中のそれが容積を増した。息苦しさと快楽に眉を寄せながら、それでも笑みが零れる。
 そう、こうやって溺れていけばいい、今は。
 互いの事しか考えられなくなるような強い快楽が、きっと寂しさを洗い流してくれるから。
 榊原は、突然強く突き上げてくる。
「あっ!…あ、ぁ…ん」
 そのまま押し流されるように何度も突き上げられる。榊原の方も切羽詰ってきているのが解かる。それが何故だか妙に嬉しい。
 そう考えているのも束の間で、強い快楽に思考の全てを拭い去られる。
「ぁあ…あ…もう…もう…ぃ…っ」
「水落先生」
 名前を呼ばれ、顔を見ると、そのまま口付けられる。そして一際深く突き上げられた。
「ん、んんんっ!!」
 熱い迸りを中に感じて、それと同時に、瀬那も自分の欲望を吐き出した。


 暫く座り込んだまま動けなかった。
 考えてみれば、榊原の衣服が殆ど乱れていないのは少し悔しい。
「大丈夫ですか、水落先生」
「あんな無茶をしておいて、よく言いますね」
 軽く睨みつけると、満足そうな笑みが返って来た。
 瀬那は溜息を吐く。
「まったく…」
「また、次の機会もよろしくお願いします」
「…次は」
「は?」
「校内でやるのなら、次は中に出すのは止めて貰えませんか。後始末が面倒です」
 実際、榊原と寝たことに深い感慨はない。ただ、本当に今はこれの後始末が面倒で、嫌だと言うことしか頭にないのだ。
 それを感じ取ったのか榊原はくすくすと笑い出す。
「すみません、次からは気をつけます」
「本当にお願いします」
 実際それが守られるかどうかは甚だ疑問だが。
 榊原は衣服の乱れを整え、襟を正すと、もう何ともないという顔をしている。
「それでは、お先に失礼します」
 そう言って、そのまま屋上から中へと入っていってしまった。全く、本当にこっちは後始末のことを考えるだけでうんざりしているというのに。
 とりあえず、榊原に放り出された衣服を身につける。中に出されたものはトイレで始末するしかないだろう。いつまでも中に残っているのは気持ち悪い。
 つい一時間ほど前までは榊原とこんな風になるなど、欠片も思っては居なかったはずなのに、不思議なものだ。彼が言っていた次が、そう遠からず来る事を解かっている。
 そして、この関係にお互い片方で冷めながらも溺れていくのだろうということも。きっと、始めれば止められない関係なのだ。完全な決別の時が来るまでは。その時まではこの関係を最大限楽しむしかない。本当の痛みから目を逸らして。
 互いの寂しさを慰めあう関係なのだということに目を瞑って。
 寂しさの欠片を胸に突き立てたまま。
 そう、その時が来るまでは…。



Fin





小説 B-side   Angel's Feather TOP